橘玲『幸福の「資本」論』



 橘玲著『幸福の「資本」論――あなたの未来を決める「3つの資本」と「8つの人生パターン」』(ダイヤモンド社/1620円)読了。

 ベストセラー連発中の著者が、これまでに刊行してきた「人生設計本」の集大成として出した本。
 「幸福論」であり、一種の「自己啓発書」でもあるが、従来の幸福論・自己啓発書の多くがきわめて主観的、時に非論理的であるのに対し、本書の内容は終始論理的・客観的である。
 
 投資の専門家でもある著者らしく、幸福な人生を求める人の営みを、「3つの資本=資産のポートフォリオ」(あとがき)という視点から、ある種の“投資行動”として描き出している。

 「3つの資本」とは、我々一人ひとりが持っている「金融資産」「人的資本」「社会資本」のこと。

 「金融資産」は、文字どおりの意味。

 「人的資本」とは、個々人が仕事を通じてマネタイズする能力の総和を指す。
 たとえば、企業の新入社員は、定年退職までに稼ぎ出す給与総額からリスクプレミアムを差し引いた額(生涯年収3億円の場合、約5500万円)が、その人の人的資本になる。逆に、定年退職して無収入になった人の「人的資本」はゼロとなる。

 「社会資本」とは、いわゆる「ソーシャル・キャピタル」、つまりお金には換算できない“人とのつながりの豊かさ”(友人の多さなど)のこと。

 以上の3つを、著者は「幸福の3つのインフラ」と呼ぶ。
 3つすべてが潤沢に揃っている状態が理想だが、現実にはそれは難しい。だから、3つのうち最低1つ、できれば2つを潤沢に持てる人生を目指そう。そのために、投資家がポートフォリオ(保有する金融商品の組み合わせ)のバランスを考えてリスクヘッジするように、「人生設計の理想のポートフォリオ」を目指して生きよう……というのが、著者の大まかな主張だ。

 著者は、本書で展開する「人生設計の理想のポートフォリオ」を、次の3点に要約する。


①金融資産は分散投資する。
②人的資本は好きなことに集中投資する。
③社会資本は小さな愛情空間と大きな貨幣空間に分散する。



 ①はともかく、②③についてはこれだけ読んでも意味がわからないだろう。
 ②については、くわしくは本書を読んでいただきたい。

 ③はどういう意味かというと、「『強いつながり』を恋人や家族にミニマル(最小)化して、友情を含めそれ以外の関係はすべて貨幣空間に置き換える」こと。

 たとえば、仕事上の「強いつながり」を求めないことによって、仕事関係から生じるストレスを回避すること。
 具体的には、一企業に生活を全面依存するのではなく、「スペシャリストやクリエイターとしての人的資本(専門的な知識や技術、コンテンツ)を活かし、プロジェクト単位で気に入った『仲間』と仕事を」する。このことを、著者は「フリーエージェント戦略」と呼ぶ。
 
 要は、会社員よりもフリーランスのほうが幸福になりやすいと、著者は言うのである。その主張の根拠は、さまざまな幸福度研究だ。

 幸福の研究では、離婚や愛するひととの死別より、毎日の満員電車の長時間通勤の方がひとを不幸にするという結果が繰り返し示されています。



 職業別の幸福度を調べると、多くの研究で、自営業と公務員の幸福度が高いことが知られています。 
 収入が少なくても、会社員より自営業の方が人生の満足度が高くなるのは、自分の好きなことをして自己実現できるからだけではありません。時間(いつどれだけ働くか)と人間関係(誰と働くか)が選べれば、それだけで幸福感は大きく上がります。

 

 フリーランサーの一人として、このへん、大いに得心がいく。収入不安定で何の保障もない我々フリーランサーだが、通勤しなくてよいこと、働く時間が選べること、人間関係ストレスがほぼゼロ(=気の合わない人からの仕事依頼は受けなければいい)であることのメリットのほうが、はるかに大きいと痛感するからだ。

 しばしば思うことだが、フリーランサーには実年齢より若く見える人が多い。それは、人間関係ストレスや通勤ストレスから自由であるためだろう。

 なお、公務員の幸福度が総じて高いのは、自営業の場合とは逆に、際立った「安定性」がもたらす幸福感ゆえだろう、と著者は言う。

 「フリーエージェント戦略」に限らず、著者が本書で説く「人生設計の理想のポートフォリオ」はすべて、ポジティヴ心理学や行動経済学などの研究成果に裏付けられている。いわば、理詰めの幸福論、エヴィデンス・ベースト(科学的根拠に基づく)な幸福論なのだ。

 逆に言えば、本書の主張の大半は他者の研究の受け売りでしかないのだが、著者は“洗練された受け売りのプロ”だから、受け売りであることを読者に意識させない。そのへんは相変わらず見事なもの。

 “これまでに出した人生設計本の集大成”という本書の性格上、仕方ないのだが、著者の旧著に出てきた話の焼き直しが多い。ゆえに、橘玲ファンが読むと、「その話ならもう知ってる」と感じる箇所が多いだろう。

 私は、これまでに読んだ橘玲の本では『「読まなくてもいい本」の読書案内』がいちばんよくできていると感じた。同書に比べると、本書はやや薄味だ。

 とはいえ、目からウロコの卓見も随所にあるし、いまどきの幸福論として上出来だと思う。
 

ちきりん『自分の時間を取り戻そう』



 ネットの片隅で、「ライター/作家・肩書論争」というのが起きていた。→はあちゅう「私はライターじゃない」に吉田豪が反論 肩書に対する考え方が議論に - エキサイトニュース

 はあちゅうが書いている「作家は自分の意見を書くもので、ライターは誰かの意見(自分以外に取材)を書くもの」という定義自体に、私はまったく異論がない。 
 そのへんのことについて、10数年前に自分のサイトに書いた「ライターは『自分のことを書く仕事』ではない」という原稿がある。ハードディスクからサルベージしてきたので、下にアップしておく。


ライターは「自分のことを書く仕事」ではない

「自分のこと」を書くなど10年早い!

 もう10年ほど前のことだが、コラムニストの山田美保子さんが、「フリーライターになりたがってる」若い女の子の急増について、コラムで憂えておられた(『SPA!』91年2月6日号)。山田さんのもとを訪ねるその手の女の子は、「なんでもやりますゥ」(=だから仕事を紹介して下さい)などと殊勝なことを言うくせに、「どんなものが書きたいの?」と聞くと、こんなことをホザくのがつねであったという。

「あの~ォ、アンアンとかでェ林真理子さんなんかがやってるみたいな、ああいう自分のことが書きたいんです」

 あー、いるいるこういうヤツ。女の子に限らず、男にもいる……と、私はうなずきながらこのコラムを読んだものである。それから10年が過ぎたいまも、やはり、「フリーライターは自分のことを書く仕事だ」と勘違いしている人はたくさんいる。
 特大級の勘違いである。

 ライターと作家の何がちがうかというのは、なかなか悩ましい問題だ。なんとなれば、ライターと作家を区別するのはどうやら日本だけらしいからである(たとえば、英語では作家も「writer」だ)。が、それはさておき、日本の事情に沿って私なりにライターと作家のちがいを定義するなら、次のようになる。

 ライター=主に他人の意見・見聞を文章にまとめる仕事
 作家=主に自分の意見・見聞・考えたことを文章にまとめる仕事

 たとえば、私がイチローを取材して雑誌に記事を書いたとする。
 その記事には「取材・文/前原政之」というクレジットが付されるかもしれないが、私がイチローに対してどんな印象を持ったかなどということは、最小限度しか書かない。なぜなら、読者はイチローに興味があって記事を読むのであり、ライターの私に興味があるわけではないからだ。記事内にも「私」という人称は使わない。

 しかし、沢木耕太郎さんがイチローを取材して雑誌記事を書くとしたら、人称は「私」になるであろうし、沢木さんがイチローとどんな会話を交わし、どんな印象を持ったかが、それなりの紙数を割いて書かれるであろう。なぜなら、読者の中には、「スポーツ・ノンフィクションの大家」である作家・沢木耕太郎に興味を持って記事を手に取る人も大勢いるからだ。

 ――それが、ライターと作家のちがいである。
 要するに、作家とは、その人自身の意見・見聞が売り物になり、それを売って生活が成り立つ人のことなのだ。
 いっぽうライターとは、まだ自分の意見・見聞を売るだけでは生活が成り立たず、他人の意見・見聞をまとめる文章技術を売って生計を立てている人のことだ(作家とライターを兼業している重松清さんは、例外的存在である)。

 山田美保子さんが、「ライターになりたがってる」女の子の勘違いを嘆いた理由もそこにある。彼女たちはライターと作家を混同しており、ライターになれば自分の意見・見聞を売って生活が成り立つと思いこんでいる。私もたまにこの手の人と接するけれど、「自分のことを書くなど10年早い!」と言ってやりたくなる。

 こういう“自分探し系”ともいうべきライター志望者は、困った存在だ。いきなり作家になれないのはもちろんのこと、ライターとしても「使えない」場合が多いからである。ライターの文章は書く対象(取材相手など)を引き立てることに徹しなければいけないのに、この手の駆け出しライターは文章に「私」を前面に出しすぎ、目立ちすぎてしまうからだ。

 以前、田村章さん(重松清さんのライターとしてのペンネームの1つ)がライターの仕事をスタジオ・ミュージシャンの仕事に喩えておられた。これは卓抜な比喩で、ライターという仕事の本質を衝いている。

 スタジオ・ミュージシャンの仕事には高度な技術が要求されるが、さりとて、主役以上に目立ってしまったら失敗である。
 たとえば、宇多田ヒカルのニュー・アルバムのギタリストにラリー・カールトンが起用されたとしよう。ラリー・カールトンは彼らしい高度なプレイを披露することだろうが、宇多田ヒカルのボーカルがかすんでしまうようなプレイはけっしてしないはずである。むしろ、宇多田のボーカルがこれまで以上に輝きを増すようなバッキングをしてくれるにちがいない。
 ライターの仕事も同じことである。書く対象の魅力を最大限に引き出すような、絶妙の“バッキング”――すなわち、取材相手の意見・見聞などを手際よく読者に伝える「サポート」こそが、ライターの果たすべき役割なのだ。

 その意味で、ゴーストライターの仕事に限らず、ライターの仕事というのは総じて「黒子的」である。「自分のことを書く仕事」ではけっしてないのだ。

 「フリーライターではちょっと……」

 私は、自分で肩書きを選べる場合には「フリーライター」で通している。名刺の肩書きもそうだ。が、原稿の内容によっては、フリーライターという肩書きにすることに編集部側が難色を示す場合がある。

 編集「(記事の署名につける)肩書きどうします?」
 私「あ、フリーライターでいいですよ」
 編集「うーん、フリーライターではちょっと……。ジャーナリストではマズイですか?」
 私「いや、いいですけどね、べつに(苦笑)」

 要するに、社会問題を追及するルポの場合など、それを書いたのが「フリーライター」であっては読者に対して説得力がない(と、編集者は考える)のである。しかし、肩書きが「ジャーナリスト」なら読者も納得して読める(と、編集者は考える)というわけだ。

 この「フリーライターではちょっと……」という編集者の言葉は、日本の出版界でフリーライターが置かれている「地位」を端的にあらわしている。他人の意見・見聞をまとめて生計を立てているフリーライターは、自分の意見・見聞が売り物になる作家よりも一段下だと思われているのだ。その理由は、「人のフンドシで相撲を取る仕事だから」ということだと、私は理解している。

 しかし、他人の意見・見聞をうまくまとめる文章技術も、極めようとすれば非常に奥の深いものである。私は、フリーライターであることに職人的な誇りを抱いている。


 コピペ終わり。 

 ……というわけで、はあちゅうのライター/作家の定義には同意する私だが、彼女の発言がなぜ炎上したかといえば、やはり、「作家である私をライター扱いするな」という「上から目線」が鼻についたからであろう(彼女は「別に私がライターを軽視しているとか、/どっちが偉いとかではなく」と書いてはいるのだが……。)。
 そして、その「上から目線」にあまり根拠がないというか、「この人、べつに作家ってほどのものでは……」という違和感が感じられたからであろう。

 ま、どうでもいい話ではあるのだが。
 
 なお、私自身が「フリーライター」という肩書に込めている思いについては、「生涯一フリーライター」をご参照あれ。


 ちきりん著『自分の時間を取り戻そう―――ゆとりも成功も手に入れられるたった1つの考え方』(ダイヤモンド社/1620円)読了。

 先日読んだ伊賀泰代著『生産性』と、ちょうど対になっている本。あの本が「本名で、生産性向上をテーマに書いたビジネス書」であったのに対し、本書は「ちきりん名義で、生産性向上をテーマに書いた自己啓発書」なのである。

 わりと面白く読めた。
 とくに、第6章「生産性の高め方①まずは働く時間を減らそう」は、ライターとしての仕事の生産性アップにもそのまま活かせるアドバイスで、この章だけでも読んだ価値があった。

 ただ、男女2人ずつの架空キャラクターを登場させ、ちきりんが彼らに「生産性」という考え方の肝を教示していく――という構成は、失敗していると思った。
 「愚かな連中に生産性の何たるかを教えて啓蒙してあげるわ」という「上から目線」が鼻につくだけで、わかりやすさにはつながっていないのだ。

古川武士『30日で人生を変える「続ける」習慣』



 古川武士著『30日で人生を変える「続ける」習慣』(日本実業出版社)を読了。
 Kindle日替わりセールでほぼ1000円割り引きの激安価格(499円)だったので、買ってみたもの。

 著者は「習慣化コンサルタント」という肩書を持ち、「習慣化コンサルティング 株式会社」という会社の社長でもある。本書のほかにも、似たようなタイトルの著書をたくさん出している。

 「よい習慣を身につけ、悪い習慣をやめる方法」というのは私にとっても強い関心のあるテーマで、類書もあれこれ読んできた。

■関連エントリ
野口吉昭『コンサルタントの習慣術』
スーザン&ラリー・ターケル『「自分の壁」を破るいちばん簡単な方法』
レオ・バボータ『減らす技術』

 それらと比べても、本書はなかなかよい。
 主張のエビデンス――学術的裏付けが希薄で、そこは難点だが、習慣化のメソッドという点では非常に明快で、読者が生活に取り入れやすい内容になっている。

 きわめてリーダブルで、たちまち読めてしまう点もよい(これほどわかりやすい本にもかかわらず、『マンガでわかる「続ける」習慣』というコミック版まで刊行されていることにビックリ)。

 学術的裏付けについては他の類書に譲るとして、「よい習慣をつける方法を手っ取り早く知りたい」という人は、本書を読んだらよいと思う。

マイケル・ボルダック『行動の科学』



 マイケル・ボルダック著、吉田裕澄・高野内謙伍訳『行動の科学――先送りする自分をすぐやる自分に変える最強メソッド』(フォレスト出版/1620円)読了。

 書名と副題に惹かれて読んだのだが、タイトルとは裏腹にあまり科学的とは言えない内容であった。
 まあ、著者は科学者ではなくコーチング・ビジネスのコンサルタントだから、無理もない。要は、よくある自己啓発書である。

 先延ばし癖克服の科学的研究書としては、当ブログで何度も言及しているピアーズ・スティールの『ヒトはなぜ先延ばしをしてしまうのか』がベストワンで、これを超える本はたぶん今後も出ないだろう。

 とはいえ本書も、自己啓発書と割りきって読む分には悪い本ではない。
 なにしろ、著者は「世界No.1の目標達成コーチ」だそうだから、何かの目標達成に向けて自分を鼓舞するための本としては、よくできている。

 たとえば、適切な目標の定め方の基準として、「50%の確信度を感じるレベルで設定すること」が大切だと説くあたり、なるほどと思った。それより高くても低くてもモチベーションが上がらない、というのだ。

 ただ、「あなたの価値観・考え方を変えろ」という趣旨の言葉がくり返し登場する点には、首をかしげた。
 人間の価値観・考え方は、長い人生を通じて築き上げてきたものなのだから、変えようと思っても一朝一夕に変わるはずがない。価値観を変えるためのメソッドの部分が、本書はあまりにも薄すぎると思う。

■関連エントリ→ イ・ミンギュ『「先延ばし」にしない技術』

イ・ミンギュ『「先延ばし」にしない技術』



 イ・ミンギュ著、吉川南訳『「先延ばし」にしない技術』(サンマーク出版/1836円)読了。

 著者は韓国の心理学者。心理学の成果をふんだんに盛り込んで、やるべきことを先延ばしにしないためのノウハウを幅広く綴っている。

 前に読んだ『ヒトはなぜ先延ばしをしてしまうのか』(ピアーズ・スティール)の類書だが、あの本が先延ばしの克服に的を絞っていたのに対し、本書はもっと幅広い自己啓発書になっている。

 この手の本を何冊も読んでいるのは、私自身が(原稿の)先延ばし癖克服に苦慮しているからである。

 ピアーズ・スティールは先延ばしの研究をライフワークとしてきた心理学者だから、学術的な深みに関しては『ヒトはなぜ先延ばしをしてしまうのか』の圧勝だ。
 ただ、実際に読者の背中を押してくれる効果については、本書のほうが上であるような気がする。

 過去の偉人たちがどのようにして先延ばしを排してきたかの実例が豊富に紹介され、読み物としても面白いし、昔の『西国立志編』(『自助論』)の現代版という趣もある。

 もちろん「原稿の先延ばし」だけを扱っているわけではなく、もっと普遍的な内容だが、私にとっては原稿先延ばし癖の克服に役立つ(役立てたい)本であった。


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Profile 

前原政之 
イラスト/ジョージマ・ヒトシ

前原政之(まえはら・まさゆき)
1964年3月16日、栃木県生まれ。53歳。
1年のみの編プロ勤務(ライターとして)を経て、87年、23歳でフリーに。フリーライター歴30年。
東京・立川市在住。妻、娘、息子の4人家族。

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●「mm(ミリメートル)」は、私のイニシャル「MM」のもじりです。

●私の大好きなギタリスト・渡辺香津美氏は、ご自身のイニシャル「KW」をもじった「KW(キロワット)」を、公式サイトのタイトルにしておられます(同名のアルバムもあり)。それにあやかったというわけです。

●あと、「1日に1ミリメートルずつでもいいから、前進しよう」という思いもこめられています(こじつけっぽいなあ)。

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