『パッション』



 『パッション』を試写会で観た。

 全米ナンバーワンの興行成績を上げたこの大作、映画界の枠を越えて大きな話題になっている。
 ローマ法王がこの映画を観て「絶賛した・しない」をめぐって論争が起こったとか(法王が観たこと自体は事実)、キリスト教原理主義者として知られるブッシュ大統領が「私もぜひ観たい」と言ったとか、この映画を観て悔い改めた殺人犯が自首してきたとか、すでに2人の観客がショックのあまり心臓麻痺で亡くなったとか……。

 しかしまあ、そういう大反響もアメリカなればこそであろう。日本でこの作品が大ヒットすることはおそらくないだろうし、それほど大きな反響が巻き起こるとも思えない。
 だって、キリスト教徒でない人にとっては切実なテーマではないし、娯楽性は微塵もない映画なのだから。

 この映画は、キリストの最後の12時間(ユダの裏切りによって大司祭の差し向けた兵に捕らえられ、ゴルゴダの丘ではりつけになるまで)を、お金と手間ヒマをたっぷりかけ、新約聖書の4つの福音書の記述に忠実に描いた作品。ただそれだけ。それ以上でも以下でもない。

 従来のキリスト伝がリアルに描くことを避けてきたキリストの受難(=パッション)のディテールを、すさまじいリアリティで描き尽くしている。

 鞭打たれる場面では、鞭の一振り一振りがキリストの身体を血に染めていく過程が、はっきりと描かれる。一振りごとに傷は増え、肉が剥がれ、やがて全身が傷だらけになっていく。刑場の石畳には深い血だまりができ、聖母マリアと「マグダラのマリア」がひざまずいてその血を布で拭う。
 はりつけの場面では、両手両足を太い釘で打ちぬかれる過程などが、これまたリアルに描かれる。その痛みが観客にもダイレクトに伝わってくるようだ。
 そして聖母マリアは、十字架の上で息絶えようとする我が子の足に口づけをする。彼女の口元は、キリストの血で紅く染まる。その様子は、凄惨だが美しい。

 まるでスプラッタ……といったら語弊があるが、血を見るのが苦手な人は絶対観ないほうがいい。カップルで観に行くのもやめたほうが無難だ。「聖なる血」に満ちた映画。

 映像の迫力はすごい。キリストがはりつけになるその場に立ち会っているような感覚すら覚えるほどだ。 
 また、撮影監督(キャレブ・デシャネル)がカラヴァッジオの絵画を意識して作ったという陰影に富む画面、それに美術・衣装は、一部の隙もない見事さである。

 厳粛な宗教映画であり、観て楽しい作品ではけっしてないが、観ておいて損はないと思う。
 なんというか、“口当たりよくシュガーコーティングされたキリスト教”ではなく、ゴツゴツと骨ばった「生のキリスト教」に初めて触れた気分になった。
 これまで本や絵画などを通じて断片的にしか知らなかったキリストの受難について、その全体像(「最後の晩餐」の場面なども回想の形で描かれている)が眼前に展開されるのだから、なかなか強烈な映像体験であった。
 私も含め、キリスト教徒ではない人たちにとっては、この作品を観る前と後では、聖書などを読んだときの感じ方が違ってくるのではないかと思う。

 強い印象を受けたのは、キリストの受難に際して揺るがぬ信仰をつらぬいたのは総じて女性の弟子たちであったということ。
 対照的に、男たちは激しく揺れ動く。ユダのみならず、のちに十二使徒の柱となったペテロですら、群集の暴力を恐れて「私はこの男の弟子ではない!」と思わず叫んでしまうのだった。

 ハリウッド大作として作られる映画には、文芸大作だろうと歴史大作だろうと、いくばくかの娯楽性があるものだ。しかしこの作品は、まぎれもないハリウッド大作(ただしアメリカ/イタリア合作)でありながら、娯楽性皆無という特異な映画である。「泣ける」というたぐいの作品でもない。

 「マグダラのマリア」を演ずるモニカ・ベルッチ(『マレーナ』に主演した女優)は超ハマリ役。グラマー美女のすっぴん顔に「萌え」。これがこの映画の唯一の娯楽性といえなくもない(笑)。
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Profile 

前原政之 
イラスト/ジョージマ・ヒトシ

前原政之(まえはら・まさゆき)
1964年3月16日、栃木県生まれ。53歳。
1年のみの編プロ勤務(ライターとして)を経て、87年、23歳でフリーに。フリーライター歴30年。
東京・立川市在住。妻、娘、息子の4人家族。

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