山口文憲『読ませる技術』


読ませる技術―コラム・エッセイの王道読ませる技術―コラム・エッセイの王道
(2001/03)
山口 文憲

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 新藤兼人監督の訃報に接する。
 自ら「最後の作品」と位置づけた『一枚のハガキ』を撮り終え、その作品で各種映画賞を受賞して花道を飾っての、100歳での大往生――。なんと見事な人生のエンディングであろうか。
 昨年インタビューさせていただいたときの印象が蘇る。最晩年に取材できたことを、光栄に思う。

■関連エントリ→ 新藤兼人『生きているかぎり』/『一枚のハガキ』レビュー



 昨日は、都内某所で打ち合わせ。
 行き帰りの電車で、山口文憲著『読ませる技術――コラム・エッセイの王道』(マガジンハウス)を読了。

 先日読んだ『小田嶋隆のコラム道』の類書。読み比べてみたくて手にとった。
 ベテラン・コラムニスト/ノンフィクション作家の著者が、「朝カル」(朝日カルチャーセンター)でやった「コラム・エッセイ講座」を基にしたもの。そのため話し言葉で書かれており、たいへんわかりやすい。

 『小田嶋隆のコラム道』との共通項として、2人とも“コラムやエッセイは、書き出しに凝る必要はまったくない。力を入れるべきはむしろ文章の終わり方、着地のさせ方だ”と言っている点が興味深い。「文章は書き出しが最も大事。入り口で読者の心をつかまないといけない」と言うよくある文章読本とは対照的だ。

 『小田嶋隆のコラム道』がかなりクロウト向けであったのに対し、本書はカルチャーセンターに集うシロウトのおばちゃん連中(偏見ですね)が相手なので、説明も噛んで含めるような丁寧なもので、初心者向けといえる。

 それでも、著者は手練の文章家であるだけに、ライターにも参考になる記述が多い。たとえば――。

 結局コラム・エッセイの要諦は、スローガン風に言うと「ある、ある、へー」なんです。「ある、ある」とうなずかせておいて、「へー」と感心させる。あるいはあきれさせる。全部「ある」だけじゃだめ。「へー」だけでもだめ。共感、共感、そして発見。
 群ようこさんの世界はまさにこれです。基本は、みんな「ある、ある」の世界。でも、その先に「へー」がある。その「へー」のところで、あれだけの読者をつかんだ。



 また、次の記述には大いに同感。

 文章を書くということは、基本的にはコンピュータのプログラムを書くのと同じ行為なんです。コンピュータのプログラムは人工言語で書くのに対して、こちらは自然言語。それだけの違いです。読者の目から読み込ませたプログラムが、脳を作動させて、設計通りのイメージや感情を脳内に発生させることができるか。もしうまくできれば、プログラムは正しく書けていることになりますね。



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村上もとか『蠢太郎』


蠢太郎 (ビッグ コミックス〔スペシャル〕)蠢太郎 (ビッグ コミックス〔スペシャル〕)
(2011/06/24)
村上 もとか

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 村上もとかの『蠢(じゅん)太郎』(ビッグコミックススペシャル/980円)を読んだ。
 
 蠢動の蠢(しゅん)は「じゅん」とも読むのだね。初めて知った。
 明治初期を舞台に、歌舞伎の世界に材を取った絢爛たる物語。
 
 主人公は、歌舞伎役者を父に持つ天性の女形・中村蠢太郎。
 じつは蠢太郎は、父と皇族の女性の道ならぬ恋から生まれた「宿命の子」であった、というドラマティックな設定がなされている。

 歌舞伎役者として並外れた才能を持ちながら、その出生ゆえに命を狙われる(天皇の血筋を下賤の歌舞伎役者が継ぐなど、当時としてはあってはならぬことだったから)蠢太郎。果たして、彼は苦難を乗り越え役者として大成できるのか……という物語。

 村上もとかの2大代表作――『龍-RON-』と『JIN-仁-』の間をつなぐ作品という印象を受けた。もっとも、その2作とストーリー上の関連があるわけではなく(※)、時代設定からそう感じたのだが(『龍-RON-』は昭和初期~前半が舞台で、『JIN-仁-』は幕末が舞台)。

※ただし、本作には1ヶ所だけ、『JIN-仁-』の作品世界との接点がさりげなく用意されている。

 おそらく村上にとっても、『龍-RON-』と『JIN-仁-』の2長編を描きつづける間に「次はこんなのを描いてみたいなあ」と派生してきた物語なのではないか。

 歌舞伎の世界を描く絢爛にして緻密な絵が、まことに素晴らしい。とくに、このビッグコミックススペシャル版では、雑誌掲載時に四色刷りだったページはすべて(計16ページ)四色で製版されており、その部分はうっとりするような美しさだ。
 井上雄彦などとは違い、村上もとかの作品は絵の魅力から語られることが少ないが、細部もゆるがせにしないていねいな作画には、いつも感心させられる。

 ただ、本作のストーリーはいま一つ。
 けっしてつまらなくはないが、単行本全1巻の枠内に壮大なドラマがぎゅうぎゅうに詰め込まれていて、ものすごく駆け足な印象を受けてしまうのだ。まるでテレビドラマの総集編を見ているよう。
 たとえば、蠢太郎の父親は第3話であっけなく死んでしまうし、その第3話で初登場した彼の想い人・朝子も、同じ第3話の終わりには死んでしまう(!)という具合。読者が感情移入するヒマさえないあわただしさである。

 これは本来なら、単行本5巻くらいを費やしてじっくり描くべき物語だったと思う。
 そんなわけで、「傑作になりそこねた失敗作」という感じだが、手抜きをしない誠実なアルチザンである村上のことだから、値段分はきっちり読者を楽しませる。伊藤博文・明治天皇・川上貞奴など、実在の人物が続々と登場する点も楽しい。

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ピーター・バラカン『ピーター・バラカン音楽日記』


ピーター・バラカン音楽日記ピーター・バラカン音楽日記
(2011/09/26)
ピーター バラカン

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 昨日は、都内某所で取材。
 行き帰りの電車で、ピーター・バラカン著『ピーター・バラカン音楽日記』(集英社インターナショナル/1575円)を読了。

 バラカンが月刊『PLAYBOY 日本版』に、同誌休刊までの最後の7年間(2002~08)連載した音楽コラムをまとめたもの。音楽に対する愛が全編にあふれ、愉しく読める一冊。

 バラカンが1980年代半ばにやっていた深夜の洋楽テレビ番組『ポッパーズMTV』と、89年発刊の彼の著書『魂(ソウル)のゆくえ』は、当時の私にとって、ワールド・ミュージックやブラック・ミュージックなどへの得難いガイドであった。彼の番組や本で初めて知って好きになったアーティストが、私にはたくさんいる。
 「音楽に対するアンテナが、ピーター・バラカンのおかげでグーンと伸びた」と感じている人は、私以外にも日本に大勢いるに違いない(とくに、40代くらいの音楽好きには)。

 本書もしかり。私の知らないマニアックなアーティストも少なからず取り上げられているが、そういう回でさえ面白く読める。そして、紹介されたアルバムを聴いてみたくなる。

 くわえて、2010年に世を去った沢田としきが担当したイラストが、じつに素晴らしい。
 各回のコラムに添えられたそのイラストは、取り上げられたミュージシャンを描いたもので、「雑誌コラムの挿し絵」の域をはるかに超えたクオリティである。各ミュージシャンのアルバム・ジャケットに、そのまま使えそうだ。
 本書のカヴァーにはその一部がカラーで使われているが、本文中のイラストは残念ながらモノクロ。すべてカラーのまま載せてくれていたら、さらによかったのに(本の値段はぐっと上がっただろうけど)。

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小田嶋隆『小田嶋隆のコラム道』


小田嶋隆のコラム道小田嶋隆のコラム道
(2012/05/21)
小田嶋隆

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 今日は、都内某所で打ち合わせが一件。
 
 行き帰りの電車で、発刊されたばかりの『小田嶋隆のコラム道』(ミシマ社/1575円)を読了。
 売れっ子コラムニストが自らの手の内を明かした「コラムの書き方」指南書であり、オダジマ流の文章読本でもある。

 「コラムの書き方」本としての実用性は、あまり高くない。小田嶋の説く文章術はかなりクロウト向けで、コラムニストを夢見る大学生とかが読んでも、たぶん内容の半分くらいはよく理解できないだろうから……。

 もっと実用性の高い一般向けの類書として、岸本葉子の『エッセイ脳』がある。物書き未経験者が読む「エッセイの書き方」指南書としては、こっちのほうがオススメだ。

■関連エントリ→ 岸本葉子『エッセイ脳』レビュー

 ただし、本としての面白さ、奥深さは、本書のほうに軍配が上がる。

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チーナ「蛾と蝶とたこ焼きとたこ」



 「チーナ」という日本のバンドがすごく気に入ってしまった。
 YouTubeとMySpaceにアップされている数曲を聴いただけなのだが、「ファンになってしまった」といってもよい。

 現時点でCDになっているのは2009年に出た『Shupoon!!』というミニアルバムだけだが、買おうと思ったら品切れらしく、中古品に不当な高値がついている。7月にファースト・フルアルバムが出るらしいので、それを楽しみに待つことにする。

 『Shupoon!!』の内容紹介(Amazon)には、次のようにある。

 ピアノヴォーカル、ヴァイオリン、コントラバス、サポートにドラム、ギター、マイクロコルグを入れ東京を中心に活動している5人から成るグループ。 ポップス/クラシック/ロック/オーガニックといった要素を自由に操り既に唯一無二の境地に達していると言っても過言ではない。アコースティックな楽器編成だが枠にとらわれずダイナミックなサウンドから繊細な表現まで多様な演奏を得意とし、変幻自在かつ緻密な音楽性で独特な視点で捉えた歌詞やメロディーが特徴。ライブパフォーマンスもパワフルでポップで「チーナ」の音楽世界を表現し自然とオーディエンスの体を動かしている。



 カナダ・ツアーをした際には、現地メディアから「和製アーケイド・ファイア」と評されたのだそうだ。いまのバンドからしいて似たものを探せばそうなるのだろうが、私はむしろ昔の「チャクラ」(小川美潮や板倉文が1980年代にやっていたバンド)を思い出した。

 チャクラはテクノ色が強かったが、チーナはチャクラの音をオーガニックにしたような趣。ヴォーカルの「陽気なシャーマン」的な奔放な感じとか、一見「癒し系」のようでいてその底に強烈な毒気と狂気を孕んだ感じが、よく似ている。あと、パワフルかつ切ないピアノは、初期の矢野顕子や初期のクラムボンのようでもある。

■関連エントリ→ チャクラ『さてこそ』『南洋でヨイショ』レビュー

 上に貼った「蛾と蝶とたこ焼きとたこ」のPVを、ぜひ観てほしい。
 なんという面白さ。曲も歌詞も演奏も、さらにはPVとしての出来も、すべてがユニークでもうサイコー。それに、くり返し聴きたくなる中毒性もある。叫ぶようなブレスを合図に全楽器が一斉に演奏を始める瞬間など、ゾワッと鳥肌が立った(いい意味で)。

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吾妻ひでお『ぶらぶらひでお絵日記』


ぶらぶらひでお絵日記 (単行本コミックス)ぶらぶらひでお絵日記 (単行本コミックス)
(2012/02/25)
吾妻 ひでお

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 吾妻ひでお著『ぶらぶらひでお絵日記』(角川書店/1260円)読了。

 書名のとおり「絵日記」であり、文章部分は少ないので、すぐに読み終わる。
 帯に「世界一女子高生がたくさん登場する絵日記です」とあるとおり、ほぼすべてのページにカワイイ女子高生のイラストがちりばめられている。
 私にはそっちの趣味はあんまりないのだが(熟女が好きw)、その私が見てもカワイイと感じるのだから、女子高生好きなら「くーっ! たまらん」な本だと思う。

 吾妻ひでおの描く美少女は、いわゆる「萌え絵」とは微妙に違う。現実の美少女とは似ても似つかないファンタジーの世界なのに、それでいて、妙に肉感的で存在感がある。シンプルな描線だから一見すぐに真似できそうな絵柄だが、じつは誰にも真似できない唯一無比の絵だ。

 巻末に、担当編集者による吾妻へのインタビューがある。それによれば、本書に収められた絵は、街で現実の女子高生をウォッチングしてイラスト化したものなのだという。
 とはいえ、オッサンが女子高生をガン見してスケッチなどしたら即通報されるご時世だから、見ながらスケッチするわけにはいかない。そこで、「チラッと見て、すぐ後ろを向いて小さな手帖に、目に焼き付いた映像をスケッチする」のだとか。

 吾妻の描く女子高生が妙にリアルで肉感的な理由は、そんな人知れぬ努力(笑)の積み重ねにあったのだ。

 絵日記の文章部分では、吾妻が読んだ本やマンガ、見たテレビや映画などの感想などが淡々と綴られている。もともとが吾妻のホームページに発表されたものだけに、好きな作家のプログを読むような感じで楽しめる本だ。

 ところで、あの『失踪日記』の続編はいったいどうなっているのか? 「入院後半のエピソードは続編にて」と記された単行本『失踪日記』が発刊されてから、早7年だというのに……。

■関連エントリ→ 吾妻ひでお『うつうつひでお日記』レビュー

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ガイ・ウォルターズ『ナチ戦争犯罪人を追え』


ナチ戦争犯罪人を追えナチ戦争犯罪人を追え
(2012/03/15)
ガイ ウォルターズ

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 ガイ・ウォルターズ著、高儀進訳『ナチ戦争犯罪人を追え』(白水社/3990円)読了。
 
 英国の歴史小説家/ノンフィクション作家が、ナチ戦争犯罪人たちの逃亡と「ナチ・ハンター」やモサド(イスラエル諜報特務局)などによる追跡の舞台裏を、綿密な調査に基づき活写した歴史ノンフィクション。

 本業が小説家だけあって、大物ナチの逮捕に至る顛末などを綴る筆致がスリリングだ。

 著者の視点はあくまで中立的で、ナチを追う側の不手際や虚偽などにも公平に光が当てられていく。とくに、「ナチ・ハンター」の代名詞的存在であったジーモン・ヴィーゼンタールの著書が嘘まみれであることが、かなりの紙数を費やして暴かれている。

 ナチ戦争犯罪人が南米などに逃亡するにあたって、ヴァチカンなどの聖職者が手を貸したこと、冷戦時代に英米が元ナチ幹部を“雇って”利用したこと(ナチ幹部は共産主義との闘いについては先駆者だったから)など、逃亡と追跡のドラマの舞台裏にあったドロドロまでが、容赦なく描き尽くされる。

 別途書評を書くので細かく紹介できないが、読みごたえのあるノンフィクションであった。
 ただ、登場する戦争犯罪人たちによる戦時中の蛮行(市民に対する虐殺行為など)が随所で描写されるため、その手の描写が苦手な人は読まないほうが無難だ。

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古賀史健『20歳の自分に受けさせたい文章講義』


20歳の自分に受けさせたい文章講義 (星海社新書)20歳の自分に受けさせたい文章講義 (星海社新書)
(2012/01/26)
古賀 史健

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 昨日は、フードコーディネーター/食育研究家の藤原勝子さんを取材。藤原さんは、日本で初めてフードコーディネーターを名乗った斯界の重鎮である。

 藤原さんが編集に携わられた、『おうちでスクールランチ39――全国各地の人気No.1給食レシピ』(群羊社)という本の紹介記事のための取材。
 「ダサくてマズいものだった日本の学校給食が、いまではこんなに進化して素敵な『スクールランチ』になっているんですよ」というのが取材テーマだったのだが、お話が「食育とは何か?」みたいなところにまでどんどん広がっていき、そのいちいちが私にとっては目からウロコ。とても刺激的な取材になった。


 行き帰りの電車で、古賀史健著『20歳の自分に受けさせたい文章講義』(星海社新書/882円)を読了。

 この著者が構成した『われ日本海の橋とならん』(加藤嘉一)を読んで、まとめ方のうまさに舌を巻いたという話を先日このブログに書いた。で、「只者ではないな」と思い、著書を読んでみたしだい。本書は今年1月に刊行された、この人の初の単著である。

 タイトルどおり、大学生くらいのライター志望者がメインターゲットになっているとおぼしき本だが、一般向けの文章読本としても上出来だ。

 著者略歴欄には、次のような一節がある。

 出版社勤務を経て24歳でフリーに。30歳からは書籍のライティングを専門とする。以来、「ライターとは“翻訳業”である」「文章は“リズム”で決まる」を信念に、ビジネス書や教養書を中心に現在まで約80冊を担当。編集者からは「踊るような文章を書くライターだ」と言われることが多い。



 著者は私より9歳若いが、仕事をしてきた分野が近い(書籍の構成仕事中心という意味で)こともあって、シンパシーを覚える。

 内容も、私にとってはいちいち納得のいくものだ。「本講義で述べた文章論・文章術は、すべて僕が“現場”で身につけた実学であり、机上の空論はひとつとして語っていないと断言できる」と著者が言うように、どのアドバイスも実践的で、ヴィヴィッドな現場感覚に満ちている。

 ほかの文章読本にもよくあるような平凡なアドバイスもないではないが、その場合にも著者の持ち出すたとえが面白かったりして、楽しく読ませる工夫が随所になされている。
 たとえば、文章におけるリズムの大切さを説明するくだりで、“ストーンズの演奏を牽引しているのはミック・ジャガーでもキース・リチャーズでもなく、じつはチャーリー・ワッツのドラムスだ”なんて話をさらっと入れたりとか。

 文章の初歩の初歩から説かれているにもかかわらず、プロのライターにも参考になる指摘が多い。私たちライターが経験によって身につけ、無意識のまま駆使しているテクニックの中身が、見事に言語化されている。わかりやすくて奥が深いのである。

 「まったくそのとおりだ」と感心し、付箋をつけた一節を引く。

 推敲するにあたって最大の禁句となるのが「もったいない」である。
 こんなに頑張って書いた箇所を削るなんて「もったいない」。
 せっかく何日もかけて調べたから、どこかに入れないと「もったいない」。
 あれほど盛り上がった話を入れないなんて「もったいない」。
 (中略)
 しかしこれは、読者となんの関係もない話だ。
 読者は、あなたの「がんばり」や「悩んだ量」を評価するのではない。あくまでも、文章の面白さ、読みやすさ、そして書かれた内容について評価を下すのである。
 文章を書いていて行き詰まったとき、「なんか違うな」と思ったとき、原稿を読み返してみると、けっこうな確率で「もったいないから残した一節」が紛れ込んでいるはずだ。
 そして、その一文を取り繕うためにゴニョゴニョと余計な説明を入れ、全体が台なしになっている。



 ライターのみならず、「もっとわかりやすい文章を書きたい」と思っている人に、広くオススメ。

 なお、本書の版元・星海社は講談社の子会社。昨年創刊された星海社新書には、タイトルを見ただけで面白そうなものが多い。今後注目したい。

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フランク・ギャンバレ『カミング・トゥ・ユア・センシーズ』ほか


FAVORED NATIONS~カミング・トゥ・ユア・センシーズカミング・トゥ・ユア・センシーズ
(2000/04/05)
フランク・ギャンバレ

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 フランク・ギャンバレの旧作ソロ2枚――『カミング・トゥ・ユア・センシーズ』と『ギター・サンダーワールド』――を聴いた。先日聴いた『ライヴ!』がすごくよかったので。

 『カミング・トゥ・ユア・センシーズ』は2000年のソロ第9作で、『ギター・サンダーワールド』は1992年の第6作。ギャンバレのソロの中には自らヴォーカルもとった軽めのアルバムもあるようだが、この2枚は『ライヴ!』同様オール・インストでロック色の強いアルバム。

 どちらも全編ギター弾きまくりで、その意味では十分に満足したが、『ギター・サンダーワールド』(なんだか恥ずかしい邦題だが、原題は“The Great Explorers”)のほうはいま聴くとサウンドが古臭い。90年代に発表された作品なのに、70年代末~80年代初頭あたりのロック寄りフュージョンの香りがする。それに、直球一辺倒という感じで曲調に幅がなく、何度も聴いていると飽きがくる。

 いっぽう、『カミング・トゥ・ユア・センシーズ』のほうは音作りがはるかに洗練されており、曲調も多彩だ。それに、テクニカルなのにこれ見よがしのテクニック羅列には陥っていない。こちらのほうがアルバムとしては上質。


↑『カミング・トゥ・ユア・センシーズ』でいちばん気に入った「ジ・イタリアン・ジョブ」。美しい。

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『シンボルスカ詩集』


シンボルスカ詩集 (世界現代詩文庫)シンボルスカ詩集 (世界現代詩文庫)
(1999/12)
ヴィスワヴァ シンボルスカ、小海 永二 他

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 昨日から今日にかけて、また震災関連取材で宮城県石巻市と福島県いわき市へ――。
 行きは東北新幹線の「はやぶさ」で、いわきに一泊し、帰りは常磐線の「スーパーひたち」に乗った。

 被災者である取材相手の方に「震災からの14ヶ月を振り返って、いま思うことは?」と尋ねると、次のような答えが返ってきたのが印象的だった。

「今年桜が咲いたのを見て、『そういえば、去年の桜がいつ咲いていつ散ったのか、まったく記憶にないなあ』と思ったんです。去年の春は、桜を見る余裕なんかなかったから」

 気持ちの変化を示す尺度になるのが桜の花であるあたり、「日本人だなあ」と思う。

 帰りの特急で、ヴィスワヴァ・シンボルスカ著、つかだみちこ編・訳『世界現代詩文庫29 シンボルスカ詩集』(土曜美術社出版販売/1365円)を読了。

 シンボルスカは、今年2月に88歳で世を去ったポーランドの女流詩人。先日読んだ池澤夏樹の『春を恨んだりはしない』に引用されていた詩で興味を抱き、詩集を手にとってみたしだい。

 初期から近年までの代表的な詩のほか、シンボルスカが書いた書評やエッセイも数篇収録されている。
 
 想像していたよりも難解な詩が多く、私の心にはあまり響かなかった。
 『春を恨んだりはしない』に引用された「眺めとの別れ」も収められているが、訳がかなり違っていて、タイトルも「景色との別れ」となっている。

また再び訪れた春への
悲しみはない
毎年のようにそのつとめを果たす
春を責めるつもりはない

私のかなしみが もえいずる緑を
おしとどめることなどないとわかっている



 本書でこのように訳されている箇所は、沼野充義の訳では次のよう。

またやって来たからといって
春を恨んだりはしない
例年のように自分の義務を果たしているからといって
春を責めたりはしない

わかっている わたしがいくら悲しくても
そのせいで緑の萌えるのが止まったりはしないと



 どちらが原文のニュアンスに忠実なのかはわからないが、私は沼野の訳のほうが好きだな。言葉の流れに端正なリズムがある。

 でも、よいと思った詩もいくつかあった。たとえば、代表作の一つであるらしい「玉葱」の、次のような一節。

玉葱ってのなにか違う
こいつには内蔵ってものがない
外側をおおっている薄皮から
中の芯にいたるまですっかり玉葱
玉葱だったらこわごわ
自分の内部を眺めまわすなんてこともないのだろう

それにひきかえ私たちの中ときた日にゃ
異国趣味と野蛮性
辛うじてそれを表皮でくるんでいる
私たちの内部なんぞ まさに地獄絵
暴力的解剖図



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野口悠紀雄『クラウド「超」仕事法』


クラウド「超」仕事法 スマートフォンを制する者が、未来を制するクラウド「超」仕事法 スマートフォンを制する者が、未来を制する
(2011/11/25)
野口 悠紀雄

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 野口悠紀雄著『クラウド「超」仕事法――スマートフォンを制する者が、未来を制する』(講談社/1575円)読了。

 4年前に出た『超「超」整理法』の続編という趣の本。副題のとおり、“野口流スマホ仕事術”に大きく紙数が割かれている。

 私自身はあえてスマホを使っていないのだが、本書を読んで「やっぱりスマホを持たないとダメだ」と感じたら買おうかと思っていた。が、説得されなかった。

 フリーランサーの私は家のパソコンの前に座っている時間が長いし、電車の中などでは読書することにしているから、スマホは必要ないのである。もちろん、あれば便利だろう。しかしその代償に、外出中のすき間時間にもついスマホを見てしまい、私は貴重な読書タイムを失うことになる。
 なので、本書は実用書としてはあまり役に立たなかった。
(後注/こう書いた1年後に、思うところあって、私もスマホを使い始めました)

 だいたい、野口の「知的生産の技術」本のうち、真に独創的だったのは最初の『「超」整理法』だけである。その後のものもそれなりに役に立つが、ほかのITジャーナリストたちの書いた類書と比べてとくに優れているわけではない。

 くわえて、本書は野口が作ったクラウド版「超」整理手帳(iPad、iPhone用アプリ)の販促用に刊行された面が強いようで、宣伝めいた記述が多くてゲンナリ。第3章「クラウドを用いて時間を有効に使おう」など、ほぼ丸ごと宣伝である。

 それでも、読む価値はあった。実用性は乏しいものの、クラウド時代の意味について野口がさまざまな角度から考察している部分に、卓見も少なくないからだ。
 すでにクラウドを十分に使いこなしている人であっても、最後の第7章「クラウドと民主主義は両立するか」の考察は傾聴に値する。

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加藤嘉一『われ日本海の橋とならん』ほか


われ日本海の橋とならんわれ日本海の橋とならん
(2011/07/23)
加藤 嘉一

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 昨日は、新宿で打ち合わせが一件。

 ユーチューブでは最近、ロック関係を中心に、音楽アルバム1枚が丸ごとアップされているケースが目立つ。「full album」で検索してみるとわかるのだが、有名どころの名盤、ヒット作はだいたい揃っている印象だ。

 私は、これは明らかに行き過ぎだと思う。
 こんなことをしていたら早晩取り締まりもせざるを得なくなるだろうし、音楽業界の人々の生活も危うくする。我々聴く側にとってもよいことではない。いずれはツケが回ってきて、音楽文化の衰退につながっていくはずだ。

 もちろん、1曲だけアップするのもアルバムを丸ごとアップするのも、著作権法に触れる行為であることに変わりはない。しかし、程度問題ということもある。「CD買わずに済んでラッキー!」などと思っている場合ではない。



 加藤嘉一著『われ日本海の橋とならん』(ダイヤモンド社)、『中国人は本当にそんなに日本人が嫌いなのか』(ディスカヴァー携書)読了。

 仕事の資料として読んだもの。高卒後に単身北京に渡った日本人青年が、北京大学に入り、論客として遇され「中国でいちばん有名な日本人」になるまでを綴った自伝的エッセイである。「日中社会比較エッセイ」としても読める。

 2冊とも、同じ著者による同テーマの本なのだから、素材はある程度共通である。しかし、読み比べてみれば、『われ日本海の橋とならん』のほうがはるかによくできている。
 『中国人は本当にそんなに日本人が嫌いなのか』は内容が未整理で雑然としているし、著者のスター気取りも鼻について、読んでいて不快になる。対照的に、『われ日本海の橋とならん』は大変読みやすく、面白く、読後にさわやかな印象が残る。

 なぜそんなに違うかといえば、『われ日本海の橋とならん』のほうは優れたフリーライターが構成を担当しているからである(構成者が介在していることは奥付とあとがきに明記されているので、ゴーストライターではない)。

 ライターは古賀史健という私の知らない人(→ご本人のブログ)だが、本書を読めばすこぶる有能な書き手だとわかる。「これがプロのライターのワザというもんだよ!」と、無関係な私までが同業者として誇らしくなった。

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井上鑑『僕の音、僕の庭』


僕の音、僕の庭 ―鑑式音楽アレンジ論僕の音、僕の庭 ―鑑式音楽アレンジ論
(2011/08/09)
井上 鑑

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 井上鑑(あきら)著『僕の音、僕の庭――鑑式音楽アレンジ論』(筑摩書房/2940円)読了。

 過去35年以上、音楽シーンの第一線でアレンジャー/作曲家として活躍してきた井上の、初の著書。
 坂本龍一の語りによる自伝『音楽は自由にする』の類書といえるが、あの本よりもずっと評論寄りの内容だ。自伝的な内容は第3章だけで、ほかはアレンジ論、音楽論なのだ。

 初の著書だから書きたいことが溜まっていたのか、いろんな要素を盛り込みすぎの観もある。次のように――。

 第1章は寺尾聰、大滝詠一、福山雅治との共同作業を例に、アレンジャーの仕事について明かした“アレンジャー講座”ともいうべき内容。アレンジャーを目指す人はもちろん、音楽で食っていくことを目指している人なら、参考になる記述が山盛りだろう。

 また、アレンジャーにかぎらず、クリエイティブな作業をする際の極意を明かした「仕事術」本のような部分もある。
 たとえば、周囲のアレンジャーやプロデューサーが洋楽ヒットチャートの最新動向を追うのに血眼になっていた様子を紹介したうえで、井上は次のように流行に対するスタンスを語る。

 相手はどんどん変化していく「流行という現象」です。常にキャッチアップしていくことなど不可能に思えましたし、延々と模倣をしていくことは、その是非以前に僕にとっては面倒くさくて楽しくなさそうな方法にしか感じられませんでした。
(中略)
 新しいものに興味を持たないで良い、と言っているのではありません。しかし、チャートを追いかけてみても、実は既に賞味期限切れ寸前のアイデアなわけですから、一瞬は通用する力学を見つけられたとしても、長い間通用する力学ではないことがほとんどなのです。
 一過的な新しさを求めた知識は、浅い使い方しかできないのではないかと僕は考えています。手本とする例の数が少なくても、時代を超えるだけの内容がその中にあれば、そこから自分も長期間その教えを使いこなせる、その方がコストパフォーマンスが高いと思うのです。
 むしろ新しさという意味合いで、僕が知らなかった素敵な音楽を教えてくれたのは、デザイナーや映像関係のクリエイターたちでした。彼らのアンテナはヒットチャートという尺度(メジャー)ではなく、映像的な世界観や海外のトレンドとの関係で色々なアートを測っていたのです。すぐに仕事に役立つ、という基準も音楽業界の見ている方向とは違うことも多かったと思います。ですから、ファッション関係の情報、特にダンスや映画の情報を見ている中に散見する音楽関係の情報は見逃さないように気をつけていました。



 これは、あらゆる分野のクリエイターに“流行への身の処し方”を教えてくれる一節だと思う。

 かと思えば、愛する音楽について熱く綴った音楽エッセイ的な部分もあり、日本社会の音楽状況についての提言もある。そして何より、音楽にかぎらない射程の深い芸術論としても、読みごたえのある一書でもある。

 ……と、そのように、よく言えば多彩、悪く言えばまとまりのない本なのだ。

 私自身は、それらの多彩な内容をすべて面白く読んだ。
 リスナーとしての音楽遍歴を振り返った章では、フランク・ザッパやイエス、ウェザー・リポートなどの音楽の魅力を綴っているのだが、それらの文章は、第一線の音楽家ならではの深みのある音楽論になっている。

 「分数コード」とか「微分音程」とか、専門的な用語も頻出して、そのへんは私にはよくわからないのだが、一部の用語の意味がわからなくても、音楽好きなら楽しめる本だ。

 そもそも、本書を手に取るのは井上鑑の音楽が好きな人だろうし、そういう人にとっては、作品の舞台裏が垣間見られるだけでも十分に面白い。

 一つだけ文句を言うなら、井上鑑夫人・やまがたすみこについての言及がただの一行もないのにはガッカリした。
 なれそめから書けとは言わないが、長年連れ添った伴侶であり、音楽づくりの仲間でもあるやまがたについて、少しは触れてもよかったのではないか。彼女のファンの中にはそこを期待して本書を手に取る人もいるだろうし……。

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阿川佐和子『聞く力』


聞く力―心をひらく35のヒント (文春新書)聞く力―心をひらく35のヒント (文春新書)
(2012/01)
阿川 佐和子

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 阿川佐和子著『聞く力――心をひらく35のヒント』(文春新書/840円)読了。

 インタビュアーとしての豊富な経験をふまえ、人から話を聞き出すコツをあれこれ綴った一冊。1993年に始まり、すでに900回を超えた『週刊文春』の人気連載「阿川佐和子のこの人に会いたい」の舞台裏を中心に構成されている。

 各界著名人へのインタビューをめぐるエピソードが、矢継ぎ早に登場する。しかも、著者の語り口は一貫して軽やかなユーモアに満ちているので、読み物として面白い。阿川佐和子のエッセイのファンなら、本書も楽しめるだろう。

 だが、インタビューのコツを読者に教える実用書としては、あまり役に立つとは言えない。実践的なインタビュー入門としては、ベテラン・ライター永江朗の『インタビュー術!』あたりのほうが、はるかに有益だ。

■関連エントリ→ 永江朗『インタビュー術!』レビュー

 てゆーか、そもそも著者は実用書にしようと思って書いてはいないのではないか。実用性より話の面白さをつねに重視している印象なのだ。

 それでも、いくつか参考になる点はあった。
 たとえば、インタビュイーが取材テーマから脱線した話を延々とつづける場合の、話の戻し方のコツ。

 お相手が一気呵成に話しているのを、どうにも止められないと思ったら、とりあえず話の流れを耳に入れます。そろそろその話にピリオドが打たれそうな気配を感じた頃合に、ちょうどその頃合に人間は誰でも息継ぎをします。出した息を吸い込まなければならない。その短い瞬間を狙って、



 ――“息継ぎの合間を狙って脱線を戻す”というのである。これは、なるほどと思った。

 “事前の準備は大事だが、準備してきたことにとらわれすぎてはいけない”という話が、形を変えて何度も出てくる。
 インタビューはつねに「生もの」であり、予想と違う展開になることもしばしばであるし、そのほうが結果的によいインタビューになることが多い。それなのに、本番での話の流れを無視して、用意してきた質問(つまり、事前に予想した流れ)をこなすことばかりに汲々としていては本末転倒だ、との趣旨である。
 これも、私自身の経験に照らしてそのとおりだと思う。

 また、著者の言う「『段取りだけにとらわれて、話の内容に心が向いていない』下手なインタビュー」というのは、むしろインタビュアーとしてそこそこの経験を積んだ者こそが陥りがちな「惰性」であろう。著者の次のような述懐を、私も肝に銘じたい。

 ときどき、自分で質問しておきながら、心のなかで「あー、いかんいかん。段取りをこなしているぞ」と思うことがあります。そういう場合は気を引き締めて、時系列に質問しながらも、どこかに面白いものが転がっていないかを吟味するのです。



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宝彩有菜『始めよう。瞑想』


始めよう。瞑想―15分でできるココロとアタマのストレッチ (光文社知恵の森文庫)始めよう。瞑想―15分でできるココロとアタマのストレッチ (光文社知恵の森文庫)
(2007/08)
宝彩 有菜

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 宝彩有菜(ほうさい・ありな)著『始めよう。瞑想――15分でできるココロとカラダのストレッチ』(光文社知恵の森文庫/620円)読了。

 少し前に読んだ同じ著者の『楽しもう。瞑想』は、本書の続編というか応用編にあたる。読む順番が逆になってしまった。本来はこっちから読むべきなのである。

 『楽しもう。瞑想』がそうであったように、本書も平明な瞑想入門としてよくできている。
 ただ、著者は瞑想から宗教的色彩を削ぎ落とし、「ココロとカラダのストレッチ」として読者に提示しているので、宗教的深みや厳密な科学的解説などを本書に求めても肩透かしを食う。そういうものが読みたければほかにいくらでも専門書があるのだし……。

 とにかく説明がわかりやすい。わかりやすさが本書の最大の美点といってもよい。
 たとえば、瞑想に腹式呼吸が不可欠である理由を、著者は次のように説明する。

 頭は、手足等の筋肉(「随意筋」)を動かすための「思考(=随意筋作動思考)」もしています。随意筋を動かし続けていると、随意筋作動思考が止まりません。頭は静かになりません。
 この「思考」をなくすには、すべての随意筋の動きを止めれば良いわけです。(中略)
 日常、私たちは随意筋による呼吸(=胸式呼吸)で生活していますが、瞑想するときは、随意筋の使用が最も少ない呼吸(=腹式呼吸)に切り替えます。



 また、瞑想中に「印」を結ぶ(=親指と人差し指で輪っかを作る)理由について、著者は次のように説明する。

 これは瞑想中に睡眠に陥りそうになるのを防ぐ工夫として開発されたものですが、長い歴史の間にその意味が分からなくなったのだと思います。



 著者の説明は、このように明快で納得のいくものばかりである。

 瞑想中に浮かぶ雑念をいかに払うかについてのコツも、雑念の種類ごとに(!)紹介されている。瞑想入門であると同時に、雑念を払い、心を研ぎ澄ますためのヒント集としても読める本だ。

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池澤夏樹『春を恨んだりはしない』


春を恨んだりはしない - 震災をめぐって考えたこと春を恨んだりはしない - 震災をめぐって考えたこと
(2011/09/08)
池澤 夏樹

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 池澤夏樹著『春を恨んだりはしない――震災をめぐって考えたこと』(中央公論新社/1260円)読了。

 東日本大震災発生からの、約5ヶ月間にわたる思索を綴ったエッセイ集。
 9編のエッセイを収めている。正味120ページほどの薄い本で、写真のページも多い(鷲尾和彦という人が被災地を撮ったモノクロ写真で、静謐な印象でとてもいい)ので、すぐに読み終わる。

 エッセイの中身は玉石混交。何編かは、3・11後に身近で起きたことを感傷的に書き連ねただけの駄文に終わっている。我が国一級の知識人である池澤ともあろうものが、震災をめぐってこんなことしか考えなかったのか、と嘆息させられる。

 もっとも、あとがきに「書かなければならないことがたくさんあるはずなのに、いざ書き始めてみるとなかなか文章が出てこない」と当時の心境が記されているとおり、言葉のプロさえもが言葉を失い、何を書いたらいいのか途方に暮れるほどの大惨事だった、ということでもあろう。

 それでも、いいエッセイもあり、心に残る一節もある。
 とりわけ素晴らしいのは、「昔、原発というものがあった」という一編。これは、元々は『脱原発社会を創る30人の提言』という本のために書かれたもので、脱原発を目指す立場を旗幟鮮明にした文明論的エッセイ。
 大学で物理学を学んだ“理系の小説家”である著者が、豊富な科学的知見を活かし、脱原発(=再生可能エネルギーへの転換)への道筋を冷静に、かつ詩的に展望している。脱原発を主張する文章にありがちな声高な調子、エキセントリックな印象がないのがいい。

 表題作「春を恨んだりはしない」も、震災で亡くなった人々を作家らしい視点から悼む名文だ。タイトルは、ポーランドの女流詩人ヴィスワヴァ・シンボルスカ(96年にノーベル文学賞受賞)が、夫を亡くした直後に作った詩「眺めとの別れ」の次の一節から。

またやって来たからといって
春を恨んだりはしない
例年のように自分の義務を果たしているからといって
春を責めたりはしない

わかっている わたしがいくら悲しくても
そのせいで緑の萌えるのが止まったりはしないと(沼野充義訳/詩集『終わりと始まり』所収)



 この一節が「震災以来ずっと頭の中で響いている」という著者は、つづいて日本の古歌「深草の野辺の桜し心あらば今年ばかりは墨染めに咲け」を引き、最後に文章を次のように結ぶのだ。

 来年の春、我々はまた桜に話し掛けるはずだ、もう春を恨んだりはしないと。今年はもう墨染めの色ではなくいつもの明るい色で咲いてもいいと。



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夏原武『震災ビジネスの闇』


震災ビジネスの闇 (宝島SUGOI文庫)震災ビジネスの闇 (宝島SUGOI文庫)
(2011/12/06)
夏原 武

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 夏原武著『震災ビジネスの闇』(宝島SUGOI文庫/590円)読了。

 劇画『クロサギ』の原作者である著者が、東日本大震災後にはびこるさまざまな詐欺の手口を、当事者たちへの取材(騙された側、騙した側の双方に取材している)に基づいて紹介した本。

 大震災関連書の多くが人々の善意と美談に満ちているのとは対照的に、本書には人間のダークサイド、悪意が凝縮されている。

 震災で出た大量の瓦礫や廃材を違法な形で金に変える悪徳業者、放射能への恐怖を利用して高額商品を売りつける詐欺商法、被災者の弱い立場につけこんだ「転居ビジネス」や「斡旋ビジネス」(という名の詐欺)などなど……。
 「よくこれだけ多様な悪事を考えつくもんだなあ」と嘆息してしまうような手口のオンパレード。「浜の真砂は尽きるとも、世に詐欺師の種は尽きまじ」だ。

 文章は粗雑だし、カバーの惹句にあるような「渾身のルポ!」とは言いがたいが、さすがに『クロサギ』の原作者だけあって詐欺には精通しており、“震災をめぐる裏ビジネスのショーケース”としてよくできている。

 テーマがテーマだけに「面白かった」と言っては語弊があるが、「悪人というのはこんなふうに人の弱みにつけ込み、人の善意を利用するんだなあ」と、思わず舌を巻くくだりが随所にある。たとえば――。

 復興資金を狙った詐欺師のなかには、被災地へと住民票を移すような人間も出てきている。むろんのこと、大規模災害を受けた場所ではないものの、被災地には違いないわけだし、なにより、地元の人間であるとしたほうが動きやすいという。



 そのように「被災者の仮面」をかぶって詐欺をする連中がいる一方、被災者の中にさえ、その立場を利用して悪事を働く輩がいるという。

 被災地にいる人間すべてが善人だというのは、あまりに甘い考えだろう。日本の他の場所と同じ割合で悪人だっているはずだ。



 逆に、「被災地にボランティアに行く人間はみんな善人だ」という思い込みも危険だ。本書によれば、「ボランティア詐欺」も頻発しているという。
 たとえば、いかにもボランティア風な風体で被災者宅を訪問し、「瓦礫の片づけを手伝いましょう」などと話を持ちかけ、片付け終えてから料金を請求する、という手口だ(「手伝いましょう」とは言っても「タダです」とは言わないのがミソ)。
 それだけなら、実際に片づけ作業もするわけだから詐欺としてはまだ罪が浅いが、片付けをする際に家の隅々まで物色し、さらなる詐欺のネタを探す輩もいるのだという。

 世の中には、人の弱みにつけこんで金を騙しとることになんの痛痒も覚えない根っからの悪党がいる。そうした連中にとっては、大震災すら巨大な“ビジネス・チャンス”なのである。

 読んでいると人間不信に陥りそうな本だが、汗牛充棟の震災関連書の中に、一冊くらいこういう本があることも有意義であろう。

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衛藤利恵『French Connection』


French ConnectionFrench Connection
(1998/06/03)
衛藤利恵

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 今日は、モスバーガーの会社「モスフードサービス」の社長さんを取材。大崎駅前の本社にて。
 20年ぶりくらいに降りた大崎駅前に、巨大ビルが立ち並んでいたのでビックリ。昔は山手線屈指の地味な駅で、駅前に何もないところだったのに……。

 忙しぶるわけではないが、ゴールデンウイーク中もずっと仕事である。このあと6日、7日にも取材があるし、今日と明日にも〆切が1本ずつ。〆切が過ぎている原稿も2本(すみません)。


 衛藤利恵の1998年のアルバム『French Connection』を、中古で購入。

 私は最近このシンガー・ソングライターを好きになったのだが、彼女はここ12年ほど新作を出しておらず、アーティストとしてはすでに第一線を退いているようだ(現在はナレーターなどとして活躍)。

 本作は、フランス各地を旅するイメージで作られたコンセプト・アルバム。ほんのりフレンチ・ポップ色が加えられてはいるが、大貫妙子のヨーロピアン路線ほどフレンチ色濃厚ではなく、基本的にはそれまでの衛藤利恵の延長線上にある音。

 前にやはり中古で手に入れた『Love can smooth the way』(1997年)や『6months 11dreams』(1996年)は、いずれも素晴らしいアルバムだった(→当ブログのレビュー)。本作もけっして悪い出来ではないのだが、大傑作だった『Love can smooth the way』に比べると、全体的な完成度は一段落ちるかな。

 それでも、すごくいい曲がいくつかある。
 とくに、「ナントの太陽」「Old & NEW,St.Etienne」「サンドニで下車」「リヨンの夜」の4曲はいずれも、歌詞・曲・アレンジ・ヴォーカルのどこをとっても最高の出来。
 歌詞の随所にフランス語がちりばめられているのだが、マルチリンガルの才媛である衛藤利恵はフランス語で歌ってもバツグンだ。適度に甘く、それでいて理知的な歌声に陶然となる。大人の鑑賞に堪える上質なポップスだ。

 それに、ジャケットやライナーに載った衛藤利恵の写真はどれも美しく(まつげ、長っ!)、聴きながら眺めるだけで幸せな気分になれるし。

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Profile 

前原政之 
イラスト/ジョージマ・ヒトシ

前原政之(まえはら・まさゆき)
1964年3月16日、栃木県生まれ。53歳。
1年のみの編プロ勤務(ライターとして)を経て、87年、23歳でフリーに。フリーライター歴30年。
東京・立川市在住。妻、娘、息子の4人家族。

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●「mm(ミリメートル)」は、私のイニシャル「MM」のもじりです。

●私の大好きなギタリスト・渡辺香津美氏は、ご自身のイニシャル「KW」をもじった「KW(キロワット)」を、公式サイトのタイトルにしておられます(同名のアルバムもあり)。それにあやかったというわけです。

●あと、「1日に1ミリメートルずつでもいいから、前進しよう」という思いもこめられています(こじつけっぽいなあ)。

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