もしリアルパンクロッカーが仏門に入ったら (ちくま文庫) (2013/08/09) 架神 恭介 商品詳細を見る |
架神恭介著『もしリアルパンクロッカーが仏門に入ったら』(ちくま文庫/819円)読了。
傑作『完全教祖マニュアル』の著者の1人による、前代未聞の“笑える仏教入門”である。文庫化を機に初読。
タイトルを見て、「なんだ、『もしドラ』の二番煎じか」と感じる人は多いだろう。じっさい、『もしドラ』ブームに乗って出版されたものではあるのだが(単行本は2010年刊)、たんに二番煎じ扱いしてしまったら著者が気の毒だ。
というのも、著者が2006年に上梓した『完全覇道マニュアル――はじめてのマキャベリズム』(文庫版は『よいこの君主論』と改題。辰巳一世との共著)は、小学5年生がマキャベリの『君主論』を読んで学級制覇に乗り出す(笑)という本で、まさに「もしドラ」的入門書の先駆であったからだ。順番からいけば、むしろ「もしドラ」のほうが著者の二番煎じなのだ。
それはともかく、本書は仏教入門として非常によくまとまっている。タイトルや表紙の印象で、「どうせ薄っぺらい内容だろう」とあなどってはいけない。
たとえば、阿頼耶識や悪人正機についての解説など、どんな仏教入門よりも本書の説明のほうがわかりやすかった。
著者が自身のブログで書いた「ヒップホップで学ぶ日蓮」はネット上で大評判を呼んだ傑作エントリであったが、本書はあのテイスト(=笑えるけど、内容はしっかりしている)で仏教史全体を通観した本なのだ。
ただ、困ったことに、“東京のパンクロッカーが謎の老僧に出会って仏教史を学んでいく”という小説仕立てになっている部分が、まったく面白くない。
それに、ストーリー部分を全部読み飛ばして解説だけ読んでも、十分本として成り立っている。小説仕立てが意味を成していないのだ。
中森明夫の『アナーキー・イン・ザ・JP』(アナーキスト大杉栄の魂が現代のパンク少年の脳に棲みつく話)を読んだときにも思ったことだが、物語の中に登場するパンクロッカーというのは、どうしてこう類型的で陳腐なのだろう?
一口にパンクロッカーといっても、遠藤ミチロウやヒュー・コーンウェルのようなインテリもいるわけだから、シド・ヴィシャスみたいな頭の悪いDQNばかりではない。なのに、フィクションの中のパンクロッカーはどいつもこいつも、二言目には「ファックだぜ!」とか言うバカばかり。ステレオタイプにもほどがある。
まあ、小説仕立てにせざるを得なかった事情はわかる。仏教学者でもない一ライターがフツーの仏教入門を出しても売れるはずはなく、“売るための仕掛け”が必要だったのだろう。
- 関連記事
-
- アンドリュー・ニューバーグほか『脳はいかにして〈神〉を見るか』
- 今枝由郎『ブータン仏教から見た日本仏教』
- 架神恭介『もしリアルパンクロッカーが仏門に入ったら』
- NHKスペシャル取材班『未解決事件 オウム真理教秘録』
- 松岡幹夫『超訳 日蓮のことば』