谷山浩子×ROLLY『暴虐のからくり人形楽団』ほか


暴虐のからくり人形楽団暴虐のからくり人形楽団
(2013/09/11)
谷山浩子×ROLLY(THE 卍)

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 谷山浩子×ROLLYの『からくり人形楽団』シリーズ2作をヘビロ中。
 2012年の第1作『ROLLY&谷山浩子のからくり人形楽団』と、2013年の第2作『暴虐のからくり人形楽団』である。

 なんの予備知識もなしに、組み合わせの面白さでレンタルしてみたものだが、聴いてみたらすごくよかった。

 ファンタジックなポップスを創りつづけてきた永遠の不思議少女・谷山浩子と、「すかんち」や「THE 卍」で知られるグラマラス・ハードロッカー、ROLLYのコラボ!

 一見、ものすごいミスマッチのように思える。じっさい、ROLLYが谷山との初対面の時点で知っていた彼女の曲は、「ねこの森には帰れない」だけだったという。
 そのことが象徴するように、およそ異なる分野で活動してきた2人。だが、このコラボが意外にイケるのだ。

 いや、「意外にイケる」どころか、成功したコラボのお手本といってもよいくらい、見事なケミストリーが生じている。異質な2人が組み合わさることによって、1+1が10にも100にもなっているのだ。 

 一部に新曲もあるが、基本的には谷山の過去の名曲をリメイクする形式のシリーズである。
 谷山の熱心なリスナーではない私でも知っている曲が、たくさん登場する。「ねこの森には帰れない」「意味なしアリス」「さよならDINO」「素晴らしき紅マグロの世界」など……。

 そして、それらの曲がみな、私には原曲よりも素晴らしく思える。
 熱心な谷山ファンが聴くと、「原曲を壊してしまった」と感じる部分もあるのかもしれない。だが、ロック色の強いバンドサウンドになった分、ロック寄りのリスナーである私にはすこぶる心地よいのだ。

 谷山浩子が元々内に秘めている強烈な毒気が、ROLLYという触媒によって表に引き出され、彼女の新たな魅力が炸裂している。
 「THE 卍」のメンバーも参加しているが、彼らの演奏は思いっきり70年代ロックのテイスト。ときにハードロック、ときにプログレ、ときにグラム・ロックで、谷山作品に新たな命が吹き込まれている。
 たとえば、「さよならDINO」の間奏でROLLYが弾きまくる轟音ギターの、なんというカッコよさ。

 また、セリフなどが多用された凝った構成(俳優としても活動するROLLYはもちろん、谷山も意外にセリフが堂に入っている)は、「ロッキー・ホラー・ショー」やチューブスの諸作のようにシアトリカルだ。全編、おもちゃ箱をひっくり返したような極彩色の楽しさに満ちている。



 2枚とも素晴らしいアルバムだが、どちらかというと、よりロック色が強まった第2作『暴虐のからくり人形楽団』のほうが、私は好きだ。第3作があるなら絶対買う。

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さいきまこ『陽のあたる家』


陽のあたる家~生活保護に支えられて~ (書籍扱いコミックス)陽のあたる家~生活保護に支えられて~
(2013/12/16)
さいき まこ

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 さいきまこの『陽のあたる家――生活保護に支えられて』(秋田書店/756円)を読んだ。仕事の資料として。

 「マンガでわかる生活保護」という副題のとおり、ストーリーマンガの形式で生活保護制度についての誤解を解いていく啓蒙的コミックである。
 
 ごく普通の4人家族が、夫の病気を機に困窮に陥り、生活保護受給世帯となる。家族が陥る生活苦のディテールが、高いリアリティで描写され、身につまされる。
 生活保護申請に至るまでの心の葛藤や、市役所で行われる「水際作戦」(申請を受け付けずに追い返す)の実態なども、丹念に描かれている。

 働きながらでも生活保護が受給できる(「最低限度の生活」を営むのに不足な分だけ)ことなど、制度について誤解されやすい点が、ストーリーに組み込まれて手際よく説明されていく。
 中編といってよい長さだが、これ1冊読めば生活保護についてのあらましは理解できるだろう。「マンガによる生活保護入門」として、上出来の作品といえる。

 難を言えば、絵柄があまりにも没個性的で、まったく魅力がない。

 また、生活保護受給世帯になったとたん、周囲の人間がいっせいにネガティブな反応を示すという描写は、ちょっとマイナス面を誇張しすぎだと思う。
 主人公夫婦は病院で見知らぬ男から(医療費が無料であることについて)「オレらの税金で好き放題しやがって!」と罵倒され、2人の子どもたちは学校で「ヒンミーン!」とか呼ばれてイジメられ、母親はPTAでほかの母親たちから「税金で暮らしてるのにいい気なものね」などと槍玉に上げられる……。うーん、スゴすぎ。

 まあ、現実にそういう事例がまったくないわけではないだろうが、それにしてもたたみかけすぎ。
 「生活保護を受けるとこんなヒドい目に遭うのか。やっぱやめとこう」と思う読者だって、いないとはかぎらない。その意味で、これらの描写は逆効果だと思う。

 ……と、ケチをつけてしまったが、ネット上の生活保護バッシングだけ見て「わかったつもり」になっている連中の蒙を啓くには、よいマンガだと思う。

 そういえば、あの柏木ハルコが、福祉事務所を舞台に生活保護を描いたマンガを描いているらしい(『ビッグコミックスピリッツ』連載中の『健康で文化的な最低限度の生活』)。こちらも読んでみよう。

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内田樹『街場の共同体論』


街場の共同体論街場の共同体論
(2014/06/05)
内田樹

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 今日は、都内某所で打ち合わせが一件。
 行き帰りの電車で、内田樹著『街場の共同体論』(潮出版社/1296円)を読了。版元の担当編集氏よりご恵投いただいたもの。

 『潮』に断続的に掲載されてきたインタビューをまとめたもの。ただし、単行本化にあたって全面改稿が施されており、掲載時の内容とはかなり違ったものになっている。

 インタビューがベースなので平明な話し言葉で書かれており、読みやすい。

 内容は、教育論・家族論・コミュニケーション論・地域共同体論・師弟論など。
 多彩なテーマなので、「共同体論」という大雑把なくくりにするしかなかったということか。

 各章とも、軸になっている主張には、旧著の焼き直し的な面が強い。
 たとえば教育論の部分は、『狼少年のパラドクス――ウチダ式教育再生論』『下流志向──学ばない子どもたち、働かない若者たち』などでの主張と一部重なる。師弟論の部分は、『先生はえらい』などでの主張と一部重なる。

 したがって、内田本のヘビーな読者(私も半分以上は読んでいる)から見ると、あまり目新しい創見は見当たらない。
 しかし逆に言えば、過去の著作群の「いいとこどり」をした内田樹入門として、よくできた本である。

 心に残る必殺のフレーズが、随所に登場する。さすがにうまいこと言うなあ、という感じ。
 私が傍線を引いた箇所を、いくつか引用してみよう。

 ネットでも、人を傷つけたときの「手応え」ってわかるんです。闇夜に向かって銃弾を放っても「手応えがあった」という言い方をしますよね。それと同じです。目に見えなくても、わかる。ネット上であっても、攻撃した相手が感じているはずの痛みや屈辱感はなんとなく察知できる。それは一つの「手柄」としてカウントできる。



 道場で子供たちが礼をしている相手は先生じゃないんです。先生を通じて「巨大な自然力」「野生の力」に対して礼をしている。(中略)そういう種類の、超越的なものに対する畏敬の念が、あらゆる礼節の基本なんです。



 自己発見のためにはルーティンを守るということがけっこう大切なんです。毎日毎週同じことを繰り返していないと、自分の中に生じた変化がわかりませんから。



 次世代の担い手は、「先行世代の成功例を真似する人たち」からではなく、「先行世代の失敗から学ぶ人たち」から出てきます。これはどんな場合でもそうです。



 自分には師もいないし、弟子もいないと豪語する人がときどきいますけれど、そんなところで力むことないのに、と僕は思います。師弟関係というのは、実践的な面だけに限定していえば、「老眼鏡」とか「辞書」とかと同じで、それがあると「ものすごく作業効率が上がるもの」なわけです。どうしてそれを活用しないのか。僕はそのほうがむしろ不思議です。



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長嶋修『「空き家」が蝕む日本』


「空き家」が蝕む日本 (ポプラ新書)「空き家」が蝕む日本 (ポプラ新書)
(2014/07/08)
長嶋 修

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 長嶋修著『「空き家」が蝕む日本』(ポプラ新書/842円)読了。
 「空き家問題」に関心があるので、最近立てつづけに出ている概説書の一つを読んでみた。

 近年、日本の空き家率が急速に高まっており、「空き家問題」が深刻な社会問題になりつつある……という話は、少し前に読んだ坂口恭平の『独立国家のつくりかた』で知った。

 ニュース番組などで空き家問題が取り上げられる機会も増えてきた。
 少子高齢化が急速に進み、住宅需要は下がる一方なのに、新築マンション・一戸建ては馬鹿みたいに増えつづけている。このままでいけば家は余る一方だろうと、素人目にもわかる。

 ではなぜ、空き家率が高まっているのに新築着工は減らないのか? また、持ち主がいるのに空き家のまま放置される家が増えつづけているのはなぜか? そうした素朴な疑問に、本書は明快に答えてくれる。

 たとえば、空き家のままにしておいたほうが、更地にするよりも固定資産税が安いのだそうだ。住宅が足りなかった高度成長期に、新築住宅建設促進のために作られた制度が、そのままになっているためだという。
 
 また、日本の住宅の「寿命」は実際よりも短く見積もられているとか、中古住宅の資産価値が不当に低すぎるとか、先進諸外国に比べて特異な住宅事情が、空き家率の高さの要因として説明されていく。

 ただ、空き家問題がストレートに論じられるのは全7章のうち第2章のみで、「看板に偽りあり」の観が否めない。
 ほかの章は、「ここがおかしい! 日本の住宅行政」とか、「不動産業界の闇」くらいのタイトルがふさわしい内容なのだ。

 それでも前半の各章は、空き家問題の背景を論じたものとして読むことができる。しかし、後半になると、タイトルと内容がどんどん乖離していく。

 きわめつけは、最後の第7章「海外シフトする不動産投資」。
 この章は、「これから海外不動産投資をするならフィリピンがいいっスよ!」みたいな内容になっている。空き家問題とは1ミリも関係がない。

 不動産コンサルタントの著者は「セブ島でコンドミニアムの分譲事業にも携わっている」そうで、なんのことはない、この章は自分の商売の宣伝なのである。
 読者をバカにしているというか、担当編集者が「この章は必要ないからカットしましょう」くらい言えよ、という感じだ。

 前半だけなら読む価値がある本。

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高田博行『ヒトラー演説』


ヒトラー演説 - 熱狂の真実 (中公新書)ヒトラー演説 - 熱狂の真実 (中公新書)
(2014/06/24)
高田 博行

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 昨日は、都内某所で打ち合わせが一件。
 行き帰りの電車で、高田博行著『ヒトラー演説――熱狂の真実』(中公新書/950円)を読了。

 ヒトラーについての本は日本でもすでに山ほどあるわけで、いまさらストレートなヒトラーの評伝など書いても、屋上屋を架すことにしかならない。
 しかし本書は、ヒトラーの演説に的を絞ってその歩みをたどるというアプローチによって、ヒトラー伝の期を画すことに成功している。
 
 ヒトラーはなぜドイツ国民の心をつかみ、合法的に独裁政権を打ち立てることができたのか? その要因はさまざまあるだろうが、見逃せない大きな要因として、ヒトラーの演説の魅力があった。
 プロパガンダの天才・ゲッベルス宣伝相による巧みな演出や、ラジオや映画という新しいメディアの力も加わって、ヒトラーは演説によってドイツ国民を熱狂させていったのだ。
 
 著者は、近現代ドイツ語史を専門とする言語学者(学習院大学教授)。つまり歴史学者ではないのだが、言語学者ならではの緻密な分析で、ヒトラー演説の内実を明かしていく。

「ヒトラーの演説文を客観的に分析できるように、ヒトラーが四半世紀に行った演説のうち合計五五八回の演説文を機械可読化して、総語数約一五◯万語のデータを作成した」という(!)。その膨大なデータの徹底分析によって、本書は書かれているのだ。
 大変な労作であり、パソコンが普及したいまだからこそ成し得た著作ともいえる。

 著者は、「ヒトラーはジェスチャーを交えた実演がうまいという理由だけで演説家として評価を得たのではなく、その演説文のテーマ、構成、表現に関しても早期から成熟していた」と評価している。
 もともと演説の才に恵まれていたヒトラーは、そのうえ、デヴリエントというオペラ歌手から、数ヶ月にわたって発声法の訓練を受けたという。1932年のことだ。

 ヒトラーが「演説の天才」であるためには訓練を受けていることが露呈してはいけない。そのため、デヴリエントによる訓練は秘密裏に行われた。



 ヒトラーは、たしかに演説が得意ではあった。しかしその「天才」ぶりは、訓練や演出、テクノロジー(ラウドスピーカーなど)とメディアの発達によって、かなり嵩上げされ、粉飾されていたのだ。

 面白いのは、ヒトラー演説の力が最も発揮されたのは政権奪取までであり、独裁者となってからはドイツ国民に飽きられていった、と分析している点。

 ヒトラー演説は、政権獲得の一年半後にはすでに、国民に飽きられ始めていたのである。ヒトラー演説は、ラジオと映画というメディアを獲得することによって、その威力は実測値としては最大になった。ところが、民衆における受容といういわば実測値においては、演説の威力は下降線を描いていったのである。



 この分析は、著者も言うように「ヒトラー演説についてのイメージをおそらく最も大きく裏切る事実」を明かしたものであり、本書の白眉と言える。

 そして晩年になると、ヒトラーは精神的にも肉体的にも衰え、演説もボロボロの状態になっていく。独裁者の末路は、やはり惨めなものなのである。

 本書は、ヒトラー演説のレトリックや使用語の分析などが、一般書にしてはトリヴィアルにすぎる面もある。しかし、全体としては十分に面白い本だ。

■関連エントリ→ 高瀬淳一『武器としての〈言葉政治〉』レビュー

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小林弘人『新世紀メディア論』


新世紀メディア論-新聞・雑誌が死ぬ前に新世紀メディア論-新聞・雑誌が死ぬ前に
(2009/04/03)
小林弘人

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 今日は、都内某所で佐藤優さんと山口二郎さんの対談取材(で、私がまとめる)。

 行き帰りの電車で、小林弘人著『新世紀メディア論――新聞・雑誌が死ぬ前に』(バジリコ/1620円)を読了。
 少し前に読んだ『ウェブとはすなわち現実世界の未来図である』がわりと面白かったので、同じ著者の旧著を読んでみた。

 5年前に出たものなので、ドッグイヤーのITの世界を論じた本としてはいささか内容が古くなっている。それでも、一読の価値はあった。

 ネット黎明期の1994年に『WIRED』日本版を創刊した著者は、ネットと出版の境界線上を先頭に立って走ってきた人である。
 その著者から見て、旧来の出版人・新聞人がいかに時代遅れであるかが、随所で厳しく指摘される。どちらかといえば「旧」側に身を置いている私としては、耳の痛い箇所も多い。

 「あなたは出版人だというのに、システム開発やコンサルまでやっているのか?」とよく驚かれることがあります。そして、それは「出版」ではないと言われます。
 すでに、本稿をここまで読まれた読者の皆さんにはおわかりだと思いますが、ウェブ上ではそれらすべての領域にまたがって、メディアという雲が覆っています。「出版」という概念が、紙の束をパッケージにして全国津々浦々に流通させ、販売する商行為と不可分なことであることと同様です。



 ただ、著者の文章はかなり拙劣である。
 日本語として不自然な箇所や、明らかな言葉の誤用も散見する。「未来の芽をつむぐ」(たぶん「摘む」と「紡ぐ」がゴッチャになっている)とか……。

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竹熊健太郎『ゴルゴ13はいつ終わるのか?』


ゴルゴ13はいつ終わるのか? 竹熊漫談ゴルゴ13はいつ終わるのか? 竹熊漫談
(2005/03/18)
竹熊 健太郎

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 竹熊健太郎著『ゴルゴ13はいつ終わるのか?』(イースト・プレス)読了。

 9年前に出た本で、「竹熊漫談」シリーズの第2弾。
 第1弾『マンガ原稿料はなぜ安いのか?』は刊行直後に買って読んだのだが、これは買う気がしなかった。
 というのも、本書の目玉となっている「大河マンガ結末予想」(『ガラスの仮面』『美味しんぼ』『ゴルゴ13』を取り上げている)は、雑誌『マルコポーロ』に掲載された時点で読んでいたから。

 ふと思い出して中古で購入してみたところ、1冊の本としてなかなか面白かった。

 「大河マンガ結末予想」(元記事のタイトルは、「三大人気『大河マンガ』の最終回はこうだ!」)が掲載されたのは『マルコポーロ』1993年5月号で、もう21年前なのに、取り上げた大河マンガが3つともまだ終わっていないのはスゴイ(笑)。

 ちなみに、『マルコポーロ』は「ナチ『ガス室』はなかった」というトンデモ記事のせいで廃刊になった経緯ばかりが有名だが、花田紀凱が編集長になる前のサブカル路線のころは、じつに面白い雑誌だった。

 本書の場合、ストレートなマンガ評論は前半のみで、後半は竹熊自身の自分史を綴ったエッセイとオタク文化論になっている。
 「竹熊の自分史など知りたくもない」と思う向きもあろうが、これが意外なほど面白い。オタク第一世代の自分史は、そのまま濃密な「オタク文化黎明期の記録」になっているからである。

 発刊から9年を経たいま読むと、本書に綴られた“マンガおよびアニメのこれから”が、かなり鋭く現状を言い当てたものになっている。竹熊の、編集家としての嗅覚の確かさを証明する1冊ともいえよう。

■関連エントリ→ 竹熊健太郎『篦棒な人々』レビュー

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『観ずに死ねるか! 傑作青春シネマ 邦画編』


観ずに死ねるか ! 傑作青春シネマ邦画編観ずに死ねるか ! 傑作青春シネマ邦画編
(2014/05/01)
宮藤 官九郎、園 子温 他

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 『観ずに死ねるか! 傑作青春シネマ 邦画編』(鉄人社/2000円)読了。

 昨年読んだ『観ずに死ねるか !  傑作ドキュメンタリー88――総勢73人が語る極私的作品論』の続編。
 前作はドキュメンタリー映画の作品論を集めたものだったが、今回はタイトルのとおり、邦画の青春映画編だ(※)。

※私は未読だが、その前に第1弾として韓国映画編も刊行されていたそうだ。

 総勢80人が語る極私的作品論。一人旅、無軌道な反抗、学園ヒエラルキー、歪んだ愛、挫折と自立。1970年代以降、日本で製作・公開された青春映画の傑作を約90本集め、クリエイター、パフォーマー、文筆家が極私的な視点から作品への想いを語った。(「BOOK」データベースより)



 本の出来としては、前作のほうが上だと思う。
 前作は、作品ごとに「その映画を論ずるのにいちばんふさわしい人、論ずる必然性のある人」を選ぶというキャスティングの妙が、何よりの魅力だった。
 原一男の『全身小説家』を小説家の中村うさぎが論じたり、ボブ・ディラン・フリークのみうらじゅんが『ボブ・ディラン ノー・ディレクション・ホーム』を語ったり……。

 対照的に今回は、「なんでこの名作についてコイツが語るんだよ?」と首をかしげるミスキャストが目立つ。
 とくに、人気俳優や人気芸人に名作を語らせるページがけっこう多くて、これはおそらく営業サイドの要請だろう。「もっと人気のある人を出さないと、本が売れませんよ」と……。

 長澤まさみが『ジョゼと虎と魚たち』を語ったり、バカリズムが『トキワ荘の青春』を語ったり、成海璃子が『サウダーヂ』を語ったり、斎藤工が『麻雀放浪記』を語ったりするのである。
 「もっとこの名作を語るにふさわしい人が、ほかにいるだろうに」と舌打ちしたくなる。

 まあ、俳優を起用したケースでも、染谷将太が『青春の殺人者』を語ったあたりは、まだ理解できる。
 『ヒミズ』で父親を殺す主人公を演じた染谷には、同じように「親殺しが描かれた青春映画」である『青春の殺人者』を語る資格はあるから。
 しかし、長澤まさみの「ジョゼ~」論なんて、ただの人寄せパンダでしかなく、なんの面白さもない。

 ……と、ケチをつけてしまったが、素晴らしい作品論も少なくない。
 たとえば、北尾トロが書いた「秋吉久美子が青春だった」は思い入れたっぷりで熱量がスゴイし、水道橋博士が『キッズ・リターン』を語ったインタビューは師・たけしへの敬愛に満ちたいい内容だ。
 それ以外も、「その映画を語る強い必然性のある人」による作品論には、やはりよいものが多い。

 洋画編を出すときには、必然性のない人寄せパンダは排除してほしいものだ。どうせ、人気女優とかをいくら出しても、売れる部数なんてほとんど変わらないし……。

 なお、本書の青春映画のセレクトは、おおむね納得のいくものだった。
 『白い指の戯れ』『がんばっていきまっしょい』『下妻物語』『シコふんじゃった。』など、「なんであれが入ってないんだ?」というものもいくつかあるが、わりと順当だと思う。

 ちなみに、本書に取り上げられた作品から、私が70年代以降の青春映画ベスト10を選ぶとすれば……。
 『遠雷』『キッズ・リターン』『サード』『祭りの準備』『ジョゼと虎と魚たち』『大阪物語』『十九歳の地図』『青春の殺人者』『Wの悲劇』『バタアシ金魚』――というところか(順不同)。

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荒俣宏『0点主義』


0点主義 新しい知的生産の技術570点主義 新しい知的生産の技術57
(2012/05/16)
荒俣 宏

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 荒俣宏著『0点主義――新しい知的生産の技術57』(講談社)読了。

 「0点主義」とは、「点数という束縛から離れて、さまざまな知的関心を楽しく広げていくこと」だそうだ。
 いわく、「0点の成績をとりつづけることでたくわえられる『知の力』というものがあるのだ」と……。

 要は、“「テストでいい点を取る」などというつまらぬ目的で勉強をせず、自分が面白いと感ずることをどんどん勉強していけ。それを突きつめていけば、やがてひとかどの仕事ができる力が身につく”ということだろう(私なりに意訳)。

 なるほど、荒俣宏自身は、そうした知的探求をつづけて独自の地位を築いた人に違いない。
 本書はそのような、“好きな勉強を楽しみながらつづけ、大きな「知の力」をつける方法”を、さまざまな角度から説いたもの。

 以前、荒俣が会社員時代の昼休みの過ごし方を綴ったエッセイを読んで、強い印象を受けた。
 副業で翻訳の仕事をしていた彼は、1回の昼休みで1ページを訳すノルマを自らに課していたという。昼食もとらず、昼休みに一心に翻訳作業をする知的貪欲さに、感服したものだ。

 そういう人が書いた「知的生産の技術」なら、ためになりそうではないか。

 ただ、本書はかなり期待はずれ。
 「新しい知的生産の技術」と副題にはあるのに、書いてあることはどれも、技術以前の抽象的な「心構え」ばかり。そして、心構えとしても凡庸なアドバイスが多い。

 本書のメイン・メッセージともいうべき、「恐怖や強制のもとでする勉強は楽しくないし、身につかない。ごはんを食べることも忘れて熱中することが、勉強の王道なのだ」という主張は、そのとおりだと思う。
 言いかえれば、「フロー体験」に結びつく勉強こそが真の勉強だということだろう。

 だが、それはまあ、あたりまえの話だ。問題は、我々が日々要求される「勉強」が、夢中になれるものばかりではないということなのである。
 本書には“苦手な分野も心構え一つで楽しく勉強できる”というようなことも書いてあるが、あまり説得力がない。

 要するに、目先の利益に結びつかない分野でも一心不乱に勉強できること自体、荒俣に与えられた特異な才能なのだろう。したがって、本書は我々凡人にはあまり参考にならない。

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西田浩『ロックと共に年をとる』


ロックと共に年をとる (新潮新書)ロックと共に年をとる (新潮新書)
(2010/10)
西田 浩

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 西田浩著『ロックと共に年をとる』(新潮新書/734円)読了。

 先日、中山康樹の『ロックの歴史』を読んだとき、ロック関係の新書をあれこれ探してみたら引っかかった本。4年前に出た本である。
 著者は『読売新聞』文化部のポピュラー音楽担当記者で、筋金入りのロック・ファン。

 書名のとおり、かつては「若者の音楽」であったロックが、いまではむしろ「中高年の音楽」といってよい存在となった。
 来日する大物ロック・アーティストは還暦をすぎたジイさんが多く、コンサートに集う観客もおもに中高年。若者たちはほとんどCDを買わず、中高年の財布を狙った過去の名作のデラックス・エディションCDが乱発される……。

 そのような現状をふまえ、ロック・アーティストへの豊富なインタビュー歴を活かして書かれた、「大人のためのロック論」(惹句の一節)である。
 「ロック論」といっても肩肘張ったものではなく、エッセイに近いものだ。大物アーティストのインタビュー裏話集でもあり、中年ロック・ファンの思い出語りをちりばめたロック四方山話集でもある。

 私も著者と同世代の中年ロック・ファンであるから、本書の内容に大いに共感した。
 著者が一ロック・ファンとしてのニュートラルな目線を保っている点も、好ましい。中山康樹の『ロックの歴史』の「上から目線」に辟易したので、口直しにちょうどよかった。

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小宮正安『名曲誕生』


名曲誕生―時代が生んだクラシック音楽名曲誕生―時代が生んだクラシック音楽
(2014/03)
小宮 正安

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 小宮正安著『名曲誕生――時代が生んだクラシック音楽』(山川出版社/1944円)読了。書評用読書。

 タイトルが平凡でつまらなそうだったので、期待せずに読んだのだが、読んでみたら大変よい本だった。

 ヨーロッパ文化史を専門とする研究者(横浜国大准教授)で、音楽評論家としても活躍する著者が、ルネサンス期から20世紀前半までのヨーロッパ史を、西洋クラシックの名曲の誕生と重ね合わせて綴った本。つまり、「名曲から学ぶヨーロッパ史」ともいうべき内容なのだ。

 この手の本がほかにないわけではないが、本書は著者の語り口がじつに魅力的である。
 取り上げられた20の名曲の舞台裏エピソードを、まるで物語のように楽しめるのだ。時にミステリのように、時にラブストーリーのように……。

 作曲家も「時代の子」である以上、生まれ育った時代や社会のありようから大小さまざまな影響を受けずにはおれない。当然、作品の中にも、彼らが生きた時代は刻印されているのである。

 著者は名曲誕生の背景を読み解き、そこに隠された時代の刻印を浮き彫りにしていく。何の気なしに聴いていた名曲から、激動のヨーロッパ史が立ちのぼり、それぞれの曲がもたらす感動をいっそう深いものにしていく。

 音楽史の勉強にもなればヨーロッパ史の勉強にもなる、一石二鳥の本。

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西村賢太『一私小説書きの独語』


随筆集 一私小説書きの独語 (単行本)随筆集 一私小説書きの独語 (単行本)
(2014/07/01)
西村 賢太

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 西村賢太著『随筆集 一私小説書きの独語』(KADOKAWA/1728円)読了。

 第三随筆集である。
 前半が、表題作の連作「一私小説書きの独語」。後半は、さまざまな媒体に書いた雑多な文章の寄せ集めになっている。

 「一私小説書きの独語」は、『野性時代』に“半自叙伝”と銘打って連載されたもの。
 そもそも西村作品はすべて“半自叙伝”みたいなものであるわけだが、これは過去作に描かれた10代のころの暮らしを、私小説ではなく随筆として描くという趣向なのだ。

 私小説も、小説であるかぎりは事実に潤色が加えられているわけで、その潤色のヴェールを剥ぎとって見せる、いわば自作の「タネ明かし」がなされている。

 その「タネ明かし」が、意外なほど面白い。当然、小説と重複する部分もあるが、『二度はゆけぬ町の地図』所収の数編など、過去の「北町貫多」ものをすべて読んでいるファンにこそ楽しめる内容なのだ。

 しかし、やはりというべきか、私小説に書く題材との使い分けが困難であったようで、この“半自叙伝”は中断され未完となっている。
 
 本書では「一私小説書きの独語」が突出して面白く、あとの雑文には見るべきものがほとんどない。

 わずかに、映画版『苦役列車』へのいちばんまとまった批判となっている「結句、慊い」が、なかなか読ませる。
 西村はいろんなところで映画版への不満を表明していたが、それがけっきょくどのような不満であったのかが、よく理解できる。

 ほかは、どうでもいいアンケートの回答とか、過去の自著の「あとがき」(私はすべて既読)まで寄せ集めてある始末で、「落ち穂拾いで無理くり一冊にしました」的なザンネン感が半端ない。

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なべおさみ『やくざと芸能と』


やくざと芸能と 私の愛した日本人やくざと芸能と 私の愛した日本人
(2014/05/09)
なべおさみ

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 なべおさみ著『やくざと芸能と――私の愛した日本人』(イースト・プレス/1836円)読了。

 ベテラン俳優/コメディアンの自伝エッセイ。タイトルにあるとおり、若き日からのヤクザたちとのつきあいがかなりの紙数で書かれている。
 渋谷の不良少年時代、伝説のヤクザ・花形敬(安藤組)と出会い、「お前はヤクザには向いていないから大学に行け」と言われて明治大学に進んだ、というエピソードなどである。

 ほかにも、田岡一雄、菅谷政雄、司忍、波谷守之といった有名ヤクザが登場する。
 いまはどんな大物芸能人もヤクザとの交友をひた隠しにする時代なのに、この本の赤裸々さはスゴイ。

 芸能関係の話では、なべおさみ自身が付き人をしていた水原弘や勝新太郎、そしてその2人と親しかった石原裕次郎、美空ひばりのエピソードが面白い。

 水原と勝新は、競うように夜ごと豪遊し、金を湯水のように使う。水原が1ヶ月かけて京都で映画の撮影をしたとき、ギャラが80万円なのに飲み屋のツケは120万円にのぼったという。いまなら1000万円くらい使った感覚だろうか。

 政治家がらみの話もたくさん登場する。実質的には『やくざと芸能と政治家』という感じの内容なのだ。
 中でも出色なのが、鈴木宗男の選挙応援に駆り出されたときのエピソード。

 なべおさみは応援のため道内を車で奔走するのだが、その車に白い綿パンをたくさん積み込んでいた。応援のたびに新しい綿パンに履き替え、有権者たちの前で土下座して頼み込むと、白い綿パンがドロドロに汚れ、強烈な印象を与えるのだという。
 宗男は自らもすぐにそれを取り入れ、白い綿パンでの土下座をくり返して支持者を増やしていくのだった。

 ただ、面白いエピソードは多いものの、文章が非常に読みにくい。説明不足で、読者が推察して足りない言葉を脳内補完しなければ理解できない部分が多すぎる。
 プロのライターをゴーストにしていたらこんな文章にはならないはずで、きっと本人が書いたのだと思う。

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竹内薫『この世の常識は「仮説」だらけ!』


この世の常識は「仮説」だらけ!  なぜ人は「ニセモノ科学」にダマされるのか!? (静山社文庫)この世の常識は「仮説」だらけ! なぜ人は「ニセモノ科学」にダマされるのか!? (静山社文庫)
(2014/06/04)
竹内 薫

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 竹内薫著『この世の常識は「仮説」だらけ!――なぜ人は「ニセモノ科学」にダマされるのか!?』 (静山社文庫/778円)読了。

 2008年に『白い仮説 黒い仮説』というタイトルで出た単行本の文庫化。文庫化にあたって、「STAP細胞」を取り上げた章が新たに加えられている。

 理学博士でもある本格派サイエンス・ライター(ご本人は「サイエンス作家」という肩書を使用)が、さまざまな分野のアヤシイ仮説を「科学の目」から「ぶった斬る」サイエンス・コラム集である。

 「ぶった斬る」という言葉は、本書の「まえがき」にもカバーの惹句にも登場する。ただし、実際に読んでみると「ぶった斬る」という感じではない。
 ニセ科学をバッサバッサと痛快に論破していくというより、中学生にも理解できる平易な文章とあたたかい語り口で、科学的「仮説思考」の基本を教えてくれる内容なのだ。

 ブラックホールや地球温暖化など、科学分野のビッグ・クエスチョンも取り上げられているが、むしろ、日常的なテーマに科学のメスで切り込んだパートのほうが面白い。
 たとえば、いわゆる「マイナスイオン効果」のアヤシさ、血液型性格分類の非科学性(ただし、著者は“血液型が性格に及ぼす影響も、まったくないとはいいきれない”と慎重姿勢)などである。

 “テレビ視聴率を科学の目で見ると、4%以内の誤差があり得るので、1%程度の上下で一喜一憂するのはナンセンス”という話など、たいへん面白い。

 全編まんべんなく楽しめてためになる本だが、私がいちばん感心したのは、相対性理論を取り上げた項目。

 「GPS衛星の時計は(地球上と比べて)どれくらい遅れるか?」という問いに答える形で、著者は相対性理論とは何かを平易に解説していく。それは、私がこれまで読んだ相対性理論の解説の中で、いちばんわかりやすいものだった。「これ以上噛み砕くのは無理だろう」というレベルまで咀嚼されているのだ。

 著者はサイエンス・ライターとしてのキャリアの中で、「相対性理論をやさしく説明するにはどうすればよいか?」をくり返し考え、試行錯誤してきたのだろう。そうした積み重ねが感じられる素晴らしい解説だ。

 ちなみに、GPS衛星は「相対性理論がいちばん役に立っている」発明であり、このように「テクノロジーによって実用化されているかどうか」が、黒い仮説(アヤシイ仮説)と白い仮説(アヤシくない仮説)を分かつ大きなポイントだと、著者は言う。

 アインシュタインは1921年にノーベル物理学賞を得たが、そのときには相対性理論で受賞したのではない。それは、まだ当時の物理学界が相対性理論を「白い仮説」として十分認めてはいなかったからだ、という。なるほどなるほど。

 科学オンチにも科学的思考のなんたるかが理解できる、一級の科学啓蒙書。
 
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町山智浩『アメリカのめっちゃスゴイ女性たち』


アメリカのめっちゃスゴい女性たちアメリカのめっちゃスゴい女性たち
(2014/03/31)
町山 智浩

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 昨夜は、編集者、カメラマンとのごく小規模な納涼飲み会。今日は、午前中から都内某所で取材が1件。

 町山智浩著『アメリカのめっちゃスゴイ女性たち』(マガジンハウス/1410円)読了。

 『アンアン』の連載コラムをまとめたもの。アメリカに15年暮らしている著者が、「スゴい!」「カッコいい!」と感動した55人のアメリカン・ウーマンを取り上げたコラム集である。
 一人につき3~4ページの短い文章の中に、人となりや業績、スゴイ・ポイントが、的確にわかりやすく盛り込まれている。ポルトレ(人物素描)コラムのお手本のような本。

 ジョディ・フォスターやアンジェリーナ・ジョリー、キャスリン・ビグローなど、誰もが知るビッグネームも含まれているものの、日本ではあまり知られていない女性のほうが多めの人選になっている。

 そして、「最初から恵まれた人よりも、多くの障害を乗り越えた人を多く取り上げ」ている点が、本書の最大の特長といえる。「人種、民族、貧困、身体障害、親によって絶望的に未来を阻まれたが、逆にそれによって誰よりも強くなった人々」が、数多く登場するのだ。

 サッと読み流してしまったコラムも多いが、いくつかのコラムでは壮絶な人生に度肝を抜かれた。

 たとえば、映画『ディア・ブラザー』のヒロインのモデルになったベティ・アン・ウォーターズの半生。

 典型的なホワイト・トラッシュ(貧乏白人)の家庭に生まれながら、殺人の濡れ衣を着せられた兄を救うために弁護士になることを決め(弁護士を雇う金がなかったため)、すさまじい努力で司法試験に合格する。そして、逮捕から18年目にして兄の冤罪を晴らすものの、その半年後に兄は不慮の事故で亡くなってしまう。

 ベティは、せっかくつかんだ弁護士資格と名声を利用することなく、いまも元々の職場であった酒場で働いている。「私は兄を救うために司法試験に受かったの。自分のためじゃない」と……。

 2012年、シリア内戦を取材中に砲撃され殉職した戦場ジャーナリスト、マリー・コルヴィンの人生もすごい。
 2001年に、やはり取材中にロケット砲の破片を受けて片目を失った彼女は、以後、その片目に黒い眼帯をして取材活動をつづけた。

 生前、自分の勇敢さを讃えられたコルヴィンは、こう言い返したという。

「これから私がどんな戦場に取材に行こうと、そこで黙って耐え忍んでいる普通の住民以上に勇敢であるはずがありません」

 

 くーっ! シビれるねえ、この名言。

 このような「めっちゃスゴイ女性たち」が、次々と登場する。 
 女性のみならず男にとっても、読むと勇気がわいてくる本だ。

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原田曜平『ヤンキー経済』『さとり世代』


ヤンキー経済 消費の主役・新保守層の正体 (幻冬舎新書)ヤンキー経済 消費の主役・新保守層の正体 (幻冬舎新書)
(2014/01/30)
原田 曜平

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 昨日は、取材で愛知県日進市へ――。

 行き帰りの新幹線で、原田曜平著『ヤンキー経済――消費の主役・新保守層の正体』(幻冬舎新書)『さとり世代――盗んだバイクで走り出さない若者たち』(角川oneテーマ21新書)を読了。仕事の資料として読んだもの。

 博報堂の「若者研究所」でリーダーを務め、最近はテレビの「ZIP!」のコメンテイターとしても知られる著者が、日頃の研究をふまえて「いまどきの若者」の素顔を紹介する2冊。

 前者はいわゆる「マイルドヤンキー」(著者はこの概念の提唱者)の世界に踏み込んだもので、後者は大学生たちへの取材から「さとり世代」の実像を解き明かしたもの。
 マイルドヤンキー層がおおむね中卒・高卒で、後者に登場するのは上位ランクの大学生たちであるから、2冊を併読することで「いまどきの若者」の全体像が見えてくる。

 2冊が扱う若者たちはおよそ「階層」が異なるわけだが、読後の印象は不思議なほど似通っている。それは、「いまどきの若者って、ずいぶんこぢんまりと落ちついちゃってるんだなあ」という印象だ。

 マイルドヤンキーたちは、昔のヤンキーたちのように「BIG」になることを目指さず、生まれ育った地元の世界でこぢんまりと生活している。
 「さとり世代」の大学生たちも、分不相応な野心など抱かず、バブル世代のような見栄消費もしない。
 いわゆる草食系男子だけが「草食化」しているのではない。ヤンキーも、若い女の子たちも「草食化」傾向にあるのだ。

 実際のマイルドヤンキーたち、さとり世代の大学生たちの発言のいくつかに、目からウロコの落ちる思いを味わった。たとえば――。

 メリット、デメリットで考えると、恋愛のメリットがよくわからない。

 盗んだバイクで走り出したい欲望っていうのが、何を求めての欲望なのか、さとり世代にはよくわからないです。

 今は海外も日本も、生活様式って大して変わらない。景色しか変わらないんだったら別に(海外に)行かなくてもいいかなって思っちゃうんですけど。(『さとり世代』より)



 「日の出(町)の若者にとって、イオンは夢の国。イオンに行けば、何でもできるんです」

 「給料が5万円上がれば、生活満足度が100点になる」(『ヤンキー経済』より)



 ううむ……。

 私は、若いころの自分が「草食系男子のハシリ」だったと思っている。自動車にもブランドものにもまったく興味がなかったし、自分が若者だったバブル時代にはバブル的消費に熱狂する同世代が理解できなかった。
 だから、草食系男子たちにはわりとシンパシーを覚えるのだが、そんな私でさえ、いまどきの若者の“こぢんまり感”には驚かされた。

■関連エントリ→ 原田曜平『近頃の若者はなぜダメなのか』レビュー

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中山康樹『ロックの歴史』


ロックの歴史 (講談社現代新書)ロックの歴史 (講談社現代新書)
(2014/06/18)
中山 康樹

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 中山康樹著『ロックの歴史』(講談社現代新書/864円)読了。
 一般にはジャズ評論家として知られる著者によるロック史の概説書。

 著者のロック関係の著作は、『これがビートルズだ』『ビートルズの謎』という2冊を読んだことがある。
 その2冊を読んだときにも思ったことだが、思い込みの激しい独自の論を展開する人で、本書もビックリしたり首をかしげたりしながら読んだ。

 かなり偏りの強い内容で、ロックを聴き始めた10代などが最初に読むべき概説書にはふさわしくない。
 そもそも、1970年代初頭で話が終わっていて、そこからの40年余にはほとんど触れられていないのだ。これでよく『ロックの歴史』なんてタイトルがつけられたものである。

 俎上に載せるアーティストも偏っている。ビートルズの話の比重が極端に高く、ほかもイギリスのロックが7、アメリカが3くらいの割合。実質的には「ブリティッシュ・ロックの歴史」になっており、しかもブリティッシュ・ロック史としてもかなり偏っている。

 もっとも、「おわりに」によれば元々は「女王陛下のロックンロール」なるタイトルの連載だったそうで(書籍化にあたってアメリカのパートを加筆したという)、英国に話が偏っているのはそのせいでもある。

 「なるほど」と膝を打つ卓見もいくつかあったから、駄本とまでは言わない。が、ロック史の概説書としてはまったく不十分。
 
 同じ講談社現代新書からは、かつて北中正和が『ロック――スーパースターの軌跡』という本を出している。
 85年刊だから古いが、ロック史概説書としては本書よりずっとバランスの取れたよい本である。本書とは対照的に著者の主観は抑え、客観的な記述に徹している。

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テンペスト『Tempest/Living In Fear』


Tempest / Living in FearTempest / Living in Fear
(1994/10/25)
Tempest

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 イギリスのハードロック・バンド「テンペスト」のアルバムを、中古で購入、ヘビロ中。

 テンペストは1970年代前半に、スタジオ・アルバム2枚、ライヴ・アルバム1枚を発表したのみで解散した短命なバンド。
 今回ゲットしたのは、スタジオ・アルバム2枚(73年の『Tempest』と、74年の『Living In Fear』)を1枚のCDに収めた2in1のアルバム。

 元コロシアムのジョン・ハイズマン(ドラムス)を中心としたバンドである。
 コロシアムはジャズ・ロックの名バンドの一つとして知られ、このテンペストのサウンドにもジャズ・ロック的要素があるのだが、基本的にはブルース・ベースのハードロックだ。

 テンペストは、ハイズマンがクリームを意識して作ったバンドだと言われる。たしかに、クリームやジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスを彷彿とさせる部分もある。
 ただ、テンペストの場合、ジャズ・ロック色やプログレ色が隠し味になっている分、クリームなどよりも複雑で味わい深い「大人のロック」になっている。キャプテン・ビヨンドの伝説的なファースト・アルバムと同系列のサウンド。いぶし銀のブリティッシュ・ハードロックである。
 
 私がこのバンドを知ったのは、花村萬月が私的ロック・ガイド本『俺のロック・ステディ』で絶賛していたのを読んだとき。以来、気になっていたのだが、アルバム全編を聴くのは今回が初めてだ。

 ファーストの『Tempest』のみ、アラン・ホールズワースがギターで参加している。
 彼のギターは後年のウネウネ・スタイルにはまだなっておらず、普通にハードロックしている。ただ、随所にジャズの素養とプログレ的要素が織り込まれており、非常に知的で洗練されたギターを聴かせてくれる。


↑ファースト所収の「Up and On」。間奏のギターのなんとカッコイイこと。

 ホールズワースは、エディ・ヴァン・ヘイレンが深く敬愛するギタリストとしても知られる。が、のちのソロアルバムを聴いただけでは、エディとの共通項は見えにくいだろう。ホールズワース史上随一のハードロック・ギターが聴けるこのアルバムでこそ、「ああ、なるほど。エディ・ヴァン・ヘイレンが影響を受けているのがよくわかる」と思えるはずだ。

 ホールズワースは「ギターを持った渡り鳥」の別名でも知られ、バンドに参加してもアルバム1枚作って脱退してしまうのを常としている(ソフト・マシーン、UK、ゴングなどでもそうだった)。
 このテンペストもしかりで、セカンド・アルバム『Living In Fear』にはもう参加していないのであった。

 ただ、ホールズワースに代わって参加したオリー・ハルソールのギターも素晴らしく、『Living In Fear』もファーストと甲乙つけ難い好盤となっている。
 こちらは、ビートルズの「ペイパーバック・ライター」をハードロック・スタイルでカヴァーしていたりして、ファーストよりもややポップな仕上がり。

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ジェイソン・マーコスキー『本は死なない』


本は死なない Amazonキンドル開発者が語る「読書の未来」本は死なない Amazonキンドル開発者が語る「読書の未来」
(2014/06/19)
ジェイソン・マーコスキー

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 ジェイソン・マーコスキー著、浅川佳秀訳『本は死なない――Amazonキンドル開発者が語る「読書の未来」』(講談社/1728円)読了。

 Amazonの電子書籍端末「キンドル」の開発に、最初期から5年間かかわったという著者による電子書籍本。
 読む側は当然、「中の人」ならではの視点で鋭く本の未来を展望する内容を期待する。

 が、その意味ではかなり期待外れ。これまで何冊か「電子書籍本」を読んでいる人なら、「どっかで聞いたような話」がほとんどだろう。
 私が「へえ」と思ったのは、近い将来に電子書籍の中古販売が実現する、という話くらい。

 全体に構成がダラダラしている。秩序立った形で読書の未来を論じた本というより、電子書籍について筆の赴くままに綴ったエッセイという印象だ。

 自分が開発に携わったキンドルを、「21世紀を代表する発明品になる」と自画自賛するのはご愛嬌としても、どうでもいい著者の自分語りが随所に顔を出すのはウザい。

 それに、著者が描く「読書の未来」の何が素晴らしいのか、私にはいまいち理解できない。

 著者は近い将来生まれる「読書用フェイスブック」が、「Reading2.0」となるのだと主張する。
 「読書用フェイスブック」とは何かというと、1冊の電子書籍から「あらゆる本がリンクでつながり、世界中のすべての本が巨大な一冊を構成する一要素とな」り、「複雑に絡み合うハイパーリンクですべての本がつながる」ようなありようのことだという。

 わかったようなわからないような説明だ。
 たとえば電子書籍を読みながら、ワンクリックで関連情報が調べられたり、同じ本を読んでいるほかの人とつながれたりする仕組みができたとして、それの何が画期的なのか?
 我々はいまでも、読書の途中でパソコンやスマホに向かって同じようなことをしているではないか。

 それに、著者は後半の「読書時の集中力」の項で、その「読書用フェイスブック」のアイデアを自ら否定するようなことも書いている。
 iPadのような汎用端末で電子書籍を読むと、読書しながらついネットを見てしまったりして、読書に集中できないからよくない(趣意)と述べているのだ。
 ほかの本、ほかの人とつながりながら読書できることが「Reading2.0」ではなかったのかw?

 この一例が示すように、全体にとっちらかった内容の駄本。

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石井光太『世界「比較貧困学」入門』


世界「比較貧困学」入門 (PHP新書)世界「比較貧困学」入門 (PHP新書)
(2014/04/16)
石井 光太

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 昨日は都内某所で打ち合わせ。
 行き帰りの電車で、石井光太著『世界「比較貧困学」入門――日本はほんとうに恵まれているか』(PHP新書/842円)を読了。

 『絶対貧困』などの入門書や、『レンタルチャイルド』などのノンフィクションで、途上国の最貧困の実態を追ってきた石井光太。彼が初めて日本の貧困問題に本格的に取り組んだ本だ。

 そのために選んだ切り口は、じつに石井光太らしいもの。最貧国における絶対的貧困と、日本の相対的貧困を比較対照することで、両者のどこが違い、どこが変わらないのかを浮き彫りにした本なのだ。

 日本はいまや国民の6人の1人が「貧困層」であり、先進国でも指折りの「貧困国」になっている。
 しかし、そう言われても多くの人はピンとこないだろう。ストリートチルドレンがいるわけではないし、道を歩いていて物乞いが群がってくるわけでもないし……。
 
 だが、「日本は貧困国だ」という場合の「貧困」と、ストリートチルドレンを生むような途上国の貧困では、そもそも貧困の概念が違う。
 前者は「相対的貧困」(所得が全人口の中央値の半分未満である人)の話であり、後者は「絶対的貧困」(1日1・25ドル以下のぎりぎりの暮らしをしている人)の話なのだ。

■参考→ 絶対的貧困と相対的貧困 : CSR勉強会

 日本で「相対的貧困」に陥っている人(単身者の場合で、おおむね年収150万円以下)は約2000万人で、国民の約16%にのぼる。これが日本の「貧困層」であり、「相対的貧困層」の厚みにおいて、世界ワースト3位(1位イスラエル、2位米国)にランクされる。ただし、日本には絶対的貧困層はほとんどいない。
 
 では、日本の貧困問題は、途上国の絶対的貧困に比べれば「まだまし」なのか? 本書を読むと、必ずしもそうとは言えないことがよくわかる。

 各章は、「住居」「教育」「労働」「食事」「結婚」「病と死」などのテーマに分けられている。それぞれのテーマごとに、途上国の「絶対的貧困」と、日本の「相対的貧困」が比較されていくのだ。

 より深刻で、命の危険にも直結しやすいのは、絶対的貧困のほうである。
 しかし途上国の場合、貧困層が一つのエリアに固まって住むのが特徴だから、そこには相互扶助コミュニティがまだ息づいている。また、周囲みんなが同じように貧乏だから、貧困からくる屈辱感はあまり感じずに済む。

 それに対して、日本の「相対的貧困」では、最低水準の住居や衣食は福祉によって確保されているものの、昔ながらの“長屋の助け合い”的コミュニティはほぼ崩壊しており、孤独の深刻化が貧困をいっそう悲惨なものにしている。

 日本の貧困の悲劇は、良くも悪くも人間どうしのつながりが切れ、制度に依存しているところから発生している。国全体が貧困から脱することができたはずなのに、皮肉にもそれがさらなる格差を生み、切り捨てられてしまった人間どうしのつながりが低所得者に苦痛を及ぼしているのだ。学歴格差、孤独死、希望のない仕事、独身者の増加、経済的理由による中絶……こうしたことは、まさにそのことを示しているといえるだろう。(「おわりに」)



 途上国の「絶対的貧困」と比較することで日本の貧困問題の特徴を浮き彫りにした、ありそうでなかった本。

■関連エントリ
石井光太『絶対貧困』レビュー
石井光太『レンタルチャイルド』レビュー
石井光太『ルポ 餓死現場で生きる』レビュー

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前原政之 
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前原政之(まえはら・まさゆき)
1964年3月16日、栃木県生まれ。53歳。
1年のみの編プロ勤務(ライターとして)を経て、87年、23歳でフリーに。フリーライター歴30年。
東京・立川市在住。妻、娘、息子の4人家族。

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●「mm(ミリメートル)」は、私のイニシャル「MM」のもじりです。

●私の大好きなギタリスト・渡辺香津美氏は、ご自身のイニシャル「KW」をもじった「KW(キロワット)」を、公式サイトのタイトルにしておられます(同名のアルバムもあり)。それにあやかったというわけです。

●あと、「1日に1ミリメートルずつでもいいから、前進しよう」という思いもこめられています(こじつけっぽいなあ)。

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