グリーンスレイド『ベッドサイド・マナーズ・アー・エクストラ』ほか



 グリーンスレイドのファースト・アルバム『グリーンスレイド』と、セカンド・アルバム『ベッドサイド・マナーズ・アー・エクストラ』を聴いた。

 グリーンスレイドは、キーボード奏者のデイヴ・グリーンスレイドが、コロシアム解散後の1972年に結成したプログレッシヴ・ロック・バンド。
 先日聴いたコロシアムのアルバムで、デイヴ・グリーンスレイドのオルガンが素晴らしかったので、こちらにも手を伸ばしてみた。

 ツイン・キーボード(つまり、デイヴともう1人)でギターレスという、ほかにあまり類を見ない編成のバンドである。

 コロシアムとはまったく異なる音楽性のバンドで、ブルース色は皆無。
 ただし、アンディ・マクローチという人のドラムスは、手数の多さなどがジョン・ハイズマンに似ている気がするし、ジャズ・ロック的要素もあるプログレである。

 音全体に淡いヴェールがかかったような、ファンタジックな美しさに満ちたプログレ。
 『ベッドサイド・マナーズ・アー・エクストラ』は、ロジャー・ディーンのイラストを用いたジャケットがおどろおどろしい感じだが、音のほうにおどろおどろしさはない。むしろ、上品であたたかい音楽だ。

 全体に、英国的なヒネリのあるユーモアとリリシズムが感じられる。その点で、ハットフィールド・アンド・ザ・ノースやナショナル・ヘルスなどのカンタベリー系ロックにも近い。

 幻想性一辺倒ではなく、随所にスリリングな展開やフレーズがあり、静と動のダイナミズムが素晴らしい。
 このファーストとセカンドはいずれも、ブリティッシュ・プログレの名盤の一つに数えられているというが、納得。


↑ファーストのオープニング曲「翼のある友(Feathered Friends)」。まさに静と動のダイナミズム。美しい。
 
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ジム・レーヤーほか『メンタル・タフネス――成功と幸せのための4つのエネルギー管理術』



 ジム・レーヤー、トニー・シュワルツ著、青島淑子訳『メンタル・タフネス――成功と幸せのための4つのエネルギー管理術』 (CCCメディアハウス)読了。

 これも例によって、Kindle日替わりセールで安かったので買ってみたもの(いまは定価に戻っている)。
 ジム・レーヤーはスポーツ心理学の権威で、多くの一流アスリートのメンタル・トレーニングを指導してきた人。メンタル・タフネスについての著書も多い。
 著者の知見・経験を、スポーツのみならずビジネス万般にブレイクダウンして開陳したのが、本書である。

 「メンタル・タフネス」という言葉の印象から、「戦士のような暮らしをして心をガンガン鍛え、何事にも動じない鋼のメンタルに変える方法が書かれているのだな」と思い込む人も多いだろう。
 実際に読んでみればそうではなく、むしろ著者は心の休息の大切さをくり返し訴えている。ただしそれは、「頑張らなくてもいいんだよ」的な角度ではない。“心を鍛えるためには、休息してエネルギーを蓄えることが不可欠のプロセスである”との主張なのだ。

 筋トレをする場合、筋肉に負荷をかけてトレーニングしたあと、休息をとって「超回復」を促すことが重要なのは、多くの人が知っているだろう。著者は、この「超回復理論」をメンタル・トレーニングに援用している。
 つまり、著者は“休息の時間を日常の中にきちんと組み込まないと、強くなれない”と捉える立場なのだ。

 この主張は、私にはけっこう目からウロコだった。
 私にとって「休息」のイメージは、「たまには入れないと心が折れてしまうから、仕方なく週に一度くらい入れるもの」だった。それに対し、著者は毎日の生活の中に休息をきちんと位置づけ、「エネルギーの消費と回復のバランス」を取ることが、適切な「エネルギー管理」のために何よりも重要だと言うのである。

 行動するにはエネルギーが必要だ。そして、じっとしてエネルギーを消費しないより、エネルギーを消費してから回復するほうが効果的なのである。



 エネルギーの消費ばかりが進み、適切な回復をしないと、燃え尽きたり、活動が続けられなくなったりする。回復ばかりに重点を置いて、適度なストレスが与えられないと、退化や衰えを招くことになる。



 ……などという著者の考え方は、大げさに言えば「休息観の革命」だ。
 元本は2004年に出たものだが、いまの「働き方改革」を考えるうえでも、著者の休息観は示唆に富んでいると思う。

 読みながらしばしば思い浮かべたのは、私のお気に入り本の一つ、ロイ・バウマイスターの『WILLPOWER 意志力の科学』だ。
 
 バウマイスターが「意志力」と呼んでいるものを、レーヤーは「エネルギー」と呼んでいる。
 意志力・エネルギーが、筋力と同じように「トレーニングで鍛えられる」と考えている点、また、「限りある資源だからこそ、大事に管理して使わないといけない」と考えている点で、両者の認識は一致している。

 2冊を併読すると、いっそう有益だと思う。

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岩明均・室井大資『レイリ』



 原作・岩明均、漫画・室井大資の『レイリ』(少年チャンピオン・コミックス エクストラ)を、既刊1~3巻を買って一気読み。
 『寄生獣』『ヒストリエ』の岩明均が初めて原作に回り、『秋津』や『イヌジニン ―犬神人―』 の室井大資に作画をまかせた戦国活劇である。

 いやー、これはメチャメチャ面白い。

 主人公・レイリ(零里)は、百姓の娘でありながら、「長篠の戦い」(1575年)の落ち武者狩りの巻き添えで両親と弟を惨殺されてしまう。
 そのとき自らも殺されかけるが、敗走中だった武将・岡部丹波守元信(今川家家臣を経て、甲斐武田家家臣)に救われ、彼に育てられる。

 戦に出て、恩人「丹波さま」のために戦い、家族を惨殺した敵方(織田・徳川連合軍)の武士を一人でも多く殺したい。そして、最後は討ち死にして家族の元に行きたい。一日も早く……。そんな狂おしい思いを胸に、剣術の稽古に明け暮れるレイリ。
 4年後――。天賦の才が開花し、15歳のレイリは雑兵たちが誰もかなわないほどの腕になっていた。

 だが、レイリの顔が武田勝頼の嫡男・信勝(当時13歳)に瓜二つであったことから、彼女は男のなりをして信勝の影武者となることを命じられる。

 ……という感じのストーリー。

 滅法強い美少女剣士を主人公に据えている点は、小山ゆうの『あずみ』を彷彿とさせる。
 『あずみ』は長期連載の過程で似たような話のくり返しになり、だんだんテンションが下がっていった。対照的に、『レイリ』のストーリーは緊密で、遠からぬクライマックスに向けて少しずつ盛り上がっていく感じがたまらない。

 また、とっくに誰かが指摘しているだろうが、レイリと信勝の関係は、『キングダム』(原泰久)における信と政(のちの秦の始皇帝)の関係とオーバーラップする。
 「『キングダム』と『あずみ』を足して2で割ったようなマンガが作れないかなァ」というのが、最初の着想だったのかもしれない。もちろん、岩明均のオリジナリティで染め上げられているので、パクリ感は微塵もないが……。

 岩明も『寄生獣』のころと比べたら絵がうまくなったが、それでも絵の魅力で売るタイプのマンガ家ではないから、原作に徹したことは正解だと思う。
 とくに、随所で展開されるスピード感みなぎる戦闘シーンは、岩明の絵柄では迫力不足だったろう。

 「死にたがりの美少女剣士」という主人公造型のキャラ立ち感がハンパない。印象的な場面もたくさんある。岩明のストーリーテリングはさすがだ。

 私たちは、現在のストーリーのわずか3年後に甲斐武田家が滅亡し、最後の当主となった信勝が16歳で自害して果てることを知っている。
 そのとき、レイリはどう死ぬのか? あるいはどう生きるのか? これから目が離せないマンガである。

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コロシアム『ヴァレンタイン組曲』ほか



 イギリスのジャズ・ロック・グループ、コロシアムの『コロシアム・ファースト・アルバム(For Those Who Are About to Die We Salute You) 』と、セカンドに当たる『ヴァレンタイン組曲(Valentyne Suite)』を1枚にまとめた2in1のCDを購入。ヘビロ中。
 2枚とも1969年発表のアルバムなのだが、「この時代にこんなすごいことをやっていたのか」と驚かされる。

 コロシアムといえば、この2枚のあとに出た『COLOSSEUM LIVE』(1971年)が、名盤として挙げられることが多い。



 が、私はどうもこのライヴ盤が肌に合わない。野太い声を張り上げるクリス・ファーロウのヴォーカルが、オペラ歌手が無理してロック風に歌っているみたいな感じで、暑苦しくて苦手なのである。

 ファースト/セカンド時点ではまだファーロウが参加しておらず、ギターのジェイムス・リザーランドがヴォーカルも兼ねている。
 リザーランドのヴォーカルはヘタウマ風で、歌唱力ではファーロウの圧勝だろう。だが、うまければいいというもんでもない。枯れた味わいで目立たないリザーランドのヴォーカルのほうが、むしろ他のメンバーの演奏力が際立つと思うのだ。

 一口にジャズ・ロックと言っても、どんなジャズとどんなロックを混ぜ合わせるのかによって、出てくる音はまるで違ってくる。
 コロシアムの場合、ブルース・ロックにオーソドックスなモダン・ジャズを混ぜ合わせ、スパイスとしてプログレも加えました……という趣。
 ジャズ的要素をおもに司るのがディック・ヘクストール=スミスのサックスで、プログレ的要素をおもに司るのがデイヴ・グリーンスレイドのオルガンである。
 ゆえに、ブルース・ロックが好きな人なら抵抗なく楽しめるだろう。クリームとか、けっこう近い。クリームにサックスとオルガンを加えたようなサウンドといってもよい(※)。

※……と書いたあと、松井巧著『ジャズ・ロック』のコロシアムの項を読み直したら、“コロシアムはリーダーのジョン・ハイズマンが、クリームに対抗意識を燃やして結成したバンド”という主旨の記述があり、「やっぱり」と思った。


↑『ヴァレンタイン組曲』のタイトル・チューン。緻密に構築された名曲。

 コロシアム解散後、リーダーで凄腕ドラマーのジョン・ハイズマンがギタリストのゲイリー・ムーアらと結成したのが「コロシアムⅡ」である。
 このコロシアムⅡは、同じジャズ・ロックでもフュージョン寄り、インスト・ロック寄りで、ブルース色は希薄。コロシアムとコロシアムⅡは、まったく別物と捉えたほうがいい(私はコロシアムⅡも好きだが)。

 私は『コロシアム・ファースト・アルバム』のほうは初めて聴いたが、これもなかなかよい。名盤の誉れ高い『ヴァレンタイン組曲』にひけを取らない出来だ。

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宝木範義『パリ物語』



 月に一度くらいの割合で、仕事が詰まっているのに、まったく原稿を書く気にならない日がやってくる。
 私にとっては昨日がその日で、何もせずにダラダラと過ごしてしまった。

 昔はそんなときに「ああ、丸一日無駄にしてしまった。俺はなんてダメな奴なんだ」と落ち込んだりしたものだが、最近は「女性の生理のようなもの」だと思うことにしている。
 そのココロは、「あってあたりまえだし、ネガティブに捉える必要もない」ということ。「あ、今月は今日きちゃったかァ。しょうがないな。今日はダラダラしよう」という感じ。

 「何もせずにダラダラする日」も、人間にとっては時に必要であり、大切な「人生のすき間」なのである。
 そうした「すき間」をもうけないまま、長年ギチギチの状態で生きていると、心や体の病の引き金になりかねないのだと思う(と、怠けの自己弁護)。


 宝木範義(たからぎ・のりよし)著『パリ物語』(講談社学術文庫)読了。仕事の資料として。

 タイトルやカバーの印象は、「パリに旅する人のための旅行ガイド的エッセイ」という感じだ。じっさい、そのような読み方・用い方もできる本だが、内容はもっと高尚で文化的である。

 これは何より、「芸術の都」としてのパリの歴史をたどった文化史であり、とくに美術史にウェートが置かれた内容なのだ。
 しかも、「パリの文化史」が編年的に、無味乾燥に記録されるのではなく、薫り高いエッセイとして綴られている。
 元は新潮選書の一冊だったそうだが、講談社学術文庫に収められるにふさわしい本だ。

 著者は、世田谷美術館学芸部長なども務めた美術評論家。『ウィーン物語』という、同系列の著書もある。

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PANTA & HALのアルバムがPrime Musicに!



 Amazonのプライム会員なら無料で利用できるPrime Musicに、PANTA の主要作品がほぼすべてアップされた。頭脳警察時代からソロ作品、PANTA & HAL名義の作品まで。

 私は、77年から81年までの短期間活動したPANTA & HALこそ、当時の日本で最高のロックバンドだったと思う(いや、いまの時点で考えても、彼らを超えるバンドはいないのでは?)。
 PANTA & HALが残した3作のアルバム(『マラッカ』『1980X』と、ライヴ盤『TKO NIGHT LIGHT』)は、いずれも日本ロック史上に残る傑作だ。

 全編に「溢れるラディカリズムとロマンティシズム」(これはPANTAの詩集『ナイフ』の帯の惹句)――。
 楽曲の素晴らしさ、「HAL」の演奏の質の高さ(ギターの1人は若き日の今剛だったりする)、PANTAの精悍なヴォーカルの魅力、圧倒的なオリジナリティ……どこをとっても非の打ち所がない。

 もちろんソロ名義の『クリスタルナハト』や『R☆E☆D』なども素晴らしいのだが、私はPANTA & HAL時代がいちばん好きだ。

 PANTAを知らない若いロックファンは、この機会にぜひ聴いてほしい。

 なお、PANTAの諸作と一緒に、10年早すぎた隠れた名バンド「トルネード竜巻」の全作品(2枚のフルアルバム、3枚のミニアルバム、4枚のシングル)もPrime Musicにアップされた。これもAmazonグッジョブ!
 トルネード竜巻も忘れ去られるには惜しいバンドなので、これを機に新しいファンが増えるとよいと思う。

■関連エントリ→ トルネード竜巻『アラートボックス』ほか

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『ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち』



 『ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち』を映像配信で観た。



 ランサム・リグズのファンタジー小説を、ティム・バートン監督が映画化したもの。
 なんだか日本ではあまり話題にならなかった気がするが、観てみたら大変面白かった。

 グロい場面は少しあるが、エロ要素は皆無なので、子どもも一緒に観られる映画。それでいて、随所にティム・バートンらしい毒気もたっぷりあって、十分大人の鑑賞に堪える。

 空気より軽くて浮かび上がってしまう少女(飛んでいってしまわないように重い鉛の靴を履いている)、お腹の中にたくさんの蜂を飼っている少年、手から火を放つ少女など、それぞれ異能力を持つ子どもたちが、共に暮らす屋敷――。
 時間を操る能力を持つ「ミス・ペレグリン」はその屋敷の主人で、子どもたちの護り人である。

 屋敷は1943年9月3日にドイツ空軍の空襲を受けて破壊され、子どもたちは全員が死んだ。しかし、同じ時間をくり返す「ループ」と呼ばれる状態を作ることによって、空襲のあった日を永遠にくり返し、彼らは子どものままそこで暮らしている。

 現代の少年である主人公ジェイクは、かつてその屋敷の住人であったという祖父の死の謎を解くため、ウェールズにある屋敷に向かう。
 廃墟にしか見えない屋敷にジェイクが足を踏み入れると、そこは1943年9月3日の世界だった。

 ……という感じのストーリー。
 ミス・ペレグリンと、異能力を持った子どもたちのキャラクター造型が素晴らしく魅力的だ。心地よい酩酊感に満ちた、極彩色の悪夢という趣。

 異能力を持った子どもたちを「狩り」、その目玉を貪り食うことで人間の姿を取り戻そうとする「ホロー(悪の異能者)」たちと、ミス・ペレグリンたちとの戦いがストーリーの核になる。その戦いの中で子どもたちがそれぞれの異能力を活かしていくあたり、ファンタジーの王道という感じだ。
 ティム・バートン作品が好きな人なら楽しめる映画だと思う。

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的場昭弘『大学生に語る資本主義の200年』



 的場昭弘著『大学生に語る資本主義の200年』(祥伝社新書/886円)読了。仕事の資料として。

 マルクス経済学者で神奈川大学教授の著者が、自身のゼミで行った連続講義の書籍化。ゆえに語り口調の文章で書かれており、テーマがヘビーなわりには読みやすい。

 「資本主義とは何か? 社会主義・共産主義とは何か?」という、わかったようでじつはよくわかっていない(少なくとも私は)問いに、現代のアクチュアルな問題を随所で例に挙げながら、さまざまな角度から答えていく内容だ。つまり、編年的に資本主義の歴史を追っていく本ではない。

 この著者の本は、前に『一週間de資本論』というのを読んだことがある。
 同じ祥伝社新書で全3巻にわたる『超訳「資本論」』という著書も出しているし(10万部も売れたそうだ)、マルクス経済学を一般人に平明に伝える「インタープリター」として、大活躍である。

 目からウロコが落ちる記述が多数。そのうちの一つを引いてみよう。ロシアがクリミア半島を編入決定したウクライナ問題についてのくだりである。

 EUと非EUの境界線にある国――それが、「先進的資本主義国の傘下にあるか、そうでないか」の境目でもあるわけです。資本主義は、その搾取の対象となる土地と人民を拡大していくことによってのみ、生きながらえられます。対象となる場所がなくなったら、もう終わりです。
 プーチンが何に怒っているかというと、このような形でどんどん切り崩されていき、その影響がついに自分の国のすぐ隣にまでおよんだからです。かつて、アメリカのすぐ近くに社会主義国家ができたとき(1959年のキューバ革命)、アメリカは激しく不快感を示しましたが、これと同じことがロシアのすぐ近くで繰りひろげられているというわけです。つまりこれは、ロシアにとっての“キューバ問題”です。



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アンドレア・ウルフ『フンボルトの冒険』



 アンドレア・ウルフ著、鍛原多惠子訳『フンボルトの冒険――自然という〈生命の網〉の発明』(NHK出版/3132円)読了。書評用読書。

 フンボルト海流やフンボルトペンギンなど、多くの事績・地名・動物等にその名を冠された、ドイツの博物学者・探検家アレクサンダー・フォン・フンボルトの伝記である。

 多くの日本人にとって、フンボルトは「名前は知っているけど、何をやった人なのか、よくわからない」存在だろう。私にとってもそうだ。
 欧米等でも事情は同じらしい。本書によれば、フンボルトは「英語圏ではほぼ忘れ去られている」という。

 だが、存命のころには「世界でナポレオンに次ぐ有名人」とも呼ばれ、「科学界のシェイクスピア」などという輝かしい異名を持っていた。

 フンボルトの業績として、「等温線」の考案、「磁気赤道」の発見、「植生帯」「気候帯」の概念の提唱などがある。
 しかし、彼のなし遂げたことで最も重要なのは、「私たちの自然観を根本的に変えた」ことだと、著者は言う。

 自然の中のあらゆるものに関連性を見出し、「この壮大な因果の連鎖がある限り、独立して考えられるものは一つもない」と、フンボルトは書いた。現代の「生態系」の概念、地球を一つの生命体と見なす「ガイア理論」などは、フンボルトの自然観から生まれた“子ども”なのだ。

 フンボルトは、人類の営為によって気候が変わってしまう危険性を初めて指摘した。つまり、「環境保護運動の父」でもあるのだ。

 また、フンボルトは終生奴隷制否定論者であり、あらゆる民族は平等な価値を持つと考えた、先駆的な人権感覚の持ち主でもあった。

 フンボルトが独自の自然観を構築するまでの道筋を、著者は丹念に辿っていく。その自然観は、長期的な南米大陸探検など、フンボルトがくり返した探検調査によって培われたものだった。
 何度も命の危険にさらされた、書名通りの「冒険」であったそれらの旅を、著者はつぶさに描き出す。作家・歴史家である著者の文章は映像喚起力に富み、臨場感と豊かな詩情を併せ持っている。

 また、フンボルトが交友を結んだ綺羅星の如き人々――生涯の親友ゲーテや、南米解放の革命家シモン・ボリバル、第3代合衆国大統領ジェファーソンなど――の横顔も綴られ、それぞれ興趣尽きない。

 そして後半では、フンボルトが後代に与えた広範な影響についても、詳述されていく。
 ダーウィンは、フンボルトの著作に強い影響を受けて、歴史的なビーグル号の航海に出た。ダーウィンの進化論もまた、フンボルトの影響下にあるのだ。
 ほかに、『森の生活』のソロー、「生態学」の概念を提唱したヘッケル、自然保護の父ジョン・ミューアらがフンボルトの強い影響を受けていることが、それぞれ一章を割いて明かされていく。

 本書は丹念に書かれた第一級の伝記であり、科学史/科学ノンフィクションとしても抜群の読み応えがある。
 フンボルトの子ども時代が綴られる序盤はやや退屈だが、そこを超えれば、印象的なエピソードの連打で一気読みできるだろう。

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ゲイ・タリーズ『覗くモーテル 観察日誌』



 ゲイ・タリーズ著、白石朗訳『覗くモーテル 観察日誌』(文藝春秋/1912円)読了。

 電車の中では読みにくいようなタイトルとカバーの本だが、内容は真面目なノンフィクションである。

 米国の大御所ノンフィクション作家であり、「ニュー・ジャーナリズムの父」とも呼ばれるゲイ・タリーズ。
 彼が1981年に刊行した『汝の隣人の妻』は、性革命以後のアメリカの新しい性の動向を捉えた衝撃的な作品であった。著者自らが性風俗店を経営してみたり(!)、スワッピングの場に潜入してみたりして書かれた問題作だったのである。

 この 『汝の隣人の妻』が話題になっていた1980年に、タリーズの元に匿名の速達が届く。
 そこには、「自分はモーテルの経営者だが、宿泊者の様子を覗き見できる仕組みを作り、長年にわたって彼らの性の営みを観察し、詳細な記録をつけてきた。その記録があなたの作品に活かせると思うので、話を聞いてほしい」(主旨)とあった。

 ただし、実名が明かされたら罪に問われるため、名前やモーテルの場所は書かないでほしい、というのだった。
 作品はすべて実名で書くという信念を持つタリーズは、男の話を作品化するつもりはなかった。が、好奇心にかられ、現地に取材に赴き、その後は手紙のやりとりを重ねた。

 そして、出会いから30年以上を経た2013年になって、すでにモーテルを廃業し、80歳近くなった男から「出訴期限がすぎ、覗かれた人々から訴えられるリスクがなくなったため、日誌を公表してもらって構わない」(主旨)との申し出を受ける。
 そうした経緯から作品化されたのが、本作なのだ。

 江戸川乱歩の『屋根裏の散歩者』を地で行く話だが、本書はまぎれもないノンフィクションであり、読み始めたら下世話な興味にかられてページを繰る手が止まらない。
 もっとも、ポルノグラフィー的要素は意外に希薄で、むしろ「生きる哀しみ」、ペーソスが基調として感じられる書である。

 内容の半分程度を、男(ジェラルド・フースという)の「観察日誌」の引用が占めている。そのため、タリーズの他の作品に比べ、薄味であることは否めない。それに、「奇書」のたぐいでもある。
 が、昔の『噂の眞相』風に言うなら「ヒューマン・インタレストあふれる」本で、面白いことは間違いない。

■参考→ 「文春オンライン」で、本書巻末の解説(青山南)の全文が読める。
 
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『ザ・コンサルタント』



 『ザ・コンサルタント』を映像配信で観た。



 田舎町の会計士が、じつは腕利きの殺し屋だった……という設定のアクション映画。
 
 地味な職業の主人公が、じつは百戦錬磨の戦闘マシーンで、封印していた能力を使って大暴れ……という物語は、『イコライザー』から『湯けむりスナイパー』に至るまで、たくさんある。
 本作もそのバリエーションの一つだが、一連の類似作の中で飛び抜けて奇妙な映画になっている。

 主人公が高機能自閉症で、軍人の父が「一人で生きていけるように」と、少年時代から格闘術や射撃術など、あらゆる特殊技能をスパルタで仕込んだ(おいおい)……という設定が、まずぶっ飛んでいる。

 それに、クライマックスの展開は、「予想の斜め上を行く」という言葉がピッタリのとんでもないもの。
 「えーっ? そんな決着のつけ方アリ?」、「電話の女の正体って、あの人? そんなのアリかよ!」と、目がテンになること請け合いだ。

 しかも、主人公が最後に行う「殺し」がある種のギャグになっていて、不謹慎ながらもつい爆笑してしまう(『インディ・ジョーンズ』第一作で、ハリソン・フォードが半月刀のアラブ人を無造作に射殺するギャグへのオマージュみたいな感じ)。
 全体が意外にシリアスだからこそ、突出した奇妙さを観客に与えるギャグである。

 ストレートにスカッとする映画ではなく、二重三重にヒネリが加えられた、変なアクション映画。でも、私はこの奇妙な味わいがけっこう気に入った。
 アクションには迫力があるし、ヒロインのアナ・ケンドリック(彼女を守るために主人公は闘う)はバンビみたいでキュートだし。

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安宅和人『イシューからはじめよ』



 安宅和人著『イシューからはじめよ――知的生産の「シンプルな本質」』(英治出版)を、Kindle版で読了。
 7年前に刊行されたときから気になっていた本。先日「Kindle日替わりセール」で定価の3分の1という激安価格で売っていたので、買ってみた。

 ビジネス書ではあるが、副題のとおり「知的生産の技術」本として読むことができる。
 しかも、“知的生産の「生産性」を上げるために、本質的に大事なこととは何か?”が詳述された内容である。

 本書に書かれた、“イシューを見極め、仮説を立て、問題解決の方途を探る”ということを、ビジネスマンなら事業上の問題解決や新規ビジネス開発などに活かせるだろうし、研究者なら新しい研究テーマの決定などに活かせるだろう。

 そして、私のような物書きにとっても、新しい作品(ノンフィクションなど)に取り組むときのテーマ決定から執筆に至る工程に活かせるヒントが、ちりばめられている。

 もっとも、お手軽な「仕事に役立つライフハック集」ではないから、そういうものを期待して読むと「何を言っているかわからない」という肩透かし感を味わうかもしれない。
 かなりハイブローで根源的な内容だから、一つの分野である程度長いキャリアを積んだ人間でないと、著者の言っていることが理解しにくいのだ。

 著者は現在ヤフーの「チーフストラテジーオフィサー」だが、ビジネスの世界に進む前にはニューロサイエンス(脳神経科学)の研究者であったという。その知見が随所に活かされており、「脳科学的見地から書かれた知的生産本」として読むこともできる。

 何より、著者が随所で説く“プロフェッショナルとして仕事に臨む姿勢”に、感銘を受けた。
 たとえば――。

 労働時間なんてどうでもいい。価値のあるアウトプットが生まれればいいのだ。たとえ1日に5分しか働いていなくても、合意した以上のアウトプットをスケジュールどおりに、あるいはそれより前に生み出せていれば何の問題もない。「一所懸命にやっています」「昨日も徹夜でした」といった頑張り方は「バリューのある仕事」を求める世界では不要だ。



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『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』



 『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』を映像配信で観た。



 『スター・ウォーズ』本編シリーズを補完する、スピンオフ・シリーズの第一弾。
 1977年の『スター・ウォーズ』第一作(『スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望』)の直前までが描かれている。
 第一作の冒頭でレイア姫がR2-D2に託した、銀河帝国軍の究極兵器「デス・スター」の設計図――それをどのようにして反乱軍側が手に入れたのかを、解き明かすストーリーなのだ。

 私は第一作を中学生時代に封切りで観たけれど、以後の『スター・ウォーズ』シリーズについてはよい観客ではなかった。正直言うと、第一作をあまり面白いと感じなかったのだ。

 が、この『ローグ・ワン』はとても面白かった。
 本作を、ゴジラ・シリーズにおける『シン・ゴジラ』に相当する作品として評価した映画評論家がいた。たしかに、これまでの『スター・ウォーズ』シリーズよりもリアリズムを追求した作品で、その点は『シン・ゴジラ』に近いかも。
 戦闘シーンがかなりリアルで、SFというより戦争映画のようなのだ。反乱軍兵士たちの薄汚れた感じもリアル。

 「ローグ・ワン」(反乱軍のはぐれ者たちからなる奪取部隊)の面々が、強大な帝国軍に押されて一人また一人と死んでいき、デス・スターの設計図という「希望」だけが残るクライマックスは、感涙必至である。

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慎泰俊『ルポ 児童相談所』



 昨日は取材で仙台へ――。
 編集者氏からは「泊まりますか?」と聞かれたが、原稿の〆切が山積みなので、断腸の思いでことわって日帰り。夕食に仙台駅で牛タン定食を食べて、つかの間観光気分を味わう。
 GWなどまったく関係なく、仕事ざんまいである。

 今回は、バングラデシュの空軍司令官・食糧大臣などを歴任された、A.G.マムード氏への取材。
 1977年に起きた日本赤軍によるダッカ日航機ハイジャック事件で、バングラデシュ側の交渉責任者になり、人質の全員解放に尽力された方……といえば、思い出す人もあろう。



 今回、40年の時を経て日本政府から叙勲されるために来日されたのである。

 東北大学へのバングラデシュからの留学生たちとの交流会にも同席させていただき、楽しい時をすごした。


 行き帰りの新幹線で、慎泰俊(シン・テジュン)著『ルポ 児童相談所/一時保護所から考える子ども支援』(ちくま新書/842円)を読了。仕事の資料として。

 著者は社会起業家だが、これは本職のノンフィクション作家顔負けの見事なルポであった。日本の児童相談所の実態を、併設される「一時保護所」のことにフォーカスして描き出したものだ。

 著者自らが全国10ヶ所の一時保護所を訪問し、そのうち2つには住み込み、子どもたち、親、児相職員ら100人以上にインタビューを行ったという取材の厚みが素晴らしい。

 従来、この手のルポは、児相側か親側のどちらかに偏りがちだった。とくに、一方的な「児相悪者論」の本が目立った。それに対し、本書はどちらにも偏らず、「児相のいま」を中立的な視座から浮き彫りにしている。

 児相が疲弊しきっている現状を明らかにしたうえで、改善策を細かく提示している(このへんは社会起業家らしい)点も好ましい。

 児童虐待や「子どもの貧困」の問題を考えるうえで、必読の良書である。

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MASH『MASH』



 MASHのアルバム『MASH』(ワーナーミュージック・ジャパン/1404円)を聴いた。

 MASHは、1981年にこのアルバム1枚を発表しただけで消滅してしまった幻のロック・バンド。
 松岡直也 (key) を中心に、村田有美 (vo)、清水信之 (key)、青山徹 (g)、富倉安生 (b)、村上“ポンタ”秀一 (ds) 、ペッカー (per)という錚々たる面々が参加している。

 MASHは、「もう一つのマライア・プロジェクト」ともいうべきバンドであった。
 もっとも、「マライア・プロジェクトのディーヴァ」 村田有美が加わっていることを除けば、マライアとはメンバーが重なっていない。それでも、ジャズ/フュージョン系の一流ミュージシャンが集結して作ったロック・バンドという点で、マライア・プロジェクトとよく似ているのだ。登場時期もほぼ同じだし。

 このアルバムは長らく入手困難で、中古市場で高値を呼んでいたのだが、先月、待望のリイシューがなされた。
 私もずっと聴いてみたかったアルバムなので、さっそくゲットしたしだい。

 私は村田有美のヴォーカル目当てで手を伸ばしたのだが、全8曲中、村田が歌っているのは3曲のみ。ほかはインスト曲が3曲と、ギタリストの青山徹とパーカッションのペッカーが歌っている曲が1つずつ。

 村田有美という傑出したヴォーカリストが参加していながら、なぜ2人に歌わせたのか、解せない。青山徹は「愛奴」時代にも歌っていたからまだしも、ぺッカーは歌については素人なのに……。全曲村田のヴォーカル曲にすればよかったのだ。

 ただ、村田有美が歌っている3曲はいずれも素晴らしい仕上がり。とくに、ダイナミックなロック・チューン2曲「パルス」「ラヴ」のなんとカッコイイこと。

 サウンド的には、マライア・プロジェクトの一作である村田のソロ『KRISHNA』や、マライアのファースト『YENトリックス』に近い。ただ、マライア・プロジェクトほど先鋭的ではなく、「普通のフュージョン」色が随所に残っている。

 インスト曲3曲は、いまでいえばトリックス(TRIX)に近い、ロック寄りで疾走感あふれるハイパーテクニカルフュージョン。なかなかよい。
 ただ、やはり村田有美のヴォーカル曲が抜きん出ている。

 あと、せっかくSHM-CD仕様になっているにもかかわらず、音質がペラペラでショボすぎ。元のアルバムの録音がよくなかったのだろうか。

■関連エントリ
村田有美『KRISHNA(クリシュナ)』
マライア『YENトリックス』

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三田紀房・関達也『銀のアンカー』



 三田紀房・関達也作『銀のアンカー』全8巻をセットで購入し、一気読み。
 
 仕事上の必要があって読んだ。コミックスのカバーに「内定請負漫画!!」とあるとおり、他にほとんど類を見ない(少なくとも、2006年の連載開始当時には類似作がなかった)「就活マンガ」である。

 アメリカ帰りの伝説的ヘッドハンターである主人公が、日本の大学生たちに就活の極意を指南していくというストーリー。
 作者が大ヒット作『ドラゴン桜』の三田紀房であることから、「就活版『ドラゴン桜』」と呼ばれている。

 三田とともにクレジットされている関達也という名前は、原作者かと思ったらそうではなく、三田の元チーフアシスタントで、途中まで(3巻まで)作画をまかされていたのだそうだ。

 私自身は就活というものをした経験がなく、そもそも「企業の正社員になる」という意味での就職をしたことがない(編プロにいたときはバイト扱いだったし)。
 なので、“就活という未知の世界”を垣間見る思いで読んだ。そのせいか、大変面白く読めた。

 三田紀房の絵柄は雑で好きになれないが、それでも彼のマンガはいつも水準以上の面白さを保っていると思う。高校生が株式投資をする『インベスターZ』なども、設定自体が卓抜だし、じつに面白い。

 絵柄については、三田自身が「自分は絵の魅力で売るタイプではないから、最低水準さえクリアすればよい」と割り切っているのかもしれない。
 彼の著書『徹夜しないで人の2倍仕事をする技術』 を読むと、じつにドライにビジネスと割り切ってマンガ作りに取り組んでいるようだし……。

■関連エントリ→ 三田紀房『徹夜しないで人の2倍仕事をする技術』

 この『銀のアンカー』は、就活に勝つためのノウハウ集としても読めるし、何より「就活に頑張って取り組もう!」と若者を鼓舞する効果が高いマンガだと思う。

「面接とは相手に本気を伝えることだ。それができれば必ず成功する。本気じゃない一流大生に、本気の三流大生は勝てる!」(句読点は引用者補足)



 ……などという、メモしておきたいような熱いセリフも多い。

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福島次郎『蝶のかたみ』



 福島次郎著『蝶のかたみ』(文藝春秋)読了。

 2006年に亡くなった著者の代表作である「蝶のかたみ」と「バスタオル」の2編(いずれも芥川賞候補にのぼった)を収めたもの。
 私は、小谷野敦氏が「バスタオル」を高く評価していたので読んでみた。

 収録作2編とも、同性愛者であった著者の自伝的小説である。
 「蝶のかたみ」は、同性愛者の兄弟の絆を描いたもの。「バスタオル」は、高校教師と教え子の同性愛関係を描いたものだ。

 「蝶のかたみ」も好編ではあるが、一冊読了したあとには「バスタオル」のほうが鮮烈に印象に残る。芥川賞候補にのぼった際、選考委員の石原慎太郎・宮本輝が強く推したというだけのことはある。

 「バスタオル」は、途中までは哀切な純愛小説として読める作品だが、ラストに大きな転調がある。
 ネタバレになるので細かく説明はしないが、このラストは評価の分かれるところだろう。

 たとえば、芥川賞の選考委員であった古井由吉は、選評で「ただし末尾のバスタオルの悪臭は、『バスタオル』全篇を侵したと思われるが」と書いた。同様に、三浦哲郎と河野多恵子も、選評でラストに否定的評価を下した。

 私は逆に、ラストこそがすごいと思った。このラストを付したことによって、「バスタオル」は同性愛を描いた小説の白眉とも言える作品になったのではないか。
 
 かつて丸山健二は、『まだ見ぬ書き手へ』で次のように書いた。 

 三十歳を過ぎてしまうと、如何なる男女の交際もすでに恋愛などと呼べる代物ではないのです。どんなに言葉で飾ってみても、薄汚い、おぞましい関係なのです。(中略)
 いい年をした大人の男がそうまでしてその男女関係を美化せずにはいられないのか、ということまで書き、そうでもしなければならないほど己れの人生が惨めなものである、ということまでずばりと書いてこそ本当の恋愛小説なのです。



 「バスタオル」が描くのは男女関係ではないが、それはさておき、恋愛の「薄汚い、おぞましい」側面までも、自らの傷を抉るようにして描き切った点で、これこそ「本当の恋愛小説」だと思う。 

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前原政之 
イラスト/ジョージマ・ヒトシ

前原政之(まえはら・まさゆき)
1964年3月16日、栃木県生まれ。53歳。
1年のみの編プロ勤務(ライターとして)を経て、87年、23歳でフリーに。フリーライター歴30年。
東京・立川市在住。妻、娘、息子の4人家族。

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●私の大好きなギタリスト・渡辺香津美氏は、ご自身のイニシャル「KW」をもじった「KW(キロワット)」を、公式サイトのタイトルにしておられます(同名のアルバムもあり)。それにあやかったというわけです。

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