「レジリエンス(復活力)」と日蓮仏法


レジリエンス 復活力--あらゆるシステムの破綻と回復を分けるものは何かレジリエンス 復活力--あらゆるシステムの破綻と回復を分けるものは何か
(2013/02/22)
アンドリュー・ゾッリ、アン・マリー・ヒーリー 他

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※以下の文章は「WEB第三文明」に書き下ろしたものです。許諾を得て転載しています。


「レジリエンス(復活力)」と日蓮仏法

時代のキーワードとなった「レジリエンス」

 近年注目を集めている概念の1つに、「レジリエンス(resilience)」がある。
 もともとは物理学用語で、「外部から力を加えられた物質が元に戻る力」を意味する言葉。そこから転じて、いまでは幅広い分野で用いられている。

 たとえば、生態学の分野では、回復不可能な状態を回避する生態系の力を「レジリエンス」と呼ぶ。また、ビジネスの世界では、アクシデントに遭遇しても業務を継続できるよう、データや資源のバックアップを整備することを「レジリエンス」と呼ぶ。

 本稿では、「人が困難や災害などから立ち直る力」としての「レジリエンス」に光を当てる。この意味でのレジリエンスは「復活力」「回復力」などと訳され、いま時代のキーワードとして浮上している。とくに米国では、人や組織のレジリエンスについての研究が進み、関連書籍が次々と刊行されている。

 米国でレジリエンスの研究に注目が集まっている背景には、2001年の「9・11」同時多発テロや2008年の「リーマン・ショック」など、国家的災厄が近年につづいたことがあるだろう。「大きな災厄から、人はいかにして立ち直ればよいか?」を研究することが、喫緊の国家的課題となったわけだ。
 同様に、東日本大震災と原発事故という災厄に見舞われ、いまなお復興が緒についたばかりである日本においても、レジリエンスを研究することは国家的課題といえよう。

信仰は人間のレジリエンスを高める

 米国で生まれたレジリエンス研究書の1つに、『レジリエンス 復活力――あらゆるシステムの破綻と回復を分けるものは何か』(アンドリュー・ゾッリ、アン・マリー・ヒーリー著、須川綾子訳/ダイヤモンド社)がある。本国では2012年に刊行され、邦訳は13年に出た。

 同書は、個人や企業、経済や生態系など、あらゆる分野のレジリエンスを包括的に論じたもの。私は、個人のレジリエンスを扱った第4章「人はいかに心の傷から立ち直るのか」に、最も感銘を受けた。
 それによれば、レジリエンスの高い人――すなわち、逆境に強く、立ち直りの早い人は、次の3つの信念を心に抱いている場合が多いという。

1、人生に有意義な目的を見いだせるという信念
2、自分が周囲の状況や出来事に貢献できるという信念
3、経験はよかれ悪しかれ学習と成長につながるという信念



 このことをふまえて、著者は次のように述べている。

「信仰心の厚い人々に比較的高いレジリエンスが備わっているという研究報告は何ら矛盾を生じない」
「宗教的信念が廃れることなく受け継がれている理由の一つは、それが魂の存続を来世まで保証してくれるからではなく、それを保つことで一定の精神的レジリエンスが得られるからなのである」



 ――つまり、〝信仰をもつ人々は、もっていない人よりも総じてレジリエンスが高い〟のだ。それは、信仰が「自分の人生には意味がある」「自分の力によって状況は切り開ける」「逆境や困難を乗り越えることによって成長できる」という3つの確信をもたらすからにほかならない。

最もレジリエントな宗教とは?

 『レジリエンス 復活力』は、〝信仰がレジリエンスを高める〟と指摘しているのみで、信仰の中身には立ち入っていない。だが、ひとくちに「信仰」といっても、高いレジリエンスをもたらすものと、そうでもないものがあるのではないか。

 というのも、さきに挙げた「3つの信念」のうち、「自分が周囲の状況や出来事に貢献できるという信念」は、「すべては神仏の思し召しであり、運命を甘受すべき」ととらえるタイプの信仰からは生まれにくいと思うからである。
 自然災害などの大きな災厄に遭遇したとき、人は多かれ少なかれ無力感にとらわれる。その無力感がPTSD(心的外傷後ストレス障害)の引き金にもなるわけだが、信仰によって災厄のなかでも「自分が周囲の状況や出来事に貢献できるという信念」を保つことができたなら、無力感が克服できる。

 しかし、「すべては神仏の思し召し」ととらえる信仰の場合、信者が自らの力で状況を切り開く余地はないから、無力感は克服できないどころか、むしろ増幅されるのではないか。

 では逆に、さきの「3つの信念」をもたらしやすい宗教――言いかえれば「最もレジリエント(レジリエンスの形容詞形)な宗教」とはなんだろうか?
 その答えは、厳密にはレジリエンス研究者による詳細な研究を待たねばならないだろう。しかし、私が直観的に考えるのは、「日蓮仏法こそ『最もレジリエントな宗教』ではないか」ということだ。

「難が襲ってくることをもって、安楽であると心得るべきである」
「私も、そして私の弟子も、いかなる難があっても疑う心がなければ、必ず仏界に至るのである」
「大難がなければ、法華経の行者ではない」



 などの遺文が示すとおり、日蓮は「末法(釈尊入滅から2000年以上を経た、思想的に乱れた世)に正しい仏法を信じ、教え通りに行ずる者には、さまざまな苦難が競うように起こるのは当然」ととらえ、苦難を乗り越えることによってこそ宿命が打開できるとした。

 そこには、苦難や逆境を忌み嫌い、避けよう、逃げようとする姿勢は微塵もない。
「苦難や逆境を、必要以上に恐れたり避けたりする必要はない。それは、自分が正しい方向に進んでいる証である。苦難を乗り越えてこそ成長もあり、運命の扉を大きく開くことができる」――そうした姿勢で人生に臨むことを教えるのが、日蓮仏法なのである。
 そのような、いわば〝闘争的楽観性〟にこそ、日蓮仏法の大きな特長がある。

 「ポジティブ心理学」の提唱者で、楽観主義研究の第一人者として知られる米国の心理学者マーティン・セリグマンも、日蓮仏法の楽観主義的側面に注目し、〝心理学の革命であるポジティブ心理学と、仏教の革命である日蓮仏法には共通性がある〟という主旨の発言をしている。

 そして、苦難を避けずに乗り越えようとする志向性をもつ日蓮仏法は、必然的に、信者に強いレジリエンスをもたらす。
 たとえば、東日本大震災の被災地では、日蓮仏法の信徒たちが目覚ましいレジリエンスを発揮した。被災した悲しみに打ちひしがれるのではなく、苦難を乗り越えることによって運命を切り開こうとする姿が、各地で枚挙にいとまがないほど見られたのだ。その力は、信仰によってもたらされたものにほかならない。

 レジリエンスが脚光を浴びているいま、日蓮仏法の「レジリエントな宗教」としての側面も、もっと注目されてしかるべきだろう。

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前原政之 
イラスト/ジョージマ・ヒトシ

前原政之(まえはら・まさゆき)
1964年3月16日、栃木県生まれ。53歳。
1年のみの編プロ勤務(ライターとして)を経て、87年、23歳でフリーに。フリーライター歴30年。
東京・立川市在住。妻、娘、息子の4人家族。

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