土岐麻子『BEST! 2004-2011』ほか


BEST! 2004-2011BEST! 2004-2011
(2011/12/14)
土岐麻子

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 以前からのファンにとっては「何をいまさら」だろうが、遅ればせながら土岐麻子にハマった。

 私が土岐麻子の曲を初めて聴いたのは、キリンジのセルフカヴァー集『SONGBOOK』(2011)においてである。堀込高樹が曲を書いた彼女の「ロマンチック」が、その中に収録されていたのだ。



 で、このたび『BEST! 2004-2011』と彼女がソロになる前に所属していたシンバルズのベスト盤『Anthology』を入手して聴いてみたら、2つともいい曲が目白押しで、すっかりヘビロ中。

 若さいっぱいの音がきらきらはじけるシンバルズ時代もいいけど、ソロになってからの、ジャズの薫りがほんのり漂うシティポップ路線のほうが、私は気に入った。

 「癒し系」という言葉はすっかり手垢にまみれてしまったが、それでも、土岐麻子のヴォーカルを聴くと「癒し」という言葉を思い浮かべずにはいられない。なんと柔らかい声なのかと思う。尖ったところが微塵もない。

 あともう少し声が高くなったり媚を帯びたりすれば、男には好かれても同性には疎まれるタイプの声になるだろう。ぎりぎりのところで踏みとどまって、誰からも愛される歌声になっていると思う。

 ジャズサックス奏者・土岐英史の娘さんなのだそうだ。
 山下達郎の名作ライヴアルバム『イッツ・ア・ポッピン・タイム』で、「ヒアズ・ザ・サックス、トキィヒデフミー!」と紹介されるあの人である。
 ジャズにかぎらず、フュージョン、ロック、J-POPまで幅広いジャンルで活躍してきた人だが、その軌跡が娘の音楽にもそのまま活かされている気がする(彼女のソロデビューアルバムは父との共同プロデュース)。

 土岐麻子自身が詞を書いているオリジナルもいいし、ジャズなどの名曲をポップにアレンジしたカヴァー曲もよい。

 この『BEST! 2004-2011』のジャケットは、土岐麻子が描いた自画像らしい。ちょっとデフォルメしすぎ。本人のほうがキレイでカワイイ。



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柳内大樹『軍艦少年』


軍艦少年(1) (ヤンマガKCスペシャル)軍艦少年(1) (ヤンマガKCスペシャル)
(2013/01/04)
柳内 大樹

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 柳内大樹(やなうち・だいじゅ)の『軍艦少年』(ヤンマガKCスペシャル)全2巻を読んだ。

 ヤンマガに連載されたヤンキー系マンガ。本来なら、私にとってはいちばん縁遠い世界である(趣味嗜好の上でも、実生活上も)。
 しかしこの作品は、作家の深町秋生が連載コラム「コミックストリート」で絶賛していたのを読んで、「お、なんかよさげだな」と思ったのだ。で、アマゾンでポチってみたしだい。

 読んでみたら、けっこうよかった。

 主人公は、最愛の母の死をきっかけに荒れまくり、ケンカばかりしている高校生。したがってヤンキー系マンガには違いないのだが、この手のマンガにはあまり見られない哀切さに満ちている。ヤンマガに載るヤンキー・マンガより、むしろ少女マンガに登場するヤンキー/不良に近いテイスト。たとえば、紡木たくの『ホットロード』とか、吉田秋生の『河よりも長くゆるやかに』あたりを彷彿とさせる。

 なぜタイトルが『軍艦少年』なのかというと、軍艦島(正式名称は端島)にほど近い長崎の沿岸部が舞台で、なおかつ軍艦島が重要な役割を果たすから。
 主人公の少年の両親は、いまは無人島と化した軍艦島で生まれ育った、という設定なのである。

 妻/母の死によって「生きる意味」を見失った父と子が、紆余曲折を経て再生していくまでの、荒々しくも美しい物語。
 まあ、クサイといえばクサイし、ベタといえば思いっきりベタな話ではある。しかし、絵柄もストーリーもストレートで力強く、読む者の心にグイグイと迫ってくるため、クサさやベタさがまったく気にならない。

 ヤンキー系マンガの枠を超えた、正統派青春マンガの佳編だと思う。

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町山智浩『本当はこんな歌』


本当はこんな歌本当はこんな歌
(2013/05/21)
町山智浩

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 昨日は、朝から確定申告の準備をし、午後に申告書を税務署に提出。
 〆切から2か月半遅れだが、去年は6月末に提出したから、今年はまだ早いほうだ。昨日まで申告書の封さえ開けなかったのは、我ながらどうかと思うけど。


 町山智浩著『本当はこんな歌』(アスキー・メディアワークス/1050円)読了。

 『週刊アスキー』連載の単行本化。映画のみならず音楽にも造詣の深い著者が、初めて出した音楽コラム集だ。

 1回につき1曲の洋楽ロックを取り上げ、歌詞の意味と歌の舞台裏を探っていくもの。
 作者であるアーティストのインタビューなどの資料を読み込み、曲に込められた真意を探っていく鮮やかな手際は、『映画の見方がわかる本』で名作映画の見事な謎解きをした手際と同じだ。

 本書の「はじめに」で、著者自身も次のように書いている。

 映画評論家としての著書『映画の見方がわかる本』や『トラウマ映画館』は思春期に観て衝撃を受けた映画を、大人になってから集められる限りの資料を基に腑分けしていく作業だったが、これはそのロック歌詞版です。



 私は、町山の著書では『映画の見方がわかる本』がいちばん好きだ。その「ロック歌詞版」(ただし、町山の思春期にあたる昔の曲のみならず、ごく最近の曲も俎上に載る)である本書も、当然のごとく面白かった。
 町山は映画評論家の枠を超え、当代を代表する優れた文筆家の一人だと私は思っているが、本書でその感をいっそう強くした。

 帯に大槻ケンヂが「英語できない身としては目からウロコの連続!」という推薦の辞を寄せているが、まったく同感。歌詞の意味がよくわからないまま聴いていた曲のほんとうの意味と舞台裏がわかって、いちいち目からウロコ。

 スマッシング・パンプキンズの「ディスアーム」が、ビリー・コーガンの凄絶な少年時代を歌った曲だとは知らなかった。
 フィル・コリンズの「夜の囁き」に、自分を裏切った元妻への激しい怒りが秘められていたとは知らなかった。
 ザ・フーの「フー・アー・ユー」が、ピート・タウンゼントが酔っぱらってセックス・ピストルズの面々に説教したことを元にしているとは知らなかった。
 カーリー・サイモンの「うつろな愛」の冒頭で、カーリーがボソッとつぶやく言葉が「Son of a gun(あんちくしょう)」なのだとは知らなかった。
 ……そんな具合で、まさに「目からウロコの連続!」なのである。 
 
 最近は音楽好きでも洋楽をまったく聴かない人が多いらしいが、洋楽ロックが好きな人なら間違いなく楽しめる本。180ページに満たない薄い本だが、内容は濃密だ。

 欧米のロック・アーティストの多くが、想像以上に重い社会的メッセージを曲に込めていることがわかって、驚かされた。それにひきかえ、日本のロックの多くは歌詞がなんと空疎であることか。

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稲田修一『ビッグデータがビジネスを変える』


ビッグデータがビジネスを変える (アスキー新書)ビッグデータがビジネスを変える (アスキー新書)
(2012/12/10)
稲田修一

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 稲田修一著『ビッグデータがビジネスを変える』(アスキー新書/780円)読了。

 「ビッグデータについての入門書を何か1冊読んでおきたい」と思って手を伸ばしたもの。本書を選んだのは当たりで、なかなか良質な入門書であった。

 書名のとおり、ビッグデータがビジネスに与えるインパクトに的を絞った内容。企業などがビッグデータを活用している事例が多数紹介されており、それを読むだけでも話のネタとして面白い。

 また、ビッグデータがいかにこれからの社会を変えていくかという予測(たとえば、教育も医療も公共サービスも、ビッグデータの利活用によって大きく変わると著者は言う)など、大局的な展望も過不足なくなされている。

 次の一節が印象的だ。

 情報通信技術が業務の効率化やコスト削減のための道具であった時代はもう終わりました。現在は、ビッグデータの活用が付加価値や新しい製品、サービスを創造する時代です。ビッグデータの活用が社会的課題を解決する時代なのです。



 なお、ビッグデータの利活用については、日本はIT先進諸国(アメリカ、インドなど)に大きく遅れをとっているそうだ。
 それにはいくつかの背景要因があるが、とくに「ビッグデータの取り扱い技術やデータマイニング手法がわかる人材」の不足、プライバシー問題(ビッグデータの活用はプライパシー侵害と表裏一体)への対応の遅れが挙げられるという。

 読んでいてしみじみ感じたのは、「これからはますます理系の時代だなあ」ということ。
 ビッグデータの利活用によってさまざまな問題の最適解が出てしまうとすれば、1人の知識・経験の集積による直観で答えを出していた評論家など、これからは必要性が薄れていくだろう。とくに経済評論家などは。
 逆に言えば、ビッグデータでも答えの出ない問いに答えられるような論者だけが、これからは生き残れるということか。

 隴を得て蜀を望むたぐいの難を一つ。
 本書はビッグデータの負の側面(当然あるはず)にまったく触れておらず、“これからはビッグデータで世の中バラ色!”的な楽観論に終始している。そこがちと物足りない。まあ、それは本の性質上仕方ないのだろうが……。

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権徹『歌舞伎町』


歌舞伎町歌舞伎町
(2013/02/08)
権 徹

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 権徹(ゴン・チョル)著『歌舞伎町』(扶桑社/1995円)読了。

 著者は、過去16年にわたって新宿歌舞伎町をホームグラウンドとしてきたドキュメンタリー写真家。以前にも『歌舞伎町のこころちゃん』という好写真集を出している。
 本書は、著者が歌舞伎町回りの集大成としてまとめたフォト・ルポルタージュ集。オールカラー256ページにわたって、1990年代後半から現在までの歌舞伎町のさまざまな顔が映し出されている。

 著者は狭い歌舞伎町を、ほかの仕事がないかぎりは週6日・1日3万歩も歩き回り、数々の決定的瞬間をとらえてきた(元は韓国海兵隊でスナイパーをしていたという著者は、銃をカメラに持ち替えた「歌舞伎町スナイパー」と呼ばれているのだそうだ)。

 まるで映画の一場面のようなすごい写真が目白押しだ。
 たとえば、ヤクザと黒人がそれぞれ自転車と椅子を振り上げて乱闘する場面。
 麻薬の売人が警察から逃げ、取り押さえられるまでの逃走シーン。
 ただの食い逃げ犯を捕まえた数人の警察官が、靴で顔を踏みつけたり、髪の毛を引っぱったりする過剰行為をした瞬間。

 いちばん目を引くのはその手の「事件もの」だが、ほかにも、ほのぼのする写真、女たちの艶やかな姿をとらえた色っぽい写真など、多彩な作品がぎっしり詰め込まれている。

 うっとりするほど美しい写真も多い。とくに、歌舞伎町の夜を俯瞰でとらえた一連の写真は、ぎらぎらした猥雑さと静謐な美しさが同居していて、素晴らしい。
 ちなみに、カバーに使われているのは新宿コマ劇場の最終公演(2008年末)を写した写真なのだが、北島三郎の公演がまるで『未知との遭遇』のワンシーンのように撮られていて、なんとも不思議な味わいだ。

 土地柄、ヤクザに怒鳴られてカメラを壊されたり、援交少女を注意して逆に警察に通報されたり(少女が「パンチラを撮られた」と嘘をついた)と、危ない目にもずいぶん遭っている著者。それでも、フォト・ジャーナリストとしての矜持を保ち、どんな場面でも毅然とふるまう姿がすがすがしい。

■参考→ ドキュメンタリー写真家 権徹(著者のサイト。本書所収の写真の一部が見られる)

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ハンブル・パイ『Definitive Collection』


Definitive CollectionDefinitive Collection
(2006/08/29)
Humble Pie

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 むしょうにハンブル・パイが聴きたくなって、『Definitive Collection』を輸入盤で購入。

 初期から後期までの曲がまんべんなくセレクトされた、全17曲のベスト。彼らのベスト盤はほかにもたくさん出ているが、これはかなり上出来の部類だと思う。新品が約1000円は安い。

 1970年代後半にスーパースターとなるピーター・フランプトンが在籍していたことで知られるバンドだが、フランプトンが在籍したのは69年から71年までの3年間のみであり、後半はスティーヴ・マリオット主導のバンドとなる。

 このベスト盤も、前半はフランプトン/マリオットの双頭体制時代の曲が並び、後半にはマリオット主導時代の曲が並んでいる。
 個人的には、前半の双頭体制時代の曲のほうが断然好きだ。

 基本的にはブルース・べースのハードロック・バンドであったハンブル・パイだが、フランプトンがいたころの彼らは黒人音楽一辺倒ではなく、独自の甘いポップ感覚と英国的な陰影が隠し味となっていた。それはおもにフランプトンが担っていた部分で、マリオットのもつソウルフルな「黒さ」「熱さ」とせめぎ合うことで極上のケミストリーが生じ、誰にも真似できない味わいになっていたのである。

 だが、フランプトンが脱退し、マリオットのバンドとなってからのハンブル・パイは、あまりにもストレートに黒人音楽志向を前面に出したがゆえに、ポップな甘さ・陰影との「せめぎ合いの魅力」を失ってしまったと思う。

 もちろん、それは私の主観であり、「ハンブル・パイは、なんたって後期の真っ黒い音がサイコーだ!」という人が多いことも重々承知している。

 ともあれ、このベスト盤は捨て曲なしの好ベストであり、フリーやロリー・ギャラガーあたりが好きな人なら絶対気に入ると思う。フリーやギャラガーほど渋くはなく、もう少しポップな音である。


↑のちのメガヒット・アルバム『フランプトン・カムズ・アライヴ!』でも再演した名曲「シャイン・オン」。これぞ私にとってのハンブル・パイ。

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古川美穂『ギャンブル大国ニッポン』


ギャンブル大国ニッポン (岩波ブックレット)ギャンブル大国ニッポン (岩波ブックレット)
(2013/02/07)
古川 美穂

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 古川美穂著『ギャンブル大国ニッポン』(岩波ブックレット/525円)読了。

 タイトルと中身に齟齬がある。内容の過半は東日本大震災の被災地におけるパチンコ依存の話であり、残りも「復興カジノ構想」をめぐる話なのだから。

 タイトルはともかく、中身は素晴らしい。関係各方面に丹念な取材を行った良質なルポルタージュになっている。

 東北の被災地でパチンコ依存が広がりつつある現状の報告は、衝撃的だ。
 津波ですべてを失い、絶望にとらわれた被災者が、ふさぐ気分をまぎらすためにパチンコに行き、ハマってしまう。あるいは、狭い仮設住宅に居場所のない男たちが、「パチンコにでも行くしかない」と通いつめるようになり、ハマッてしまう。そんなケースが多く見られるというのだ。
 被災者たちに支払われる補償金・義援金・亡くなった家族の生命保険金・東電からの賠償金などが、パチンコに使われてしまう。そのことを一概に非難するわけにはいかないにせよ、なんとも悲しい話ではある。

 仮設住宅のすぐ近くに、複数のパチンコ店が建つ地区もある。中には仮設住宅がパチンコ店に隣接し、まるで一体の施設であるかのように見えるケースもあるという。

 「これが深刻な依存症問題として社会的に表に出てくるのは、お金が尽きて問題が出始める頃、おそらくこれから何年か後のことになるでしょう」と、地元で依存症を専門に扱う病院の職員はコメントしている。

 前に読んだ帚木蓬生の『やめられない――ギャンブル地獄からの生還』で知ったことだが、日本のギャンブル依存は大半が「パチンコ依存」だから、本書がおもにパチンコ問題を扱っているのは当然である。帚木は、本書にも取材相手の一人として登場している。

 最後の章で扱われる「復興カジノ構想」とは、石原慎太郎や橋下徹などが熱心に推進してきた「日本にカジノを作ろう」という構想を、震災からの復興にからめて実現しようとするもの。
 津波をかぶって価値を失った東北沿岸部の広大な農地にカジノを作り、収益を復興財源に回そうという、一見もっともらしい構想である。

 本書で紹介されている橋下徹の発言がなんともアレなので、メモ代わりに引用。

「日本はギャンブルを遠ざけるゆえ、坊ちゃんの国になった。小さい頃からギャンブルをしっかり積み重ね、全国民を勝負師にするためにも、カジノ法案を通してください」(2010年10月、「ギャンブリング*ゲーミング学会」総会でのあいさつから)



 先進諸国のうちで飛び抜けてギャンブル依存症が多く(※)、すでに「ギャンブル大国」である日本に、さらにカジノを持ち込んでどうしようというのか。
 ましてや、すでにパチンコ依存が増加傾向にある東北の被災地にカジノなど作ったら、ギャンブル依存の種が増えるだけではないか。

 本書の終盤にある次の一節に、強い印象を受けた。

 何もかも失った被災者が、仮設住宅に隣接するパチンコ店に通いつめ、のめり込む。まっとうな復旧を待つ被災者が、地元目線ではない「復興カジノ」に振り回される。
 取材していて何度も、ギャンブルと原発問題はどこか似ていると感じた。
 誰もが内心その危険性を認めながらも、積極的な対策を打たないできた。産業の膨大な利権を政治家や警察が守る。多くの学者や専門家は現実から目をそらす。スポンサーにおもねたマスコミは真実を伝えない。そして最終的に、人の命や暮らしよりも、常に経済効果が優先されるということも。


 
 ブックレットだから文章量は少ないが、ヘタな単行本より充実した読後感を味わえる好著。

※厚労省が2010年に行った研究調査によれば、日本の病的賭博の推定有病率は、成人男性9・6%、女性が1・6%。病的賭博の有病率は、ほかの先進諸国では1・5~2・5%とされており、9・6%は飛び抜けて高い。

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瀧本哲史『僕は君たちに武器を配りたい』


僕は君たちに武器を配りたい僕は君たちに武器を配りたい
(2011/09/22)
瀧本 哲史

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 瀧本哲史著『僕は君たちに武器を配りたい』(講談社/1890円)読了。

 投資家で京大客員准教授の著者が、もうすぐ社会に出る、もしくは社会に出たての若者に向けて書いた、「非情で残酷な日本社会を生き抜くための『ゲリラ戦』のすすめ」である。

 これから社会がどう変わり、成功のためにどんな能力が求められるのかを解説した啓蒙的ビジネス書であり、前に読んだ『10年後に食える仕事、食えない仕事』(渡邉正裕)の類書といえる。
 ただし、『10年後に~』が具体的な職種・業界を挙げた内容だったのに対し、本書の提言はもっと大局的である。

 若者向けの本ではあるが、私のようなオッサンが読んでもなかなか蒙を啓かれる内容だ。ビジネス書としても上出来だし、興味深いエピソードが随所にちりばめられているため、読み物としても面白い。

 「はじめに」に、「本書は、一人の投資家である私がこれまでに実践してきた『投資家的生き方』のすすめである」とある。
 といっても、「いかにうまく株で儲けて金持ちになるか」を常に考えて生きろという意味ではない。「自分の時間と労力、そして才能を、何につぎ込めば」大きなリターンが得られるのかを、投資家が自分の財産を投資するような視点で真剣に考えて生きよ、ということなのだ。

 なぜ「ゲリラ戦」かというと、著者は“大企業に就職して、そこで定年まで勤めあげる”という従来の“戦い方”をはなから否定しているから。著者が京大で講じている「起業論」がベースになっているから当然なのだが、起業を目指す若者向けの内容になっている。

 この手の本では、「英語とITスキルと会計の知識を磨け」ということが定番的に説かれるわけだが、本書はそうした紋切り型に陥っておらず、好感がもてる。

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坪田一男『ごきげんな人は10年長生きできる』


ごきげんな人は10年長生きできる ポジティブ心理学入門 (文春新書 851)ごきげんな人は10年長生きできる ポジティブ心理学入門 (文春新書 851)
(2012/07/20)
坪田 一男

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 今日は、都内某所で来日中のロシア連邦サハ共和国「精神アカデミー」ご一行の取材(もちろん通訳を介して)。

 サハ共和国は、真冬には零下60度まで気温が下がるという極寒の地である。零下60度! 想像すらできない寒さだ。でも、ご一行のお顔立ちは日本人やモンゴル人にも近くて、親しみを覚えた。

 行き帰りの電車で、坪田一男著『ごきげんな人は10年長生きできる――ポジティブ心理学入門』(文春新書/756円)を読了。
 
 タイトルはやや軽薄な感じがして、「春山某の『脳内革命』みたいな疑似科学系健康本かな」という危惧を感じさせる。それに、「ポジティブ心理学入門」と銘打たれているわりに著者は心理学者ではなく、医師・アンチエイジング医学の研究者だし……。

 そんなわけで、あまり期待せずに買ったのだが、読んでみたらすごくよくできた本だった。

 著者によれば、アンチエイジング医学とポジティブ心理学には強い親和性があるという。
 著者がアンチエイジングの研究を通じて感じてきたことが、ポジティブ心理学のさまざまな研究を見ると、別の方向から裏付けられている気がして「我が意を得たり」と思うことが多いのだ、と。

 そんな実感をふまえ、アンチエイジング研究の観点からポジティブ心理学の成果を紹介したのが本書である。
 ポジティブ心理学では幅広い分野にわたる研究がなされているが、本書はそのうち、健康に関する研究がおもに紹介されている。高田明和の著書に『「病は気から」の科学』というのがあるが、本書も「病は気から」に科学のメスを入れたものといえよう。

 ポジティブ心理学の世界ではこれまでにこんな研究がされていて、こんな実験結果が出ていますよ……という手際よい紹介が、最初から最後までつづく。
 池谷裕二さんの著作には脳科学の最前線の手際よいガイドブックという側面があるが、本書もポジティブ心理学のオイシイところを凝縮したダイジェスト・ガイドという趣。

 後半は「実践! 幸せになる方法」というハウツー的な内容で、よくある健康本のような軽薄なテイストになってしまっている。そこがちょっと残念だが、全体としては上出来の本。ポジティブ心理学の面白さを知るために読む最初の1冊として、オススメできる。

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山崎亮『コミュニティデザイン』『コミュニティデザインの時代』


コミュニティデザイン―人がつながるしくみをつくるコミュニティデザイン―人がつながるしくみをつくる
(2011/04/22)
山崎 亮

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 山崎亮著『コミュニティデザイン――人がつながるしくみをつくる』(学芸出版社)、『コミュニティデザインの時代――自分たちで「まち」をつくる』(中公新書)読了。仕事の資料として読んだもの。

 著者は、ランドスケープデザイナーを経て、いまはコミュニティデザイナー。テレビの『情熱大陸』などでも取り上げられ、ある種の「時代の寵児」となっている人だ。



 「コミュニティデザイン」という言葉を、初めて知った。副題にもあるとおり、モノをデザインするのではなく、「人と人がつながる仕組みをつくる」仕事なのだそうだ。
 たとえば、過疎の島や限界集落に人を呼び込む仕掛けを考えたり、公園の来園者を増やすための仕組みをマネジメントしたり……。

 2冊のうち、『コミュニティデザイン』は、著者がこれまでに手がけたコミュニティデザインの事例集である。

 いっぽう、『コミュニティデザインの時代』のほうは、著者の仕事の背景にフォーカスしたもの。内容は、以下の4つのファクターから成る。

 1.“いまなぜコミュニティデザインが注目を浴びているのか?”という時代背景の説明
 2.“そもそも、コミュニティデザインとは何か?”という詳細な説明
 3.コミュニティデザインによって、町や場所、そこに住む人やかかわる人たちがどう変わったかという、具体的エピソードの紹介
 4.コミュニティデザインの仕事の進め方と、コミュニティデザイナーに求められる適性などの説明

 コミュニティデザインに興味がある向きは、2冊を併読するとよいと思う。

 私には、『コミュニティデザインの時代』のほうが面白かった。
 「コミュニティデザイン入門」として読める本だが、それ以上に、少子高齢化時代のまちづくりやコミュニティづくりのための有益なヒント集にもなっている。さらには、“暮らしの豊かさとは何か?”を問い直す問題提起の書でもある。

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ジャレド・ダイアモンド『昨日までの世界』


昨日までの世界(上)―文明の源流と人類の未来昨日までの世界(上)―文明の源流と人類の未来
(2013/02/26)
ジャレド・ダイアモンド



 ジャレド・ダイアモンド著、倉骨彰訳『昨日までの世界――文明の源流と人類の未来』(日本経済新聞出版社/上下各1995円)読了。書評用読書。

 ジャレド・ダイアモンドの文明論的ノンフィクション最新作。前作『文明崩壊』から7年ぶりの一般向け新著だ。
 帯に、マイケル・シャーマーという科学史家が次のような讃辞を寄せている。

 19世紀、ダーウィンは『種の起源』などの3部作で世界の歴史と自然に対する認識を一変させた。これから1世紀先の学者たちはジャレド・ダイアモンドの3部作――『銃・病原菌・鉄』『文明崩壊』『昨日までの世界』――に対し、ダーウィンの3部作と同等の評価を下すだろう。壮大なる本書は、世界の歴史と自然のみならず、人類の「種」としての運命も描いている。ジャレド・ダイアモンドは現代のダーウィンである。



 この評価が妥当なものか、それともヨイショしすぎなのかは判断しかねる。が、私にとっても、この3部作はいずれも知的興奮に満ちた第一級の作品であった。

 前2作が文明の曙以後の歴史をおもに扱っていたのに対し、本書は文明以前の原始社会・部族社会をおもに扱っている。
 タイトルは、“人類史的スケールで見れば、文明の曙は「つい昨日の出来事」みたいなものだから、文明以前は「昨日までの世界」だ”というほどの意味。
 本書は、「昨日までの世界」(文明以前の世界)と「今日の世界」(現代文明)をテーマごとに対比させ、人類が文明を築き上げることによって何を得、何を失ったのかを浮き彫りにしたものなのだ。

 歴史そのものを鷲づかみにするような壮大なスケールは、ダイアモンドの著作の最大の特長である。本作も、スケールにおいては前2作以上といえる。

 ただ、本としての密度は前2作より一段落ちる印象を受けた。3部作すべて、邦訳版は上下2巻組だが、本作はよけいな枝葉を削って1冊にまとめるべきではなかったか。

 たとえば、第3章ではニューギニア高地に住むダニ族の「戦争」(部族間闘争)の模様が延々と描写されるのだが、冗長だと感じた。「ダニ族の戦闘にはかくかくしかじかな特徴がある」と、数行にまとめればすむ話である。本書は学術書ではなく一般書なのだから……。我々一般読者にとって、ダニ族の闘い方をこと細かに知ったところで、なんの意味もない。

 東大教授の佐倉統が『日本経済新聞』で本書を書評していて、その中で「正直なところ、ダイジェスト版が欲しいと思った」と書いていたが、私もそう思った。本書の場合、上下あわせて約800ページは長すぎる。

 が、途中に冗長さがあるとはいえ、本書もじつに面白い本ではある。

 各章では戦争・個人間の紛争解決・子育て・高齢者への対応・宗教・食と健康などの普遍的テーマが取り上げられるのだが、それぞれ、独立した論考として高い価値をもつ内容になっている。
 たとえば、「高齢者への対応」がテーマとなった章は、人類史を鳥瞰して高齢者問題をとらえた類のない論考であり、これからの高齢化社会を考えるためのヒントがちりばめられている。

■関連エントリ→ ジャレド・ダイアモンド『文明崩壊』レビュー

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キャロル・S・ドゥエック『「やればできる!」の研究』


「やればできる!」の研究―能力を開花させるマインドセットの力「やればできる!」の研究―能力を開花させるマインドセットの力
(2008/10/27)
キャロル S.ドゥエック

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 キャロル・S・ドゥエック著、今西康子訳『「やればできる!」の研究――能力を開花させるマインドセットの力』(草思社/1890円)読了。

 このところ立てつづけに読んでいる、「ポジティブ心理学」関連書の一つ。
 著者は米スタンフォード大学の心理学教授で、「パーソナリティ、社会心理学、発達心理学の分野における世界的研究者の1人」(本書の著者略歴より)なのだそうだ。

 原題は「MINDSET」というシンプルなもの(「マインドセット」とは「心の志向性」「思考様式」のこと)。『「やればできる!」の研究』という邦題は、本書のテーマを的確に表現したよいタイトルだと思う。

 著者は、子どもを「学ぶことが大好きで、何にでも果敢に挑戦し、失敗してもめげずに努力する子」に育てるためには何が必要なのかを、長年研究してきた人。
 その研究の結果、子ども自身が「知能は持って生まれたもので、努力しても変わらない」と見る「固定的知能観」の持ち主か、それとも「知能は努力しだいで伸びていく」と見る「増大的知能観」の持ち主かによって、学習意欲や学習行動、成績に大きな差が生じることがわかったという。

 本書は著者の研究の成果を、教育のみならず人生万般に応用できるよう、間口を広げた一般書だ。

 「知能は持って生まれたもので、努力しても変わらない」と考える子どもは、やがて「人間の能力は固定的で変わらない」と考える大人になるだろう。著者はその思考様式を「こちこちマインドセット」(Fixed Mindset)と呼ぶ。

 「知能は努力しだいで伸びていく」と考える子どもは、やがて「人間の能力は努力しだいで伸ばすことができる」と考える大人になるだろう。著者はその思考様式を「しなやかマインドセット」(Growth Mindset)と呼ぶ。

 「こちこちマインドセット」の人は、失敗したときにそれ以上の努力をしようとはなかなか思えない。そして、自分に対する他人の評価をいつも気にしている。

 逆に、「しなやかマインドセット」の人は、失敗したときにも粘り強く努力をつづけることができ、他人の評価よりも自分の能力を伸ばすことに関心を向ける。

 しなやかなマインドセットの根底にあるのは、「人は変われる」という信念である。



 そのようなマインドセットの違いは、年月を重ねるほど、あらゆる面で能力の差異となって現れる。それが、ひいては人生の幸・不幸を大きく分かつことにもなるのだ。

 著者のいう2つのマインドセットは、ポジティブ心理学の創始者マーティン・セリグマンのいう楽観主義と悲観主義という2つの認知スタイルによく似ている。
 セリグマンは「楽観主義はトレーニングで習得できる」と喝破したが、著者も“マインドセットは固定的ではなく、努力によって変えられる”とする。つまり、誰もが「しなやかマインドセット」を身につけ、よりよく生きられるようになるのだ、と。

 本書には、「しなやかマインドセット」を会得するためのコツもさまざま紹介されている。
 ただし、次の一節が示すとおり、それはたやすいことではないようだ。

 人のマインドセットは、小手先のテクニックで変えられるようなものではない。マインドセットが変化するということは、ものごとの見方が根底から変化することなのだ。



 著者が教育分野で長年研究してきた人だけに、本書でも教育における「しなやかマインドセット」の大切さについて、かなり紙数が割かれている。
 とくに、親や教育者の接し方しだいで子どものマインドセットが変わってくる、という話はたいへん有益だ。

 よく「子どもはホメて育てろ」というが、著者によれば、逆に「こちこちマインドセット」を助長する有害なホメ方もあるという。
 たとえば、子どもの才能や頭のよさをホメると、むしろ努力・挑戦への意欲を削いでしまう。“能力は持って生まれた固定的なものだ”というメッセージを、子どもに伝えてしまうことになるからだ。

 何百人もの子どもたちを対象に、七回にわたる実験を行った結果はきわめて明快だった。頭の良さをほめると、学習意欲が損なわれ、ひいては成績も低下したのである。



 ホメるなら、子どもの努力や成長ぶりをホメるべきなのだ。

 本書を読んで思い出したのは、やはり米国の心理学者であるロバート・ワイスバーグが著した『創造性の研究――つくられた天才神話』(→当ブログのレビュー)だ。

 ワイスバーグは同書で、「天才は努力抜きで優れた創造性を発揮できる」という“神話”を否定している。
 古今の天才たちもゼロから創造を行ったのではなく、長い訓練と準備を経て才能を発揮したのであり、「天才性」の内実も優れた技術や記憶力などの集積にすぎない、と……。

 本書も、別の角度から天才神話を突き崩し、努力の大切さを改めて教えてくれる一冊だ。

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さそうあきら『ミュジコフィリア』


ミュジコフィリア(5) (アクションコミックス)ミュジコフィリア(5) (アクションコミックス)
(2013/01/28)
さそう あきら

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 仕事上の必要があって、さそうあきらの『ミュジコフィリア』(アクションコミックス)全5巻を購入し、一気読み。

 『神童』『マエストロ』につづく、さそうの音楽マンガ・シリーズ最新作。京都の架空の国立芸術大学を舞台に、「現代音楽研究会」の若者たちを描く青春群像劇である。

 現代音楽の世界を描いた青春マンガ! そんなの、さそうあきら以外の誰も思いつかないだろうし、思いついても描こうとはしないだろう。

 この作品は、現代音楽について門外漢の私が読んでも、ちゃんと面白いし感動もできる。そこが素晴らしい。
 主要登場人物はみんなキャラが立っているし、主人公・朔の成長を描くビルドゥングス・ロマンとしても、彼と2人の女性とのラブストーリーとしても深みがある。 
 
 「マンガで音楽をどう表現するか?」というテーマには、過去多くの優れたマンガ家が挑んできた(本格的な挑戦の嚆矢は、水野英子がロック・スターを描いた名作『ファイヤー!』あたりか。宮谷一彦のジャズ劇画「ラストステージ」も傑作だった)。
 その中にあって、さそうあきらによる音楽表現は、過去の類似作よりも一段高みにある印象を受ける。音楽をこんなふうにマンガで表現できるとは、さそう以前には思いもよらなかったのである。

 本作のキーフレーズとなっているのが、「未聴感」という言葉。
 元は湯浅譲二(現代音楽の著名な作曲家。この作品でも重要な登場人物となる)の造語らしいが、これが「聴いたことのないような斬新な音楽による感動」を表すとすれば、私は本作からも「未聴感」に近いものを感じた。聴いたことのない音楽が、ページの向こう側から聴こえてきたのだ。

 複数の賞に輝き、映画化もされた『神童』のほうが、作品としての完成度は高いかもしれない。が、マンガ表現の未踏域に踏み込むチャレンジ精神という点では、本作に軍配が上がるだろう。

 くわえて、“マンガで読む現代音楽入門”としても読める。少なくとも私は、本作を読んで現代音楽の敷居の高さが払拭され、「聴いてみようかな」という気になった。 

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みうらじゅん&リリー・フランキー『女体の森』


女体の森女体の森
(2012/12/13)
みうらじゅん、リリー・フランキー 他

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 みうらじゅん&リリー・フランキー著『女体の森』(扶桑社/1260円)読了。

 週刊『SPA!』の名物グラビア・ページ「グラビアン魂」の単行本化。
 といっても、グラビアがそのまま載った写真集ではない(「グラビアン魂」をまとめた写真集は別に出ている)。「グラビアン魂」に添えられた著者2人の対談部分を、厳選してまとめたもの。グラビアの写真は、ときどき小さくモノクロで紹介されるのみだ。

 連載開始から7年半、300人以上のグラドルについて、縦横に語り尽くした「知的エロトーク集」である。
 猥談というほどあからさまな話ではなく、もっとフェティッシュで妄想的でサブカル的な“エロ面白い”話が、速射砲のようにくり出される。

 読後に何も残らない、何のためにもならない本だが、それでもすごく面白い。
 ただ、この本を面白いと思えるのはたぶん男だけだろう(いや、中にはグラドル好きな女性もいるのかもしれないが)。
 気の置けない友人同士の酒席でエロ話が始まり、猥談には流れずにある種のエスプリと批評性を保ったまま、話がどんどん展開していく楽しさ――それが味わえる対談集なのだ。

 対談内容を長々と引用して説明するのは、4コマ・マンガの内容を言葉で説明するようなもので、野暮だ。代わりに、対談の途中につけられた小見出しを並べてみる。これだけでも雰囲気が伝わるはず。

水着のヒモの上に乗る腰の肉。その新名称について考える
グラドル写真集を買うときは、必ず裏表紙の写真を見て決めろ
女のエロを語るとき、「ヘソ」は意外に侮れない!
グラビアはいま、胸からお尻へと完全移行している
女に対してブレない男は、人生もブレていないものだ



 グラドルについて語るという、ただそれだけのことが、この2人にかかると見事な「芸」になる。その至芸を堪能するための一冊。全編2段組で詰め込まれた情報量もすごく、グラドル好きなら一読の価値がある。

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VANILLA『玉椿』


玉椿玉椿
(1996/07/01)
VANILLA



 VANILLA(バニラ)が1996年に発表したセカンド・アルバム『玉椿』(ソニー)を、中古で購入。アマゾンで1円だった。

 元ユニコーンの川西幸一を中心に結成されたVANILLAは、たった3枚のアルバムを発表しただけで活動休止してしまった短命なバンドである。

 私はこのアルバムに入っている「メラ☆メラ」という曲が好きで、「歌謡ロックの最高傑作」だと思っている。

 「歌謡ロック」という確たるジャンルがあるかどうか、つまびらかにしないが、要は「昭和の歌謡曲とロックのいいとこ取り」をした、日本ならではのポップなロックのこと。
 バービーボーイズとか、宇崎竜童・阿木耀子コンビが作った山口百恵のロック系の曲(「ロックンロール・ウィドウ」など)とか、あのへんの音楽と思ってもらえばよい。

 「メラ☆メラ」は非の打ち所のない完璧な「歌謡ロック」で、ミュージックビデオ界の巨匠・板屋宏幸が監督したPVも名作だった。

■関連エントリ→ 『A Hiroyuki Itaya Film“DIRECTOR'S CUT”』レビュー
 


 YouTubeには上のショート・バージョンしか上がっていないが、ロング・バージョンは『仁義なき戦い』の本気のパロディになっていて、「組同士の抗争にバンド合戦で決着をつけようとするも、けっきょく負けた側が勝った側を殺ってしまい、悲劇に終わる」というストーリーまでちゃんとあった。
 ショート・バージョンを観ただけでもわかると思うが、ヘタな映画よりもよっぽど映画っぽい見事な映像で、まるで映画のシーンをPVに引用したようである。

 で、その「メラ☆メラ」を中核に据えたこのアルバム、私は初めて聴いたのだが、やはりというべきか、「メラ☆メラ」を超える曲は一つもない。「星が降る」「マニアック」の2曲はわりと気に入ったけど。

 プロデュースに元PINKの岡野ハジメが加わっているせいか、アルバム全体は「歌謡ロック」というよりもサイケ~グラム系の洋楽的でアーティスティックな音になっている。妙に凝った複雑な音作りで、歌謡曲的なわかりやすさに乏しい。

 うーん、私がVANILLAに求めているのはこういう方向性じゃないんだよなあ。
 ……などと、発表から17年も経ったいまになって文句をつけても詮ないことだけど(笑)。

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Profile 

前原政之 
イラスト/ジョージマ・ヒトシ

前原政之(まえはら・まさゆき)
1964年3月16日、栃木県生まれ。53歳。
1年のみの編プロ勤務(ライターとして)を経て、87年、23歳でフリーに。フリーライター歴30年。
東京・立川市在住。妻、娘、息子の4人家族。

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●「mm(ミリメートル)」は、私のイニシャル「MM」のもじりです。

●私の大好きなギタリスト・渡辺香津美氏は、ご自身のイニシャル「KW」をもじった「KW(キロワット)」を、公式サイトのタイトルにしておられます(同名のアルバムもあり)。それにあやかったというわけです。

●あと、「1日に1ミリメートルずつでもいいから、前進しよう」という思いもこめられています(こじつけっぽいなあ)。

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