ご冥福を……。

 一昨日亡くなられた、物書き稼業の大先輩・大木實さんのお通夜へ。
 日野市の「東都アールホール」という大きな斎場が満杯になり、弔問受付には長蛇の列。故人の人徳が偲ばれた。

 大木さんは、若き日には映画界で活躍され、浦山桐郎監督の名画『キューポラのある街』の助監督などもつとめられた方であった。今村昌平監督との映画作りの思い出なども、よく聞かせていただいたものだ。

 私にとっては、17年前の上京以来、何かとお世話になった方。私の母と同じ昭和7年生まれであったこともあり、年長の友人というよりは父親のようなイメージがある。私の結婚披露宴においでいただいたときには、朗々たる美声で一曲歌ってくださった。母はいまでも、大木さんの話になると、一つ話にそのことを言う。

 5月末に入院先へお見舞いにうかがったのが、お会いした最後となった。そのときはまだお元気であったし、腫瘍も良性なものだと聞かされていた。しかし、予感というのはあるもので、病室を辞去するときにあいさつをかわした際、ふと「これが最後かも……」という思いがよぎった。そういう悪い予感というのは、当たってしまうことが多いものだ。

 我々後輩が物書きとして成長することこそ、最高の供養であろう。
 ご冥福をお祈りいたします。
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『ノー・グッド・シングス』



 ハードボイルド小説の始祖ダシール・ハメットの短編の映画化。原作は、探偵コンチネンタル・オプを主人公にしたシリーズの一編「ターク通りの家」(1924年)である。

 ただし、ストーリーはかなり換骨奪胎されている。たとえば、原作で描かれる犯罪が美人局と殺人であるのに対し、映画はコンピュータ・ネットワークを駆使した頭脳的銀行強盗を描いている。しかし、ハメットの小説の雰囲気は濃厚に残していて、「小説の映画化」のお手本といってもよい出来栄え。
 だいたい、「原作を忠実に映画化」した作品なんて、活字を映像に置き換えただけで面白くないわけで、いかに原作を換骨奪胎して自分の作品に昇華させるかが監督の腕の見せどころなのである。

 監督のボブ・ラフェルソンは1981年にも、やはりハードボルイド黎明期の名作『郵便配達は二度ベルを鳴らす』(ジェームズ・M・ケイン)を見事に映画化している。
 この『ノー・グッド・シングス』は、内容も『郵便配達――』を彷彿とさせる。あの映画で主人公を惑わしたファム・ファタール(運命の女)はジェシカ・ラングだったが、こちらのファム・ファタールはミラ・ジョヴォヴィッチだ。

 このミラ・ジョヴォヴィッチが素晴らしい。スレンダーなのに肉感的。脱ぎっぷりもよいのだが、脱がない場面でさえエロティック。唇や脚の動きだけでも十分になまめかしい。そして、取り乱して泣き叫ぶ場面でさえ、ヒステリックではなくコケティッシュ。

 これは彼女のための映画である。リュック・ベッソンの『ジャンヌ・ダルク』に主演したときにはなんの魅力も感じなかったが、いま思えばあれはひどいミスキャストだったのだ。彼女は、「救国の聖少女」を演じるようなタマではないのである。この映画のように、淫靡な魅力で男たちを狂わしていくファム・ファタールを演ってこそ輝く女優なのだ。
 
 映画は、ハードボイルドというよりはクライム・サスペンスになっている。
 失踪人を探して住宅街を歩き回っていた主人公の刑事(サミュエル・L・ジャクソン)は、ある家で身分を明かしたとたん、後頭部を殴られて失神し、気づけば椅子に縛りつけられていた。家は、銀行強盗を計画中のギャングのアジトだったのだ。

 刑事が自分たちを探しにきたと思い込んだギャングたちは、計画を急遽変更してその日に犯罪を決行しようとする。
 刑事の見張り役として、ボスの情婦エリン(ジョヴォヴィッチ)だけが家に残される。2人には音楽という共通項があった。チェロ演奏を趣味とし、ヨー・ヨー・マを英雄と崇める刑事。情婦になる前はピアニストを目指していたというエリン。2人は少しずつ心を通わせていく。

 銀行員も仲間に引き入れ、血を流さずに1000万ドルを奪おうとする緻密な犯罪計画が進んでいく。
 だが、いまの境遇から抜け出したいと渇望するエリンは、男たちを色仕掛けで操り、ボスを裏切ろうと画策していた。さらに、刑事が現れたことも引き金となって、計画は少しずつ破綻していく。そして……。

 エリンは、『白いドレスの女』のキャスリーン・ターナー以来の悪女である。男たちの道具にされる哀れな女のようでいて、その実、彼女こそが男たちの運命を翻弄していく。「悪女」とは、たんに犯罪を犯す女という意味ではない。悪女ゆえの魅力をムンムンと発散して観客の心をつかんでこそ、映画の中の「悪女」なのである。

 引き締まった脚本が素晴らしい。要所要所に埋めこんだ伏線がすべて見事に決まっていて、余計な場面がまったくない。
 また、ややブラックなユーモアもちりばめられていて、まさに「大人のための娯楽映画」という趣。こんなにいい映画なのに、なぜヒットしなかったのか不思議だ。大人のあなたにオススメ。
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ジェフ・ベック『ジェフ』

【Blu-spec CD】ジェフ【Blu-spec CD】ジェフ
(2009/02/18)
ジェフ・ベック

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 ジェフ・ベックの新作『ジェフ』(ソニー・ミュージック・ジャパン/2520円)がスゴイ! なんの予備知識もなくこの新作を聴いたら、来年還暦を迎える男の作った音楽だとは誰も思うまい。それほど若々しい、バリバリのロックなのである。

 手塚治虫は、最晩年までマンガ界の最前線で活躍しつづけ、親子ほども年の離れた若手マンガ家に対してすらライバル意識を燃やした。ベックもしかり。「孤高の天才ギタリスト」の名を欲しいままにしてきたベックだが、幾つになってもけっして円熟などしない。ポップ・ミュージックの最前線で活躍している若手アーティストたちと、いまなお互角に渡り合っているのだ。

 かつてベックとともに「3大ギタリスト」の1人に数えられたエリック・クラプトン(もう1人はジミー・ペイジですね。為念)がすっかり円熟してしまい、音楽ばかりか見た目まで好々爺然としているのとは対照的である。

 ジェフ・ベックは、1970年代後半の『ブロウ・バイ・ブロウ』(ちなみにこのアルバム、発売当初は『ギター殺人者の凱旋』というスゴイ邦題がついていた)と『ワイアード』の2作でインスト・ロックの金字塔を打ち立てた。当時の音がジャズとロックの境界線上にあったのに対し、この『ジェフ』にはジャズ色がほとんどない。デジタル・ロックを基調に、ラップやブルース色も加味した、まさに最先端のロック。

 「JB’sブルース」のようにリリシズムあふれる「泣きのギター」を聴かせる曲もあるが、大半の曲では、音を歪ませたギターを速弾きしまくっている。それでいて、そのギターは少しも耳障りではなく、ソリッドな美しさに満ちているのだ。『ブロウ・バイ・ブロウ』や『ワイアード』が「正調の美」だったとすれば、この『ジェフ』は「破調の美」を極めた作品といえよう。

 つまらない曲は一曲もない。ビリビリとした緊張感が、最初から最後まで持続する。「ハード・エッジ」という言葉を絵に描いたような力作。ジェフ・ベック59歳、いまなおロックのフロントラインを疾走中である。
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シャーンドル・マーライ『灼熱』

灼熱灼熱
(2003/06)
シャーンドル・マーライ

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 シャーンドル・マーライの『灼熱』(集英社/1890円)は、訳者あとがきにいうとおり、「文学がまだなんのためらいもなく『文学』でいられた幸せな時代の作品」である。中編といってもよい短い作品だが、読後に「小説らしい小説を読んだ」という満足感が味わえる。

 名前すら聞いたことのない作家だったが、帯に惹かれて読んだ。私が敬愛する書き手の一人である川本三郎氏が、そこに次のような讃辞を寄せていたのだ。

「久しぶりにトーマス・マンやヘルマン・ヘッセの世界を思わせる文学に出会った。まだ友情という徳が輝いていた時代ならではの悲しい物語に心打たれる」

 名前を聞いたことがないのも道理で、著者の作品は本邦初訳だという。ハンガリーの作家だ。カバーの著者略歴には次のようにある。

「1930年代にハンガリーを代表する作家となるが、48年に亡命。作品はすべて発禁処分となり、やがて忘れられた。1989年、ベルリンの壁崩壊直前、亡命先のサンディエゴで自殺」

 没後の1990年代に再評価の機運が高まり、本書の原書はヨーロッパ各国でベストセラーになったという。1942年に発表された幻の名作が、半世紀の時を超えて蘇ったというわけだ。

 主人公は、豪奢な大邸宅に使用人たちと閑居するハンガリーの老貴族・ヘンリク。ある日、彼のもとに一通の手紙が届く。それは、かつての親友・コンラードからのものだった。

 ヘンリクとコンラードは、少年期からの四半世紀を兄弟のように過ごした。だが、コンラードはある日突然何も告げずに街を去り、以来音信不通であった。そのコンラードが、41年ぶりにヘンリクの邸宅にやってくるというのだ。

 待ち望んだ再会。2人の老紳士の静かな晩餐。そして、蝋燭の光のもとで語り出される41年前の秘密――。
 あの日、コンラードはなぜ突然街を去ったのか? そこには、〝恋という名の狂気〟に駆り立てられた一つの裏切りがあった。かけがえのない友情と、その悲しい終焉の物語だ。

 すこぶる上品で端正な小説である。性も暴力も描かれず、どの登場人物も一度たりとも大声を上げない。なにより、芳醇なワインを思わせる文体が美しい。一例として、ヘンリクが暮らす邸宅を描写したくだりを引こう。

 館はあらゆるものを封じ込めていた。それは豪華な石造りの墓を思わせた。先祖代々の骨がしだいに分解し、灰色の絹や黒い布の死装束に身を包んだ昔の女たちや男たちの骨が朽ちてゆく、そんな墓を。また、静寂も封じ込めていた。信仰ゆえに迫害された囚人を封じ込めるように。



 上品ではあるが映像的な文体で、半世紀以上も前の作品とは思えない。平野卿子の訳も流麗で素晴らしい。

 ストーリーに意外性や派手などんでん返しはない。最初の何章かを読んだだけで、コンラードをヘンリクのもとから去らせた裏切りが、ヘンリクの美しい妻クリスティーナとの不貞であったことは察しがついてしまう。しかし、それでもなお味わい深い。読み終えたあと、もう一度最初のページに戻って、ことの成り行きを知った目ですべての場面を味わい直してみたくなる。そんな小説なのである。
 
 コンラードは、軍人であると同時にピアニストでもある。いや、ほんとうはピアニストこそが彼の本領であった。
 若き日、コンラードが弾くショパンの「幻想ポロネーズ」を聴いたヘンリクの父は言う。
「コンラードは決していっぱしの軍人にはなるまい」
「なぜです?」――驚いて問い返すヘンリクに、父は言う。「別種の人間だからだ」と。

 生粋の軍人ヘンリクとコンラードの間には、親友ではあっても越え難い壁がある。そして音楽が、コンラードとクリスティーナを結びつける糸となってしまう。再会に際して、ヘンリクはコンラードに言うのだった。

 「音楽という、君たちにとっては明白な言語を、僕たち、別の世界に住む父と僕は理解することができなかった。(中略)しかし、音楽は君やクリスティーナには語りかけた。だから、僕との間に会話がなくなっても、君たちは話すことができたのだ。僕は音楽が憎い」



 この作品は、味わい深い「音楽小説」でもある。

 映画化されるという。主演はアンソニー・ホプキンスとジュリエット・ビノシュ。主人公ヘンリクがホプキンスで、若くして亡くなるその妻クリスティーナがビノシュの役だろう。どちらもイメージぴったり。映画もぜひ観てみたい。


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女をめぐる男たちの名言・至言

女をめぐる男たちの名言・至言

本文では女たちの名セリフを集めたが、ここでは主に古今東西の男たちが女について言った名言・至言を集めてみよう。付録以上のものではないけれど、守銭奴が小銭を貯めるようにして集め、選りすぐった、私のたいせつな「名言コレクション」である。


女は俺の成熟する場所だった。書物に傍点をほどこしてはこの世を理解して行かうとした俺の小癪な夢を一挙に破ってくれた(小林秀雄『Xへの手紙』)  

女は、月と同じように借り物の光で輝く(ヴァンダー『ドイツ語諺辞典』)

猫と女は呼ばないときにやってくる(ボードレール)

男は愛の中でも独自の特徴を保っている。女は愛のためにいつも変る。恋する女は誰でも同じものになる(J・シャルドンヌ)

友情という言葉は、女が好んで口にするたいへん素敵な言葉だ。あるときは恋を招き入れたり、あるときは恋にひまを出したりするための(サント・ブーヴ)

ひとつの愛に裏切られたって理由だけで、女は世界中に復讐する権利を手に入れるのよ(矢作俊彦『マンハッタン・オプ』)

女って、泣きたがるんだよ(花村萬月『眠り猫』)
 ――ちょっとアブナイ美青年が、「女の子、泣かしちゃだめよ」と年上の女性に言われて返すセリフ

だれだって女に好かれる時期がある。不潔な時期だ(太宰治『東京八景』)

男は心で老い、女は顔で老いる(西洋のことわざ)

女は、男と一緒に苦労するのが一番幸せだ(映画『マクリントック』)

男は月給に支配され、女は月経に支配される(長谷川如是閑)

今までヒステリーで死んだ者は一人もいない。神は愛の心で女性にヒステリーをお授けになったのだ(ドストエフスキー)

男はウソをつくために生まれてきたようなもんさ。そして、女は男のウソを信じるために生まれてきたんだ(ジョン・ゲイ)

女に対して絶対にウソをつかないという男は、女の気持ちがまるでわかっていない男である(オリン・ミラー)

男はいつも女の最初の愛人になりたがり、女はつねに男の最後の愛人になることを望む(オスカー・ワイルド『何でもないよ』)

結婚生活のいざこざは、どの女も内心は母親でいるのに、男はみんな独身者の気でいるから起こるのだ(エドワード・ルーカス)

女の批評って二つきりしかないじゃないか。「まあ、すてき」と「あなたってバカね」の二つだけだ(三島由紀夫)

男にとってウソがどれほど必要なもので、しかも手助けとなるものか、女と医者だけが知っている(アナトール・フランス)

女人はわれわれ男子には人生そのものである。すなわち諸悪の相である(芥川龍之介)

女は着物を脱ぐと、はじらいも脱ぎ捨ててしまう(ヘロドトス)

女の秘密はヴェールのようなものだ。なにかを隠すのではなく、美しく見せるためだ(長谷川如是閑)

自分の命とひきかえに金を欲しがるのは強盗だが、女はその両方とも欲しがる(バトラー)

女人と生活をともにして自分の内側に入らせないかぎり、愛好すべきものなり(永井荷風)

男は女の愛人であるとき、その女の友人であることはあり得ない(バルザック)

世の中には二種類の女がいるぜ。金になる女と金のかかる女だ(矢作俊彦・平野仁『ハード・オン』)

女は“なぜ”とか“どうして”とかいうことを抜きにして愛されることを願う(アンリ・F・アミエル)

女のことをよく言う人は、女を十分知らない者であり、女をいつも悪く言う人は、女のことをまったく知らない人である(ルブラン)

男の最大の幸福は“我欲す”、女の最大の幸福は“彼欲す”(ニーチェ)

運命の神は女神である。だから、これを支配するためには、なぐったり突いたりする必要がある(マキャベリ『君主論』)

美に対する女性の感受性は、凡庸でなければならなかった、機関車を美しいと思うようでは女もおしまいである。女にはまた、一定数の怖ろしいものがなければならず、蛇とか毛虫と船酔とか怪談とか、そういうものは心底から怖がらねばならぬ。夕日とか菫の花とか風鈴とか美しい小鳥とか、そういう凡庸な美に対する飽くことのない傾倒が、女性を真に魅力あるものにするのである(三島由紀夫『女神』)

男は女に、添加剤くらいの役割しか持ってないよ(荒木経惟)

女は、すべてが現実を超えていて、現物なのである。女はすべて女優なのである(荒木経惟/『劇写・女優たち』あとがきより)

女の言葉では、「いいえ」は否定ではない(フィリップ・シドニー)

女の「イエス」と女の「ノー」は同じようなものさ。そこに一線を引くなんて無謀なことだ(セルバンテス)

女は結婚前に泣き、男はあとで泣く(西洋のことわざ)

女が一人でいるとき、どんなふうに過ごしているかを男たちが知ったとしたら、男たちはけっして結婚なんかしないだろう(O・ヘンリー)

女だって人間なんだ。汗もかくし、醜くもなるし、便所へも行かなければならないんだ。いったい、君は何を期待してるんだ。ばら色の霧の中に飛んでいる金色の蝶々か(レイモンド・チャンドラー『長いお別れ』)

男性は感覚が満足させられたあとでは女性に興味を持たない。女性がこのことを初めて知った日こそ彼女の悲劇の第一日だ(アンリ・ド・モンテルラン)

ものを言わぬ宝石のほうが、どんな人間の言葉よりも、とかく女心を動かすものである(シェークスピア)

成功した男とは細君が消費しうる以上の金もうけができた男であり、成功した女とはそんな男をつかまえた女のことである(サッシャ・ギトリ)

恋愛とは、美しい女に出会うことと、彼女がブタのように見えてくることの間にある、甘美な休憩時間である(ジョン・バリモア)

空の半分を支えているのは女性である(毛沢東)

女は男を愛するにしたがって、いっそう男を憎む心に近くなる(ラ・ロシュフーコー)

魅力のない女は、これはもう決定的に悪妻なのである(坂口安吾『悪妻論』)

女心は、どんなに悲しみが一杯になっていても、お世辞や恋を入れる片隅がどこかに必ず残っているものだ(マリヴォー)

女の欠点を知ろうと思ったら、彼女の女友達の前で彼女をほめてやるとよい(ベンジャミン・フランクリン)

恋愛が与えうる最大の幸福は、愛する女の手を初めて握ることである(スタンダール『恋愛論』)

男が本当に好きなものは二つーー危険と遊びである。男が女を愛するのは、それが最も危険な玩具であるからだ(ニーチェ)

女、この生きている謎を解くためには、それを愛さなければならない(アミエル)

愛すれば愛するほど、男は裏切られる。結局男は女を観賞し、女の肉体だけを愛しているのが一番賢明だ(石川達三『傷だらけの山河』)

女の為に総べてを捧げる、そういうことだって男子一生の快事なのじゃありませんか(高見順『音楽の時』)

恋愛を一度もしたことのない女はたびたび見つかるものだが、恋愛をたった一度しかしない女は、めったに見つからない(ラ・ロシュフーコー)

女は我々のかたわらを歩む影のようなもの。あとは追いかければ我々から逃げたがり、また、避けようとすれば我々のあとを追いかけてくる(ダルラン・クール)

大部分の女は、多くの言葉を費やしてごくわずかしか語らない(フェヌロン)

女はたしかに小宇宙です。女を正しく支配するには、一国を治めるほどの大才を必要とするのです(トーマス・フード)

女の美しさは力であり、その微笑は剣である(チャールズ・リード)

美しい女にはやがて飽きがくる。善良な女には決して飽きない(モンテーニュ『随想録』)

ある者は女のしもべ、ある者は女の王、ある者は女の首飾り、ある者は女の恥毛(インドのことわざ)

男と女の関係は、一種の放電現象であって、両極間の距離がゼロになった時には、放電現象も消滅する(伊丹十三『女たちよ!』)

女と布地はロウソクの光で見てはいけない(イタリアのことわざ)

男は初恋をあきらめることができず、女は最後の恋をあきらめることができない(J・S・ヴェイス)

男と女の関係は実に複雑すぎる。お互いに反射しあって、また反射しあっている。ちょうど、二つの鏡を向かいあわせたようなものだ(武田麟太郎)

女性が話しかけてきたら、その人の目を聴くことだ(ヴィクトル・ユゴー)

美しい女性には知的に、知的な女性には軽薄に、若い女性にはまじめに、年を取った女性には生意気にふるまいなさい(ジレット・バージェス)

男はみんな嘘つきで、浮気で、にせもので、おしゃべりで、偽善者で、高慢かそれとも卑怯で、見下げはてたものであり、情欲の奴隷だ。女は、すべて裏切り者で、狡猾で、見栄っぱりで、物見高く性格が腐っている。・・・・しかし人の世にはただ一つだけ神聖な、崇高なものがある。それはこんなにも醜悪な二つのものの結びつきなのだ(ミュッセ『戯れに恋はすまじ』)

男は恋を恋することより始めて女を恋することに終わる。女は男を恋することより始めて恋を恋することに終わる(グールモン『砂上の足跡』)

女を誘惑するのは征服ですが、結婚するのは無条件降伏です(映画『山猫』)

妻にふさわしい女に出会ったら、そのときが結婚適齢期よ(映画『裏窓』)

女は幸福ではなく、幸福のかわりにあるものだ(ポール・クローデル『繻子の靴』)

女の祖国は若さです。若さのあるときだけ、女というものは幸せなのです(コンスタンチン・V・ゲオルギウ『第二のチャンス』)

男の顔は自然の作品、女の顔は芸術作品(アンドレ・プレヴォ)

誘い込んだ地点のセックスに辿りついた場合、男性はそのことによって相手への関心の多くの部分が消失する場合が多い。一方、女性はそのことが愛情の出発点になる場合が多い(吉行淳之介『恋愛論』)

そもそも男の人生にとって大きな悲劇は、女性というものを誤解することである(三島由紀夫『不道徳教育講座』)

男がありとあらゆる理屈を並べても、女の一滴の涙にはかなわない(ヴォルテール『ヴォルテール自叙伝』)

女性というものは愛されるためにあるのであって、理解されるためにあるのではない(オスカー・ワイルド『語録』)

女の愛を恐れよ。この幸福を、この毒を恐れよ(ツルゲーネフ『初恋』)

女は自分を笑わせた男しかほとんど思い出さず、男はまた自分を泣かせた女しか思い出さない(レニエ『生きる過去』)

沈黙は女の最も美しい宝石だが、女がこれを身につけることはめったにない(イギリスのことわざ)

恋は、男では目から忍び込み、女では耳から忍び込む(ポーランドのことわざ)

なにかいいわけがあるとき、女性は思いがけず、大胆になる(渡辺淳一『くれなゐ』)

女性の手紙はたいてい、「追伸」の中にいちばん肝心の用件が書いてある(ハズリット)

女が口数の少ない男を好むのは、自分の話を聞いてくれるからだ(マルセル・アシャール)

女はいつも、機会さえあれば、自分を犠牲に捧げたがる。あれは自己陶酔の一形式であり、しかも女たちのお好みの形式なのだ(サマセット・モーム)

女の直観の鋭さは並大抵のものではない。あの直観、あの本能の鋭さは、考えないで生きてきた数百万年もの長い歳月のうちに養われてきたものなのだ(ルパート・ヒューズ)

女は自分の恋愛沙汰が世間の噂にならないよう願っている。が、一方で、自分が愛されていることだけは、みんなに知られたいと思ってもいる(アンドレ)

ロウソクが消えたなかでは、どんな女も美しい(プルターク)

宇宙は神秘だが、女たちの接吻はその神秘を説き明かしてくれる(ヴィクトル・ユゴー)

ある種の男は、女の愚かしさに夢中になるものです(丸谷才一『男のポケット』)
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山本英夫『ホムンクルス』



 おそらくいまのマンガ界でもっとも刺激的なマンガ家の一人であろう、山本英夫。その山本が、『殺し屋1』以来の沈黙を破って『ビッグコミックスピリッツ』に連載中の新作が、『ホムンクルス』である。

 『殺し屋1』は衝撃的な作品だった。読む者に、カタルシスではなく痛みを体感させるすさまじい暴力描写の連続。連載中、「これは、暴力描写によって発禁になる初めてのマンガになるのではないか」と危惧したほどだ。

 ただ暴力的なだけの頭の悪いマンガなら、ほかに山ほどある。だが、『殺し屋1』はその暴力描写の背後に作者の思索の跡がほの見えた。「暴力を描くこと」の意味を考え抜き、この時代の病理と真正面から向き合おうとする表現者としての覚悟が感じ取れたのだ。

 『殺し屋1』の登場人物には一人もまともな人物がおらず、すべてのキャラクターが深く病んでいた。病み果てた人物を徹底的に描くことによって、山本はまごうかたなき「現代」を画面に刻みつけていた。

 『ホムンクルス』もまた、この時代の病理を描いた作品といえる。しかし、そのアプローチは『殺し屋1』とはまったく異なる。『殺し屋1』風のバイオレンス・アクションをもう一作手がけたほうがたくさんの読者が獲得できるだろうに、山本はそうした安易な道を選ばなかった。これまで描いたことのない新境地に果敢に挑んだのだ。

 『殺し屋1』が新宿歌舞伎町の裏社会を舞台にしていたように、この『ホムンクルス』もまた新宿から始まる。

 ただし舞台は、新宿中央公園がモデルとおぼしき「新宿西青空公園」。この公園の脇に停めた車に寝泊りする「カーホームレス」が主人公だ。

 公園の前にはそびえたつ巨大なホテル。男は、公園を根城にするホームレスたちとも大過なくつきあってはいるが、彼らの中に溶け込めない。巨大ホテルに象徴される表の世界と、ホームレスに象徴される裏の世界の境界線上で、車の中で胎児のように身を丸めて日々をすごしているのだった(藤原伊織の『テロリストのパラソル』を連想させる舞台設定である)。

 ある日、男のもとに謎めいた若者が現れる。若者は男に、“ある人体実験の実験台になってくれたら、70万円の謝礼を払う”と持ちかける。その人体実験とは、「トレパネーション」。頭蓋骨を削り、脳膜を傷つけない程度の穴を空ける手術だという。
 いったいなんのためにそんなことを? 医学生だという若者は答える。そうすることで第六感が目覚めるのだ、と…。

「もちろん何も変化が起きない人もいますが、海外では36%の割合で第六感を感じた人が現れてるんです。(中略)人間というのは、元々、生まれて一歳半までは頭蓋骨に隙間があって、穴が開いてる状態なんですよ。それが塞がって、さらには大人になるにしたがって、頭蓋骨がギューッと閉じていく感じなんですよ。(中略)この閉じてしまった成人の頭蓋骨に穴を開けることによって、頭蓋骨内の圧力が変化し、脳に大量の血液が流れるようになり、脳の活性化した状態を取り戻すことができると言われています」



 70万円欲しさにその「トレパネーション」を受けた男に、ある変化が現れる。それは、右目を閉じて左目だけで見たとき、街を行く人々が異形の姿に見えるという変化だった――。

 ……と、ここまでがコミックス1巻のあらすじ。このあと話がどう展開していくのか、まったく読めない。これほど先の読めない、そして先を知りたいという衝動にかられるマンガも珍しい。

 そもそも、いったいどんな種類の作品なのかさえ、まだ判然としない。ホラーなのか、『アルジャーノンに花束を』に不気味さのスパイスをまぶしたSFなのか、それとも――? しかし、得体の知れない作品であるにもかかわらず、すこぶる面白いのである。『スピリッツ』はここ何年か私にとっては面白い作品がなく、離れていたのだが、この作品のために再び読み始めた。

 山本英夫の絵は『殺し屋1』連載中にどんどんうまくなっていったが、この『ホムンクルス』ではさらに精緻になっている。病んだ人間、「イッちゃってる」人間を描かせたら、いまの山本の右に出る者はいない。登場人物の「目」の、なんと凄みのある虚ろさ。

 私は、最先端の文学に触れるような胸の高鳴りを覚えつつ、この『ホムンクルス』の行方を見守っている――。
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Profile 

前原政之 
イラスト/ジョージマ・ヒトシ

前原政之(まえはら・まさゆき)
1964年3月16日、栃木県生まれ。53歳。
1年のみの編プロ勤務(ライターとして)を経て、87年、23歳でフリーに。フリーライター歴30年。
東京・立川市在住。妻、娘、息子の4人家族。

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●「mm(ミリメートル)」は、私のイニシャル「MM」のもじりです。

●私の大好きなギタリスト・渡辺香津美氏は、ご自身のイニシャル「KW」をもじった「KW(キロワット)」を、公式サイトのタイトルにしておられます(同名のアルバムもあり)。それにあやかったというわけです。

●あと、「1日に1ミリメートルずつでもいいから、前進しよう」という思いもこめられています(こじつけっぽいなあ)。

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