矢作俊彦『フィルムノワール/黒色影片』


フィルムノワール/黒色影片フィルムノワール/黒色影片
(2014/11/29)
矢作 俊彦

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 矢作俊彦著『フィルムノワール/黒色影片』(新潮社/2484円)読了。

 『THE WRONG GOODBYE  ロング・グッドバイ』(2004)以来、じつに10年ぶりに刊行された「二村(ふたむら)永爾シリーズ」の新作。600ページ近い大作だ。

■関連エントリ→ 矢作俊彦『THE WRONG GOODBYE』レビュー

 『リンゴォ・キッドの休日』(1978)、『真夜中へもう一歩』(1985)、『THE WRONG GOODBYE  ロング・グッドバイ』につづく第4作。短くて数年、長いと10数年も次作を待たされる、なんとも気長なシリーズなのだ。

 神奈川県警の刑事・二村永爾を主人公に、横浜を舞台にしたハードボイルド・ミステリ――というのがこのシリーズだったのだが、本作では二村は刑事を辞めており、県警の嘱託として捜査を手伝う形で登場する。しかも、舞台は序盤とラストこそ横浜だが、あとは大部分が香港だ。

 神奈川県警の嘱託・二村永爾は、1本の映画フィルムの行方を追い、香港へ飛んだ。ある殺し屋がモデルとなった映画だった。この幻の作品を巡って、次々と発生する殺人事件。そして二村の前に現われた気高き女優と、謎の映画プロデューサー。日本、中国、香港、複雑な過去と現在が交錯する。日活百年記念、宍戸錠も実名で登場!

 

 ……というのが、版元による紹介。見てのとおり、日本と香港の映画界が主な舞台。日本の小説家きってのシネフィル(映画狂)である矢作が、二村シリーズで初めて映画愛を全開にした作品なのだ。

 シネフィルというより、矢作は元々映画が作りたくて、シナリオのつもりで作品を書き始めたのだという。
 それを読んだ友人が「これはどう見てもシナリオじゃない。小説だ」と言い、『ミステリマガジン』の編集長を紹介されて作家デビューに至ったとか(この対談に出てくる話。ちなみに、この対談は矢作節全開ですごく面白い)。

 作家デビュー後も、Vシネマながら2本の長編映画(『神様のピンチヒッター』と『ザ・ギャンブラー』)を監督しているし、日活アクション映画のグラフィティ『AGAIN/アゲイン』も作った。

 日本には映画監督から作家に転身した高橋治の例もあるが、そういう例外を除けば、文壇最強のシネフィルといえよう。
 そんな矢作が書いた、映画好きのためのハードボイルド・ミステリが本作なのだ。

 新潮社のPR誌『波』に、矢作と宍戸錠の刊行記念対談が掲載されていた。
 それによると、この作品は、かつての『AGAIN/アゲイン』では予算の都合でできなかったことを、紙上で実現しようとした「リベンジみたいなもの」だという。

 つまり、日活映画の名場面と名台詞を使い、それらを全部並べて、ひとつの小説をつくる、という作品。映画ではやりきれないものが、小説ならばできるだろう、と。



 なるほど。そう言われてみるとよくわかる。
 日活アクションではヤマを踏んだ主人公が「身をかわす」先は香港と相場が決まっていたし、本作には随所に日活アクションへのオマージュが埋め込まれている。
 本人として登場する宍戸錠のほか、重要なキャラとして渡哲也も登場(こちらは本人ではなく、彼が日活アクションで演じたヒーロー・杉浦五郎が蘇った形で)するのだ。

 矢作がかつて原作を書いた劇画『ハード・オン』(平野仁・画/これも傑作)も、日活アクションのパロディのような作品だった。今回はそれを小説の形でやったわけだ。

 遊び心満載の作品であり、映画好き、とくに日活アクション好きならニヤリとするくすぐりが山盛りだ。
 全編「わかる奴にだけわかればいい」というスタンスで書かれており、親切な説明は一切なし。ストーリーも錯綜し、人間関係も複雑で、わかりやすさとはほど遠い作品になっている。

 それでもいいのだ。これは一回読んで「あー面白かった」と読み捨てられるべき作品ではなく、チャンドラーの諸作のようにディテールをくり返し玩味すべき小説なのだから……。

 私は二村シリーズでは『THE WRONG GOODBYE  ロング・グッドバイ』がいちばん好きだが、本作もなかなかのもの。
 矢作自身が「今まで書いたなかでもっとも探偵小説らしいものになってます」と(前掲の対談で)言うとおり、絵に描いたようなハードボイルド探偵小説のスタイルの中に、洒脱な遊びがぎっしり詰め込まれた好編である。

 映画愛に満ちた、メモしておきたいようなセリフや一節も多い。たとえば――。

「買収されない男と売春しない女は、この世に存在しないからね。ただ人によって値段が違うだけだ」
「誰の台詞だ?」
「俺の台詞さ。俺が、いつか作る映画の」



 香港の夜を発明したやつにアカデミー賞をやらなければいけない。



「どれほどバカな夢でも、夢は捨てちゃいけないんです。百万本の映画が百万回繰り返し教えている。映画のいいところは、そこだけだ。何しろ、人生は夢と同じものからできてるそうだから」



 江口寿史のカバーイラストもいい感じだ(江口はこれまでにも、『真夜中へもう一歩』の単行本や、矢作の『さまよう薔薇のように』のカバーイラストを手がけている)。

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マライア『レッド・パーティ(悪魔の宴)』


レッド・パーティ(悪魔の宴)(紙ジャケット仕様)レッド・パーティ(悪魔の宴)(紙ジャケット仕様)
(2013/11/06)
マライア

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 マライアの『レッド・パーティ(悪魔の宴)』(キングレコード)を聴いた。

 マライア・キャリーとはなんの関係もない、1980年代日本のスーパー・グループ、マライア。
 彼らは4枚のスタジオ・アルバムと一組のライヴ・アルバムを発表して終焉を迎えたが、そのライヴ・アルバムがこれだ。
 1981年3月、渋谷エピキュラス・ホールで行われたライブを収めたもので、アナログ盤が出たのは翌82年。

 一昨年、30年以上の時を経てCD化されたもの。元は2枚組でこのCDも2枚組なのだが、トータルタイムは77分だから1枚に収めればよかったのに。

 私は彼らのファースト『YENトリックス』は日本ロック史上に残る名盤だと思う者だが、このライヴ盤を聴くのは初めて。

 毒々しい色合いのジャケットとタイトルは、まるでB級ヘビメタだ。が、中身はメタルというより、語の本来の意味でのクロスオーバー。ハードロックとフュージョンとプログレとブラコンの先鋭的部分を寄せ集めたような、独創的なロックだ。

 一流スタジオ・ミュージシャンが集まって作ったバンドだから、ライヴでも演奏は一糸乱れぬ見事なもの。

 ただ、いかんせん、ヴォーカルだけが弱い。
 ヴォーカルの村川ジミー聡は、元々歌唱力に疑問符のつく人ではあったが、スタジオ・アルバムではそのヘタさ加減があまり目立たなかった。しかし、ライヴ盤だとごまかしがきかず、ヘタさがくっきり浮かび上がってしまっている(ほかのメンバーの演奏がなまじ見事なだけに、なおさら)。

 代表曲の1つ「レット・イット・ブロー」など、ヴォーカルの音程が頼りなくふらついて、声量もなく、聴いていてイライラしてくるほど。名曲が台無しだ。

 マライア・プロジェクトのディーヴァ・村田有美も、ソロ作『KRISHNA(クリシュナ)』で「レット・イット・ブロー」を歌っているが、彼女のヴォーカルのほうがはるかにパワフルでうまい。
 マライアは村川をクビにして、村田有美を正式なヴォーカリストとして迎えるべきだった。このライヴ盤だって、ヴォーカルが村田有美だったらもっと素晴らしいものになったはずだ。

 ……と、すでにどこかに消えた村川ジミー聡(いま何をしているのだろう?)をいまさら叩いても詮ないことだが。

■関連エントリ
マライア『YENトリックス』レビュー
村田有美『KRISHNA(クリシュナ)』レビュー

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佐藤優『私の「情報分析術」超入門』


私の「情報分析術」超入門: 仕事に効く世界の捉え方 (一般書)私の「情報分析術」超入門: 仕事に効く世界の捉え方 (一般書)
(2014/09/25)
佐藤 優

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 佐藤優著『私の「情報分析術」超入門――仕事に効く世界の捉え方』(徳間書店/1512円)読了。

 タイトルに相応した内容になっているのは、第1章のみ(全体の3分の1程度)。
 あとの2~6章は、『アサヒ芸能』に連載中の時評コラム「ニッポン有事!」の2013年2月~14年6月分をまとめたもの(加筆修正されており、書き下ろしのコラムもある)だ。

 なので、佐藤優流情報分析術を開陳した「知的生産の技術」本を期待すると、やや肩透かし。
 そういう本が読みたい向きは、当ブログでも紹介した『「知」の読書術』『読書の技法』を読むとよい。

 ただ、2~6章も時評コラムとして読み応えがあるので、一読の価値はある。

 国際政治についてのコラムでは、現状への強い危機意識が全編に流れている。
 「ロシアによるクリミア編入をきっかけに国際秩序の構造転換が進んで」おり、新帝国主義の時代が到来している、との見立てから、「局地戦が拡大して、第三次世界大戦に発展する可能性を過小評価してはならない」と、著者は警鐘を鳴らしているのだ。

 この「ニッポン有事!」という連載は、論戦的性格を強くもっているのが特徴だ。
 本書所収のコラムでも、外務省の腐敗高級官僚など、著者の論敵を攻撃する筆鋒は鋭く、痛快だ。何度か登場する「陰嚢のシワを伸ばしてよく聞け」という啖呵は、私も一度使ってみたい(笑)。

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カーヴド・エア『リボーン』


リボーンリボーン
(2008/12/24)
カーヴド・エア

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 カーヴド・エアの『リボーン』(マーキー・インコーポレイティド)を聴いた。

 カーヴド・エアは、私が昔好きだったイギリスのプログレ・バンド。これは、2008年に22年ぶりの復活作として発表されたアルバム。復活していたのを知らなかった。

 ヴァイオリニストのダリル・ウェイを核に、ヴォーカルのソーニャ・クリスティーナを看板にして、クラシカルなプログレを聴かせるバンド。その点では、やはりイギリスのクラシカル・プログレ・バンドである「ルネッサンス」に近い。

 ルネッサンスの歌姫アニー・ハズラムは誰もが認める美声と歌唱力の持ち主だが、こちらのソーニャは美声というわけではないし、歌も大してうまくない(若き日の美貌は断然ソーニャに軍配が上がるのだが)。

 カーヴド・エアが1975年に発表した『ライヴ』は、それはそれは素晴らしいアルバムであった。この『ライヴ』でのソーニャは一世一代の熱唱を聴かせており、うまくはないものの、迫力がスゴイ。
 私はたまたま最初に聴いたカーヴド・エアのアルバムがこれだったもので、そのあとに聴いた彼らのスタジオ・アルバムは、どれもおとなしすぎて物足りないと感じた。

 さて、この復活作『リボーン』だが、新曲が3曲ある以外は過去のレパートリーの再録である。

 ソーニャの歌声は、年の割には衰えが見られないものの、高音シャウトがなくて物足りない。昔のようには高音が出ないのだろう。
 再録曲は、どれもきれいに小じんまりとまとまってはいるのだが、迫力不足。
 なぜそう感じるのかと考えてみるに、シンセサイザー類が1970年代に比べると格段に進歩していて、音がきれいになりすぎているのが大きな要因だろう。

 1970年代前半のELPのアルバムなどを聴くと、キース・エマーソンの弾くモーグ・シンセサイザーの音がなんとも古めかしいのだが、その無骨さ、ゴツゴツ感が逆に魅力的であったりする。

 古いシンセの無骨な音色と、ソーニャの力まかせのシャウト――『ライヴ』の大きな魅力であった2つの要素が、この復活作にはない。なので、あまり面白くなかった。ただ、ダリル・ウェイのヴァイオリンは相変わらず流麗で素晴らしい。


↑『ライヴ』の1曲「ヤング・マザー」。無骨なシンセと力まかせのシャウトの魅力。


↑若き日の美しきソーニャが歌う姿が見られる、1972年のテレビ映像。

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フローラ・プリム『バタフライ・ドリームス』ほか


Open Your Eyes You Can FlyOpen Your Eyes You Can Fly
(2000/04/18)
Flora Purim

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 フローラ・プリムの1970年代のソロ・アルバム2枚――『オープン・ユア・アイズ・ユー・キャン・フライ』と『バタフライ・ドリームス』を聴いた。

 フローラ・プリムといえば、第1期リターン・トゥ・フォーエバーでのさわやかな名唱が印象的であったが、私が彼女のソロ・アルバムをちゃんと聴いたのは初めて。

 もっと甘ったるい音楽を想像していたのだが、聴いてみたら超クール! むしろ第1期RTFよりもハードエッジなくらいだ。

 もちろん、ブラジリアン・ミュージックが基盤になってはいるのだが、一般の(というのもヘンだが)ブラジリアンよりもはるかに都会的なサウンド。曲によってはギンギンのギターが入っていたりして、ビートも強烈で、ジャズ・ロックと呼んで差し支えないほど。

 スタンリー・クラーク作曲の「ドクター・ジャイヴ」(『バタフライ・ドリームス』所収)なんて、もう思いっきりファンクでロック。カ、カッコいい……。



 第1期RTFの「ホワット・ゲーム・シャル・ウィ・プレイ・トゥデイ」での可憐なヴォーカルのイメージが強すぎて、ソロ・アルバムでこんなに強烈な曲をやっているとは思いもよらなかった。



 よい意味で予想を裏切られた。ほかのアルバムも聴いてみよう。

■余談その1
 手元にある『バタフライ・ドリームス』の日本盤(2002年発売)では、アーティスト名表記が「フローラ・プリン」になっている。中原仁という人のライナーノーツによると、日本では長い間「フローラ・プリム」と表記されてきたが、「~プリン」のほうが正しい表記なのだという。
 アントニオ・カルロス・ジョビンなどの「ジョビン」は、「Jobim」と書くが「ジョビム」とは読まない。それと同じで、「Purim」という綴りでも「プリン」なのだ、と……。
 また、中原氏はアイアート・モレイラ(フローラの夫でパーカッショニスト)についても、ブラジル読みの「アイルト・モレイラ」が正しい表記だとしている。

 うーん……。たしかに正しい(原音に忠実な)表記なのだろうが、日本では「フローラ・プリム」「アイアート・モレイラ」で定着しているのだから、それでいいじゃないかという気もする。
 ピーター・ガブリエルを「ピーター・ゲイブリエル」と表記したり、ブルースを「ブルーズ」と表記したりする「こだわりの人」がよくいるが、日本人が日本で日本風に表記して何が悪いのかと言いたくなる。
 だいたい、フローラ・プリンでは食べるプリンが頭に浮かんでしまうではないか。

■余談その2
 マイケル・フランクスの「タイム・トゥギャザー」という曲がある。マイケルの亡き愛犬「フローラ」に捧げられた曲だ。
 「君を取り戻す魔法の杖があったらいいのに」「いつかまた、愛が僕たちを結びつけてくれるよ」と、ペットロスな気持ちを切々と歌い上げて、犬好きなら涙なしには聴けない名曲である。



 あの犬の名も、フローラ・プリムにちなんだものなのではないか。マイケルはブラジリアンに強い影響を受けた人で、いかにもフローラ・プリムとか好きそうだし。

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高山恵子・平田信也『ありのままの自分で人生を変える』


ありのままの自分で人生を変える 挫折を生かす心理学ありのままの自分で人生を変える 挫折を生かす心理学
(2014/07/10)
高山恵子、平田信也 他

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 最近、自転車をこぐときに疲労を感じるようになり(とくに坂道をのぼるとき)、「この疲れやすさは、もしや重篤な病の兆候か」と不安になった。

 ところが、タイヤに空気を入れてみたらスイスイこげるようになり、疲れも感じなくなった(笑)。
 タイヤに空気がちゃんと入ってない自転車って、乗っていてすごく疲れるものなのだね。

 また、このところ家のパソコンのネット接続がしばしば途切れるので、「ルーターの買い替えどきかな」と思っていたのだが、じつはルーターの接続ケーブルが抜けかかっていただけだった。入れ直したら途切れなくなった。

 それだけのことなのだが、「こういうことって、人生にもありがちだろうな」と、ふと思った。
 つまり、タイヤの空気が抜けている程度のことを、重いトラブルだと思い込んで悩んでしまうことが、である。

 三島由紀夫は太宰治について、「太宰のもっていた性格的欠陥は、少なくともその半分が、冷水摩擦や器械体操や規則的な生活で治される筈だった」と書いた(『小説家の休暇』)。これは、一面の真理をついた言葉だと思う。
 ラジオ体操の励行とか、毎日朝日を浴びるとか、その程度のことで雲散霧消してしまう悩みを、宿痾のごとく抱え込んでしまっている人も、世には多いことだろう。


 高山恵子・平田信也著『ありのままの自分で人生を変える――挫折を生かす心理学』(サンクチュアリ出版/1620円)読了。仕事の資料として。

 先日読んだ同じ著者の『実践! ストレスマネジメントの心理学』の、姉妹編ともいうべき本。
 こちらは書き込み式ワークブックになっており、“解説編”の『実践! ストレスマネジメントの心理学』とセットで読むとよい。併読すると、著者の言わんとすることがいっそうよくわかる。

 もっとも、本書にも全項目にかんたんな解説は付されているので、単独で読んでもよい。こちらも、ていねいに作られたよい本である。

 帯には、「これまでの自己啓発書で救われなかったあなたへ」という印象的な惹句がある。
 本書の中で著者は、“自己啓発書で「救われる」人は、人間類型の中のワンタイプでしかなく、自己啓発イデオロギーが合わない人もいる。そういうタイプの人にとって、自己啓発書はむしろ有害だ”という意味のことを述べている。

 まったくそのとおりだと思った。
 多くの自己啓発書は、外向型、成長・達成感重視型の人向けに作られている。「内向型よりも、外向型のほうが人間として望ましい」という暗黙の前提に沿って書かれているため、内向型の人は、自己啓発書の言うことを真に受けてがんばってしまうと、自分に合わない無理をすることになってしまい、けっきょくうまくいかない。

 対照的に、本書は読者が自分のタイプを見極めたうえで、自分に合った「人生を変える」方法を選択できるように作られている。「どのタイプがよい」という価値判断を避け、「ありのままの自分」を肯定するスタンス――「みんなちがって、みんないい」的スタンス――で書かれている。そこに本書の価値もあるのだ。

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平井和正『サイボーグ・ブルース』


サイボーグ・ブルースサイボーグ・ブルース
(2013/05/13)
平井和正

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 平井和正の訃報に接して、本棚の奥から『サイボーグ・ブルース』(角川文庫)を引っ張り出してきて再読。
 
 少年時代に何度となく読み返した、大好きな小説。平井和正といえば、「ウルフガイ・シリーズ」や『幻魔大戦』がよく知られているだろうが、私にとっては断じて『サイボーグ・ブルース』だ。
 Kindle電子書籍で、新装版が200円という激安価格で売っていたので、それもポチった(ついでに言うと、この電書版のカバーイラストはひどい。内容とまるでかけ離れた、『ベルセルク』みたいな外見のサイボーグの絵。なんじゃこりゃ) 。

 平井が原作を書いたマンガ『エイトマン』への、「鎮魂歌」として書かれたという作品。エイトマンはサイボーグ刑事であったが(※)、この『サイボーグ・ブルース』もサイボーグ特捜官が主人公である。

※「8番目の刑事はスーパーロボット」というキャッチフレーズのとおり、『エイトマン』では「サイボーグ」という言葉は使われていない。しかし、「殉職した刑事の人格と記憶がロボットに移植された」という設定なので、ロボットというよりサイボーグである。(参考→「エイトマンとは」【ピクシブ百科事典】


 僕はこの連作長編において、マンガのフレームと商業主義的センセーショナリズムから解放されたエイトマンの実像をえがきたかった(早川書房版『サイボーグ・ブルース』のあとがき「エイトマンへの鎮魂歌」より)



 ゴッサム・シティのような腐敗しきった未来都市が舞台。悪徳警官と犯罪シンジケートの罠にはまって射殺された黒人警官が、サイボーグ特捜官として蘇る物語だ(途中で特捜官を辞め、私立探偵になる)。
 
 最初に本として刊行されたのは、1971年。いま読み返してみると、ずっとあとに登場した『ブレードランナー』のような雰囲気がある。ハリウッドで映画化したら面白いと思う(もっとも、『エイトマン』と本作が『ロボコップ』の元ネタだとも言われているようだが……)。

 ハードボイルドSF小説の先駆にして金字塔であり、2015年のいま読んでも、古臭さはほとんど感じない。
 平井和正には、こういう小説をもっとたくさん書いてほしかったなあ。

 ほかの作品では、やはりハードボイルドSFの範疇に入る『メガロポリスの虎』や『死霊狩り(ゾンビー・ハンター)』が好きだった。
 『死霊狩り』は、『エイトマン』と同じく桑田次郎とコンビを組んだマンガ『デスハンター』のノベライズ。

 一時期はいちばん好きな作家だった平井和正だが、『幻魔大戦』の途中で「これはもうついていけない」とさじを投げ、ファンをやめた。宗教団体「GLA」にのめり込んでからの彼は、それ以前とは別の作家になってしまったのである(参考→「幻魔大戦とGLA」)。

 『幻魔大戦』は、第7巻くらいまでガマンして読んだだろうか。私同様、あの作品で「ファンをやめた」人は多いことだろう。
 ただし、長編小説化される前の、最初のマンガ版『幻魔大戦』(石森章太郎との共作)は、いま読んでも名作だと思う。

 ともあれ、一時期熱心に読んだ作家の訃報は寂しい。ご冥福をお祈りします。

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くさか里樹『ヘルプマン!』


ヘルプマン!(20) (イブニングKC)ヘルプマン!(20) (イブニングKC)
(2012/03/23)
くさか 里樹

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 仕事上の必要があって、くさか里樹の『ヘルプマン!』全27巻を、丸一日かけて一気読みした。
 以前、7巻くらいまで読んだことがあったが、全巻読んだのは初めて。

 断片的に読んだときには「なんか古臭いマンガだなあ」と思ったものだが(わかりやすすぎるキャラの立て方とか)、最初から最後まで読むと、この作品がもつ底力がわかる。ベテランマンガ家の「読ませる力」というのは、やはり大したものである。

 介護業界を中心に、高齢化社会の問題点をわかりやすく描き出した作品として、過去はもちろん、今後もこれを超える作品は出てこないのではないか。
 すごいのは、認知症や介護虐待など、深刻な問題を毎回扱っていながら、「ちゃんとエンタテインメントになっていること」だ。くさか里樹は、優れたアルチザンだと思う。
 そして、全15シリーズに及ぶ各編がいずれも、最後は読者に希望を抱かせる終わり方になっている点もよい。

 ところで、主人公の熱血青年・恩田百太郎は、けっきょく最後まで(『イブニング』連載分では)介護福祉士の国家試験に合格できなかったのだね。老人介護のために生まれてきたような男(どんな老人ともすぐに打ち解けてしまう)であるにもかかわらず……。それもなんだかすごい話だ。

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井山大今『井山大今』『井山大今Ⅱ』


井山大今 II井山大今 II
(2013/09/06)
山木秀夫、高水“大仏”健司&今剛) 井山大今(井上鑑 他

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 井山大今(いのやまだいこん)の『井山大今』『井山大今Ⅱ』(shiosai ZiZO Label)を聴いた。

 井山大今は、井上鑑・山木秀夫・高水健司・今剛という日本のファーストコール・ミュージシャン4人が結成したスーパーグループ。
 「大」に当たる苗字をもつ人がいないではないか、と思うだろうが、「大」は高水健司のニックネーム「大仏」に由来する。

 4人とも好きなミュージシャンなので、2011年のファースト・アルバム発表時から気になっていたのだが、やっと聴くことができた。
 
 当然ファーストから聴いたわけだが、こちらは思っていたよりもお上品なフュージョンで、最初聴いたときの印象はあまりよくなかった。
 レーベル側の売り文句に「弾き惜しみ、叩き惜しみなど一切無い真剣勝負を展開」とあったものだから、超絶技巧の応酬が火花を散らすハイパーテクニカル・フュージョンを期待してしまったのである。

 聴いてみたら、むしろ既存のバンドではピラミッドとかに近い感じのスムースジャズ的サウンドで、拍子抜け。
 ただ、中にはハードな曲もある。また、おとなしめの曲も、聴き込むうちに細部のこだわりが見えてきて、凡百の毒にも薬にもならないフュージョンとは格が違うことがわかってくる。日本最高レベルのゴージャスなフュージョンである。

 そして、2013年発表の『井山大今 II』だが……、こ、これはスゴイ!
 全6曲でトータルプレイングタイムが約38分というのはいまどき短すぎる気もするが、2曲目から5曲目まで――「Stravinspeeding」「Heavy Snow」「Have A Cake」「Champagne Rugby」とつづくシークェンス――の密度がものすごく、この4曲を聴くだけでおなかいっぱいになる。

 その4曲はいずれも、ハードエッジなハイパーテクニカル・フュージョン、もしくはジャズ・ロックである。しかも、曲も演奏も、世界のどこにも出しても誇れるレベル。「そうそう、こういうのが聴きたかったんだよ!」と、ひとり快哉を叫んだ。

 とりわけ素晴らしいのが、今剛のギターである。
 4曲とも、ギターをバリバリ弾きまくり。「若手の速弾きギタリストには負けないぜ」とばかり、テクニックを全開。これほど弾きまくりの今剛は珍しいのでは? 「ギター小僧必聴」という感じだ。

 オープニングのスローな耽美的フュージョン「Klein Blue」と、ラストの「Speech Balloon」は、いらなかった気がする。この2曲の代わりに、中間の4曲のようなハードな曲をあと2、3曲詰め込んだら、歴史的名盤になったのに……。

 「Speech Balloon」は、大滝詠一のミリオンセラー『A LONG VACATION』に入っていた曲のインストによるカバー。
 井上鑑が大滝を師と仰いでいることは知っているが、このアルバムにこの曲は必要なかった。前の4曲でピンと張りつめた空気が、気の抜けたスムースジャズという感じのこの曲のせいで、一気に弛緩してしまう。ここだけ完全に浮いているのだ。

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高山恵子・平田信也『実践! ストレスマネジメントの心理学』


実践! ストレスマネジメントの心理学実践! ストレスマネジメントの心理学
(2014/11/10)
高山恵子・平田信也

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 今日は、都内某所で臨床心理士の高山恵子さんを取材。
 高山さんの最新著作『実践! ストレスマネジメントの心理学』(サンクチュアリ出版/平田信也氏との共著)を読んで臨む。

 これはとてもよい本だった。
 読者がストレスマネジメントの技法について知るための実用書ではあるのだが、たんなるハウツー本には終わらず、哲学的な深みがある。読みやすいのに内容は深いのだ。
 たとえば、ある種の日本文化論として読める部分があったり、上質な幸福論としての側面もあったりする。

 もちろん、「ストレスを減らしたい」「ストレスに振り回されずに生きたい」という読者の要望に応える実用書としての側面も、しっかりしている。

 信田さよ子や長谷川博一の著作を読んでも感じることだが、心理学者よりも臨床心理士の書いた本のほうが、総じて面白い。もっとも、信田や長谷川は心理学者でもあるわけだから、「臨床心理士でもある心理学者のほうが、面白い本を書く」というべきか。
 カウンセリングなどの場数を踏んでいる分だけ、悩んでいる人たちの生の姿にたくさん接しているからであろう。

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小川美潮『小川美潮+7』


小川美潮+7小川美潮+7
(2012/10/24)
小川美潮

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 小川美潮(みしお)の『小川美潮+7』(SOLID)を聴いた。

 チャクラのヴォーカルから出発し、多彩な活動をつづけてきた才気あふれる歌姫が、1984年に発表したファースト・ソロアルバムに、7曲ものボーナストラックを加えてリイシューされたもの。

 私はチャクラも好きだったし、小川美潮のソロアルバム『4to3』『ウレシイノモト』『檸檬の月』は愛聴してきたが、このアルバムは初めて聴いた。

 1990年代前半に発表された『4to3』『ウレシイノモト』『檸檬の月』は、それぞれ、アダルトな雰囲気の上質なポップス・アルバムであった。
 それに対し、チャクラの活動停止(1983)直後に作られているだけに、このアルバムにはまだチャクラ時代の名残が色濃く残っている。ポップかつアバンギャルドで、破天荒なパワーがキラキラはじける不思議な歌が並んでいるのだ。

 小川美潮の天衣無縫なヴォーカルはビョークよりもすごいと私は思うのだが、本作にはそのすごさが十全に発揮されている。

 細野晴臣が作曲した「光の糸 金の糸」もなかなかよい曲だが、私がいちばん気に入ったのは「花の子供」。
 初出時にはアルバムのラスト・ナンバーだったもので、まるで自分が死んだあとにこの世を懐かしんでいるような曲。“凄絶なリリシズム”という趣がある(作曲はムーンライダーズの白井良明)。



 そして、その次に収められたボーナストラックの「これからのむこう」は、まるで来世に向かって旅しているような曲なのだ。



 この2曲があるだけでも、本作は名作と呼ぶに値する。


↑ついでに、チャクラの名曲「Free」を。小川美潮の天翔ける歌声の素晴らしさ。

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小川美潮『ウレシイノモト』『檸檬の月』レビュー
チャクラ『さてこそ』『南洋でヨイショ』レビュー

 
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西村賢太『一私小説書きの日乗 野性の章』


一私小説書きの日乗 野性の章一私小説書きの日乗 野性の章
(2014/11/29)
西村 賢太

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 西村賢太著『一私小説書きの日乗 野性の章』(角川書店/1728円)読了。
 『一私小説書きの日乗』『一私小説書きの日乗 憤怒の章』につづく、西村の日記の単行本化第3弾。

 何を食っただの、誰に会っただのというごく普通の日記なのに、不思議と「あと引き」で、ついつい手を伸ばして読んでしまう。
 もっとも、面白さの順番でいけば小説→随筆→日記であって、日記シリーズは読み返したいとは思えないが……。

 本書に記録されているのは、2013年の5月から6月にかけての日々。
 芥川賞受賞後の狂騒が一段落して、じっくり小説に取り組める環境が得られ、しかも仕事は山ほどある。そんな充実の日々が記録されている。

 もしかしたら本書こそ、西村の人生でいちばん幸せな時期の記録になるかもしれない。……などと要らぬことを思ってしまうのは、彼の本の売れ行きが急速に落ちてきているという噂を聞いたからだ。

 内容は、いつもどおり。鯨飲馬食と買淫(「夜、買淫。当たり」などと“評価”が記されるのみ)、編集者たちとの小競り合いと共闘、そして孤独な執筆の日々。

 自分が寄稿している『新潮』の編集長を文中でしばしば罵る(よくホサれないものだ)など、相変わらず私生活ではつきあいたくないタイプの男だが、小説を書くことにだけは真摯に取り組んでいる。
 とくに本書の日記は、初長編『疒(やまいだれ)の歌』の執筆時期と重なっているから、あの作品に力が込められていた様子がまざまざと伝わってくる。

 芥川賞を受賞して収入が一気に増えてからも、西村の食生活が変わらずつつましい(カップ麺やコンビニ食材が頻出し、酒のメインはいまも宝焼酎)点にも、好感がもてる。

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松岡真宏『時間資本主義の到来』


時間資本主義の到来: あなたの時間価値はどこまで高められるか?時間資本主義の到来: あなたの時間価値はどこまで高められるか?
(2014/11/20)
松岡 真宏

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 松岡真宏著『時間資本主義の到来――あなたの時間価値はどこまで高められるか?』(草思社/1512円)読了。

 ビジネス書だが、社会の変容を腑分けして名前をつけ、鮮やかに可視化してみせたという点では、アルビン・トフラーの諸作を彷彿とさせる。
 トフラーと大前研一を足して2で割って、もっとくだいて俗っぽくしたような(笑)内容なのだ。

 「時間をもっと有効に使え」「すきま時間を活用せよ」と説く「時間術」本なら、ビジネス書や「知的生産の技術」本の定番の一つだ。
 本書にもそういう側面はあるが、それだけで終わらない。スマホの普及、ソーシャルメディアの発達などによって、すき間時間の価値が急激に上昇し、時間資本主義の時代が到来した、とぶち上げるのだ(そういえば、少し前に『里山資本主義』という本もあった)。

 「時間資本主義」とは、時間というものの価値がこれまでのどの時代よりも大きくなり、あらゆるビジネス、サービスが時間価値という観点から(も)選ばれる時代の謂である。

 企業も、個人も、「時間価値」を追求したものが有利となる、時間資本主義の時代が、幕を開けようとしています。(版元の内容紹介より)



 著者によれば、時間価値には「節約時間価値」と「創造時間価値」の2方向があるという。
 前者は「時間の効率化」、後者は「時間の快適化」に置き換えられる。その2つの時間価値のどちらか(もしくは両方)を消費者に提供するビジネスが、これからは有望だというのだ。

 人々が時間価値に重きを置き始めていることを、著者はさまざまな事例から裏付けていく。たとえば、通勤時間の短縮化。

 時間が希少なものになり、みんなが必死で自由な時間を作り出そうとしているのに、通勤に1時間以上かけるということが、時代に逆行しているのである。家計主の通勤時間が1時間以上の世帯は、2008年の時点で16・2%であり、2003年の22・2%から大きく減っている。逆に、通勤時間が30分未満の世帯は、2003年では46・3%だが2008年では53・3%と過半数を超えている。全体的に、通勤時間は短くなってきているのだ。



 このような具体例の積み重ねで、時代の変化を浮き彫りにする手際はなかなかのもの。ビジネス書である以前に、読み物として面白い。

 かつて、日商岩井の激烈な商社マン・海部八郎(「ダグラス・グラマン事件」で失脚)は、昼間からパチンコをしている人を見て、「ああ、あいつの時間を買いたいなあ」としみじみ言ったのだそうだ(本書ではなく、田原総一朗氏の本で昔読んだ話)。
 いまや、富裕層や一流ビジネスマンが、低所得層の「時間を買う」ビジネスも生まれてきている。昨秋のiPhone6発売時に、日本のアップルストアにたくさんの中国人が並んだが、あれは富裕層から金をもらい、代わりに並んで買った人たち(中国発売はなかったため)なのだという。
 そのような、メモしておきたい話もたくさん紹介されている。

 ただ、著者の主張に首をかしげた点もある。

 たとえば、著者はスマホによって人々の生産性は高まったというのだが、一概にそうは言えないのではないか。私もスマホを使っているが、スマホで生産性が上がったという実感はまったくない。
 スマホは、「最強のヒマつぶしツール」でもあるネットをポケットの中に拡張させてしまったわけで、むしろ人々の生産性を押し下げた面が強いのではないか。

 中川淳一郎は、2009年刊の『今ウェブは退化中ですが、何か?』の中で、「携帯電話がもたらすものなんて『暇つぶし』がほとんどなんだから、それにハマっていて、能力は上がるの?  そいつらの生産性は上がるの?」と皮肉っぽく書いた。私は、著者の見方よりもこちらに説得力を感じる。

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板橋文夫『WATARASE』


WATARASEWATARASE
(2005/07/23)
板橋文夫

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 板橋文夫の『WATARASE』(ウルトラ・ヴァイヴ)を聴いた。

 板橋文夫は私と同郷(栃木県足利市)のジャズピアニストで、『渡良瀬』は彼のソロアルバムの代表作。
 タイトルナンバーの「渡良瀬」は、足利など北関東を流れる渡良瀬川をイメージして作られた、郷愁と詩情に満ちた名曲だ。

 で、話が少しややこしいのだが、今日聴いた『WATARASE』は、元のソロアルバム『渡良瀬』とは別物である。

 こちらの『WATARASE』は、「板橋文夫アンソロジー」と銘打たれているとおり、板橋のベストアルバムであると同時に、彼がこれまで発表してきた「渡良瀬」の別バージョンを集めたもの。
 2枚組で、ディスク1が「渡良瀬」の元バージョンを含むベストアルバム、ディスク2が「渡良瀬」のバージョン違い7曲を集めたアンソロジーになっている。

 つまり、このアルバムには「渡良瀬」が計8つのバージョンで収められているわけだ。
 ピアノソロあり、カルテット・バージョンあり、ライヴ録音あり。さらに、民謡歌手をヴォーカルに据え、オーケストラと共演した歌詞入りの「交響詩」バージョンもある。

 私は「渡良瀬」こそ、日本が世界に誇るジャズの名曲の一つだと思う。ハービー・ハンコックの「処女航海」あたりに匹敵する価値を持つ曲であろうし、「これぞ『和』のジャズ、ジャバニーズ・ジャズだ」と感ずる。
 まあ、私自身が渡良瀬川のほとりで生まれ育ったので、多少の身びいきはあるのだが。

 ……ただ、いかな名曲といえども、さすがに8つのバージョンをつづけざまに聴いたら、ちょっと飽きてきた(笑)。

 8つのバージョンのうち、私がとくに気に入ったのは次の3つ。
 森山威男のアルバム『スマイル』に収められた、カルテットでの演奏。
 神奈川県フィルハーモニー管弦楽団と民謡歌手・金子友紀のヴォーカルをフィーチュアした、雄大な「交響詩」バージョン。
 ソロアルバム『一月三舟』に収められた、水墨画を思わせる清冽なピアノソロ・バージョン。

 これら3つは、『渡良瀬』の元バージョンをしのぐ出来だと思った。
 もっとも、この曲が最初にレコーディングされたのはアルバム『スマイル』においてだそうだから、『渡良瀬』のものはそのセルフカバーという位置づけになるのだが……。


↑森山威男カルテット・バージョン。板橋自身が渡良瀬川のほとりでピアノを演奏する映像となっている。


↑「交響詩」バージョン。金子友紀のヴォーカルも、ストリングス・アレンジも素晴らしい。

 ちなみに、板橋文夫には、やはり川の名を冠した「利根」という曲もある(『渡良瀬』所収)。これも「渡良瀬」と甲乙つけがたい名曲である。

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TRI-Offensive『TRI-Offensive』


TRI-OffensiveTRI-Offensive
(2009/06/24)
TRI-Offensive

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 「TRI-Offensive(トライ・オフェンシヴ)」の2009年のアルバム『TRI-Offensive』(キングレコード)を聴いた。

 若手№1ギタリスト・菰口(こもぐち)雄矢がまだ21歳だったころ、彼を核として結成された「ネオ・プログレッシヴ・ジャズ・ロック・トリオ」の、唯一のアルバム。

 現在はTRIXのメンバーである菰口雄矢は、昨年初のソロ・アルバム『picture』を発表したが、これは意外にアコースティック色が濃く、スムースジャズのような内容で、私にはピンとこなかった。

 だが、本作は素晴らしい。小森啓資(KENSO)と岡田治郎(PRISM)という鉄壁のリズムセクションに脇を固められ、じつに気持ちよさそうにギターを弾きまくっており、痛快無比。



 上に貼ったのは、アルバムのオープニングナンバー「フェイト・オブ・ジ・アズール」。この曲だけで、ハイパーテクニカル・フュージョンが好きな人はノックアウトされるであろう。渡辺香津美の大傑作「ハイパーK」を彷彿とさせる曲だ。

 アルバムのほぼ全編にわたって、このような疾走感みなぎるハイパーテクニカル・チューンがつづく。
 曲構成は変拍子が多用された複雑なものなのに、聴いた印象はすこぶる流麗で、複雑さを意識させない。また、メンバー3人がそれぞれすごいテクニックを披露しているのに、頭でっかちな印象がなく、ポップで聴きやすい。しかも、どの曲もバワフルで、聴いていて心が浮き立つ点もよい。

 何より驚かされるのは、21歳にして、菰口がすでにギタリストとして完成されているところ。
 そのうえ、王子様然としたさわやかなイケメン。さぞかしモテることだろう。

 このトリオが1作で終わってしまったらしいのが惜しまれる。こういうアルバムをもう1枚作ってほしい。

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松崎ナオ『正直な人』


正直な人正直な人
(1998/10/31)
松崎ナオ

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 最近、「ドキュメント72時間」というNHKの番組が気に入っている。
 この番組のよさは、「声高に主張する感じ」がまったくないところ。

 ドキュメンタリー番組というと、「社会問題を扱うもの」という無意識の縛りがある気がする。
 社会問題を扱う以上、作り手には多少なりとも「社会正義を背負っている」という気負いが生まれ、番組全体に「声高に主張する感じ」がみなぎってしまう。私はそれが苦手だ。

 ところが、「ドキュメント72時間」には社会問題を真正面から扱う感じがまったくない。1つの場所にカメラを据え、そこにいる人々の72時間をただ淡々と追う番組なのである。

 鶯谷の「信濃路」(西村賢太の随筆に頻出することで有名になった、24時間営業の居酒屋)を取り上げた回など、そこにやってくる客たちに次々と話を聞くだけの内容で、「よくまあ、これで番組として成立するものだ」と思った(ドキュメンタリーとしては味わい深いのだが)。視聴率をあまり気にしなくてよいNHKならではだろう。

 番組全体に静謐な印象があるのもよい。
 年のせいか、最近、バラエティ番組のゲラゲラ笑いなどをまるで受け付けなくなった。内容以前に、「うるさいから大声張り上げるな」と思ってしまうのだ。
 バラエティにかぎらず、民放の番組は総じて、過剰な演出が目にもうるさい。

 対照的に、「ドキュメント72時間」は番組全体がつぶやくような調子で作られている。カメラもナレーションも、登場する人々に、ただ静かに寄り添う。少しも声高ではない。その静謐さが心地よい。

 前置きが長くなった。
 その「ドキュメント72時間」のエンディングテーマとなっているのが、シンガーソングライター・松崎ナオの「川べりの家」。くり返し聴いているうちにすっかり気に入ってしまった。



 で、とりあえず、松崎ナオの最初のフルアルバムである『正直な人』(1998年)を買って、いまヘビロ中である。

 アマゾンのカスタマーレビューなどを見ると、「ドキュメント72時間」で松崎ナオを知ったという人は、私以外にもたくさんいるようだ(さすがNHKの影響力)。

 「川べりの家」の印象から、もっとフォークっぽいのかと思ったら、アルバムは意外にロック色が強い。
 曲によってはCoccoや椎名林檎を彷彿とさせたり、スザンヌ・ヴェガぽかったりする。

 コケティッシュな感じとボーイッシュでイノセントな感じが混じりあったヴォーカルがよい。
 いい曲も多い。「電球」と「あなたに向かって」は名曲だ。





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ロベン・フォード『ギターに愛を』


ギターに愛をギターに愛を
(2008/03/19)
ロベン・フォード

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 最近中古で手に入れてよく聴いているのが、ロベン・フォードの1979年のアルバム『ギターに愛を』。
 当時まだ20代だったロベンの初リーダー作である(ジャケットの彼の足の長いこと!)。

 昨年来、「ブルース熱」が昂じて古いブルースのアルバムをよく聴いている。その流れの中で、ブルースの強い影響を受けたフュージョン・ギタリストとしてロベン・フォードに再注目したしだい。

 エリック・クラプトンの諸作が「ウェルメイドなブルース入門」だとしたら、ロベン・フォードの諸作は「ブルースの上澄みをすくったような音楽」だと思う。
 ブルースのスタンダードを演っても、「もろブルース」という感じのオリジナル曲を演っても、どこか澄み切ってさわやかなのだ。

 そうしたイメージの何割かは、彼のヴォーカルがもたらすものだろう。
 ロベン・フォードのアルバムには彼自身がヴォーカルをとる曲も多いが、その歌声はブルースっぽいダミ声・しゃがれ声ではなく、ネッド・ドヒニーあたりを彷彿とさせる中性的な美声なのだ。


↑このアルバムの曲ではないが……。アルバート・キングの「Born Under A Bad Sign(悪い星の下に)」も、ロベンが歌えばこんなにさわやか。

 旧作を何枚か聴いたうち、ダントツで気に入ったのが、この『ギターに愛を(The Inside Story)』。
 いやー、これは素晴らしい。フュージョン史上に残る超・名盤だと思う。……などと私が評価するまでもなく、とっくに名盤の誉れ高いアルバムなのだろうけど。

 オープニング・ナンバー「マジック・サム」からして同名の天才ブルースマンに捧げた曲だし、全編に濃厚なブルース・フィーリングがあふれるアルバムだ。
 にもかかわらず、朝の「おめざ」音楽にふさわしいような、爽快無比のフュージョン・ミュージックに仕上がっているのだ。

 ロベン・フォードのアルバムには、『Handful of Blues』『Discovering the Blues』のように「ブルース丸かじり」な作品も多いが、私は「ブルースの上澄み」感が最も強い本作がいちばん好きだ。


↑「ブルースの上澄み」感の一例として、収録曲「For The One I Love」(邦題は「愛をこめて」)を。

 なんと心地よいギターだろう。一つひとつのフレーズが、一音一音が爽快なのだ。

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Profile 

前原政之 
イラスト/ジョージマ・ヒトシ

前原政之(まえはら・まさゆき)
1964年3月16日、栃木県生まれ。53歳。
1年のみの編プロ勤務(ライターとして)を経て、87年、23歳でフリーに。フリーライター歴30年。
東京・立川市在住。妻、娘、息子の4人家族。

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●「mm(ミリメートル)」は、私のイニシャル「MM」のもじりです。

●私の大好きなギタリスト・渡辺香津美氏は、ご自身のイニシャル「KW」をもじった「KW(キロワット)」を、公式サイトのタイトルにしておられます(同名のアルバムもあり)。それにあやかったというわけです。

●あと、「1日に1ミリメートルずつでもいいから、前進しよう」という思いもこめられています(こじつけっぽいなあ)。

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