年収ジェットコースター


 我々フリーライターのもとには、毎年この時期になると仕事先各社から前年度分の「支払い調書」が送られてくる。
「当社は昨年あなたにこれだけの原稿料(または印税)を払いましたよ。ただし、そのうち1割は源泉徴収ってことで税務署にとられましたので、さっぴいてありますよ」ということが書かれた紙である。確定申告の際、申告書にこの「支払い調書」を添付するのだ。

 フリーライターの多くは、自分が毎月いくら稼いでいるのかをあまり意識しないまま仕事をしている。この時期、各社の支払い調書が揃った段階でわびしい足し算をしてみて、初めて前年度の年収を知るのである(って、私だけ?)。

 で、私の昨年の年収ですが……。

 うわあ~! オソロシイことに一昨年の半分以下である。一昨年はかなりしゃかりきにがんばったので、低下幅もハンパじゃないのだ。
 どうりで、去年はなんだか生活が苦しいと思った(泣)。

 一昨々年は昨年同様年収が激減し、たしかその前年の半分程度にまで落ち込んだはず。
 つまり、私の過去5年間の年収は、半減→倍増→半減→倍増→半減をくり返していることになる。フリーライターがいかに収入不安定な職業であるかを、私は身をもって立証しているわけですね(トホホ)。

 サイクルでいったら今年は「倍増年」にあたる。年収は昨年の倍になる……はずだ。右肩下がりだけは避けたい(けっこう切実)。
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小林亜津子『看護のための生命倫理』


看護のための生命倫理看護のための生命倫理
(2004/11)
小林 亜津子

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 小林亜津子著『看護のための生命倫理』(ナカニシヤ出版/2400円)読了。
 書名のとおり、看護学生に生命倫理(バイオエシックス)を教えるテキストとして書かれたものである。

 仕事で読んだのだが、これは意外な拾い物であった。「生命倫理入門」として出色なのだ。
 生命倫理に関する主だったトピック(安楽死・クローン人間・減数手術・出生前診断・代理母・がん告知など)を章ごとに取り上げており、それぞれの問題についての的確な概説になっている。その問題をめぐって過去にどんな事件(倫理的トラブル)が起こり、どんな判例があり、いまどんな議論が行われているか、さらには今後どんな事件が予想されるかまでが、短い紙数のなかで一望できるのだ。

 紹介されている事件の例を挙げよう。
 代理母(不妊に悩む夫婦が妊娠・出産を依頼した第三者の女性)の妊娠中に依頼人夫婦が離婚してしまい、誰が子供の親権者となり養育義務を負うかを、裁判で5年間も争ったケースがあったという。

 ことの性質上、「面白い」と表現しては不謹慎だが、本書で豊富に紹介される医療最前線での倫理的トラブルの数々は、興趣尽きないし、考えさせられる。

 ただし、本書は教科書にありがちな無味乾燥な事実の羅列には終わっていない。
 それは著者が、「単に倫理原則や法理を知識として教えるのではなく、(中略)発生する倫理的トラブルの典型的なケースについての判断の枠組みを、身につけさせていく必要がある」との考えに立っているからである。

 学生たちは卒業後、医療の現場でさまざまな倫理問題に直面する立場にある。そして、医療技術の進展とともに新たな倫理問題が生まれてくる以上、過去の事例を知識として知っているだけでは不十分なのだ。

 だからこそ、本書の内容も、著者の見解を押しつけるのではなく、読者に思索を促すものになっている。実際の事例に基づいた「QUESTION」が随所にもうけられ、「あなたは、どう思うだろうか」という読者への問いかけがくり返しなされていくのだ。
 たとえば、「あなたは、『不妊治療』のためのヒト・クローン作りを認めてもよいと思うだろうか」などという問いである。

 著者のそうした問いかけに、そのつど立ちどまって答えを探すうち、読者は各問題への理解を深め、「医療とは何か」「生命の尊さとは何か」といった大命題についてもおのずと思索を迫られるであろう。

 生命倫理に関心をもつ人すべてに薦めたい好著。
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夏目房之介『マンガ学への挑戦』

マンガ学への挑戦―進化する批評地図    NTT出版ライブラリーレゾナント003マンガ学への挑戦―進化する批評地図 NTT出版ライブラリーレゾナント003
(2004/10)
夏目 房之介

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 夏目房之介著『マンガ学への挑戦/進化する批評地図』(NTT出版/1500円)読了。

 夏目氏は、「マンガコラムニスト」という肩書きを一貫して用いてきた。
 「マンガ評論家」ではなく、たんなる「マンガ家」でもなく、「マンガコラムニスト」。その肩書きどおり、マンガ批評の著作であっても、氏の文章には「コラム」としての味わい――読者を楽しませる文章芸――があった。

 しかし、本書ではその「芸」が封印されている。いつもの軽妙さのかわりに濃厚な論文臭があって、氏の著作のなかで最も堅くて読みにくいものといえるかもしれない。

 ただし、娯楽色皆無とはいえ、マンガ批評の歴史のなかでたしかな意義をもつ著作であると思う。
 帯の惹句が内容の的確な要約になっているので、引用する。

 マンガを語る「枠組み」の問題を整理する必要を感じつづけてきた筆者が、様々な領域にまたがる問題群に橋をかけ、筋道をつける。進化し続けるマンガ批評の現在を見渡す地図を作る試み。



 これは、かつて呉智英が名著『現代マンガの全体像』の第一部「現代マンガの理論」で試みたことの21世紀版だと思う。
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『真夜中の弥次さん喜多さん』



 六本木のアスミック・エース試写室で、『真夜中の弥次さん喜多さん』の初号試写を観た。

 公式サイト→ http://yajikita.com/

 クドカンこと宮藤官九郎が、監督に初挑戦した話題作(もちろん脚本もクドカン)。原作はしりあがり寿の同名マンガ。手塚治虫文化賞も受賞した、しりあがりの代表作である。4月公開予定。

 一筋縄ではいかない強烈な映画だった。
 絶賛の評価が大半だった『GO』や『ピンポン』(いずれもクドカンの脚本)とは違い、賛否両論真っ二つになるのではないだろうか。この映画にノレるかノレないかで観た側の感性が試される、「感性のリトマス試験紙」という趣の作品なのである。

 弥次さん喜多さんのコンビが「てめえ探しの旅」(笑)として「お伊勢参り」にバイク(!)で旅立つ前半部までは、クドカン流ギャグの連打で見せる「パンクな時代劇」という雰囲気。正直、前半はあまりノレなかった。

 だが、「死」というメインテーマ(原作もそう)が前面に出てくる後半部になると、ただならぬ迫力が画面に漂い始める。この映画で描かれる「死の世界」のイメージの強烈さ、ぶっ飛びかげんといったら、丹波哲郎の『大霊界』が裸足で逃げ出すほどである。

 しかも、後半にもやはりギャグがちりばめられているので、観客はときおり声をあげて笑いながら、重くて切ない死のイメージと向き合うのである。そのギャップが、なんとも不思議な酩酊感を生む。
 そう、これはドラッグのような映画だ。ストーリーを追うよりも、作品世界にトリップすべし。

 ZAZEN BOYS(元ナンバーガールの向井秀徳とアヒト・イナザワのバンド)の担当した音楽が、またなんとも強烈。
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藤井孝一『週末起業』『週末起業チュートリアル』


週末起業 (ちくま新書)週末起業 (ちくま新書)
(2003/08/06)
藤井 孝一

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 藤井孝一著『週末起業』『週末起業チュートリアル』(ちくま新書)読了。

 自らも「週末起業」(サラリーマンが会社を辞めずに土日の休みを利用して起業すること)の経験者である経営コンサルタントの著者が、週末起業の素晴らしさを熱く説いたベストセラーと、昨年刊行されたその続編である。

 2冊とも、ビジネス書として非常によくできている。着眼点の新しさ(その後、類書が続々と出たけど)、文章の読みやすさ、読者の心を鼓舞する「エール」としての素晴らしさ……いずれも申し分ない。

 正編を「概説編」とすれば、続編は「チュートリアル」(個別指導)という書名どおり、より具体的に週末起業のノウハウを説いた「実践編」にあたる。

 この手の本では続編は中身の薄い二番煎じになりがちだが、これは意外にも続編のほうが面白い。
 著者は、週末起業によって「会社に人生を丸抱えしてもらう状態を卒業して、お金と気持ちの両面で自立を果たそう」と説く。本書は、会社から自立できずに愚痴ばかり言っている「ぶら下がりーまん」たちへの筆鋒鋭い批判の書にもなっている。
 「起業家的発想」と「サラリーマン的発想」の違いが、さまざまな例を挙げてくり返し説明される(もちろん、著者は「起業家的発想」こそがたいせつだと言っている)。

 また、私のような自由業者が読んでも参考になるアドバイスが多い。たとえば――。

 人脈は、名刺交換をしてできるのではなく、一緒に仕事をすることでできるものなのです。ただ「会いたい」「お話がしたい」というのは最悪です。
 たとえば、私は出版社の人と会うときには必ず企画書をもっていくことにしています。もちろん、それがそのまま出版に結びつくことはありません。でも、そうすることが、自分に時間を割いてくれる相手に対する最低限の礼儀だと思うから、そうするのです。手土産みたいなものです。



 この一節につづけて紹介されているエピソードが面白い。
 起業家やその卵を集めたセミナーに出版社の編集者をゲストに招いたところ、百数十名もの参加者がこぞって編集者と名刺交換をした。
 ところが、セミナー後、その編集者に出版企画書を送ったり、電話連絡をした人はただの1人もいなかったという。セミナーのテーマは「メルマガは起業家の強力な武器だ!」というものであり、参加者の多くがメルマガ発行者であったにもかかわらず、である。

 名刺交換をすることが「人脈作り」だと誤解し、名刺を増やすことで満足してしまう――ありがちな話である。

 著者の仕事に対する姿勢に学ぶべき点が多い好著。
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『村の写真集』


 
 銀座の松竹試写室で、『村の写真集』の試写を観た。
 監督・脚本は三原光尋という人。あいにく私はこの人の映画は初めて観るのだが、監督デビューは1990年で、すでに10本の監督作品がある。 

 公式サイト→ http://www.murasha.com/

 近い将来ダムの底に沈む、徳島の美しい村。村役場の役人・野原は、長年村で写真館を営んできた高橋研一(藤竜也)に頼んで、消えゆく故郷とそこに生きた家族たちの姿を永遠に残す「村の写真集」を作ろうと考える。
 そして、その写真集のために、東京でカメラマンの助手をしている研一の息子・孝(海東健)が、呼び戻される。

 孝は、寡黙で頑固な父と衝突することが多く、写真集の手伝いをすることも気が進まない。父のあとについて村の人々を写真に収めていく過程でも、2人は何度もぶつかりあう。
 やがて、孝の心に少しずつ変化が起きる。父はこの写真集作りを通じて、カメラマンにとってたいせつな「心」を自分に教えようとしている――そのことに気づいたのだ。だが、そのとき父は末期ガンに侵されていた……。

 この作品は、山間の村が舞台である点といい、家族の絆や故郷への想いがテーマとなる点といい、フォ・ジェンチイの『山の郵便配達』や『故郷の香り』(もうすぐ公開。これは傑作)を彷彿とさせる。

 もっとも、映画としての格はフォ・ジェンチイ作品のほうがはるかに上である。
 先月『故郷の香り』を試写会で観たとき、舞台となる山間の村の美しさに私は陶然となった。だが、この『村の写真集』の風景は、きれいではあるが観光絵葉書のように平板で、深みに欠ける。たぶん、2つの村の実際の美しさは甲乙つけがたいのだろうが、撮影のうまさが段違いなのだ。

 それと、『村の写真集』に登場する村人たちは揃いも揃って「純朴な村人」のステレオタイプで、いささかげんなりした。

 純朴でない村人もいるし、都会人が純朴でないとも限らない。あたりまえの話だ。なのにこの映画は、「田舎に暮らす人々は都会人より純朴だ」という幻想にひたすらよりかかっている。
 しかも、その純朴さの描き方は手垢のついたものばかり。たとえば、東京に行きたくても行けなかった村の青年が、酒席で「オレにはこの村が現実なんだよ!」とか叫んで孝とケンカになるあたり、なんだか大昔のテレビドラマみたいだ(『若者たち』とかの)。

 ……とケチをつけてしまったが、全体としては悪くない。いくつかの瑕疵を補って余りある美点をもった映画である。
 たとえば、父と子が衝突し、いくつかのきっかけを経て互いを受け入れるに至るまでの流れ。それはたいへん自然でよく練られていて、父と子の絆を描いたドラマとして優れている。

 開巻間もなく、父と息子がぎごちなく再会するシーンを見ただけで、「ああ、よくある父と子の葛藤話ね。どうせ、いろいろ衝突があって最後に和解するんでしょ」と先の展開が読めてしまう。その意味でありふれたストーリーではあるのだが、それでもなお感動的なのだ。

 途中で父が末期ガンであることが判明するという展開も、ありふれている。だがそれでも、最後の気力を振り絞って「村の写真集」に取り組むその姿は、黒澤明の名作『生きる』の志村喬を彷彿とさせて感動的だ。

 この作品は、滅びゆく「古きよき地域共同体」を哀惜する映画であり、同時に、写真集作りと父親のガン発病という2つの契機によって、バラバラになっていた一つの家族が再生を果たしていくドラマでもある。

 かつて男と駆け落ちして勘当状態であった長女(原田知世)が父の余命を知って帰郷し、ようやく家族揃って撮った写真が「村の写真集」の最後の一枚となる――このラストもなかなか気が利いている。

 藤竜也が好演。それと、主人公・孝の妹を演じる宮地真緒が、はじけるような明るさと生命力を感じさせてじつにチャーミング。服の上からでもわかるバツグンのスタイル(→中年男のやらしい視線)に「萌え」だ。
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シリーズ〈中国の歴史〉『ファーストエンペラーの遺産』ほか



 鶴間和幸著『ファーストエンペラーの遺産』、天児慧著『巨龍の胎動』(ともに講談社/2600円)読了。

 刊行が始まったばかりの新シリーズ〈中国の歴史〉の、第1回配本分。全12巻のうち第3巻と第11巻にあたる。神話時代から現在までの四千年の歴史を鳥瞰する、最新の中国通史である。

 なぜいま〈中国の歴史〉なのか、と改めて問うまでもないほど、中国はいま全世界から注視されている。
 急速な経済成長を遂げた世界経済の新たなメイン・プレイヤーとして。また、13億の人口を擁する巨大市場、安い人件費と高い教育水準を兼ね備えた「世界の工場」として。そして、ソ連なきあと唯一の社会主義大国として……。そのように、中国を語らずして世界は語れないいま、時宜を得た刊行といえよう。

 各巻とも、気鋭の中国研究者の書き下ろしである。
 本の帯にある「小説よりもおもしろい」という惹句は少々大げさだが、学術的な正確さを損なわない程度に読者を飽きさせない工夫が凝らされているのはたしか。記述は平明で論文臭はなく、年表・用語解説などの資料や図版も豊富である。

 『巨龍の胎動』は、中華人民共和国の歴史をその前史も含めて概説したもの。「毛沢東VS?小平」という副題のとおり、あえてこの2人の巨人の歩みに的を絞り、その背後に国の歴史が浮かび上がる構成となっている。
 網羅的・総花的な記述が求められる歴史教科書ではできない大胆な試みである。これによって、無味乾燥な事実の羅列に陥ることなく、ドラマティックな“生きた現代史”となった。

 また、最終章では今後の中国の動向が大胆に展望される。
 歴史を振り返るのみならず、「いま」の中国理解に役立つものを、というシリーズの企画意図をよくあらわしているといえよう。

 そして、もう一つの特長は、近年の考古学的発見をふまえ、従来の中国史研究の大胆な見直しがなされていることだ。
 たとえば、『ファーストエンペラーの遺産』は秦・漢帝国時代の歴史を扱っているが、2002年に発見され、いままさに解析が進んでいる「里耶秦簡」(秦代の膨大な文字史料)の内容が大幅に盛り込まれている。
 秦代の民衆の暮らしが、そこから浮き彫りにされる。中国古代の基本史料『史記』を著した司馬遷すら知らなかったことも、この本から知ることができるのである。

 「中国とは何か」との問いに多面的に迫った、新感覚の通史。今後の続刊にも期待が高まる。

 なお、第2回配本として、後漢三国時代を扱った『三国志の世界』(金文京著/2730円)が、今月発売された。 
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私の手帳術

能率手帳の流儀能率手帳の流儀
(2007/10/02)
野口 晴巳

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 昨日のエントリでベストセラーになった“手帳本”をけなしたので、行きがかり上、私の手帳遍歴と手帳術について書いてみよう。

 80年代のシステム手帳ブームのころには、私もバイブルサイズのシステム手帳に凝った。ご多分にもれず、山根一眞の『スーパー手帳の仕事術』にかなり影響を受けた。
 それからしばらくしてSD手帳(システムダイアリー)に乗り換え、手帳のスペシャリスト・長崎快宏氏の著作に影響されて、これもずいぶん凝った。リフィルを自作したり、使用済みのリフィルを分野別に保管して簡易データベース化したり……。

 SD手帳は一昨年まで使っていたので、いちばんつきあいの長い手帳になった。
 その後、野口悠紀雄氏の「超・整理手帳」に乗り換えてみたが、これは私には合わず、2ヶ月で放棄。

 何が合わなかったかというと、サイズである。超・整理手帳はビジネスマンが使うことを前提に考えられているので、背広の内ポケットにピッタリ収まるような“札入れサイズ”になっている。ところが、自由業の私はあまり背広を着ない。さりとて、ズボンのポケットに入れるには大きすぎたのだ。

 で、けっきょく、昨年からはごく普通の手帳を使っている。
 具体的には、仕事先の一つ・潮出版社からいただく「文化手帳」である。「能率手帳」などに近いタイプだ。
 ただし、市販のものとは異なり、文化人の住所録などの「資料編」が充実しており、何かと重宝。有田芳生や岸本葉子など、物書きの愛用者も多い手帳である。

 かつてのシステム手帳はアドレス帳・電話帳を兼ねていたわけだが、いまはケータイがその機能を担ってくれるから、手帳はスケジュール管理に特化することができる。ごく普通のアナログ手帳で十分なのだ。

 「手帳術」というほどのものではないが、手帳を乗り換えても一貫してつづけてきた私なりの使い方がある。

 一つは、スケジュール管理に使う手帳がそのまま日記にもなるようにしている点だ。
 私はいつも、ダイアリー部分が見開き1週間形式になっている手帳を選ぶ。そして、ダイアリーの空白部分(右ページ)にタテ線を引いて5つに分割し、各ブロックに次の5つの事項を書き入れていく。

1.その日行った場所、2.会った人、3.やった仕事、4.観た映画や読んだ本など、5.その他の特記事項

  「その他の特記事項」の欄に書く事柄は、なんでもよい。
 個人的な特記事項でもよいし、自分にとって衝撃的であった一般ニュースを記入してもよい。つまり、その日がどんな日であったかをあとで思い出す手がかりとなることを書いておくのだ。
 これだけのデータを記入しておけば、生活記録としては必要十分である。

 私はこの「データ日記」をフリーになった年(1987年)からずっとつけつづけているので、18年前に何をしていたかがちゃんとわかる。

 パソコンで記録をつければ検索も容易だが(たとえば、「〇〇さんと初めて会ったのはいつか?」などがすぐに検索できる)、なんとなく手書きのアナログ形式のほうがしっくりくるので、いまだにデジタル化していない。
 それに、いまはこのウェブ日記が検索用の生活記録になっているから、手帳はアナログのままで十分である。

 手帳には、見開き一週間のダイアリーとは別に、「年間計画メモ」、「月間計画メモ」のページも用意されている(これはたいていのビジネス手帳も同じ)。
 私はこのページに、今年一年のさまざまなプランや目標を書き込むことにしている。残念ながら実現に至らない場合が多いけれど……。

 また、名刺などを入れるポケットがあるので、そこには大量に使い残したSD手帳の「基本用紙」がつねに何枚か挟んである。とっさにアイデアが浮かんだときにはこの用紙にメモし、必要に応じてSD手帳用バインダーに保存しておくのだ。

 さらに、独自の工夫として、手帳にセットするペン・ホルダーを自作(クリアファイルをハサミで切ってボンドで固めた)し、そこに三色ボールペンを入れてある。つまり、手帳と三色ボールペンがつねにワンセットになっているのだ。

 齋藤孝の「三色ボールペン情報活用法」を真似したわけではなく、以前からつづけている習慣である。手帳に記入する際、次のように色分けするためだ。

 黒=仕事のスケジュール、青=プライベートのスケジュール、赤=原稿のシメキリ

 いちいち色を使い分けるのは面倒くさそうに思えるかもしれないが、慣れてしまえば無意識でできる。そして、色分けすると手帳がぐっと見やすくなるのだ。

 ついでに、「ライター生活の知恵」を一つご紹介。
 
 私は、ビジネス手帳に載っているその年の「満年齢早見表」を拡大コピーし、執筆デスクの前に貼っておくようにしている。
 ささいな工夫だが、これが原稿執筆の際に役に立つ。ものすご~く役に立つ。原稿に登場するさまざまな人の年齢が一瞬で把握できるし、とっさに頭に浮かびにくい西暦年と元号年の照合も瞬時にできるからだ。
 ライター諸氏にオススメである(物書き以外の人にはとくに役に立たないと思うけど)。
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『一冊の手帳で夢は必ずかなう』

一冊の手帳で夢は必ずかなう - なりたい自分になるシンプルな方法一冊の手帳で夢は必ずかなう - なりたい自分になるシンプルな方法
(2004/03/24)
熊谷正寿

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 熊谷正寿著『一冊の手帳で夢は必ずかなう』(かんき出版/1470円)読了。
 昨年のベストセラーの一つなのだそうで、続編として“図解版”も発売されている。

 著者の主張は、要約すれば次のようなこと。

“夢をかなえるには、目標を明確化し、それを意識に叩き込まなければならない。そのためには、手帳に人生の夢・目標を整理して書き込み、それを日々読み返してつねに己を鼓舞し、行動の指針とすべきである”

 ホントにこれだけなのだ。
 たったこれだけの内容を、「未来年表」だとか「夢・人生ピラミッド」とかの細かなノウハウで水増しし、陳腐な人生論をまぶして一丁上がり、の本。

 著者がネットベンチャーの雄であり、見事夢をかなえた人物だからこそベストセラーになったのだろうが、内容は驚くほど薄い。
 薄さの例を挙げよう。「私の情報収集&情報整理術」という章には、次のような一節がある。
 
 

 インターネットも、大事な情報収集のツールです。インターネットは情報の宝庫ですから、瞬時にして、さまざまな情報を引き出すことができます。
 ふとわいた疑問にその場で答えてくれるし、何かを分析して考察したいときには大きなヒントとなる情報を提供してくれます。仕事の効率化に寄与する、これほど便利な情報ツールはほかにないでしょう。



 「トホホ~」って感じですね。
 パソコンに触れたこともないジイサンを相手にしているような文章。2004年刊で、しかも著者はネット関連企業の経営者なのに、これはないんじゃないの。

 「手帳オタク」の私にはまったく物足りない本。
 だいたい、「夢や目標を手帳に書き込んで自己啓発」なんて、かつてのシステム手帳ブームの際、世にあふれた“手帳本”でもさんざん書かれていたことではないか。

 それと、著者の考え方がまるで高度成長期のモーレツ・サラリーマンのようで、ついていけない。てゆーか笑える。
 たとえば、時間のムダ遣いが大キライだという著者は、次のように言う。

 私は服のコーディネートを考える時間ももったいないと思うので、「この組み合わせがベスト」というコーディネートを一度決めたらポラロイド写真で記録し、クローゼットに貼っておくようにしています。そうすれば、「このスーツにこのシャツは合わないなあ。どうもネクタイがしっくりこないなぁ」などと悩み、何度も着替えをすることもなくなります。



 な、何もそこまで……。
 なんかこう、電話を3ついっぺんにかけながら仕事をこなした昭和40年代の企業戦士みたいですね。
 プロフィールを見れば、著者は私と同世代(1963年生まれ)。この世代でこういう人は珍しい。

※後注/著者・熊谷氏の顔写真を拝見する機会があった。「しょうゆ顔」で若々しいさわやか系ハンサム。もっと脂ぎったタイプを想像していたので(笑)、意外であった。

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理数離れが日本を滅ぼす?

 昨日は、東大で行なわれた公開シンポジウム「世界の科学教育」を観てきた。

 くわしい内容はこちら↓

 http://www4.zero.ad.jp/seiken/oshirase/05worlds.htm

 「世界の科学教育」などという無難なタイトルがついてはいるが、実質的な内容は「日本の理数教育をなんとかしないと、国が滅びるぞ!」というもの。

 パネラーたちは、海外各国の理数教育と現在の日本の理数教育を、さまざまな角度から比較、日本のお寒い現状を浮き彫りにする。そして、改革の方途を探っていく。

 「ゆとり教育」導入後の我が国の理数教育の惨状は、典型的文系人間(=理数系ギライ)の私でさえ慄然とさせられた。

 たとえば、中国は文革時代に深刻な「教育の空白」が生まれ、長い間その後遺症に苦しんでいたが、いまではすっかり立ち直り、理数教育では「日本より2年進んでいる」という。つまり、日本では中学2年生が習うレベルのことを中国では小学6年生で習う、というくらいの開きがあるのだ。

 仕事がらみで行ったシンポジウムだが、仕事を抜きにして大いに考えさせられた。

 立花隆がパネラーとしてディスカッションに参加。私はファンなので、初めて間近に見られて少しうれしかった。「サインください」と寄っていくほどミーハーではないけど(笑)。

 立花隆は話もうまいなあ、と感心した。
 それにひきかえ、パネラーの何人かは、話はヘタだし滑舌は悪いし声がボソボソ小さくて何言ってんのかわかんないし、「あんなんでよく大学教授がつとまるもんだなあ」と、逆の意味で感心した。誰とは言わないけど。
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『新・子連れ狼』


新・子連れ狼 1 (ビッグコミックス)新・子連れ狼 1 (ビッグコミックス)
(2004/09/30)
小池 一夫

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 話題作『新・子連れ狼』を、既刊3巻まで読んだ(『週刊ポスト』連載中)。
 劇画史上に輝く金字塔『子連れ狼』の、じつに27年ぶりの続編である。

 原作はもちろん小池一夫。作画は、正編の絵を担当した小島剛夕がすでに他界しているため、森秀樹が担当している。

 『子連れ狼』のラストシーンは鮮烈だった。
 たった一人で強大な「裏柳生」に闘いを挑んだ主人公・拝一刀は、ついに裏柳生の総帥・柳生烈堂(実在の人物)に斬られて息絶える。遺された幼い息子・大五郎は槍を抱えて父の仇・烈堂に向かって突進。烈堂はその槍をよけることなく身を貫かれ、大五郎を抱きしめて死ぬ……。

 『新・子連れ狼』は、まさにそのラストシーンから始まる。
 「大五郎はあのあと、どのように生きたのか?」――多くの『子連れ狼』ファンが抱いたであろうその疑問に答える続編なのである。

 作画の森秀樹は、すごくがんばっていると思う。小島剛夕の絵柄の特徴をよくつかんでいて違和感がないし、なおかつ、剛夕の絵にはない美点もある。
 それは、女性キャラの描き方に、オタク心をくすぐる萌え要素が加味されている点だ。もちろん、アニメ絵の対極にある骨太な劇画タッチなのだけれど、それでいて、萌え要素が隠し味になっているのだ。

 しかしストーリーは、やはり正編に比べると一段落ちるなあ。
 面白いエピソードやキラリと光る場面はたくさんあるし、さすがにキャラの立て方はうまいのだけれど、ストーリーの根幹になる設定が決定的に弱い。

 父を失った大五郎は、武者修行の旅の途上にあった薩摩示現流の創始者・東郷重位(しげかた=やはり実在の人物)と出会い、彼と道中を共にすることになる。重位が拝一刀のかわりになるわけだ。

 この設定がちょっとね~。
「父と子の絆」という前提があればこそ『子連れ狼』は感動的だったのであって、偶然出会った剣豪が父代わりになるというのは、いかにもとってつけたようでいただけない。

 「『子連れ狼』なんだから、何がなんでも子連れで旅する設定にしなくちゃ……」と考えての苦肉の策であろうが、なんかこう、「エマーソン、レイク&パーマー」がカール・パーマーのかわりにコージー・パウエルを入れて再結成し、それでも「ELP」を名乗ったときのような“無理やり感”。 

 重位は紆余曲折の末に「薩摩を護り、将軍家を討つ」道を選ぶのだけれど、この動機も、「一族郎党を裏柳生に惨殺された拝一刀が、冥府魔道をゆく復讐鬼と化して裏柳生と闘う」という正編の動機に比べると、いかにも弱い。
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岡野宏文・豊崎由美『百年の誤読』

百年の誤読百年の誤読
(2004/10)
岡野 宏文、豊崎 由美 他

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 豊崎由美・岡野宏文著『百年の誤読』(ぴあ/1600円)読了。

 大森望との対談本『文学賞メッタ斬り!』で名をあげた毒舌書評家・トヨザキ(自分のことを「オレ」と称するオヤジ女)が、こんどは岡野宏文と組んで20世紀100年間の代表的ベストセラーを斬りまくった対談本である。

 雑誌『ダ・ヴィンチ』連載の単行本化。「付録」として、「セカチュー」など2001~2004年のベストセラーを俎上に載せた章が巻末にもうけられている。

 「ベストセラーで振り返る20世紀世相史」といったたぐいの本はいくつかあるが、本書はそのイジワル・バージョン。文学史的評価や世間の評判など無視して、「いま」の視点から独断評価し、ダメなものはダメとズバリ言い切る。その毒舌ぶりが痛快だ。

 『文学賞メッタ斬り!』がバツグンに面白かったので本書も読んでみたのだが、こちらも期待を裏切らない面白さ。脚注もていねいで、資料としても有益。もっとも、各ベストセラーのお手軽なあらすじ紹介にはなっていないので、最近よくある「読まずに読んだふりをするための要約集」としては使えないが……。

 取り上げられている100冊のうち、“いまでも読む価値のある傑作”と評価されている作品が1割程度(『細雪』『潮騒』『羅生門』『西部戦線異状なし』『楢山節考』『金色夜叉』など)。あとのベストセラーは、大なり小なり揶揄の対象となっている。

 それがツッコミ芸/知的なアイロニーになっている場合には痛快だが、ただの不快な悪口に終わっている部分も目立つ。とくに岡野の発言。

 岡野宏文というと、80年代に「FMホットライン」(渋谷陽一が司会をつとめたカルチャー情報番組)のレギュラーだった人、という程度の認識しか私にはない。
 あとは、『TVタロウ』で意味のわからないコラムを連載していたっけ(いまもやってるのかな?)。前回のパートナー・大森望に比べると、ツッコミ芸や批評能力は一段下という印象だ。シュールすぎて意味不明な発言も目立つ。

 とはいえ、全体としてみれば十分に面白い労作である。思わず膝を打つ鋭い分析も少なくない。両著者の評価に同意できない部分も多いが、その見解の相違も含めて楽しめる。

 トヨザキについて、たとえば永江朗は「現代日本で最強の書評家・ブックレビュアー」と評価している。
 「最強」かどうかはともかく、優れた書評家である点は私も同意。次はぜひ、トヨザキと斎藤美奈子との対談でダメダメ・ベストセラーをメッタ斬りする連載をやってほしい。
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女の名セリフMEMO

 自分用のメモです。
 なお、「女の名セリフ」シリーズは近く再開予定。

 「好きだからこそ結婚したくない。愛人ってそういう男のことよ」(ヴァネッサ・レッドグレイヴ/女優)

 「大事な男友達を失いたくなかったら、彼とは結婚しないことね」(フランソワーズ・サガン)
 ――「男女間に友情は成り立つか?」という大命題についての、一つの解答。

 「あんまり寒かったので、あやうく結婚しそうになったわ」(シェリー・ウインタース/女優)
 ――これは、五代目古今亭志ん生が枕に使った、「どうしてあんな男と一緒にいるのさ?」「だって、寒いんだもん」を彷彿とさせる言葉。シェリー・ウインタースが志ん生を知っていたとは思えないけど。

 「ハリウッドじゃ、スターの結婚より撮影のほうが長くつづくこともあるのよ」(バーブラ・ストライサンド)

 「男って歯みたい。生えるまでに時間がかかる。やっと生えると痛む。なくなってしまうとぽっかり穴があく」(フランソワーズ・ロゼー/フランスの女優)
 ――もちろん、「女って」に置き換えても可。

 「世の中のおしどり夫婦って、2人とも名優だというだけの場合もあるのよ」(ヴァネッサ・レッドグレイヴ)

 「結婚生活の秘訣、それはケンカのこつを心得ていること」(アニタ・エクバーグ/女優)
 ――ある精神科医が、「仲のいい夫婦とはケンカしない夫婦ではなく、ケンカしてもすぐに仲直りできる夫婦のこと」と語っておりました。

 「結婚生活の秘訣は、お互いどこかにひとり者の気分を残していること」(クラウディア・カルディナーレ/女優)

 「後悔は老いの合図」(ソフィア・ローレン)

 「私が正直になれるのは不倫のベッドのなかでだけ」(エリカ・ジョング/作家)

 「ろくでもない女が責任あるポストについてはじめて、男と女は対等になるのよ」(アガタ・カピーロ/イタリアの経済学者)

 「生涯を共にしたかったら、相手の男は中古にかぎるわ。一度しくじった男はいい夫になるわよ」(ジモーネ・ビーフェロン/ドイツのモデル)
 ――デヴィ夫人も、「最初の結婚なんてミステイクにきまってますもの」と言っておりました。

 「男たちがレディ・ファーストを考えついたのは、きっと階段をのぼるときね」(ジェーン・フォンダ)
 ――(笑)。

 「しわっていいな。私の勲章。だって私が生きてきたってことじゃない」(シャーリー・マクレーン/女優)
 ――この手のセリフで最高なのは、ローレン・バコールの「私のシワは努力して手に入れたものよ」。シャーリー・マクレーンの言葉はちと優等生的すぎる。

 以上、『私だって言ってみたい!/人生が楽になる女たちの名文句』(タニア・シュリー、フーベルトゥス・ラーベ編/平野卿子訳/講談社/2002年)より。

「秘密は女を女にするわ」(A secret makes a woman woman)/『名探偵コナン』のキャラクター、クリス・ヴィンヤード(ベルモット)の決めゼリフ。「女は秘密を着飾って美しくなる」というニュアンスか。
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『カンフーハッスル』


 珍しく家族揃って映画を観に行った。『カンフーハッスル』である。
 正月早々シリアスな映画は観たくないし、家族揃って楽しめそうだったので。

 公式サイト→ http://www.sonypictures.jp/movies/kungfuhustle/site/

 馬鹿馬鹿しくも他愛ないストーリーながら、美術や特撮、アクションに手間ヒマとお金がたっぷりかけてあって、エンターテインメントとしては一級の作品。

 ベタなギャグと『マトリックス』ばりのド派手なワイヤーアクションの連打で、観客をグイグイ引っぱっていく。
 観終わったあとになんの教訓も感動も残らないが、この映画はそれでいいのだ。芸術性とかメッセージ性などの“夾雑物”が微塵も混入していない、純度100%の娯楽映画。頭を空っぽにして楽しめる。 

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厄年なんかぶっ飛ばせ!


 あけましておめでとうございます。
 本年もよろしくお願いいたします。

 早めに里帰りして、今日戻ってきました。

 3月で41歳になるので、「今年は『男の前厄』ってヤツかな」と思って調べたところ、前厄どころか今年が「本厄(大厄)」でした。
 厄年というのは数え年で見るものなんですね。恥ずかしながら、自分が厄年になって初めて知りました。
 ということは、去年は「前厄」だったのかぁ。

 じつは、里帰りしていた間、ずっと風邪を引いていました。
 いかにも厄年らしい幕開けですな、ハハハ。

 ま、私は厄年なんて気にしませんけど。
 むしろ、「今年が本厄なら、そういう年にこそ飛躍してやろうじゃないの」という気分になったりして。

 というわけで、今年は「厄年なんかぶっ飛ばせ!」をスローガンにがんばってまいります。
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Profile 

前原政之 
イラスト/ジョージマ・ヒトシ

前原政之(まえはら・まさゆき)
1964年3月16日、栃木県生まれ。53歳。
1年のみの編プロ勤務(ライターとして)を経て、87年、23歳でフリーに。フリーライター歴30年。
東京・立川市在住。妻、娘、息子の4人家族。

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●「mm(ミリメートル)」は、私のイニシャル「MM」のもじりです。

●私の大好きなギタリスト・渡辺香津美氏は、ご自身のイニシャル「KW」をもじった「KW(キロワット)」を、公式サイトのタイトルにしておられます(同名のアルバムもあり)。それにあやかったというわけです。

●あと、「1日に1ミリメートルずつでもいいから、前進しよう」という思いもこめられています(こじつけっぽいなあ)。

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