団鬼六『牛丼屋にて』ほか

 

 団鬼六著『牛丼屋にて』(バジリコ)、『鬼六人生三昧』(三一書房)、『鬼六の不養生訓』(朝日ソノラマ)読了。

 いずれも、団鬼六のエッセイ集のうち、私が読み逃がしていたものだ。
 『牛丼屋にて』には、「団鬼六自薦エッセイ集」との副題がある。過去のエッセイ集から選りすぐったベスト本であり、私の好きな『一期は夢よ、ただ狂え』からも数編が収録されている。

 しみじみとしたエッセイが多く選ばれており、「SM小説の巨匠」というイメージをくつがえすに十分である。
 とくに、戦時中の米軍捕虜との交流を綴った「ジャパニーズ・チェス」や、大学時代の風変わりな恩師の思い出を綴った「ショパンの調べ」、間一髪で交通事故死をまぬかれた記憶を振り返った「頓死」、書名になった「牛丼屋にて」などは、上質の短編小説のような味わいをもつ名編だ。

 あとの2冊、『鬼六人生三昧』『鬼六の不養生訓』もまあまあ面白かった。
 ただ、何冊かエッセイ集を読むと気づくのだが、同じネタの使い回しがかなり多い。しかも、ときには文章までほとんど使い回して別の雑誌に書いていたりする。これではエッセイの二重売り、三重売りであり、物書きのモラルとしていかがなものかと思う。

 『一期は夢よ、ただ狂え』と『牛丼屋にて』の2冊だけ読めば、あとは読まなくてもよかった感じだ。
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『僕がいない場所』

 『僕がいない場所』を観た。10月公開のポーランド映画である。

 公式サイト→ http://boku-inai.jp/

 ポーランド映画を観るのはずいぶん久しぶりな気がする(てゆーか、大昔の『灰とダイヤモンド』とかしか思い浮かばない)。

 この『僕がいない場所』は、一言で言ってしまえば“ポーランド版『誰も知らない』”という趣の映画。
 『誰も知らない』の主人公たちは身勝手な母親に置き去りにされたが、こちらの主人公、11歳のクンデル少年は、町の男たちと乱れた生活を送る母親を嫌い、自らの意志で家を出て、一人で生きていく。クンデルの母親も、我が子を「ネグレクト」している点では、『誰も知らない』の母親と同罪である。 

 『誰も知らない』の明少年には妹や弟がいたが、クンデルはまったくの一人ぼっちだ。彼は、川べりに打ち捨てられた小さな廃船に住みつき、鉄屑を拾い集めては小銭を稼いで暮らすようになる。
 クンデルが野良猫や野良犬と遊ぶシーンがアクセントになるあたりは、孤独な少年とハヤブサの交流を描いたケン・ローチの『ケス』(これも私の好きな作品)を彷彿とさせる。

 やがて、彼は一人の少女に出会う。少女は、クンデルが住みついた廃船から見える大きな邸宅の娘。彼女は、美しい姉への劣等感や、自分が親に愛されていないという気持ちから、幼いながらもアルコールに溺れていた。
 互いの孤独な魂が共鳴するように、2人は惹かれ合っていくのだが……。

 ……といった感じのストーリー。ヒリヒリと「痛い」映画だ。
 光と闇を巧みにコントロールしながら映像のリズムを作っていくアーサー・ラインハルトの撮影が秀逸。ときどき、ハッとするほど美しいショットがある。
 マイケル・ナイマンの端正な音楽も素晴らしい。  
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『パンズ・ラビリンス』

パンズ・ラビリンス 通常版パンズ・ラビリンス 通常版
(2008/03/26)
イバナ・バケロ セルジ・ロペス マリベル・ベルドゥ ダグ・ジョーンズ

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 六本木のアスミック・エース試写室で、『パンズ・ラビリンス』の試写を観た。10月公開のスペイン・メキシコ合作映画。

 公式サイト→ http://www.panslabyrinth.jp/
 
 スティーヴン・キングが「『オズの魔法使い』以来のベストファンタジー」と絶賛した、などという前評判を耳にして、昨年から楽しみにしていた映画である。

 期待を裏切らない、素晴らしい作品だった。最初から最後まで、非の打ち所がない。まだ8月だが、私の本年ベストワン最有力候補。

 映画の舞台は1944年のスペイン。「スペイン内戦」終結後も、独裁者フランコは人民戦線派の残党に激しい弾圧を加えていた。
 主人公の少女オフェリアの母が再婚した相手は、フランコ軍の大尉としてゲリラ掃討作戦を指揮する冷酷な男だった。オフェリアは、新しい父を好きになれない。

 そんなある日、オフェリアは妖精と出会い、庭の奥の不思議な迷宮へと誘われる。そこで、山羊の頭をもつパン(牧神)が彼女にこう告げるのだった。

「あなたこそ、魔法の国の王女の生まれ変わり。満月の夜までに3つの試練を乗り越えれば、魔法の国に帰れます」

 勇気を振りしぼって「試練」を乗り越えていくオフェリア。だが、軍とゲリラたちの戦いは激しさを増し、大きな悲劇が彼女に迫っていた……。

 ……と、いうような話。 
 なんというか、「宮崎駿が絶賛しそうな映画」である。
 主人公の少女が現実と異世界を往還する構成は『千と千尋の神隠し』を思わせるし、敵役の冷酷非情な義父は『天空の城ラピュタ』のメガネかけたアイツみたいだし、何より、主演のイバナ・バケロの素朴な美少女ぶり(素朴なのだが、ふとした瞬間にドキッとする色気を発散する)はロリコン・駿翁のハートを鷲づかみにせずにはおくまい。

 しかし、これは宮崎アニメのように親子で楽しめるタイプの映画ではない。もっとグロテスクで生々しく、毒気に満ちている。ヌードもベッドシーンもないのに「PG-12」になったのもうなずける。

 重厚な映像と深みのある人間ドラマを兼ね備えた、美しくも残酷な、大人の鑑賞に堪えるダーク・ファンタジー。
 ラストシーンが、泣ける。そして、ずしりと重い余韻が残る。
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団鬼六『真剣師小池重明』ほか

 

 団鬼六著『真剣師小池重明』(イースト・プレス)、『生き方下手』(文藝春秋)読了。

 この間読んだ『快楽なくして何が人生』がわりと面白かったので、まだ読んでいない団鬼六のエッセイ集をまとめて図書館で借りてきた。そのついでに、自伝小説集『生き方下手』と、ノンフィクション小説『真剣師小池重明』も借りてきたしだい。

 『生き方下手』もまあまあ面白かったが、エピソードの多くがすでにエッセイで書かれているものなので、その分面白さが半減。

 もう一冊の『真剣師小池重明』は、メチャメチャ面白かった。
 元本は12年前に出たものだが、将棋の世界が舞台になっているので、将棋にはまるっきり門外漢である私にはつまらないだろうと思い、これまで読んでいなかったのである。

 「真剣師」とは、将棋のアマ強豪の世界で、腕に覚えのある者を相手に「賭け将棋」をして食っている将棋ギャンブラーのこと。
 小池重明は、一流のプロ棋士を打ち負かすほどの将棋の天才でありながら、破滅型の性格から無頼の人生を歩み、生涯プロ棋士になることなく死んでいった、伝説の真剣師だ。

 文壇きっての将棋通であり、一時期は将棋雑誌も主宰していた団鬼六は、晩年の小池と深いかかわりをもった。その団が、独自取材もくわえて小池の生涯を克明に追ったのが、この本である。

 将棋のことをまったく知らない(小学生時代にやったことがあるだけ)私が読んでも、巻措くあたわざるほど面白く、一気に読ませる。それは団の筆力ゆえでもあるが、何より、小池重明という男の破天荒な人間像がすこぶる魅力的なのである。
 小池がどういう男か、単行本カバーの紹介文を引用してみよう。

 

 ◆賭け将棋にめっぽう強く、「新宿の殺し屋」「プロキラー」とも呼ばれた。
 ◆連続二期アマ名人となり、特例でプロ棋界入りの話も出たが、寸借詐欺事件を起こし、アマ・プロ棋界から追放された。
 ◆女性関係にだらしなく、人妻との駆け落ち歴も三回。
 ◆葬儀屋、運転手、土方稼業など職を転々とし、放浪癖と逃避癖は生涯抜けることがなかった。
 ◆子どものころは貧民窟とバクチ場のなかで育った。



 「破滅型の天才」という存在は、ただでさえ人を惹きつけるものだ。くわえて、小池はやることなすことメチャメチャなのに、どこか愛嬌があって憎めない男なのである。

 将棋の好きな人ならさらに面白く読めるはず。未読の人はぜひ。
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真鍋昌平『闇金ウシジマくん』



 マンガ喫茶で、真鍋昌平の『闇金ウシジマくん』既刊1~8巻を一気読みする。
 このマンガの評判はあちこちで耳にしていたのだが、なんとなく食わず嫌いしていたのだった。

 タイトルどおり、違法な闇金融の世界を描いたマンガである。
 舞台となる「カウカウファイナンス」は、「トイチ」どころか「トゴ」、つまり「10日で5割」という超・高金利の闇金。当然、サラ金等ではもう金が借りられないワケアリの連中ばかりが客としてやってくる。

 同じく闇金の世界を舞台にした先行の類似作『ナニワ金融道』『ミナミの帝王』や、“隣接分野”を描いた『新宿スワン』よりも、さらにドライでダークな物語。『ナニワ金融道』などにはまだあった「救い」が、ここにはまったくない。

 客たちを「奴隷くん」と呼ぶ主人公の丑嶋社長(といってもまだ20代前半)には、義理人情とか弱者への思いやりなどという一般世間の価値観は微塵もない。
 彼は、たとえばこんなセリフを吐く。
「人並み以下のクセに人並みに暮らしてる、身の程知らずのクズどもに終止符を打つのが……俺達闇金の仕事だ!!」
 つねに己のルールと価値観に従って行動するその姿は、どこか「ゴルゴ13」を思わせる。ダーティ・ヒーローである。

 パチンコ依存症の主婦、ブランド品を買い漁って多額の借金を抱えるOL、なんの努力もしないくせにプライドばかり高いフリーターなど、どこにでもいる「ダメ人間」たちが、「カウカウファイナンス」の客となったことからズルズルとこの世の地獄に堕ちていく……。その姿が、恐ろしくリアルだ。

 「幸福な家庭は互いに似通っているが、不幸な家庭はどれもその不幸のさまが違っている」という、『アンナ・カレーニナ』の有名な一節をふと思い出した。この作品に登場する客たちはまさに、それぞれの愚かしさによって“十人十色の地獄”を味わうのである。

 ただし、読んでいる間、闇金の客たちを見下げるのではなく、むしろ彼らに感情移入してしまう。見えない暗流に押し流されるように、破滅への坂を転げ落ちていく焦燥と悲しみ。その一端を、読者もまた共有する。物語がそのように作られているからである。

 作者の視点は、客たちの愚かしさを嘲笑する視点ではない。もっと突き放したクールな視点だ。“消費社会の底の澱み”の観察記録でもつけるように、乾いたユーモアさえ漂わせながら、淡々と地獄絵図が描かれていく。

 既刊を一気読みしたらブルーな気分になってしまった(笑)。しかし、まぎれもない傑作。
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多田文明『電話にでたらこうなった!』ほか



 多田文明著『電話にでたらこうなった!』(ミリオン出版)、『なぜ、詐欺師の話に耳を傾けてしまうのか?』(彩図社)読了。2冊とも、あっという間に読めてしまう軽い本だ。

 「キャッチセールス評論家」なる肩書きをもつ著者が、自らの豊富な「体験取材」をふまえ、さまざまな悪徳商法の実態を紹介していく本。取り上げられているのは、キャッチセールス、デート商法、架空請求、霊感商法、振り込め詐欺、占い商法、リフォーム詐欺などなど。

 数多い事例はいずれも生々しく、興味深い。また、自らを囮にして体験取材を重ねていく著者の勇気にも脱帽する。

 騙されないための心構えを説いた実用書であると同時に、笑いをとろうとするところも多い。北尾トロの諸作のような「笑えるルポ」を目指しているようだ。が、2冊とも、素材が面白いわりには著者のツッコミ芸がパワー不足。寒~いオヤジ・ギャグが多くてあまり笑えないのだ。文章も、やや稚拙。

 同じ素材を使って北尾トロが書いたなら、もっともっと笑える本になったはず。惜しい本である。 
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比古地朔弥『からみ合う糸』



 比古地朔弥の『からみ合う糸/男と女の6つの話』(古川書房/933円)を読んだ。

 比古地は私が注目しているマンガ家の一人。この短編集は昨年刊行されたもので、メジャー・デビュー作「愛のない」から比較的最近の作品までを収めている。

 書名が示すとおり、6編ともテーマは「男女関係」。エロいものからほのぼのラブストーリーまで、一編ごとにまったくカラーが異なるあたりはこの作者らしい。

 デビュー作「愛のない」や、ほのぼのラブストーリーの「Sweets」は、はっきり言って箸にも棒にもかからない出来。まだ「習作」という印象だ。

 面白かったのは、次の3編。

 「逃避行」――殺人を犯した若い男女の逃避行を、乾いたタッチで描いた掌編。

 「残骸」――強い霊力を持つ盲いた美女(“ミニ卑弥呼”という趣)を、「女」として愛してしまった武士の悲劇を描く時代劇。

 「アイドル×アイドル」――元アイドル歌手と元マネージャーの間に生まれたいびつな愛を、人工授精などのアクチュアルな話題をからめつつ、ドラマティックに描く。

 とくに「アイドル×アイドル」は、ストーリーに強引さがあるものの、醜女の元マネージャー・さゆりのキャラクター造型が強烈で素晴らしい。
 『まひるの海』などでもそうだったが、比古地は美女よりもブスを描くときにむしろ本領を発揮する。情熱をこめて醜女を描く描き手なのだ。本書のあとがきでも、「私は太っちょや不細工キャラを描くのが割と好きなので」と書いている。

 しかし、一冊全体のクオリティで言うと、本書はかつての傑作『神様ゆるして』や『まひるの海』には遠く及ばない。比古地朔弥にはもっともっとすごい作品が描けるはずだ。

P.S.
比古地朔弥が女性である(!)ことを、私はつい最近知った。ペンネームの「朔弥」は『古事記』の「木花開耶媛(このはなさくやひめ)」からとったのだそうだ。ううむ、そうだったのかあ。
でも、マンガの絵柄といい内容といい、とても女性とは思えなかったなあ、失礼ながら。同人誌で描くときに使っているペンネームも「渋蔵(しぶぞう)」で、こちらも男みたいだし……。

 関連エントリ→ 『まひるの海』ほかのレビュー 
  
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肉球ヤケド

 土・日・月と、妻子とともに静岡へ。
 義母の喜寿を祝う会があったので、それに参加するためである。

 その後は息子とセミ取りに行ったりして(ジージーうるさいのでキャッチ・アンド・リリース)、ゆったりと過ごした。静岡の片田舎なので自然が豊かで、ゲームの『ぼくのなつやすみ』のような世界。道ですれ違う見知らぬ人が、「こんにちはー」とあいさつしてくれるのもうれしい。
 
 帰途、高速のサービスエリアで小さなアクシデントが……。

 我が家の愚犬ポッキーを連れて行ったのだが、あまりの猛暑にわずかな時間も車中に残すのが不安で、いっしょに車を降りた。
 だが、その配慮が裏目に出た。リード(散歩ヒモ)をつけて犬を歩かせていたところ、愚犬の息がだんだん荒くなってきて、しまいには自分から木陰に入っていってうずくまってしまった。

 ただならぬ様子に、あわてて車中に戻ってエアコンを全開にし、水を飲ませた。愚犬は脱水症状のように息を荒くしたままだったが、しばらくするとようやく落ちついた。
 
 足の裏を見てみると、肉球の周囲の皮膚が赤くなっていた。ヤケドである。
 うかつであった。ぎらつく陽射しに灼かれたアスファルトは、犬の足にとってさえ耐えられないほど熱かったのだ(とともに、熱中症にもなりかけていたのだろう)。
 サービスエリアではほかにも犬を歩かせていた人が多かったので、そこまで気が回らなかった。直接歩かせずに抱いておくべきだったのである。 

 この数日間の狂ったような暑さで、同じように愛犬を「肉球ヤケド」させてしまった人も多いのではないか。
 また、愛犬を連れてレジャーに行った先で、犬だけを車中に残して熱中症死させてしまうという悲劇も、かなり起きているのではないか。人間の熱中症死と違ってニュースにはならないだけで……。

 なお、今月もシメキリがたてこんでいて(※)、私にとっての夏休みはこれにて終了(泣)。

※この言い回しも一種の業界用語だな。たとえば、編集者からの電話の第一声が、「今月はたてこんでます?」だったりする。
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「お蔭様」の心

 うだるような暑さの東京で、一服の清涼剤のような光景に出合った。
 我が家の最寄り駅周辺では、「シルバー人材センター」の作業員数名が自転車の整理にあたっている。そのうちの一人に、品のよい老婦人が栄養ドリンクの10本入りセットを差し出し、こう言ったのである。
「これ、みなさんで飲んでくださいな」
「ああ、これはすみません」
「こんな炎天下に、私たちのために自転車整理して下さってるんですものねえ。せめてもの気持ちです」
 作業員は給与をもらって自転車整理にあたっているのであり、なにもその老婦人のためにやっているわけではない。それでも、駅前の自転車がきれいに整理されているのは作業員たちのお蔭にほかならず、老婦人もその恩恵を受けている。だからこそ、彼女は作業員に感謝の意を示した。その姿に、日本人の美徳の一つである「お蔭様」の心を、私は見た。
 人はみな支え合って生きている。我々の快適な生活は、多くの名も知らぬ人々の労苦に支えられている。かつて、我々日本人はそのことをよく理解していた。あの老婦人の、ささやかだが美しい行為を胸に刻み、「お蔭様」の心を忘れずにいたい。
  (東京都立川市・前原政之・著述業・43歳)

※新聞投稿をパスティーシュしてみた。ただし、内容は今日あった実際の出来事である。
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Coccoの「衝撃発言」

 「夕刊フジ」(ZAKZAK)に面白い記事があったので、メモ。
 題して、「若槻千夏、Coccoが堂々「うんこ」発言連発のワケ」(笑)。

 衝撃発言が飛び出したのは7月27日深夜に放送された「僕らの音楽」(フジテレビ系)。ゲストのシンガー・ソングライター、Cocco(30)が香取慎吾(30)と対談中、「私にとって歌は、辛い気持ちを吐き出すためのもの。うんこだった」と吐露。さらに、「歌が好きだと気づいて、『うんこ』が『うんこ』じゃ無くなったとき、歌っちゃいけないと思った」などと、うんこを連発した。



 記事では精神科医が、「今は『女性らしい』というのは売りにならない。だから言葉で中性化を目指す。同じような現象は1980年代のニューヨークでもありました」と知ったふうなコメントを寄せている。

 ハァ? Coccoはべつに時流を意識して「うんこ」という言葉を使っているわけではないだろうに……。
 かつてCoccoが、デビュー・アルバム『ブーゲンビリア』を発表したことについて、「でっかいうんこを出した感じ」と表現したのは、ファンなら知らぬ者はないのである。
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有田美智世さんを取材



 昨日は、西宮の兵庫医科大学内にある「兵庫さい帯血バンク」で、有田美智世さん(「日本さい帯血バンク支援ボランティアの会」代表)を取材。有田さんへの取材は数年ぶり2度目。

 「さい帯血」とは、へその緒(さい帯)と胎盤に含まれる血液のこと。血液を作り出す造血幹細胞が多量に含まれており、白血病などの血液の難病や重い遺伝病などの移植治療に用いられる。
 しかし、近年までは胎盤もへその緒も医療廃棄物として捨てられていた。その捨てられていたものの中からさい帯血を採取して行なうのが、さい帯血移植である。

 白血病の治療法といえば骨髄移植がよく知られているが、さい帯血移植には骨髄移植に比べていくつかのメリットがある。

 たとえば、骨髄採取はドナー自身も全身麻酔を受けて入院して行なうが、さい帯血は安産の結果として得られるものなので、提供者に身体的負担がない。また、骨髄移植はドナーと患者のHLA(ヒト白血球型抗原)が完全に一致していないと行えず、完全に一致した場合でも移植後の生体の拒否反応が強い。対して、さい帯血は完全に一致しなくても移植でき、拒否反応も弱いのである。
 
 有田さんは、このさい帯血移植を日本に根付かせるために尽力してきた、「日本のさい帯血の母」である。

 公的さい帯血バンク設立への歩みを綴った有田さんの著書『白血病は治る/さい帯血移植のすすめ』を読むと、目的に向かってあの手この手で突破口を切り開こうとする、貪欲なまでのチャレンジ精神に圧倒される。厚生官僚や政治家、高名な学者などと堂々と渡り合い、マスコミなどの力も巧みに利用して、「不可能を可能にしていく」プロセスのくり返しなのだ。
 「日本のヘイゼル・ヘンダーソン」と呼びたい。

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団鬼六『快楽なくして何が人生』



 団鬼六著『快楽なくして何が人生』(幻冬舎新書/720円)読了。
 
 私がこんなのを誉めると驚く向きもあるかもしれないが、団鬼六のエッセイはじつに面白い。
 とくに、雑誌『ダカーポ』に連載していた『一期は夢よ、ただ狂え』は抜群の面白さで、連載当時から愛読していたものだ。

 「えー、でも団鬼六ってSM小説の人でしょ?」などと食わず嫌いせず、一読されたし。仰天エピソードの連打、底光りする無頼の凄み。それでいて、無頼派を気取る芸術家にありがちなナルシシズムは皆無で、あっけらかんとした明るさに満ちた好エッセイだ。
 文章は飄々としたユーモアにあふれ、その底には哀しみとペーソスが流れていて、じつに味わい深いのである。

 で、『一期は夢よ、ただ狂え』を愛する私は、その続編的なものを期待して本書を読んだ。期待は半分外れ、半分は満たされた。

 この『快楽なくして何が人生』は、団鬼六が来し方を振り返った自伝的な語り下ろしエッセイ。談話をライター(もしくは編集者)がまとめたものらしく、その分、いつもの飄々とした文体の魅力に欠ける。

 紹介されているエピソードも、『一期は夢よ、ただ狂え』と重複しているものが多い。
 ただ、これまであまり書かれなかった両親のエピソードが数多く紹介されている。とくに、団以上の無頼派であった父親の奔放な人生は、団自身の手で小説化してもらいたいほどの面白さだ。

 また、末期の腎不全にもかかわらず透析を拒否している現在の団の心境がじっくりと語られているあたりも、読みごたえがある。

 しかしそれでも、『一期は夢よ、ただ狂え』の面白さには遠く及ばない。
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『恋とスフレと娘とわたし』

 京橋の映画美学校試写室で、『恋とスフレと娘とわたし』を観た。
 9月1日公開のハリウッド映画。主演はダイアン・キートン。

 公式サイト→ http://www.love-souffle.jp/

 キートンが演じるのは、若くして夫を亡くしたあと、女手一つで3人の娘を育て上げたパティシエのダフネ。
 長女と次女は結婚して幸せな生活を送っているが、三女のミリーだけは男運が悪く、ダメ男に引っかかっては手ひどい失恋をくり返してばかりいた。「なんとかミリーにもいい相手を見つけてあげたい」との願いが昂じて、ダフネはネットの「マッチングサイト」に、「娘の結婚相手募集」の広告を出す。

 たくさんの応募者の中からハンサムなエリート建築家・ジェイソンを選び、マッチングサイトの件は隠したまま、ダフネはミリーとジェイソンをくっつけようとする。2人は思惑どおり恋人になるものの、その後さまざまな壁が立ちふさがって……。

 ……と、いうような話。
 分類するなら、「ロマンティック・コメディ」ということになるだろうか。おいしそうな料理やお菓子がたくさん出てくるし、登場人物が使うデート・スポットやファッション、部屋のインテリアなどがいちいちおしゃれ。
 ただ、全体にこぢんまりとまとまっていて、ハリウッド映画というより日本のトレンディドラマ(死語か?)のようだ。

 三人姉妹を演ずる女優たちが、それぞれチャーミング。とくに、準主役のミリーを演ずる歌手のマンディ・ムーアは、若き日のキャサリン・ロス(古いね)を彷彿とさせるタヌキ顔がカワイイし、演技もけっこううまい。

 そこそこ楽しめる映画ではあるのだが、私から見て大きな瑕疵が2つ。

 まず、ヒロインのダイアン・キートンが、この映画ではまったく魅力的ではない。
 終始大声の早口でセリフをまくし立てる演技が耳障りでうるさいし、娘に過干渉をつづける様子がひたすら見苦しい。ただのバカ親にしか見えない(私は、彼女が主演した映画で好きなものもたくさんあるのだけれど。『アニー・ホール』とか『マンハッタン殺人ミステリー』とか)。

 それと、母親と娘たちがあけすけにセックスのことを話題にする場面がやたらと多くて、日本人から見ると強い違和感と嫌悪感をおぼえる。

 でもまあ、「デート・ムービー」としては及第点かな。
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永島慎二遺稿集『ある道化師の一日』

ある道化師の一日―永島慎二遺稿集ある道化師の一日―永島慎二遺稿集
(2007/08)
永島 慎二

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 永島慎二遺稿集『ある道化師の一日』(小学館クリエイティブ/1995円)がアマゾンから届いた。

 これはもともと、2005年に永島慎二が亡くなったあと、ご遺族が私家版・非売品として作られたもの。その内容があまりによいので「一般に売らないのはもったいない」という声が上がり、普及版として刊行されるに至ったのである。

 私は、夏目房之介さんのブログのこのエントリで本書のことを知り、一般書籍として刊行されたらぜひとも手に入れたいと思っていた。

 夏目さんは次のように書かれていた。

 

 見てびっくりした。まるっきりプロの編集による、ちゃんとした遺稿集であり、しかも年表とか写真とか貴重な材料満載の素晴らしい本なのだ。箱入り、ハードカバー、背布張り、200ページ余。カラーページ30ページ余。届けてくれた編集者と、同時に叫んだ。
「もったいない!」
 この本、そのままちゃんと市販できる本になる。永島ファンだけでなく、研究者にとっても資料になる貴重なものだ。



 この普及版は箱入りではなく普通のソフトカバーだが、私家版にはない川本三郎さんのエッセイ、あだち充らによる追悼マンガ、夏目さんの書き下ろし解説をくわえて、さらに充実した内容になっている。カラーページも多く、ファンの私も初めて見る貴重な絵や写真などがたくさん収録されている。

 書名になった「ある道化師の一日」とは、永島が1999年に発表した、生涯最後のマンガ作品のタイトル(つまり、晩年はマンガ家としては引退状態だったのだ)。わずか6ページの掌編で、この遺稿集にもそっくり収録されている。老いた道化師と愛犬の静かな一日を淡々と描いた、ただそれだけの作品。なのに、しみじみと心に迫る。

 永島慎二は、道化師をこよなく愛したマンガ家である。本書のカバーも道化師の絵だし、巻頭カラーページには道化師を描いた油絵が何点も掲載されている。
 「ある道化師の一日」という書名には、永島慎二というマンガ家を一人の道化師に擬し、その一生を「一日」に見立てる含意があるのだろう。

 収録されているのは、短編マンガ・エッセイ・油絵・木版画・エッチング・日記・手紙・年賀状などの多彩な作品群。さらには、趣味で作った自作のパイプや将棋の駒、篆刻(自作の遊印=ハンコ)のたぐいまでが紹介されている。

 永島慎二の生涯と、アーティストとしての全貌が一望できる一冊。これで2000円を切る価格は絶対安い。永島ファンならマストバイだ。

 重厚な油絵から小さなカットに至るまで、収録された一つひとつが絵としてまことに素晴らしく、マンガ家というより一人の「絵描き」として希有な才能の持ち主だったことを、改めて認識させられた。
 どの絵にも共通して、やさしさとあたたかさ、なつかしさ、そして胸をつく寂寥感があふれている。

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『明るい瞳』

 『明るい瞳』を観た。9月1日公開のフランス映画。

 公式サイト→ http://www.astaire.co.jp/akaruihitomi/

 孤独な女性が、心を通わせる男性に初めて出逢い、蘇生するまでを描いた作品。

 ヒロインのファニー(ナタリー・ブトゥフ)は、フランスの小さな村で兄夫婦とともに暮らしている。「1972年生まれ」だというセリフが出てくるから、30代半ばということになる。
 病名は明かされないものの、幻聴に悩まされる場面があるなど、彼女が心を病んでいることが示される。

 エキセントリックな彼女を、兄と兄嫁はもて余しぎみだ。
 あるとき、ファニーは兄嫁が別の男と不倫していることを知ってしまう。それを機に兄嫁と衝突し始めた彼女は、ついには車に乗って家を出る。それは、彼女が少女時代に亡くなり、ドイツに葬られたという父親の墓を探しに行くためでもあった。

 ドイツの片田舎で父の墓を探していたファニーは、木こりのガブリエルと出合う。フランス語も英語も解さない彼はファニーと会話を交わすことができないが、それでも2人はしだいに心を通わせ、森の中で共に暮らし始める。

 ……と、いうような話。日本だったら企画そのものが通らないだろう地味なストーリーだが、悪くない映画だ。

 何より、ナタリー・ブトゥフの演技が素晴らしい。
 ふだんの彼女は華やかな美人なのだろうに、ここでは女優としての「華」を封印し、「生きることが苦手」な孤独な女性になりきっている。地味なメガネをかけ、意図的にダサい服装をして、言葉遣いや所作の一つひとつがぎごちなくて周囲とズレている女性を演じきっているのだ。
 それはもう、「完璧で自然なぎごちなさ」(変な言い方だが)とでも評したいほどの演技である。

 それでいて、ファニーという女性はすこぶる可愛い。突飛なふるまい、ぎごちない所作の一つひとつに滑稽味があふれていて、思わず微笑んでしまうのだ。

 プレスシートに載っていた監督のインタビューに、「ファニーのしぐさにこめたユーモアは、サイレント時代のチャップリンの喜劇へのオマージュ」という主旨の一節があって、なるほどと得心した。心を病んだ孤独な女性を主人公にしながらも、この映画が過度の深刻さと無縁であるのは、監督の喜劇への目配りのためだったのだ。

 フランスが舞台の前半とドイツが舞台の後半では、映画のトーンがまったく異なる。
 セリフすらほとんどない後半は、“ラブストーリーの原初形態”という趣のみずみずしさに満ちている。言葉によらず、仕草や表情で互いの意志を伝え合い、心を通わせていくファニーとガブリエルは、アダムとイヴのようにも見える。

 言葉の通じないガブリエルとの交流を通じて、ファニーが初めて孤独から解放される、という逆説も興味深い。これは、「コミュニケーションとは何か?」というテーマに迫った作品でもあるのだ。 
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短編マンガ・ベスト25



 「日本のロック・アルバム・ベスト25」「日本映画ベスト25」につづいて、「日本の短編マンガ・ベスト25」を選んでみた。
 どうしても、「小説に置き換えられそうなマンガ=文学臭の強いマンガ」に偏ってしまう。
 順不同。各編についてのコメントはぼちぼち書き加えていきます。

ちばてつや「蛍三七子」
 奔放な不良少女・三七子と旅の若者の恋を抒情的に描いた、「珠玉」という言葉がぴったりの傑作短編。マンガ史に残る名キスシーンがある。蛍が乱舞するラストシーンも見事。

高橋葉介「腹話術」
 『夢幻紳士』の高橋葉介が最初期に生み出した傑作短編シリーズ『ヨウスケの奇妙な世界』の一編。絵柄といいストーリーといい、高橋はデビュー当時から「誰の真似でもない独自の世界」を確立していた。とくに、この「腹話術」は名作。

吉田秋生「解放の呪文」
 ウインブルドン決勝戦での兄弟対決をドラマティックに描いた、スポーツ・マンガの傑作。テニスに微塵も興味のない私のような人間が読んでも感動できるのはスゴイ。

星野之宣「残像」
 卓抜なアイデアと絶妙の構成。星野の数あるSF短編のうちでも最高傑作だと思う。

山岸凉子「天人唐草」
 一人の女性の狂気に至る過程を克明に描いた、「精神分析ホラー」ともいうべき傑作。

大島弓子「秋日子かく語りき」
 大島作品の中に、「死者の蘇り」を描いたファンタジー短編が二つある。一つは映画化もされた「四月怪談」で、もう一つがこの「秋日子かく語りき」である。
 「四月怪談」では、事故死した少女が霊界でのさまざまな曲折を経て生き返るまでが描かれ、この「秋日子かく語りき」は、事故死した中年女性が、天使からの猶予を得て一週間だけ生き返るいきさつを描いている。2編に通底するのは、「この世は生きるに値する」という力強いメッセージである。

佐藤史生「金星樹」
 SFのセンス・オブ・ワンダーと少女マンガの面白さが理想のバランスで同居した傑作短編。なんというアイデア、なんと哀切なラストシーン。

諸星大二郎「生命の樹」

狩撫麻礼・かわぐちかいじ「蜜の味」(『ハード&ルーズ』より)
楠勝平「おせん」

高野文子「玄関」(『絶対安全剃刀』所収)
 高野文子の短編といえば、同じく『絶対安全剃刀』所収の「田辺のつる」が世評高いが、私はこの「玄関」を偏愛。小学生時代の夏休みのムードを、これほど鮮やかに写し取ったマンガはほかにない。

永井豪「ススムちゃん大ショック」
 ある日突然、日本中の親たちがいっせいに我が子を殺し始める……そんなストーリーをもつこの短編を、子どものころに読んで衝撃を受けた人は多いだろう。私もその一人。「トラウマ・マンガ」の一つである。児童虐待が頻発するいまの時代を予見したともいえる作品。

萩尾望都「半神」
 シャム双生児の姉妹を主人公にした、哀切にして深みのある短編。わずか16ページの作品なのに読後感はずしりと重く、いろいろなことを考えさせられる。
「愛よりももっと深く愛していたよおまえを/憎しみもかなわぬほどに憎んでいたよおまえを」というラストのモノローグが深く心に残る。

宮谷一彦「ラストステージ」
 二人のジャズ・ミュージシャンの人生が交差する一点を描いた、青春マンガ/音楽マンガの傑作。ページから音が聞こえてくるような迫真の描写が素晴らしい。

平田弘史「介錯」
関川夏央・谷口ジロー「海景酒店」

一ノ関圭「らんぷの下」
 たった3冊の作品集を残して筆を折った一ノ関圭。圧倒的な画力(芸大油絵科卒)と、幕末から明治の美術界に材を得た個性的な作品群でいまも根強いファンを持つ彼女の、デビュー作にして代表作。

すぎむらしんいち「スノウブラインド」
 「映画的」と評されることの多いすぎむら作品だが、この短編も優れて映画的である。暴力的でエロティックなのに、すこぶるスタイリッシュで、乾いたユーモアが漂う。そして、抜群の画面構成。
 雪景色が血に染まるあたりの描写は、すぎむらが愛するコーエン兄弟の名作『ファーゴ』へのオマージュかな……と思ったら、じつは「スノウブラインド」のほうが先に発表されていた。

近藤ようこ「薄荷煙草」
 近藤ようこの短編はその多くが水準以上の佳編だが、抜きん出た一編の傑作を選ぶのは難しい。それでもあえて一つ選ぶなら、この「薄荷煙草」。美術教師とその恋人と、教え子の女子高生――その奇妙な三角関係を、ドラマティックに描いて秀逸。

つげ義春「やなぎや主人」

藤子・F・不二雄「ミノタウロスの皿」
 『ドラえもん』などの児童マンガのかたわら、藤子がコツコツと描きつづけた大人向けSF短編群は、高水準の傑作揃いである。とくにこの「ミノウロスの皿」は、「カンビュセスの籤」などとともに、藤子のSFを代表する傑作。

大友克洋「家族」
勝又進「雁供養」
手塚治虫「巴の面」(『ザ・クレーター』より)

永島慎二「陽だまり」(『漫画家残酷物語』より)
 『漫画家残酷物語』は全28編からなる短編連作だが、この「陽だまり」は最終話にあたる。ジャズ喫茶にたむろする「1960年代・新宿」の若者たちの青春を、鮮やかな一閃で切り取った傑作。夏目房之介さんや川本三郎さんも、『漫画家残酷物語』中のお気に入り作品に挙げていた。
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前原政之 
イラスト/ジョージマ・ヒトシ

前原政之(まえはら・まさゆき)
1964年3月16日、栃木県生まれ。53歳。
1年のみの編プロ勤務(ライターとして)を経て、87年、23歳でフリーに。フリーライター歴30年。
東京・立川市在住。妻、娘、息子の4人家族。

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●「mm(ミリメートル)」は、私のイニシャル「MM」のもじりです。

●私の大好きなギタリスト・渡辺香津美氏は、ご自身のイニシャル「KW」をもじった「KW(キロワット)」を、公式サイトのタイトルにしておられます(同名のアルバムもあり)。それにあやかったというわけです。

●あと、「1日に1ミリメートルずつでもいいから、前進しよう」という思いもこめられています(こじつけっぽいなあ)。

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