被災地へ


報道写真全記録2011.3.11-4.11 東日本大震災報道写真全記録2011.3.11-4.11 東日本大震災
(2011/04/28)
朝日新聞社、朝日新聞出版 他

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 一昨日の朝から昨日の夜まで、宮城県で東日本大震災関連の取材。震災から2ヶ月半がすぎて、やっと被災地を見ることができた。

 今回行ったのは、仙台各地と気仙沼市。宮城県知事や気仙沼市長、町内会長さんら、ほかの被災者を守る立場の方々をおもに取材した。

 仙台は、倒壊した建物もなく、少なくとも見た目の上では震災の爪痕が残っていない。金曜夜の繁華街のにぎわいも、ほとんど震災前に戻った印象。ただ、取材でうかがった仙台市内のあるお宅では、床と壁にはっきりと大きな亀裂が入っていた。

 衝撃的だったのは、気仙沼港周辺の光景。いまなお、爆撃を受けたあとのような状態のままである。つぶれた自動車の残骸が折り重なり、船は陸に乗り上げ、川の中に民家がすっぽり沈んでいる。瓦礫撤去のトラックなどの作業車だけが行き交い、それ以外は人気もない。周囲には、ドブ川の中にいるような臭いが漂う。

 気仙沼市役所の窓から外を見ていたら、市役所の人が目の前の道路を指して言った。
「このへんはもうきれいになったけど、(3月)11日には津波で流されてきた車があの道に山になっていたんですよ」

 津波被害のすさまじさが、初めて実感としてわかった。

生涯一フリーライター


決定版ルポライター事始 (ちくま文庫)決定版ルポライター事始 (ちくま文庫)
(1999/04)
竹中 労

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 岡庭昇さんが編集人をつとめる『同時代批評』の第17号(2011年1月17日発行)に、短いエッセイを書かせていただいた。「平岡正明という思想」という力の入った総特集がなされた号で、平岡ファン必携の内容だが、アマゾン等では手に入らないかな。

 エッセイは、各筆者に「わが根拠」なるお題が与えられたもの。私は「生涯一フリーライター」という題で書いた。
 年頭にあたっての原点確認の意味で、ここに転載しておく。


 一九八○年代後半のこと、「職業・作家、ただ今処女作執筆中」なる面妖なキャッチコピーとともにデビューした女性作家がいた。バブル景気真っ只中にあった日本の、うわついた空気を象徴するエピソードである。彼女にとって「作家」という肩書きは、一般芸能人と己を分かつためのアクセントでしかなかったのだろう。

 同様に、最近の「起業を目指す若者」の中にも、「社長という肩書きが欲しいだけ」としか思えない輩が多いそうだ。
 バングラデシュ等でバッグを現地生産し、日本で輸入販売するビジネスを展開する企業「マザーハウス」の社長・山口絵理子は、その突出した若さ(一九八一年生まれ)もあって、いまや起業を目指す若き女性たちの憧れの的である。山口がそうした若者に「起業して何をしたいの?」と聞くと、「それはまだ決めていないけれど、とにかく起業したいんです」と答えるケースが多いのだという(『裸でも生きる2』講談社)。

 そのように、肩書きをきらびやかな衣装として扱う者がいる一方で、肩書き自体がその人と分かち難く結びつき、ある種の存在証明となっているケースもある。平岡正明とも縁深い竹中労の「ルポライター」という肩書きは、その好例であろう。

 竹中は、ルポライターという呼称がすっかり時代遅れとなった平成の世に至っても、ノンフィクション・ライターなどという小じゃれた肩書きは使わなかった。ときに蔑みの視線を向けられかねない、三文文士の代名詞のようなルポライターという呼称を、あえて生涯使いつづけたのである。

 そこには、その肩書きが規定する物書きとしての座標軸を、自らの立ち位置として定める覚悟があった。竹中自身が『決定版ルポライター事始』(ちくま文庫)の「序」で言うとおり、「主人持ちのもの書きであることを拒み」、「虚名や富と無縁」の売文稼業をつらぬく覚悟が、である。竹中の覚悟には及びもつかないが、私もフリーライターという肩書きに思い入れをもっている。

 いまやフリーライターという肩書きには、ルポライター同様のカビ臭さがつきまとう。だからこそ、著作の二、三冊も出せば、たいていのライターは作家、ジャーナリストなどに“出世”する。そして、めでたく「作家上がり」を果たした者は、著者略歴からもライター時代の著作を抹消し、最初から作家であったような顔をするのだ。

 そのような風潮に生理的反発を覚える私は、これからも生涯フリーライターを名乗りつづけるつもりだ。それは言いかえれば、「自分はお偉い作家センセイではなく、文章を売る職人にすぎない」と、常に自らを戒めてペンをもつためでもある。物を書いているというだけで一般庶民の上に立っているかのような思い上がりを、私はけっして心にもちたくない。

 重松清は、作家兼現役フリーライターであることにこだわり、直木賞受賞後も「直木賞ライター」を名乗った。作家になったとたんにライター時代を封印するような輩より、よほどカッコイイではないか。


 少し付け加える。

 出版業界のヒエラルキーにおいては、フリーライターは作家やジャーナリスト、コラムニスト、ノンフィクション・ライターなどよりも格下と見なされがちである。
 つまり、「フリーの物書き」というカテゴリーの中で、フリーライターは最底辺の存在なのだ。

 そのことは、むろん明文化されているわけではないが、業界に身を置く者なら誰でも知っている。フリーライターという肩書きでずっと仕事をつづけてきた私などは、身にしみて知っている。
 たとえば、小田嶋隆さんは次のようにツイートした。



 そのように、フリーライターが業界最底辺の存在であることを重々承知のうえで、私はあえて誇りをもってフリーライターを名乗っている。
 なんとなれば、私にとって「フリーライター」の「フリー」とは、自由業者という意味ではなく、「なんでも書ける」という意味の「フリー」だからである。

 「依頼があれば、どんな文章でも書いて見せる」という自負が私にはあって、その自負を「フリー」の一語に込めているのだ。

 「作家がライターよりも上? ヘッ! 作家なんてのは小説とエッセイくらいしか書けない不器用な連中じゃないか。頼まれればどんな文章でも書きこなすフリーライターのほうが、ホントは物書きとして格上なんだぜ」

 ……と、そのようなひそかな矜持を抱いているのである。


藤岡弘、さんを取材


愛こそすべて合掌、愛こそすべて合掌、
(2005/09/21)
藤岡弘、

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 今日は、俳優の藤岡弘、さんを取材。都内某所のオフィスにて。

 インタビュー場所として案内されたオフィス最上階のサンルームには、『愛こそすべて合掌、』のCDが流され、『仮面ライダー』関連のマニア垂涎のお宝グッズが並んでいた。
 お弟子さんが入れてくださった噂の「藤岡、珈琲」(厳選されたペルー産の有機栽培豆を、藤岡さんご自身が富士山まで汲みに行くという湧水で入れたもの。大変おいしゅうございました)を飲みながら待つと、藤岡さんが登場。その颯爽とした出で立ちは、本郷猛=仮面ライダー1号そのままであった。64歳とはとても思えない若々しさ。

 私は、もろ『仮面ライダー』世代である。『仮面ライダー』の放映が始まったときには小学校低学年。夢中になって観ていたものだ。もちろん、「仮面ライダー・カード」も集めていた。
 ダウンタウンやとんねるずにとって藤岡さんは憧れのヒーローで、初めて共演した際は狂喜していた(ウィキペディアの記述)というが、彼らと同世代の私には、その気持ちはよくわかるのであった。

 何よりすごいのは、藤岡さんがその実像も「ヒーロー番組から抜け出てきたような方」であること。
 筋金入りの武道家で、武道の段位は計20段以上。真剣斬りを行なう武道公演を各国で行なっては「ラスト・サムライ」としてリスペクトを集め、恵まれない子どもたちに手を差し伸べるべく世界各地の紛争地に赴き……。
 仮面ライダーの「中の人」は、ホントにライダーみたいな人だったのである。

 予定の時間を大幅に超えて熱く語ってくださった藤岡さん。
 私はその間、「ああ、あの本郷猛が目の前にいる」と、しばし少年時代に戻ってしまったのであった。

「ひどい取材」の話


ファイアーキング・カフェファイアーキング・カフェ
(2010/05/20)
いしかわ じゅん

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 いしかわじゅんが、「日経BPオンライン」の連載エッセイ「ワンマン珈琲(カフェ)」で、沖縄の二大紙から受けたひどい取材について書いている(→こちら)。

 読んでみると、たしかにひどい。
 小説の新刊(※)『ファイアーキング・カフェ』の著者インタビューを受けたところ、二大紙の記者ともその本を読まずに取材にきたばかりか、いしかわが何者なのかまったく知らなかったという。

※いしかわはマンガ家だが、小説を書かせてもうまい。北方謙三をおちょくったハードボイルド・パロディ『東京で会おう』など、なかなか面白かった。

 A紙の場合――。

 私の新刊をテーブルの上に置き、取材が始まった。本はジュンク堂から借りたらしい。
 しかし、どうもなんだか変なのだ。質問が的を射ていないというか、二階からシャンプーされているような妙な感触なのだ。
 私は単刀直入に聞いてみた。
「ちょっと聞きたいんだけど、きみは俺がなにをやってるどういう人間なのか、知ってる?」
 答は、もっと単刀直入であった。
「えへへへ、さっきウィキペディアで調べました」
 実に率直である。知らない人にインタビューするのは、そりゃむつかしいだろうな。



 B紙の場合――。

 名刺交換をし、それから記者が質問をした。
「ええと、本をお出しになったそうですが、どういう本ですか?」
 えええーっ、下調べゼロかー!
(中略)
 彼は義務でインタビューにきただけで、私になんの興味もないし、本についても知りたいことなんてないのだ。これではインタビューにならない。
「もうやめよう。時間の無駄だし」
 私は立ち上がった。
「俺の名刺を返して」
 名刺を渡すと、記者は何事もなかったかのように普通に席を立ち、そのままカメラを肩にかけて、すたすたとエレベーターに向かって歩いていった。

 

 いしかわはこれを沖縄の新聞の質の低さを示す例として書いているが、東京の大新聞にだってひどい取材をする記者はいる。

 たとえば、評論家の呉智英はエッセイ集『犬儒派だもの』で、朝日の記者(文中に朝日の名は出てこないが、前後の文脈でわかる)から受けたひどい取材について書いている。
 その記者は開口一番、こう言ったという。

「で、呉さんは、小説家ですか、エッセイを書いているんですか。それとも脚本家か何か」



 また、小説家のエッセイ集を読んでいると、この手の「ひどい取材」ネタにときどき出くわす。「最初から最後まで、私の名前を間違えたままの記者がいた」とか、「オレの本を一冊も読まずに取材にきやがった」とか……。

 ま、わりとよくある話なわけですね。

 下調べ抜きでインタビューに臨むなんて、私にはとてもできない。相手に失礼であるという以前に、コワくてできないのである。丸腰で戦場に立つようなものだから。
 それに、私には自分が口下手だという自覚があるから、「下調べくらいきちんとやらないと、インタビューにならない」と考えているのである。
 だから、自慢ではないが、取材のときに「私のこと、よく調べてありますね」と言われることが多い。
(私とは逆に弁の立つ記者やライターの場合、話のうまさに対する過信から「ぶっつけでなんとかなる」と思ってしまうのかもしれない)

 いしかわじゅんに「名刺返して」と言われた記者の、“逆ヴァージョン”の経験もある。
 それは、某売れっ子評論家を取材したときのこと。取材を始めたとき、私が名刺を出しても相手は名刺をくれなかった(これはままあること。とくに芸能人の場合、名刺はくれないのが普通)。
 が、取材を進めるうち、私が相手の著書をたくさん読んでいることがわかると、彼は突然ポケットから名刺入れを取り出し、名刺をくれたのである。「コイツになら名刺やってもいいか」みたいな感じで(笑)。

林家こん平さんを取材

チャランポラン闘病記――多発性硬化症との泣き笑い2000日チャランポラン闘病記――多発性硬化症との泣き笑い2000日
(2010/03/19)
林家 こん平

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 このところ、すごく忙しい。2、3月とまったく休みがなく、いまだ確定申告すらしていないほど(還付金が戻ってくる立場の場合、多少期限に遅れても平気なのである)。

 今日は、午前中に息子の小学校卒業式。午後は都内某所で落語家の林家こん平さんを取材。
 明日、あさっては大阪と西宮で取材(一泊二日で2件の取材をする)。

 こん平さんへの取材は、先週発刊された『チャランポラン闘病記――多発性硬化症との泣き笑い2000日』(講談社/1470円)の著者インタビュー。

 2004年に難病・多発性硬化症に倒れ、落語家にとって命同然の「言葉」が突然不自由になってしまったこん平さん。その「運命の日」からの2000日に及ぶ闘病を綴り、同時にこれまでの人生も振り返った一冊。

 タイトルは、こん平さんのトレードマーク「チャラ~ン!」との掛け言葉。そしてまた、闘病記なのに随所に「笑い」が盛り込まれた本書の特長を表したものでもある。

 「芸人はお客様を喜ばせなければいけない」――師匠のこの教えは、私の座右の銘になっています。



 そんな一節が本書にあるとおり、たとえ闘病記であっても、読者を楽しませ、喜ばせずにはおかないあたりが落語家魂なのだ。

 これは、すごくよい本だった。こん平さんの闘病を支えるご家族やお弟子さんたちなど、周囲の人々との「絆」が感動的だし、落語家として一家をなすまでの道のりは波瀾万丈でドラマティック。副題のとおり泣けて笑える本で、テレビドラマ化したらよいと思った。

 私は4年ほど前に落語家の三遊亭小遊三さんを取材したことがあるが、その際、『笑点』仲間であり卓球仲間でもあるこん平さんについて、「早く元気になってもらって、また一緒に卓球がしたい」と言われていたのが印象的だった。
 こん平さんは見事に難病を乗り越え、いまでは卓球でも160回もラリーがつづくまでに快復されたという。

 日本だけで1万3000人にのぼるという多発性硬化症の患者さん、そしてそのご家族にとっては、この本自体が力強い励ましとなるだろう。

 多発性硬化症にかぎらず、「病気とどう向き合ったらよいか」の一つのお手本が、ここにはある。病気は、人生の「よい方向転換」をするための好機にもなる。好機にできるか否かは、病気との向き合い方一つなのである。 

 

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Profile 

前原政之 
イラスト/ジョージマ・ヒトシ

前原政之(まえはら・まさゆき)
1964年3月16日、栃木県生まれ。53歳。
1年のみの編プロ勤務(ライターとして)を経て、87年、23歳でフリーに。フリーライター歴30年。
東京・立川市在住。妻、娘、息子の4人家族。

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●「mm(ミリメートル)」は、私のイニシャル「MM」のもじりです。

●私の大好きなギタリスト・渡辺香津美氏は、ご自身のイニシャル「KW」をもじった「KW(キロワット)」を、公式サイトのタイトルにしておられます(同名のアルバムもあり)。それにあやかったというわけです。

●あと、「1日に1ミリメートルずつでもいいから、前進しよう」という思いもこめられています(こじつけっぽいなあ)。

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