サイトはフシギな「出会い交差点」

「出会い系サイト論」をかまそうというわけではない。
 このところ、自分のウェブサイトを媒介としたフシギな出会いが妙に多いので、ちょっと感慨を書きとめておこうと思ったのだ。

フシギな出会いその1
 ほかの日記にも書いたが、あこがれのマンガ家・宮谷一彦氏の弟さんからメールをいただき、その後宮谷氏ご本人からも手書きの長文ファクスをいただいた。

 これも、私がサイトに「宮谷讃歌」の文章を載せていなかったらあり得なかった「出会い」である。

フシギな出会いその2 
 私のサイトのあるコンテンツについての「問い合わせメール」をいただいたのだが、メールをやりとりするうち、なんと、相手が中学時代の同窓生であることが判明!
 もちろん、問い合わせ自体は私の田舎とはなんの関係もない件(マンガの話)だし、相手も私が同窓生であることを知らずに問い合わせをしてきたのである。

 「盲亀の浮木(※)」とまではいかないにせよ、けっこうすごい確率の偶然。

 で、その相手がじつは私の「初恋の人」で……てなオチだったらさらに劇的なのだが、残念ながらそれはなし。現実はそこまでドラマティックにはできていないのだ。

 でも、この偶然の邂逅のせいで、私の頭の中には中学時代のいろんな思い出がぐるぐる回って、息苦しいくらいだった。「ああ、そういえば私の好きだった〇〇さんはいまごろどうしているだろうか?」とか思ったり……。

※「盲亀の浮木」=百年(千年、万年とも)に1度だけ海底から海面に上がってくる盲目(片目とも)の亀が、海上を漂っていた穴のあいた栴檀の木の、その穴に入ること。「きわめてまれな出会い・幸運」の喩え

フシギな出会いその3
 これは初めて書く。

 数ヶ月前、本文にただ一行「I LOVE YOU」とだけ書かれた〝謎のメール〟をもらった。
 「送信者」欄には女性のフルネームがあったが、まったく身に覚え、いや聞き覚えのない名前であった。
(といっても、「こんばんは、真理子です。真理子のことをもっと知りたかったら下のサイトにアクセスしてね」みたいな「エッチ系サイト」の勧誘メールじゃないぞ。それくらい見分けがつくわい)
 
 正直に言おう。すっごくドキドキした(笑)。
 で、私は「WHO ARE YOU?」とだけ書いた返信メールを送った。

 以来、なんの音沙汰もない。
 あれはいったいなんだったのか? 新手のイタズラか。純情な中年男(笑)をからかうのはやめてもらいたいものである。
 もしも「犯人」がここを見ていたら、怒らないから名乗り出るように。

 フシギな出会いその4
 静岡在住の見知らぬ男性からメールをいただいた。

 その男性は現在ご自分の家系図を作っていて、戸籍謄本などを調べておられるという。そして、栃木県足利市出身の「前原寅之助」というご自身の祖父についてわからないことがあり、ネットで「足利 前原」で検索をかけたところ、私のサイトがヒットしたのだそうだ。

 「もしや前原寅之助という人物についてご存知ではないかと思い、メールをさせていただきました」とあった。

 私は驚いた。「前原寅之助」とは、私の母方の祖父の名だったからだ。出身地も生年も合っているから、同名異人とは思えない。

 つまり、メールをくれた見知らぬ男性と私は、同じ男の孫同士(こういう間柄、なんて言うの?)にあたる親戚筋らしいのだ。

 しかし、メールに書かれた男性の祖母の名は、私の知らない名であった。
 順当に考えれば、私の祖父の前妻ということになる。が、私は祖父に離婚歴があったという話を聞いたことがない。田舎の母に電話して聞いたところ、母もまったく初耳だという。

 ジャーン! いまは亡き祖父の「知られざる過去」が、1通のメールからいま明らかに!
 ……というほどの話ではないが、なんかフシギ。短編小説くらい書けそうだ。

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 その後、相手の男性とメールをやりとりした結果、男性の祖父と私の祖父は別人であることが判明した。
 つまり、「同姓同名で・同年に・同じ町で生まれた」まったくの別人だったのである。

 ううむ、なんかあっけない幕切れ。
 でも、これはこれでけっこうスゴイ確率の偶然だ。
 ネットがなかったら、そして私がサイトを開いていなかったら、両者に接点など生まれなかったことだろう。

 まことに、ウェブサイトはフシギな「出会い交差点」である。
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生ける伝説・宮谷一彦さんとの“遭遇”

 キミは伝説の劇画作家・宮谷一彦を知っているか?
 1960年代末から70年代にかけ、その卓越した画力と詩的で美しい言葉で、劇画表現の頂点を極めたといってもよい人である。

 私は、宮谷作品の数々、とくに初期の芳醇な青春マンガ群をこよなく愛する者である。
 
 引退されたわけではないので「伝説」呼ばわりは失礼ではあるのだが、宮谷作品が、新作はおろか旧作も入手しにくい状況にあることは否めない。新刊書店でいま手に入るのは、少し前に「クイック・ジャパンマンガ選書」の1冊として復刻された『肉弾時代』(太田出版)くらいか。

 過日、宮谷氏の実弟・村瀬拓基氏よりメールをいただいた。私がメイン・サイトに書いたいくつかの「宮谷一彦讃歌」ともいうべき文章を、宮谷氏本人が読まれて「非常に喜んで」おられた旨を、わざわざ伝えてくださったのである。

 その後、なんと宮谷さんご自身からも手書きの長文ファクスをいただいた。感激の二乗!

 私信なので引用は差し控えるが、その内容がまた、宮谷さんにしか書けない詩的センスに満ちた素晴らしいものであった。
 宝物にします。

 宮谷作品を知らない向きにはこのうれしさは伝わるまいが、たとえばアナタが「伝説のロック・アーティスト」に関する文章をサイトに載せていたとして、当人から突然お礼のメールが届くことを想像してください。なんかもう、「伝説との遭遇」という気分である。

 ウェブサイトを開いているせいで不快な思いをすることもないではないが、こういう「出会い」もあるからやめられない。

 くわしくは書けないが、宮谷さんは新作への準備を着々と進めておられるという。期待しまくりだ。

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 えーっと、上記のように書いてもわざわざ私のメイン・サイトの中を探し回るヒマな人は皆無に等しいでしょうから、以下、短い文章を1つコピペしておきます。

宮谷一彦『俺たちの季節』『ジャンピンジャックフラッシュ』

 生きながら「伝説のマンガ家」となりつつある宮谷一彦が、初期(1960年代後半~70年代初頭)に描いた珠玉の青春マンガを集めた短編集。三崎書房から刊行されたものだが、いまやこの版元自体が存在せず、2冊とも入手困難である。

 この2冊は、私の宝物だ。収録作品はいずれも鳥肌の立つような傑作揃いであり、日本マンガ史上の至宝といっても過言ではない。暴力的なシーンも頻出する青春マンガがズラリと並んでいるが、同時に、どの作品もきわめて詩的なのだ。

 たとえば、『ジャンピンジャックフラッシュ』所収の一編「柩は真紅の5リッター」で、主人公のF1レーサーがレース中にコース外へ吹っ飛んで死ぬラストシーンにかぶさる言葉は、次のようなものだ。

「観衆はその時、そのまま真紅のフェラーリが天翔けるのではないかと一瞬思った」

 ――こんなにも詩的な言葉の紡げるマンガ家が、いまに至るもほかにいるだろうか? しかも、どの短編のストーリーも絵も、きわめて完成度が高いのである。

 少し前の復刻マンガ・ブームのとき、宮谷の初期短編集を復刻しようという動きがなかったのが、私には不思議でならない。いまからでも遅くない。どこかの出版社に復刻してもらいたい。ほんとうに素晴らしいのだから……。
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ジャニス・ジョプリン/未完成の遺作


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 フロッピーディスクの山の中から、昔書いた原稿を探してきた。
 『「未完成」の謎学』という本(青春BEST文庫/「著書」ではないけど、私がけっこうリキ入れて書いた本。古本屋で探されたし)のために書いたもの。

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 1970年代初頭、3人のロック・スターが続けざまに命を落とした。
 ジミ・ヘンドリックス、ドアーズのジム・モリスン、そして、ジャニス・ジョプリン――。

 亡くなったときの年齢はいずれも27歳。イニシャルは揃ってJ。そのため、ロック・ファンは3人の死を「Jの悲劇」と呼んだ(10年後、ジョン・レノンが「Jの悲劇」最終章の主人公となる)。

 ジャニス・ジョプリンはロック史上最高の女性シンガーだった。
 技術的に最高だというのではない。彼女より歌のうまいシンガーはたくさんいるだろう。
 それに、ジャニスの声はしゃがれていて、けっして美声ではない。しかし、歌も人生もひっくるめて、彼女以上にロックを感じさせるシンガーは、どこにもいない。

 酒とドラッグに明け暮れ、人前でセックスについてあけすけに語り、バイセクシャルであることも隠さなかったジャニス。

 最晩年、友人の1人が、彼女にこう忠告した。
「ジャニス、きみのやってることは無茶苦茶だ。酒とドラッグをやめて、朝飯を作ってゴミを出すって具合のまともな生き方をしろよ」

 しかし、ジャニスはこう言い返した。
「そんな生き方はしたくないわ。あたしは燃えていたい。燃え尽きるまで燃えていたい。くだらないことにかかわって生きていたくなんかないのよ」

 そして、彼女はその言葉どおりに生を走り抜けた。

 ジャニス・ジョプリンがシンガーとして表舞台で活躍したのは、1960年代後半から70年10月の死までの、ほんの数年間である。
 しかし彼女はその数年の間に、「サマータイム」「ボール・アンド・チェーン」など、ロック史上に残る名唱を数多く遺すことになる。

 死の直前まで、彼女はニュー・アルバムのレコーディングにとり組んでいた。新しく組んだバンド「フル・ティルト・ブギー」との初めてのレコードで、彼女は意欲を燃やしていた。

 収録曲のうち、8曲がすでに完成していた。ところが、LPにするにはあと2曲分ほどの時間が足りないことがわかり、旧知のソングライター、ニック・グラヴィナイツに急遽依頼した。

 あわただしいレコーディング・スケジュールの中で作られた曲のうち1曲が、「生きながらブルースに葬られ(Buried Alive in the Blues)」だった。ブルースに心酔していたジャニス自身の人生を象徴するようなタイトルである。

 アルバム・タイトルは『パール』と決まっていた。「パール」とは、ジャニス自身の愛称であった。

 『パール』のレコーディングは順調に進んだ。ジャニス自身もバンドのメンバーも、そしてプロデューサーのポール・ロスチャイルドも、それがジャニスの最高傑作になると確信していた。

 最後に残った1曲が、「生きながらブルースに葬られ」だった。この曲のインストゥルメンタル・トラックがスタジオに流されると、ジャニスはその素晴らしい出来栄えに狂喜し、房飾りを振り乱して踊り出したという。この曲にジャニスがヴォーカルを入れれば、レコーディングは終わるのだった。

「ヴォーカル録りは明日にするわ」

 ジャニスはそう言い、スタジオを出た。だが、まさにその日の深夜、彼女はホテルの一室で死を迎える。

 死因は、ヘロインのオーバー・ドーズ(過剰摂取)。通常は混ぜ物で薄められて売られるヘロインが、その日にかぎって純度の高いままジャニスの手に入ったのだ。そのことを知らず、彼女はいつもどおりの量を注射してしまったのである。

 突然の死を知り、悲しみに暮れるバンドのメンバーやプロデューサーたち。彼らは、「生きながらブルースに葬られ」を、あえてインストゥルメンタル・トラックのままアルバムに収めることにした。
 ジャニスの遺作『パール』は、未完成のまま世に出されたのである。ジャニスの写真を彼女が好きだった紫色で縁取ったアルバム・ジャケットは、遺影のようにも見える。


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 『パール』は、ロック史上に残る傑作として評価され、大ヒットも収めた。
 ヴォーカル抜きの「生きながらブルースに葬られ」にも、違和感はない。ハードなロック・ナンバーだから葬送曲といった趣ではないが、それはあたかも、ジャニスの人生そのもののテーマ・ミュージックのようだ――。
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裁判官は最後の権威?/裁判所という場所

裁判官は最後の権威?(2003年11月20日記)
 私は一時期、仕事で裁判を傍聴しつづけたことがある。ライターになる前には傍聴どころか裁判所に行ったこともなかったので、これはなかなか新鮮な体験であった。

 傍聴してみて驚いたのは、これほどありとあらゆる権威が崩壊した時代にあって、裁判官というものがいまなお「権威」であり続けているということだった。

 裁判官の座席は傍聴席よりも一段高く、傍聴人を見下ろす格好になる。また、裁判官が入ってくる際には、傍聴人に「起立、礼」が求められる。強制ではないだろうが、起立せずにいることを許さない雰囲気がある。

 「司法は三権の一つなのだからタテマエ上は権威を保たなくてはいけないし、裁判官だって、まさか本気で自分が傍聴人よりエライとは思ってないだろう」と思う向きもあろう。

 しかし、どうやらたんなるタテマエではないようなのだ。裁判官という人たちは、自分が傍聴人よりエライと本気で思っているらしいのである。
 
 象徴的なエピソードをあげよう。
 私が傍聴したある裁判で、裁判長が次のように傍聴人の1人を注意する場面があった。

「あ、ちょっとそこの人。靴なんか脱がないで! 自宅じゃないんですからね、くつろがないで下さい!」

 その人は、私たちが新幹線の座席に座ってよくやるように、靴を脱いで足を休めていたのだろう。しかし、そのくらいいいではないか。
 なにもタバコを吸っていたわけではないし、携帯電話で私語をしていたわけでもない。裁判の進行の邪魔などしていないのだ。また、居眠りなどして裁判を聴いていなかったというわけでもない。おとなしく座って聴いている傍聴人に対して「靴も脱ぐな」とは、いったい何様のつもりであろうか?

 むろん、すべての人がそう権威的なわけではないだろう。私が傍聴したなかにも、法廷で双方の弁護士に友達のような気さくな調子で話しかける裁判官もいた。だが、そうした人は例外的であるようだ。

 教育の世界では、教師が生徒たちにとっての権威ではなくなりつつある。それが流行りの「学級崩壊」に結びつくのは困るが、教師が権威的でなくなるのは、むしろよい傾向だと私は思う。
 医療の世界では医師が患者にとって絶対的権威であり、患者は医師の御託宣を聞くだけという空気があった。しかし、最近は「インフォームド・コンセント」の理念が浸透してきたこともあり、それも改善されつつある。

 しかるに、裁判官だけが、時が止まったようにいまだに「権威」であり続けているのだ。「市民に開かれた裁判を」と司法制度改革を求める声があり、「裁判員制度」の導入が検討されているが、それよりもまず、裁判官の権威的な態度を改めることが先決だと思う。


裁判所という場所(2003年8月15日記)
 昨日はうっとおしい雨のなか、東京地裁へ赴き、とある裁判記録の閲覧を。

 もちろん仕事で行ったのだが、裁判記録というのは仕事を抜きにしても非常に面白いものである。「面白い」という言い方は不謹慎かもしれないが、とにかくものすごく生々しいのだ。
 裁判の当事者でなくとも、手続きさえ踏めば、判決書はもちろん、証人尋問調書や法廷に提出された証拠書類も閲覧できる(当事者でない場合、コピーは不可)。

 裁判記録を閲覧したり、実際の裁判を傍聴したりすると、他人の「生の人生」に素手で触れる思いがする。この感覚は一度味わうと、クセになる。

 だから、世の中には「裁判傍聴マニア」という人種もいる。法曹関係者ではなく、法律の勉強をしているわけでもないのに、ヒマさえあればいろんな裁判を傍聴している人たちである。
 私も、取材のため傍聴に行った先で、この手の人たちをよく見た。「定年後でヒマを持て余している」という印象の老人が、映画を観に行くような感覚で裁判を傍聴していたりする。
 強姦事件の裁判ばかり傍聴するような鬼畜な趣味(いるんだ、そういうヤツが)になってしまったら困るが、「定年後の趣味としての裁判傍聴」というのはけっこうアリかも。

 作家の佐木隆三氏は、職業を問われると「裁判傍聴業をしております」と答えるそうだ。佐木氏は、裁判を傍聴し、裁判記録を調べ、それをネタに小説や傍聴記を書くことで仕事をしている。氏は、たいへんな鉱脈を見つけたものだと思う。裁判所という場所は「人生の縮図」であり、「ネタの宝庫」なのだ。
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パパの匂い?

 昨日のこと。
 小学校から帰ってきた娘が、開口一番こう言った。

「ねえ、パパさっき(マンションの)エレベーター乗ったでしょ?」

「乗ったけど……?」
「やっぱり。だって、エレベーターの中にパパの匂いが残ってたもん」

 私はコロンのたぐいはつけていない。
 
「そ…それは『いい匂い』ってことか?」
「うーん、『いい匂い』じゃないけど」
「じゃ、クサイってこと?」
「べつにクサイんじゃないよ。んーとね、フツーの匂い」

 ああ、「フツーの匂い」でよかった。

 小学4年の娘は、ときどきこちらがドキッとするようなことを言う。
 先日も、家に遊びにきた友達に向かって、
「あのね、パパの部屋に行くとエッチな本があるんだよ」
 と、耳打ちするようなポーズで言ってクスクス笑っていた。

 エ、エッチな本……?

 そんなものがもしあるとしても(ハハハ)、娘の目には触れないようにしてあるはずだが……。ヤ・バ・イ。

 友達が帰ったあとで娘に問いただしたところ、「エッチな本」とは『噂の眞相』のことだった。
 うーん、アラーキーの写真が載ってるエロいコーナーとかを娘がパラパラ見てしまったのだろうか。それはそれでマズイなあ。

 ……そんな感じで、娘と父親の関係は何かとドキドキものなのです。
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『赤目四十八瀧心中未遂』



 「最後の私小説作家」と呼ばれる車谷長吉の、直木賞受賞作の映画化。

 小説やマンガを映画化した作品が原作のファンを納得させることは、なかなかの難事である。なぜなら、原作の愛読者はみな、自分なりのイメージを頭の中にこしらえてしまっているからだ。映画自体が多少よくできていても、「うーん、イメージ違うなあ」「このキャスティングは納得いかんなあ」ということになりがちなのである。

 だが、この映画は原作に感動した私をも十分に納得させるものだった。「原作とイメージ違うなあ」という違和感がまったくなかったのだ。
  原作の「忠実な映画化」なのだけれど、もちろん、原作を映像に置き換えただけでは傑作たり得ない。監督・脚本の荒戸源次郎は、省略すべきところは省略し、強調・改変すべきところはして、原作のエッセンスをじつに巧みに映画の中に取り込んでいる。「小説の映画化」のお手本ともいうべき仕上がり。

 なにより、ヒロイン「アヤちゃん」を演ずる寺島しのぶが、じつにじつに素晴らしい!

 いや、ほかの出演者もいいのだ。ヤバめの存在感を全身から発散する内田裕也、年をとってもなお腐りかけの桃のような色香を漂わせる大楠道代(「桃は腐りかけがいちばんおいしいのよ」とは、『ツィゴイネルワイゼン』で大楠自身が言ったセリフであった)などなど。

 しかし、なんといっても、この映画は寺島しのぶのための映画である。
 私が原作を読んでイメージした「アヤちゃん」は、「日本一の薄幸顔美人」夏川結衣だったけど、寺島しのぶでも十分納得。

 寺島しのぶは、生まれついての女優である。
 歌舞伎の名門に生まれたお嬢様女優であるにもかかわらず、この映画の中の彼女はそんな出自を微塵も感じさせない。背中一面に刺青をもつ〝世の底に棲む不幸な美女〟になりきっている。「アヤちゃん」が憑依している。大竹しのぶなどと同様に、彼女の中には「演じずにはいられない、女優としてのデーモン」が棲みついているのだ。

 女性週刊誌の報道によれば、彼女は恋人であった某俳優に裏切られたために自暴自棄になって、過激な濡れ場のある映画にあえて主演するようになったのだという。そして、母親の富司純子は、この映画に娘が主演することを知って、ショックで倒れてしまったのだとか。

 私が思うに、某俳優との恋の終焉は、きっかけではあっても原因ではない。アラーキーはかつて「男は女に、添加剤くらいの役割しか持っていないよ」という名言を吐いたが、男に振られようと振られまいと、寺島しのぶはいずれ自らの意志でこのような映画に主演していたにちがいない。「内なるデーモン」の声に従って……。

 寺島演ずるヒロインが主人公・生島与一(原作者の分身/新人の大西滝次郎)と哀しい逃避行をする終盤のシークェンスで、私は何度も目頭が熱くなった。

「もう思い出の時やねえ……。生島さんといまはここでこないしてるけど、もう思い出になってもうた時や言うてんねん」

 ――「アヤちゃん」がつぶやくそんな一言一言が、心に染み入る。寺島がコップのビールを一気に呷るだけで、キャラメルを口に放り込むだけで、たまらない悲哀が漂うのである。

 久々に邦画らしい邦画を観た。ハリウッド大作のように巨額の予算をつぎ込まなくても、いい映画は創れるのだ。

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沢木耕太郎『無名』


無名無名
(2003/09)
沢木 耕太郎

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 沢木耕太郎著『無名』(幻冬舎/1500円)読了。
 ベテラン・ノンフィクション作家が、父親の死を看取った体験を綴った話題作だ。

 亡き肉親を偲んで、その思い出と闘病の日々を綴る1冊――自費出版の世界では定番といってよい題材である。
 この作品も本来なら、自費出版され、親類縁者の元へ記念として送られて役割を終えるような、きわめてプライベートな内容だ。
 なにしろ、書名に言うとおり、沢木の父親はなんの変哲もない無名人。80代半ばで大往生したその経緯にも、これといってドラマティックなところがあるわけではない。

 にもかかわらず幻冬舎から商業作品として出版されたのは、無名の男の息子が沢木耕太郎であったという、ただそれだけの理由だ。
 帯には「沢木文学の到達点」とあるが、私はそうは思わない。『テロルの決算』その他の過去のノンフィクション作品と比べたら、ずいぶん薄味である。
 
 沢木の筆はいつもよりも抑制されていて、いたずらに美談調・感動話調になることを注意深く避けているように見える。しかし、その抑えた筆致の中に、再読・三読に堪える深い味わいがある。まったくドラマティックではない、ありふれた思い出――たとえば、ただ一度だけ父親と2人で映画を観に行った日の記憶――を綴ったくだりでさえ、読ませる。

 亡き肉親を偲んで何か書きたいと思っている人がいたら、この本を手本にするとよい。もちろん誰にも沢木のように書くことはできないが、少なくとも最高のお手本にはなる。

 ただし、「ナルシス系」ノンフィクション作家(福田和也の分類)である沢木のことだから、父親のことを書きつつも、父をフィルターにして自分の少・青年時代を振り返った自伝的作品という色合いも強い。その意味で、沢木ファンにはたまらない1冊であろう。

 沢木耕太郎は、25歳のときに上梓したデビュー作『若き実力者たち』の時点で、すでに非の打ち所のない完成された文章を書いていた。私自身が25歳ごろに書いたヘッタクソな文章と『若き実力者たち』を比べてみれば、彼我の才能の落差に思わずため息が漏れる。

 その沢木が、50代も半ばをすぎて到達した、飾り気を削ぎ落としたいぶし銀の文体。それがこの『無名』にはある。内容はともかく、文体について言うなら、「沢木文学の到達点」という惹句もあながち誇大広告ではない。
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吉村萬壱『ハリガネムシ』

ハリガネムシの画像

 いまさらながら、今年上半期の芥川賞受賞作である吉村萬壱の『ハリガネムシ』を読んだ。

 私は、ここ数年の芥川賞作品のうちでは、長嶋有の『猛スピードで母は』をいちばん高く買う。次が吉田修一の『パーク・ライフ』かな(私ごときに評価されても何がどうなるわけでもないが)。
 逆に、前回の受賞作『しょっぱいドライブ』(大道珠貴)は最低の駄作だと思った。
 この『ハリガネムシ』は、掛け値なしの傑作とは言いがたいが、なんの芸もない『しょっぱいドライブ』よりはずいぶんマシである。「この人はプロの作家として今後やっていける」と感じさせるだけのテクニックがある。

 「小説とは、性と暴力を描くものである。性と暴力を徹底的に描くのが正しい」と言ったのは平岡正明だが、そのデンでいけば、この『ハリガネムシ』は小説の王道を行く作品といえるかもしれない。場末のソープ嬢・サチコと主人公の高校教師の、「傷を舐め合う」という言葉がしっくりくる無惨な関係を通して、性と暴力衝動が描かれているのである。

 男の小説家が娼婦を描く場合、「無垢な娼婦幻想」ともいうべきものから逃れがたい。「彼女は娼婦だけど、心の奥底に無垢な部分を秘めているんだ。それは私にしかわからないんだぁ」的な男を主人公に据えがちなのである。

 無垢なる娼婦――それは、『罪と罰』のソーニャ以来百年以上にわたって、いや、もっと言うなら聖書の「マグダラのマリア」以来二千年以上にわたって、延々と使い古されてきた陳腐このうえないイメージである。五木寛之の『青春の門』(古いなぁ)に出てくるカオルのような「インテリ娼婦」も、「無垢な娼婦」のバリエーションといえよう。
 男の小説家は、「無垢な娼婦」とか「インテリ娼婦」などというエクスキューズをつけないことには、娼婦を描きにくかったのである。

 対して、吉村萬壱はそうした「無垢なる娼婦幻想」から見事なまでに解き放たれている。
 この『ハリガネムシ』のヒロイン・サチコは、少しも無垢ではなくすさみきっており、徹底して無知無教養である。女性作家が女性の嫌な部分を描き出すときにはゾッとするほどの冷ややかさがままあるものだが、吉村は男性の視点を保ちつつ、サチコのみじめさ・卑小さを冷徹にえぐり出す。

 印象的な一節を引こう。

「彼女といると、時々無性に酷い事がしてみたくなる。何か別のものにすっかり造り替えてしまうか、いっそのこと消滅させるか。サチコは極めて不完全な生き物で、人をして何か手を加えずにおれなくさせる未完成な部分を常時露出させていた」

 芥川賞の選考委員のうち、意外にも、高樹のぶ子がこの『ハリガネムシ』を絶賛しており、山田詠美や河野多恵子も高い評価を与えていた。それは一つには、男性作家にありがちな「無垢なる娼婦幻想」から自由であるという一点に、彼女たちが女性として共感を覚えたからではないか。

 『読売新聞』の書評欄で、歌人・穂村弘はこの『ハリガネムシ』を、〝互いを高め合うのではなく、低め合う関係が描かれている〟と評した。「恋愛とも呼べないような関係性の、徹底的な低め合い方は凄まじい」と……。

 同感だ。性や暴力を描いた作品としてよりむしろ、とことんデスペレートな、ざらついた感触の〝異形の恋愛小説〟として面白く読んだ。

 主人公とサチコの関係は、次のような一節に象徴される関係である。

「『結婚したる』
 長い沈黙の後、サチコが言った言葉はこうだった。
 『もし嘘だったら殺すからね』」

 だが、この作品の〝売り〟である性描写や暴力描写は、いささか薄っぺらでステレオタイプだ。花村萬月の『ブルース』や山本英夫のマンガ『殺し屋1』のほうが、性描写・暴力描写ともにはるかに衝撃的である。いまどきの純文学は、エンターテインメント小説やマンガに負けている。
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Profile 

前原政之 
イラスト/ジョージマ・ヒトシ

前原政之(まえはら・まさゆき)
1964年3月16日、栃木県生まれ。53歳。
1年のみの編プロ勤務(ライターとして)を経て、87年、23歳でフリーに。フリーライター歴30年。
東京・立川市在住。妻、娘、息子の4人家族。

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●「mm(ミリメートル)」は、私のイニシャル「MM」のもじりです。

●私の大好きなギタリスト・渡辺香津美氏は、ご自身のイニシャル「KW」をもじった「KW(キロワット)」を、公式サイトのタイトルにしておられます(同名のアルバムもあり)。それにあやかったというわけです。

●あと、「1日に1ミリメートルずつでもいいから、前進しよう」という思いもこめられています(こじつけっぽいなあ)。

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