長沼毅『世界の果てに、ぼくは見た』『辺境生物はすごい!』



 昨日は都内某所で、生物学者の長沼毅さん(広島大学大学院教授)を取材。

 長沼さんの著書『世界の果てに、ぼくは見た』(幻冬舎文庫/626円)、『辺境生物はすごい! ――人生で大切なことは、すべて彼らから教わった』(幻冬舎新書/842円)を読んで臨む。

 私は理系の学問は苦手なのに、なぜか科学者を取材する機会がけっこう多い。
 まあ、一般向けの科学啓蒙書のたぐいを読むのは好きだし、科学者の方のお話は新鮮で楽しいのだが。

 『世界の果てに、ぼくは見た』は、ロマンの薫り高いサイエンス・エッセイ。
 極地・深海・砂漠など、極限環境の生物をおもに研究されてきた「辺境生物学者」「科学界のインディ・ジョーンズ」(これは茂木健一郎氏の命名)である長沼さんが、研究がらみの辺境への旅の思い出を主に綴った、“科学紀行エッセイ”ともいうべき内容だ。帯には、「『辺境科学者』と、知の旅に出よう。」という惹句が躍っている。

 科学のみならず、歴史についての該博な知識も駆使して、知的刺激に富むエッセイが展開される。上品なユーモアをちりばめながらも、文章は詩的で格調高い。

 もう一つの『辺境生物はすごい!』は、辺境生物研究から得た知見を人生論にブレイクダウンした内容。



 『世界の果てに、ぼくは見た』が純粋に知的な愉しみとして読むべき本であるのに対し、こちらはやや自己啓発書寄りである。

 とはいえ、凡百の自己啓発書が放つ独特の臭味のようなものはない。“科学者の目線で語られる生き方論”ゆえの説得力があるのだ。

 たとえば、「失敗は成功の元」という教訓を、著者は進化の仕組みをふまえて語る。
 進化(を促す突然変異)は遺伝子のミスコピーから始まるのだから、かりに地球の生物がミスをまったくしなかったら、我々はいまも海の中の単細胞生物のままだったかもしれない。ゆえに「ミスは成功のためのコスト」なのだ、と……。

アンドレア・ウルフ『フンボルトの冒険』



 アンドレア・ウルフ著、鍛原多惠子訳『フンボルトの冒険――自然という〈生命の網〉の発明』(NHK出版/3132円)読了。書評用読書。

 フンボルト海流やフンボルトペンギンなど、多くの事績・地名・動物等にその名を冠された、ドイツの博物学者・探検家アレクサンダー・フォン・フンボルトの伝記である。

 多くの日本人にとって、フンボルトは「名前は知っているけど、何をやった人なのか、よくわからない」存在だろう。私にとってもそうだ。
 欧米等でも事情は同じらしい。本書によれば、フンボルトは「英語圏ではほぼ忘れ去られている」という。

 だが、存命のころには「世界でナポレオンに次ぐ有名人」とも呼ばれ、「科学界のシェイクスピア」などという輝かしい異名を持っていた。

 フンボルトの業績として、「等温線」の考案、「磁気赤道」の発見、「植生帯」「気候帯」の概念の提唱などがある。
 しかし、彼のなし遂げたことで最も重要なのは、「私たちの自然観を根本的に変えた」ことだと、著者は言う。

 自然の中のあらゆるものに関連性を見出し、「この壮大な因果の連鎖がある限り、独立して考えられるものは一つもない」と、フンボルトは書いた。現代の「生態系」の概念、地球を一つの生命体と見なす「ガイア理論」などは、フンボルトの自然観から生まれた“子ども”なのだ。

 フンボルトは、人類の営為によって気候が変わってしまう危険性を初めて指摘した。つまり、「環境保護運動の父」でもあるのだ。

 また、フンボルトは終生奴隷制否定論者であり、あらゆる民族は平等な価値を持つと考えた、先駆的な人権感覚の持ち主でもあった。

 フンボルトが独自の自然観を構築するまでの道筋を、著者は丹念に辿っていく。その自然観は、長期的な南米大陸探検など、フンボルトがくり返した探検調査によって培われたものだった。
 何度も命の危険にさらされた、書名通りの「冒険」であったそれらの旅を、著者はつぶさに描き出す。作家・歴史家である著者の文章は映像喚起力に富み、臨場感と豊かな詩情を併せ持っている。

 また、フンボルトが交友を結んだ綺羅星の如き人々――生涯の親友ゲーテや、南米解放の革命家シモン・ボリバル、第3代合衆国大統領ジェファーソンなど――の横顔も綴られ、それぞれ興趣尽きない。

 そして後半では、フンボルトが後代に与えた広範な影響についても、詳述されていく。
 ダーウィンは、フンボルトの著作に強い影響を受けて、歴史的なビーグル号の航海に出た。ダーウィンの進化論もまた、フンボルトの影響下にあるのだ。
 ほかに、『森の生活』のソロー、「生態学」の概念を提唱したヘッケル、自然保護の父ジョン・ミューアらがフンボルトの強い影響を受けていることが、それぞれ一章を割いて明かされていく。

 本書は丹念に書かれた第一級の伝記であり、科学史/科学ノンフィクションとしても抜群の読み応えがある。
 フンボルトの子ども時代が綴られる序盤はやや退屈だが、そこを超えれば、印象的なエピソードの連打で一気読みできるだろう。

リチャード・ワイズマン『よく眠るための科学が教える10の秘密』



 リチャード・ワイズマン著、木村博江訳『よく眠るための科学が教える10の秘密』(文藝春秋/1620円)読了。
 英国の心理学者が、自らが「夜驚症」(睡眠障害の一種)を克服した体験を機に睡眠の科学を学び、その成果をまとめた本。

 邦題の印象から、「熟睡のための科学的方法を説く実用書」を期待して手に取る人が多いだろう。
 実用書としての側面もあるし、熟睡のノウハウをまとめた章もあるのだが、それだけではなく、もっと幅広い「睡眠学入門」というべき内容である(原題は、“Night School: Wake up to the power of sleep” )。
 たとえば、後半は夢をめぐる科学的考察が中心であり、「明晰夢」を見るためのコツに一章が割かれていたりする。

 そういう本であることを承知のうえで読めば、大変面白い。

 質のよい、十分な睡眠が心身の健康にとってどれほど大切であるかが、データやエピソードをふまえてくり返し強調される。
 断眠競争(どれだけ長時間眠らずにいられるか)に勝った人が、それを機に人格が変容してしまい、人生を台無しにした、というエピソードにゾッとした。
 断眠の危険性がわかったことから、『ギネスブック』の「不眠の最長記録」のカテゴリーは削除されたという。

 そういえば、以前精神科医を取材したときに、こんな話を聞いた。

「診察の際、患者さんには『よく眠れていますか?』と必ず聞きます。ちゃんと眠れてさえいれば、心の病気があってもわりと大丈夫なものなのです。逆に、『最近、よく眠れなくて』というのは危険な徴候です」



 私自身は、眠りすぎて困ったこと(仕事的に)は多々あるが、眠れなくて困ったことは一度もない。いつなんどき、どこででも眠れるし、眠るのも夢を見るのも大好きである。これは、わりとよいことなのだな。

 現代人は食欲や性欲の飽くなき追求に余念がないのに、三大欲求のうち睡眠欲だけは、ひどくおざなりに扱われている。
 さまざまな社会的条件から、睡眠時間は世界的に減少傾向にあるという。

 一九六◯年にアメリカで百万人以上を対象にした調査では、大多数の人が毎晩八時間から九時間眠ると答えている。二◯◯◯年前後にアメリカ国立睡眠財団その他の組織が行った調査結果では、睡眠時間は七時間に落ちた。二◯◯六年に医学研究所は、アメリカで慢性睡眠障害の人の数を、およそ六千万人と推定した。そして最近の調査結果によると、アメリカ人の三分の一は睡眠時間が七時間以下である。



 睡眠の質の向上は、国家的・文明的課題といえよう。

ピーター・ウォードほか『生物はなぜ誕生したのか』



 熊本・大分の地震、心よりお見舞い申し上げます。

 たまたま昨夜からふるさと納税関連の原稿を書いていて、ふるさと納税ポータルサイト最大手「ふるさとチョイス」で災害支援寄附の受け付けが始まっていることを知った。

 少額ではあるが、私もさっそく寄附をした。
 茨城県境町が受け入れ窓口になっている。被災地の各自治体はそれどころではないから、手続きを代行しているのだろう(寄附金は境町から熊本に送付される)。

 返礼品は当然ないが、来年度の確定申告で控除の対象となる。ふるさと納税をすでに経験している人なら手続きは2、3分で済むので、おすすめしたい。

 ちなみに、同じ「ふるさとチョイス」のサイト内で、熊本大地震・被災者緊急支援のクラウドファンディングも行われている。


 ピーター・ウォード、ジョゼフ・カーシュヴィンク著、梶山あゆみ訳『生物はなぜ誕生したのか――生命の起源と進化の最新科学』(河出書房新社/2376円)読了。書評用読書。

 著者の1人ピーター・ウォードには、一般向け科学書の著書が多くある。私も、そのうちの一冊――『生命と非生命のあいだ』という本を読んだ。
 本書は、ウォードが研究者仲間のカーシュヴィンクとともに書き上げた、地球における生命進化の通史である。

 この分野では過去20年来、画期的な新発見が相次ぎ、生命史が大きく書き換えられてきた。
 たとえば、ウォード自身が主要研究者と目される「宇宙生物学」は、90年代中盤まで分野自体が存在しなかったのだ。

 近年の新発見・新解釈をふんだんに盛り込んだ新たな通史である本書の登場によって、過去の類書は去年のカレンダーのように用済みになった。そう言い切ってもよいくらい、価値ある一書。

 著者たちの語り口は上品なユーモアとウイットに富み、読みやすい。そして、随所に常識をひっくり返す驚きがある。知的興奮の連打で、400ページ超の本を一気読みした。

 再読、三読に値する、第一級の科学啓蒙書である。

橘玲『「読まなくてもいい本」の読書案内』



 橘玲(たちばな・あきら)著『「読まなくてもいい本」の読書案内――知の最前線を5日間で探検する』(筑摩書房/1728円)読了。

 このタイトルは、ちょっとひねりすぎ。「こんな本は読む価値がない!」と、名著の数々をバッサバッサ斬り捨てる内容を想像するだろうが、そうではない。
 副題の「知の最前線を5日間で探検する」のほうが、内容の的確な要約になっている。複雑系科学・進化論・ゲーム理論・脳科学・功利主義の5分野の概要と最前線を、手際よく紹介した概説書なのである。

 それがなぜ『「読まなくてもいい本」の読書案内』になるかというと、“複雑系科学などの長足の進歩による「知のビッグバン」が起きたあとでは、それ以前の古いパラダイムで書かれた本は読むに値しない”との主張が根幹になっているから。

 著者は科学者ではないから、進化論・脳科学・複雑系についての記述は、ありていに言って既成の科学書や論文の受け売りである。
 ただ、この著者は受け売りの仕方が抜群にうまく、受け売りであることを読者に意識させない。いわば、“洗練された受け売りのプロ”なのである。ホメているように聞こえないだろうが、100%の讃辞として“受け売りの達人”と呼びたい。

 全盛期の立花隆は、科学の最前線を手際よく読者に伝える優秀な「科学啓蒙家」であった。その役割を、本書によって同じタチバナ姓の著者(ちなみに、立花隆の本名は橘隆志)が受け継いだと言えそうだ。

 私は当初、本書を図書館で借りて読み、半分ほど読んだところで「これは手元に置いて何度も読み返したい」と思い、Amazonに注文した。
 「知の最前線」の的確な概説として、優れた内容だ。難しいことをわかりやすく説明する知的咀嚼力において、著者の力量は池上彰に匹敵する。

 ただ、「知のパラダイム」によって、哲学などの古典的教養がすべて陳腐化したかのように著者が言うのは、やや勇み足。古典的教養は、科学の進歩によって無価値になるほど薄っぺらいものではないはずだ。
 そのへん、大前研一の「古典的教養無用論」に通ずる底の浅さを感じてしまった。

■関連エントリ
橘玲『残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法』
橘玲『貧乏はお金持ち』
橘玲『バカが多いのには理由がある』


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前原政之 
イラスト/ジョージマ・ヒトシ

前原政之(まえはら・まさゆき)
1964年3月16日、栃木県生まれ。53歳。
1年のみの編プロ勤務(ライターとして)を経て、87年、23歳でフリーに。フリーライター歴30年。
東京・立川市在住。妻、娘、息子の4人家族。

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●「mm(ミリメートル)」は、私のイニシャル「MM」のもじりです。

●私の大好きなギタリスト・渡辺香津美氏は、ご自身のイニシャル「KW」をもじった「KW(キロワット)」を、公式サイトのタイトルにしておられます(同名のアルバムもあり)。それにあやかったというわけです。

●あと、「1日に1ミリメートルずつでもいいから、前進しよう」という思いもこめられています(こじつけっぽいなあ)。

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