『ワーキングプア/日本を蝕む病』

 

 『ワーキングプア/日本を蝕む病』(NHKスベシャル『ワーキングプア』取材班・編/ポプラ社/1200円)読了。

 昨年大きな話題をまいた、同名の「NHKスベシャル」を本にまとめたもの。私は元の番組を見ていないのだが、本だけ読んでも十分に興味深い。

 「ホームレス化する若者」「崩壊寸前の地方」「夢を奪われた女性」「グローバル化の波にさらわれる中小企業」「死ぬまで働かざるを得ない老人」などの章に分かれており、それぞれ、「NHKスペシャル」ならではのお金と手間ひまをたっぷりかけた分厚い取材(なにしろNHKの看板番組だから、予算も人員も潤沢なのである)に基づいているから読み応えがある。

 とくに目からウロコだったのは、「グローバル化の波にさらわれる中小企業」の章。日本の製造業が安い中国製品の進出で苦境に立たされていることは知っていたが、本書はさらにその先のすさまじい現実を眼前に突きつける。

 この章の舞台となる岐阜市では、中小・零細繊維業者の多くが、「研修生」「技能実習生」などの名目で来日した中国人を(違法を承知で)低賃金でフルタイム労働させている。そのことが工賃の急激な下落をもたらし、中国人を雇っていない繊維業者がどんどん廃業に追い込まれているのだという。

 中国人が事実上の労働力として急激に流入した岐阜は、日本の将来の姿とも言える。そこで起こったのは、外国人労働者に対する不法な低賃金をベースに、日本人の賃金も急激に低下し、ワーキングプアが生み出されるという負の連鎖だった。経済評論家の内橋克人さんは、この現象を「どん底に向けての競争」と指摘した。



 この「グローバル化の波にさらわれる中小企業」のように読み応えある章がある一方、「なんだかな~」という章もある。
 たぶん、この本は何人かが分担して書いたものだと思うが(執筆者の個人名が明記されていない)、書き手の力量の差なのか、章ごとの出来不出来が激しいのだ。
 
 とくに、「荒廃を背負う子ども」の章には何度も首をかしげた。この章の書き手だけ、ほかの章に比べて明らかに視点が甘く、分析が拙いのだ。
 たとえば、こんな一節がある。

 

 子どもの将来の選択肢が、家庭環境によって知らず知らずのうちに狭められ、不安定な働き方をして、子ども自身も経済的に余裕のない生活に陥っていく。取材を通じて、こんな負の連鎖が起きないとも限らない恐ろしさを感じた。



 「なんじゃこりゃ?」である。
 「子どもの将来の選択肢が、家庭環境によって知らず知らずのうちに狭められ、不安定な働き方をして、子ども自身も経済的に余裕のない生活に陥っていく」という「負の連鎖」は、「起きないとも限らない」どころか、「ワーキングプア」なんて言葉が生まれるはるか前からいくらでもあった。あたりまえのことではないか。
 NHKのエリート記者は何をカマトトぶっているのか。それとも、ほんとうに恐ろしいほど世間知らずなのか。

 本書全体に対する不満もある。ワーキングプアを「善良な弱者」としてのみ扱い、国・行政を「悪」として扱う図式化がすぎるのだ。

 ワーキングプアはけっして怠け者ではなく、懸命に働きながらも貧しさから抜け出せない人々である――と、そこまではよくわかった。
 しかし、「国が悪い、行政が悪い」とただ嘆くのみで、解決の糸口すら提示しようとしない構成はいかがなものか。本書の随所で国の「福祉切り捨て」が極悪非道の所業のように批判されているが、切り捨てに向かわざるを得ない側の苦渋が一顧だにされていないのは偏向ではないか。
 
 ……と、そのような瑕疵はあっても、ワーキングプアの実態について知るためには有益な好著。
 終章「現実に向き合う時」では、番組のキャスターが全体のまとめを書いているのだが、これが簡潔明瞭な「ワーキングプア問題早わかり」として秀逸。この章だけでも独立した価値がある。
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梅田望夫『ウェブ進化論』ほか



 先週読んだけど、個別エントリで感想を書くまでもない本のメモ。

 梅田望夫著『ウェブ進化論』(ちくま新書)をいまごろ読んだ(昨年2月刊)。いわずと知れた昨年のベストセラーである。
 「目からウロコ」の良書。しかし、すでに多くの絶賛を浴びている本なので、いまさら私が「屋上屋」の感想を述べるまでもない。

 童門冬二著『師弟/ここに志あり』(潮出版社)読了。
 日本史上の名高い師弟17組の“師弟のドラマ”を素描した歴史エッセイ集。この間読んだ山折哲雄の『教えること、裏切られること』に比べれば、師弟関係のポジティヴな側面に目が向いている点が好ましい。軽いタッチの本だが、感動的なくだりも少なくない。

 高井伸夫著『朝10時までに仕事は片づける』『3分以内に話はまとめなさい』(いずれもかんき出版)読了。
 この著者の本がアマゾンのカスタマーレビューで高評価を受けていたので、読んでみた。
 2冊とも、凡庸なハウツー本。見出しを見て「こんなことが書いてあるのだろうな」と予測できる程度のことが書かれているだけ。

 五木寛之著『知の休日』(集英社新書)読了。
 これはたしか、集英社新書の創刊ラインナップの1冊だった本。図書館に行ったら「除籍図書」として「ご自由にお持ち下さい」の棚に並んでいたので、もらってきた。
 一言で言って、「クズ本」。くだらないこととあたりまえのことを、もったいぶった言い回しで、あたかも独創的な智恵ででもあるかのように書きつらねている。書名に惹かれて「一度読んでみたい」と思っていた本だったのだが、買わなくてよかった。  
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『PEACE BED アメリカVSジョン・レノン』

アメリカv.s.ジョン・レノン モーション・ピクチャー・サウンドトラック アメリカv.s.ジョン・レノン モーション・ピクチャー・サウンドトラック
(2006/11/01)
EMIミュージック・ジャパン



 京橋の映画美学校第一試写室で、『PEACE BED アメリカVSジョン・レノン』の試写を観た。ジョンの27回目の命日である12月8日に公開されるドキュメンタリー映画。

 公式サイト→ http://www.peacebed-johnlennon.com/

 タイトルのとおり、アメリカ移住後の、反戦・平和活動家としてのジョン・レノンに的を絞ったドキュメンタリーである(生い立ちなどにはさらっと触れる程度)。

 前エントリの『チャプター27』がジョン・レノン・オタクにしかオススメできないマニアックな映画であるのに対し、こちらは万人向けの作品といえる。

 「ジョン・レノンは(FBIもしくはCIAに)暗殺された」とする説は、いまなおまことしやかにささやかれつづけている。つまり、射殺犯マーク・チャップマンはマインド・コントロールを受けていた、と考える立場だ。

 この映画も、はっきり明言してはいないものの、「暗殺」をほのめかす描き方をしている。

 1970年代初頭のアメリカ政府が、反戦・平和活動家としてのジョン・レノンを危険視し、盗聴・尾行などを行なっていたのはまぎれもない事実である。この映画はまさに、米政府とジョンの「闘い」を克明に描いていくものだ。

 ヨーコ・オノの全面協力も得て、秘蔵資料や未発表音源などの提供も受けて作られたこの映画は、ドキュメンタリーとしてすこぶる秀逸である。当時を知る当事者たちにかなりたくさんインタビューも行なって、ジャーナリズムの本道を行く正攻法の作り方をしている。
 つまり、ジョン・レノンのさらなる神話化を目指すのではなく、先入見を排して隠された事実を見つけようとする映画なのである。

 そのため、ジョン・レノンを礼讃する側のみならず、当時のFBI捜査官などにも取材を行なっている。また、「ブラック・パンサー」創設者ボビー・シールなども登場するのだが、その一方、彼のような先鋭的な活動家が「ジョンを利用した」ことで、ジョンは米政府ににらまれて不利な立場に追い込まれた、と指摘することも忘れない。視点が一方に偏らず、公平なのだ。

 ただ、この映画が与している(とおぼしき)ジョン・レノン暗殺説については、私は眉ツバだと感じている。

 ニクソン時代に殺されたのなら可能性はあっただろうが、ジョンが殺された時代の大統領は、「彼の下でCIAは著しく弱体化した」と評された「人権派」ジミー・カーターだったのである。それに、ジョンがアーティストとして復活した矢先の事件だったとはいえ、復活作『ダブル・ファンタジー』はまったく政治的な内容ではなかった。
 ジョン・レノンは当時、すでに米政府の脅威ではなかったはずだ。


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『チャプター27』

 ←この映画の原案本

 今日は、ジョン・レノンがらみの映画2本の試写をハシゴ。いずれも12月公開のアメリカ映画である。

 1本目は、六本木のアスミック・エース試写室で『チャプター27』を。次に京橋に移動して、映画美学校第一試写室で『PEACE BED  アメリカVSジョン・レノン』を観た。

 レビューは2つのエントリに分けよう。
 まずは『チャプター27』について。これは、ジョン・レノン射殺犯マーク・デイヴィッド・チャップマンを主人公にした劇映画である。

 公式サイト→ http://chapter27.jp/

 映画は、1980年12月6日から8日にかけてのチャップマンの行動を克明に追っていく。射殺事件が起きたのは12月8日の深夜。その運命の一瞬に向けて進んでいく最後の3日間を描いているのだ。

 今年はレノン没後27年目にあたるが、『チャプター27』とはそのことを指すのではなく、事件当時チャップマンが手に持っていたサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』が全26章であることに由来する。
 チャップマンは『ライ麦畑でつかまえて』に深い影響を受け、同作の主人公ホールデンと自らを重ね合わせていた。その彼が、『ライ麦畑~』に第27章を書き加えるような思いで起こしたのがあの事件だったのだ。

 チャップマンを演じるのはジャレッド・レト。『ロード・オブ・ウォー』でニコラス・ケイジの弟役をしていた俳優だ。細身の美形俳優であるレトなのに、本作ではなんと30㎏も体重を増やし、ぶよぶよメタボ・デブのチャップマンになりきっている。まったく、俳優というのは恐ろしい人たちである。

 さて、肝心の中身だが、……うーん、これはかなり観客を選ぶ映画だなあ。『タクシードライバー』みたいな普遍的な感動をもった映画を期待すると、肩透かしを食う。

 ジョン・レノンに思い入れのある私のような人間は面白く観られるけど、思い入れのない人が観ても面白くもなんともないと思う。事件に至る経緯にサスペンスがあるわけではないし、チャップマンという人間に語るに足るドラマがあるわけでもないからだ。
 「キチガイサイコさんの行動を3日間観察してみました」というだけの映画になってしまっているのである。

 私は、「こんなつまらない人間にジョンは殺されてしまったのか」と、改めて嘆息するばかりだった。

 とはいえ、チャップマンがレノン殺害に至るまでの心理プロセスを、心の襞に分け入るようにしてたどっていくあたり、異様な迫力がある。心地よい迫力ではなく、殺人者の心に観客を同化させてしまうような迫力なのだけれど……。
 
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『風の外側』



 有楽町の東映試写室で、『風の外側』の試写を観た。俳優・奥田瑛二の監督第4作で、12月公開予定。

 前作『長い散歩』がモントリオール世界映画祭で三冠に輝き、映画監督としても評価が高まっている奥田瑛二。
 だからこそ、「次はさらに芸術性の高い作品を出してくるかな」と思いきや、この新作は意外にも直球ど真ん中の「青春映画」であった。北野武でいえば『キッズ・リターン』のような位置を占める作品、という感じ。

 ストーリーは、思いっきりベタ。名門女子高に通い、オペラ歌手を目指しているお嬢様と、闇金の「キリトリ」(取り立て)でシノいでいるチンピラの、“身分違いの恋”を描いた作品なのである。……ね、直球ど真ん中でしょ。

 これといった欠点がないのに魅力的でない映画もあれば、欠点だらけなのに不思議に魅力的な映画もある。この映画は、後者の典型だ。欠点はいろいろ指摘できるのに、観終わったあとには「いい映画だな」という思いだけが残るのだ。きれいにカットされた宝石ではなく、ゴツゴツとしていびつな原石のような映画。

 欠点は、枚挙にいとまがない(笑)。
 まず、主人公のチンピラを演じる佐々木崇雄が、顔も声も優しすぎて全然ヤクザに見えない。だから、人を殴る場面などがまったく迫力不足。美形で甘いマスクであっても、その底に暴力の匂いを漂わせる俳優はたくさんいるのに、佐々木には暴力の匂いが微塵もない。これはミスキャストでしょう。

 ヒロインの女子高生を演じる安藤サクラは奥田瑛二の次女なのだが、はっきり言って全然美少女じゃない。でもまあ、普通のお嬢様っぽさはよく出ているので、こちらはミスキャストではない。

 あと、ストーリーがものすごくご都合主義(脚本も奥田自身)。ネタバレになるので具体的には書けないが、「おいおい、いくらなんでもそりゃないだろ」という強引すぎる展開が随所に見られる。ストーリーはもはや「怪作」の域に達している。

 一つだけ例を挙げる。主人公のヤクザが在日三世であるという設定はいいとしても、在日であることを隠すために中盤まで少女に自分の名前さえ(通名さえ)教えないという展開は、ちょっと無理やりすぎ。

 ……と、あれこれケチをつけてしまったが、そのような瑕疵があってなお、みずみずしい感動を与える映画なのだ。いくつかの場面、いくつかのセリフが深く心に残り、それだけですべての欠点が帳消しになるような、そんなタイプの映画。

 とくに、ラストのシークェンスはたいへん素晴らしい。
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チャットモンチー『生命力』

生命力生命力
(2007/10/24)
チャットモンチー

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 チャットモンチーのセカンド・アルバム『生命力』(キューンレコード/3059円)が、アマゾンから届いた。今日が発売日。

 ニューアルバムを予約で買うなんて久しぶりだ。四十ヅラ下げたオッサンである私にもそうさせるだけの“引力”が、いまのこのバンドにはある。

 彼女たちのファースト・アルバム『耳鳴り』に私が衝撃を受けたのは、去年の夏のことであった(→レビュー)。

 それから1年余、チャトモは見事メジャーブレイク。4枚のリード・シングル(「シャングリラ」「とび魚のバタフライ/世界が終わる夜に」「女子たちに明日はない」「橙」)を含むセカンドが、満を持して発売された。

 まだ2~3回しか聴いていないのでこれから印象が変わってくるかもしれないが、いまの段階の感想としては、「ファーストに比べると一段落ちる」かなー。

 たとえば、「橙」は「恋愛スピリッツ」に似た轟音ロックだが、「恋愛スピリッツ」より一段落ちる。「ミカヅキ」は、ファースト・アルバムの「ひとりだけ」に似たタイプの曲だが、「ひとりだけ」より一段落ちる。
 とまあ、全体にそんな印象があるのだ。自己模倣に陥っているというか。
 「世界が終わる夜に」(映画『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』の主題歌)や70年代ディスコ・サウンド風の「シャングリラ」のように、新生面を模索している曲はよいのだが……。

 オープニングの「親知らず」(親元を離れて暮らす女の子の気持ちを歌った、切なく激しいナンバー)や、橋本絵莉子のハイトーン・シャウトが冴え渡る疾走チューン「真夜中遊園地」など、そこそこいい曲は並んでいる。
 が、かつての「恋の煙」や「ツマサキ」「恋愛スピリッツ」「ハナノユメ」のような、突出した一曲が見当たらない。

 でもまあ、十分に水準はクリアした充実作ではある。

 なお、詞はいつもどおりメンバー3人が交替で書いているのだが、ベースの福岡晃子が手がける詞が、頭一つ抜け出てきた感じ。今後、詞はすべて福岡にまかせたほうがよいのでは?

 
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大嶋まさひろ『定年バックパッカー読本』

定年バックパッカー読本―団塊は、世界をめざす! 定年バックパッカー読本―団塊は、世界をめざす!
大嶋 まさひろ (2007/08)
集英社



 大嶋まさひろ著『定年バックパッカー読本/団塊は、世界をめざす!』(集英社/1600円)読了。
  「定年」など関係ない職業(そのかわり、退職金も失業保険もなんにもないけど)の私がなぜこういう本を読んでいるかといえば、贈呈していただいたから。

 副題のとおり著者は「団塊の世代」で、20代のころから旅をくり返してきた筋金入りのバックパッカー。かつて編集者として、『地球の歩き方』と並び称された、いまはなき『スーパーガイド・アジア』シリーズをJICC出版(現・宝島社)で創刊した人でもある。いまも年3~4回のペースで「団塊バックパッカー」の一人旅をつづけているという。

 そのような、いわば「プロの旅人」である著者が、「定年になったから一人旅でもしてみようか」と考えている人に向けて書いた“一人旅ガイド”である。
 当然、今年から大量定年退職が始まった「団塊の世代」マーケットを狙っての出版であろう。が、定年を迎えた世代でなくても読んで愉しい。

 「定年を迎えてから、いまさらバックパッカーでもあるまい」と思う向きもあろう。が、著者は読者に呼びかける。
 「大型スーツケースをガラガラ転がして、添乗員に連れられて、妻と2人でイタリア10日間のツアーにでも参加する」ような旅も、もちろん悪くはない。だが、20代のころに気ままなパックパッカーの旅を愉しんだ我々だからこそ、定年後にも自分流の旅を見つけようではないか、と……。
 

 60歳に近い体力・気力と折り合いのつく、新しいバックパッカーの旅のスタイルを見つければいいわけです。



 「団塊の世代」にありがちな“熱すぎる思い入れ”を振りかざす本ではないか、という不安があったのだが、それは杞憂であった。実用書としてよくできているし、気ままな一人旅の愉しさを説いたコラム集としても秀逸。

 書いてあるアドバイスが、微に入り細を穿っている。
 たとえば、「旅でのウンコ問題」(笑)と題された項目が3つも立てられ、便秘対策からトイレットペーパーについてのアドバイスに至るまでが書かれている、という具合だ。

 お金をかけずに旅を愉しむスタイルがバックパッカーであるわけだが、本書の白眉も、旅先での“お金をかけない贅沢”のススメにある。たとえば――。

 

 わずか数日の滞在でも、その街での行きつけの店を作りましょう。ホテルの近くがいいでしょう。(中略)わたしは知らない街についた次の日、早朝から街歩きを始めます。するとどの街にも、早朝からその街の人々が集う店があります。早朝から働く人々のために朝食の世話をする、勤勉で良心的な店です。(中略)もし、この店の居心地がよくって、人々が親切だったら、三日目には、読書用の本を携えて、もっとゆっくりと午後の時間を過ごしてみます。ビールなどを注文して、ゆったりと読書です。旅の楽しみのハイライトです。


 

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『Perfume Complete Best』

Perfume~Complete Best~(DVD付) Perfume~Complete Best~(DVD付)
Perfume (2007/02/14)
徳間ジャパンコミュニケーションズ



 最近気に入ってます、Perfume(パフューム)。
 私のような40過ぎたオジサンがホメるのはちょっとアレな、女の子3人のテクノポップ・アイドル・ユニットである。

 「コンピューターシティ」「エレクトロ・ワールド」のPVを観てすっかり気に入ってしまい、昨年出た『Perfume Complete Best』(タイトルは「ベスト」だが、ファースト・アルバム)を聴いてみたら、アルバムもたいへんよかった。まさに「捨て曲なし」。

 すべての曲の作・編曲を、capsule(カプセル)の中田ヤスタカが手がけている(Perfumeというユニット自体、中田がプロデュースしているのだ)。なので、楽曲のクオリティーが非常に高い。最近のcapsuleのサウンドはカワイサを抑制してカッコイイ路線を突っ走っているが、その分、こちらのPerfumeはカワイサ全開。

 私と同世代くらいのオジサンたちの中には、「いまさらアイドルでもあるまい」とPerfumeを食わず嫌いしている人が多いだろう。
 が、Perfumeは若い男の子に独占させておくにはあまりに惜しい存在だ。というのも、かつてYMOなどの黎明期テクノポップに夢中になった者にこそふさわしいサウンドだから。

 1980年代初頭のYMOブームのころ、YMOの3人が作曲などでかかわった「テクノ歌謡」が世にあふれたのだが、Perfumeにはまさにその「テクノ歌謡」の香りがある。かつての「テクノ歌謡」を21世紀にふさわしく進化させた音だ。

 チープでキッチュなピコピコ音が魅力だったかつての「テクノ歌謡」だが、Perfumeは「チープにしてゴージャス」。言語矛盾のようなそんな形容をあえて用いたくなるサウンドなのだ。大きな音でかけると脳内からドーパミンがドバッと出るような、ドラッグめいた多幸感がある。

 1980年当時、「YMOジュニア」とかいうキャッチフレーズで登場した「コスミック・インベンション」というアイドル・テクノ・バンドがあった。ドラムを叩きながら歌うヴォーカルの森岡みまという女の子がかわいくて私は好きだったのだが、Perfumeは私にとってはまさにコスミック・インベンションの進化形なのである。

「コスミック・インベンション」でググってみたら、大槻ケンヂが書いた傑作なコラムを発見。「激しく同意」な内容である。

■↓You Tubeで観られるPerfumeのPV。しかし、3人ともアイドルと呼ぶにはちとトウが立っている気が……(よけいなお世話)。

「コンピューターシティ」
「エレクトロ・ワールド」
「チョコレイト・ディスコ」
「Twinkle Snow Powdery Snow」
「ポリリズム」



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山折哲雄『教えること、裏切られること』



 山折哲雄著『教えること、裏切られること/師弟関係の本質』(講談社現代新書)読了。

 「師弟関係の本質」という副題に惹かれて読んでみた。
 全12章で、一章ごとにひと組の師弟にスポットが当てられている。第一部は夏目漱石と和辻哲郎、柳田国男と折口信夫などの近代日本の師弟を扱い、第二部は鎌倉仏教を中心とした宗教史上の師弟を扱っている(著者は宗教学者)。

 ただし、「三尺下がって師の影を踏まず」みたいな典型的な師弟関係の話は皆無に等しい。むしろ、定型から外れた特殊な師弟関係にもっぱら光が当てられている。

 たとえば、柳田国男と折口信夫は、師弟であると同時に宿命のライバルでもあったし、和辻哲郎は師の漱石に同性愛に近い感情を抱いていたという(和辻から「そういう手紙」を受け取った漱石が返した、困惑の色がにじむ返信が残っている)。
 また、棟方志功と柳宗悦の関係を扱った章は、“柳は志功の才能を見出した功労者ではあっても、断じて「師」ではなかった”という結論になっている。

 特殊で極端な師弟関係の中にこそ「師弟関係の本質」が如実にあらわれている、と著者は考えたのだろうが、私には物足りなさが残った。師弟関係の峻厳さとか、師弟の絆の美しさなどというポジティヴな側面が、本書にはほとんど描かれていないからである。

 それでも、部分的にはすこぶる面白い。
 たとえば、ユダとペテロの違いを考察したくだり。著者は次のように言う。

 

 イエスを裏切った二人の弟子のうち、一方は奈落の闇につき落されたユダ、そして他方に権威と栄光の座にのぼりつめたペテロ、――その二人のあまりにも対照的な運命に注目しよう。一人は後継者の座からすべり落ち、一人はその地位を危うく確保することができた。(中略)要するにペテロは弟子であることに成功し、ユダはそのことに失敗した。



 太宰治が「駆込み訴へ」で描いたユダと同じように、著者はユダを単純な裏切り者とは見なさず、「師のイエスを愛するか、それとも憎むか、いつも二者択一の岐路に立っていた」人物としてとらえる。それに対してペテロは、集団によって「師の精神の分割相続」をする決断をしたことによって、後継者たり得たのだ、と……。このとらえ方はたいへん興味深い。

 師の存在が巨大すぎる場合、その精神は一人の後継者によって「単独相続」することはできず、弟子たちが「分割相続」せざるを得ない。イエスの十二使徒、ブッダの十大弟子、孔門十哲、蕉門十哲などもその例だと、著者は言うのである。なるほどなるほど。


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『カラマーゾフの兄弟』別巻



 ドストエフスキーの主要作品を読み直してみよう、とふと思い立った。で、手始めに、いまベストセラーになっているという話題の新訳『カラマーゾフの兄弟』全5巻(亀山郁夫・訳/光文社古典新訳文庫)を購入。

 文庫を買うとまず解説から読む悪癖のある私は、まず「別巻」の第5巻から読んだ。
 この巻は、短い「エピローグ」が冒頭に掲載されているだけで、あとは訳者の亀山郁夫によるドストエフスキーの評伝と『カラマーゾフの兄弟』の解題が大半を占めているのだ。

 亀山はドストエフスキーの優れた研究者でもあるから、この評伝と解題だけで独立した価値をもつ。

 「真の翻訳作業を通じて原著と四つに組んだものにしか到達し得ない理解の深みというものが翻訳にはある。原文を具体的に日本語に置き換える作業そのものが作品論であり、作家論であり、文体論なのだ」
 ――そう言ったのは翻訳家の小鷹信光だが、亀山も、巨峰『カラマーゾフの兄弟』とがっぷり四つに組んだ経験を通して、一重深いドストエフスキー理解に到達したのであろう。

 とくに、100ページほどで手頃な長さの評伝「ドストエフスキーの生涯」は、簡潔にして秀逸。「ドストエフスキーってのを読んでみようかなぁ」とか考えている年若い読者は、まず最初にこれから読むとよい。格好の道案内となってくれるはずだ。
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四方田犬彦『人間を守る読書』


 
 四方田犬彦著『人間を守る読書』(文春新書/890円)読了。

 ご大層なタイトルだが、中身はごく普通の書評集である。いろんな雑誌・新聞に寄せた書評や作家論などが脈絡なく寄せ集められている。

 フツーの書評集なのになぜ新書に入るのかがよくわからないが(文春新書からは、以前にも『書評家〈狐〉の読書遺産』という書評集が出ている)、まあ、おかげで四方田犬彦の書評集が安く買えるのだからよしとしよう。ハードカバーで刊行されていたら、まちがいなく倍程度の値段になったはずだし。

 四方田の書評は、池澤夏樹の書評と同じくらい好きな私である。にじみ出る教養と薫り高い文章が、いつも絶品なのだ。本書もしかり。

 映画やマンガにも造詣の深い人だけに、本書でも、映画関係の本やマンガを取り上げた文章がとくに光っている。

 メモしておきたいようないい文章がいっぱい。「前書きにかえて」と題された冒頭の短い読書論もシビレる。その中で、四方田は次のように言う。
 
 

 書物を読むということは現実の体験なのです。体験の代替物ではありません。そしてそれ以上に、体験に枠組みと深さを与え、次なる体験へと導いてくれる何かなのです。かつて中国の賢人は、三日書物を読まないでいると口のなかにイバラが生えるという警句を残しました。わたしはこれは真理だと思います。

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『やじきた道中 てれすこ』

 東銀座の松竹試写室で『やじきた道中 てれすこ』の試写を観た。
 11月公開の邦画で、監督は平山秀幸。

公式サイト→ http://www.telesco-movie.com/
 
 平山監督の前作『しゃべれども しゃべれども』は現代の落語界を舞台にした青春映画の快作だったが、この新作は古典落語と「やじきた道中記」(十返舎一九の『東海道中膝栗毛』)をブレンドした時代劇だ。落語の「てれすこ」「淀五郎」「狸賽(たぬさい)」「浮世床」「野ざらし」などのネタが、ストーリーの中に巧みに織り込まれている。

 また、「足抜け」した花魁をやじきた(弥次郎兵衛と喜多八)コンビの旅の仲間にくわえることでラブストーリーとしての色合いを加味したり、喜多八を売れない歌舞伎役者に設定することで物語にふくらみを持たせたりと、おなじみの「やじきた道中記」に新たな生命が吹き込まれている。

 「コメディ」というよりは、あえて「人情喜劇」と呼びたい感じの仕上がり。古き佳き日本映画のなつかしい味わいがある。

 その一方で、小粋な洒落っ気も全編に横溢。たとえば、オープニングに主演3人をキャラ化したアニメが用いられ、そのバックにガーシュウィンの「ラプソディー・イン・ブルー」を邦楽にアレンジ(尺八などが用いられている)して流すあたり、すこぶるオシャレ。

 ヒロインの花魁・お喜乃を演じる小泉今日子がよい。彼女ももう四十路だが、いい感じに熟れていて年を重ねていて、いまなおチャーミングだ。ヘンに若作りしないナチュラルな感じが好ましい。

 古典落語をベースにした時代劇といえば、川島雄三の傑作『幕末太陽傳』(1957年)がまず思い浮かぶ。それから半世紀の時を経て登場した本作も、『幕末太陽傳』を十二分に意識して作られている。

 『幕末太陽傳』は、主演のフランキー堺が伝法な江戸弁を駆使して鮮やかな印象を残したが、本作の中村勘三郎(弥次郎兵衛役)もそれに劣らぬ快演。歯切れのよい江戸弁が耳に心地よい。

 ベタなギャグも多いのだが、そのベタさ加減も含めて「なつかしい」印象の映画。
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菜摘ひかる『依存姫』


依存姫依存姫
(2002/05)
菜摘 ひかる

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 菜摘ひかる著『依存姫』(主婦と生活社/1300円)読了。

 著者は、風俗嬢を経てライターとなり、本書で小説家としての本格的なスタートを切った矢先、2002年に29歳の若さで急逝した。そんなプロフィールだけは私も知っていたが、実際に著作を読んだのはこれが初めて。

 先日読んだ『出版業界最底辺日記』の随所に生前の彼女のことが出てきて(※)、作品を読んでみたくなったのである。

※菜摘ひかるは売れないエロマンガ家でもあった。そして、彼女の文才を初めて見出した人こそ、『出版業界最底辺日記』の著者・塩山芳明氏であった。

 本書は、4つの短編を集めた書き下ろしの連作集。
 タイトルが示すとおり、さまざまな「依存」にさいなまれた4人の若い女性の「魂の彷徨」を描いている。4人とも風俗嬢であり、風俗業界の舞台裏の描写は、著者自身の体験が反映されてすこぶるリアル。

 ……と、そのように紹介すると、下世話な興味にだけ応えた刺激過多 /サービス過剰の安っぽい娯楽小説を想像する向きもあろう。

 かくいう私も、そのように想像していたからこそこれまで手を出さなかった本。だが、実際に読んでみたら意外なほどまっとうな小説だった。むしろ、最近のヘタな芥川賞作品などよりもずっと「純文学」している。

 小説としては、けっしてうまくはない。ストーリーはダラダラとつづいて起伏に乏しいし、キャラの立て方も稚拙。しかし、そんな瑕疵を補って余りある切迫感が、全編にみなぎっている。「とにかく書きたいから書く。書かずにはいられない」という迫力である。「あとがき」の次のような言葉が、その迫力を裏付ける。

 

 少し大袈裟に書いてるかもしれないけど、基本的には「どこにでもある話」だと思うんですよ。少なくともわたしがよく知っている風俗の世界にはこんな子は珍しくなかった。
 一見、お金のためと割り切ってクールに働いているように見えても、どこかに闇を抱えていて、心と身体のバランスが上手く保てていない姿を「君もかい」という思いで見てきました。
(中略)
 わたしだからこそ書けること、わたしにしか書けないものがきっとあるはず、いや書かなきゃ自分が救われない、吐きたい、吐き出したい、そんな気持ちだけでこの本を書きました。
(中略)
 心の中にある膿を三分の一くらいは出すことができて、内容は重たいかもしれないけど、わたし自身はいまとてもスッキリしています。しかしわたしにはまだまだ書かなきゃ気が済まないものがたくさんあります。だからこれからも、勝手に血ヘドを吐きながら勝手にカサブタ剥いてのたうち回る所存です。



 「書かなきゃ気が済まないもの」をたくさん残したまま、彼女は生を駆け抜けて行ってしまった。 
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佐々木毅『民主主義という不思議な仕組み』



 佐々木毅著『民主主義という不思議な仕組み』(ちくまプリマー新書/760円)読了。

 日本の政治学の泰斗(前東大総長/学習院大教授)による民主主義入門である。
 ちくまプリマー新書は中高生を想定読者層に据えており、本書も中高生にも読みこなせるほど平明だが、私のようなオッサンにとっても示唆に富んでいる。

 日本のアカデミズムでは啓蒙ということが軽視されがちで、入門書を書くことは学者としてのステータスにはならないという。ステータスどころか、ヘタに入門書など書くと出世の妨げにさえなりかねないのだとか。

 馬鹿げたことだ。専門家のほうばかり向いて民衆を軽視するのも心得違いだし、真に優れた入門書を書くことがいかにむずかしいかもわかっていないのだ。

 1つの学門分野について、レベル1~100の知識があったとする。レベル1は最も基礎的な知識で、レベル100はその分野の最先端の知識だ。
 入門書に書かれるのはレベル1~30くらいまでの知識だろうが、それでも、真に優れた入門書を書くにはレベル100まで理解して分野の全体像を把握していないといけない。そのうえで、レベル30程度までの知識を平明に伝える知的咀嚼力もなければならないのだ。

 そう考えれば、優れた入門書を書くことがいかに難事であるかがわかるだろう。
 だが実際には、一流の学者たちは入門書を書きたがらないものだから、レベル50くらいまでの知識しかない三流の学者が書いたり、レベル30までの知識すら危うい「ライターさん」が一夜漬けで勉強して書いたりしている(私だよ!)のが現状だ。

 さて、本書の中身について――。

 「国民投票法」の成立(今年5月)によって、日本でも「18歳投票権」の実現が視野に入ってきた。本書はそのことをふまえ、とかく政治に関心の薄い10代の若者たちに向けて書き下ろされたものである。

 民主主義国家になってから長い年月が経つと、国民の間には民主主義への幻滅が蔓延しがちだ。我が国も然りであることは、国政選挙における低投票率の常態化が端的に示している。著者はそんな“時代の空気”をふまえつつ、冷笑的な民主主義批判にも、脳天気な民主主義礼讃にも与しない。

 民主主義の「素晴らしさ」を讃える議論とそれを「冷やかす」「けなす」議論とのやりとりは、いわば空中戦というべきものです。しかし、本当に必要なのは、地道に一歩一歩何をどう変えていくかという地上戦なのです」(「はじめに」)



 民主主義の欠点、危うさを理解したうえで、社会の成員の努力によって“よりよい民主主義”へと磨きつづけていくことが肝要だ、と著者は言うのだ。本書をつらぬくのはそのような視点である。

 著者は、古代ギリシアの民主政から現代に至る民主主義の歴史を、駆け足でたどる。その要約の絶妙さは、政治思想史についての優れた研究で名高いこの著者ならではだ。民主主義が孕む“危うさ”の内実も、歴史をたどるなかで浮き彫りにされていく。

 終章では、日本の民主主義をどう磨いていくべきかをめぐる提言がなされる。著者はたとえば、大盤振る舞いの利益政治はもう成り立たない時代だからこそ、「(税金を使う)優先順位をはっきり決められるような政治の仕組みを作ること」が必要だと主張する。これまでそのような仕組みがなかったことが、日本の政治の大きな問題だ、と……。

 著者は、「新しい日本をつくる国民会議」(21世紀臨調)の理論的支柱として、政治改革の流れを推し進めてきたことでも知られる。「象牙の塔」に閉じこもることなく、日本の民主主義を鍛え上げるための行動を積み重ねてきた人なのである。そうした実践をふまえた提言は、傾聴に値する。

 民主主義をめぐるさまざまな“あたりまえ”に再検討の鋭利なメスを入れた、質の高い入門書だ。
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『チャーリー・チャップリン  ライフ・アンド・アート』

チャーリー・チャップリン ライフ・アンド・アート チャーリー・チャップリン ライフ・アンド・アート
ウディ・アレン、チャールズ・チャップリン 他 (2007/12/21)
ジェネオン エンタテインメント



紀尾井町の角川試写室で、『チャーリー・チャップリン ライフ・アンド・アート』の試写を観た。

 タイトルのとおり、チャップリンの生涯を、その作品と並行してたどっていくドキュメンタリー映画だ。12月に没後30年を記念して開催される「チャップリン映画祭」で上映予定。

 試写室に集った人の年齢層が、いつもに比べてものすごく高かった。半分以上はお年寄り。チャップリン作品をリアルタイムで観た世代なのだろう(チャップリン最後のアメリカ映画『ライムライト』でさえ、1952年の作品なのだが)。

 チャップリンのドキュメンタリーというと、昔、『放浪紳士チャーリー』というのを観たことがある。
 たしかチャップリンが亡くなってすぐに作られたものだから、30年くらい前に観たのだろう。『ジョーイ』というお涙ちょうだいの難病もの映画との併映で、中学生の私はそちらを目当てに観に行ったのだった(我ながら、どうでもいいことをよく覚えてるなあ)。

 その『放浪紳士チャーリー』の内容はまったく覚えていないので比較はできないが、こちらの『チャーリー・チャップリン ライフ・アンド・アート』はなかなかよくできたドキュメンタリーである。

 『犬の生活』から『ライムライト』まで、代表作の名場面をコラージュしつつ、チャップリンの関係者(遺族・共演者など)と伝記作者、影響を受けた映画人、評論家らへのインタビューによって、その生涯と芸術が浮き彫りにされていく。131分の長尺でもあり、伝記一冊分くらいの情報がぎっしり詰め込まれている。

 インタビューイとして登場する面々が、非常にゴージャス。
 ウディ・アレン、マーティン・スコセッシ、リチャード・アッテンボロー、ミロス・フォアマンといった監督たちがチャップリン作品の魅力を熱く語り、マルセル・マルソー(パントマイマー)、ロバート・ダウニーjr、ジョニー・デップ(!)らが演技者/パフォーマーしてのチャップリンを讃嘆する……といった具合。

 ただし、礼讃一辺倒には終わっていない。晩年の不遇や乱脈な女性関係(相手の多くが10代の少女! 完全にロリコンだ)など、チャップリンの人生の暗部にも果敢に踏み込んでいるのだ。

 ていねいに作られたよい映画だとは思うが、映像にもう少し工夫が欲しかった。単調なインタビュー映像が延々とつづき、「活字作品として書かれた評伝を、機械的に映像に置き換えただけ」みたいな印象(※)。映画史の勉強にもなり、チャップリンのすごさもよくわかるのだが、「いやー、ためになりました」と言いたくなる感じで、“映画としての色気”には乏しいのだ。

※これはもともとDVD発売のみを予定していた作品で、劇場公開は念頭になかったらしい。納得。


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岸川真『フリーという生き方』



 岸川真(しん)著『フリーという生き方』(岩波ジュニア新書/740円)読了。
 
 前のエントリで取り上げた『出版業界最底辺日記』の編者・南陀楼綾繁(ライター/編集者)のブログ「ナンダロウアヤシゲな日々」を読んでみたら、そこで絶賛されていた本。過去20年フリーでやってきた私としては、読まずにはいられないタイトルである。

 著者はフリー編集者兼シナリオライターで、ライターとしてインタビュー記事を手がけたりもしているらしい。つまり、広い意味では私の同業者だ。

 この本は、著者自身の経験をふまえ、フリーで生きていくことの「つらさ」と「やりがい」について語ったものである。

 どちらかといえば「つらさ」のほうに偏った内容で、これを読む10代の諸君(岩波ジュニア新書のメインターゲットは高校生前後)の夢を砕いてしまうのではないかと、いらざる心配をしてしまう。

 そして、本書にはもう2つの偏りがある。1つは、実用性よりも「心構え」に大きく偏っていることだ。

 たとえば、本書を読んでも、「フリーになってからの確定申告はどうすればいいのか?」などという実用的知識はほとんど得られない。ただし、フリーとして生きていくためにもつべき覚悟・心構えはよくわかる。

 もう1つは、一般的な話よりも著者自身の特殊な体験に偏っていること。
 とくに、少年時代の思い出話などにかなりの紙数が割かれているので、「アンタの回想はもういい! もっと一般化できる話を書いてくれ」と言いたくなる。

 たとえば、著者の友人がフリーライターになったものの、パチンコにハマって借金を背負い、姿を消した、という話が延々と紹介される。そのことを例に、著者は「フリーは一寸先は闇です」と説くのだが、私にはたんにその友人がダメ人間だっただけとしか思えない。「フリーは一寸先は闇」であることを示す例として、まったく不適当なのだ。

 と、そのような小瑕はあるものの、全体として見ればわりとよい本。
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塩山芳明『出版業界最底辺日記』

出版業界最底辺日記―エロ漫画編集者「嫌われ者の記」 (ちくま文庫) 出版業界最底辺日記―エロ漫画編集者「嫌われ者の記」 (ちくま文庫)
塩山 芳明 (2006/07)
筑摩書房


 塩山芳明著、南陀楼綾繁編『出版業界最底辺日記/エロ漫画編集者「嫌われ者の記」』(ちくま文庫/950円)読了。

 エロマンガ誌専門の編集プロダクション(つまり、マンガ誌を発行する出版社の下請けとして、編集作業の一切を請け負う会社)の代表をつとめる著者が、自ら編集するマンガ誌に綴ってきた日記をまとめた本。
 1990年~2005年の日記から編者が厳選したものなので、エロマンガをめぐる過去十数年間の業界事情の変遷もよくわかり、マンガ史の資料としての価値も高い。

 著者は、斯界では名の知れた名物編集者らしい。
 マンガ家や業界人など、日々出会う無礼な奴、使えない奴、手抜き仕事をする奴などを遠慮なく怒鳴りつけ、日記の中でも実名を挙げてガンガン批判していく。その無頼ぶりがじつに痛快。

 たとえば、超メジャーなマンガ誌の編集者から、「お宅に描いているマンガ家の連絡先を教えてくれないか?」という問い合せがあったときの対応を記したくだり。

「教えてません」「はあ? と、申しますとォ……!?」「あんたらに俺たちが、漫画家の連絡先を教えてくれって頼んでも教えねえだろ。だから俺達も教えないの」「……」(この沈黙は長かった。浮浪者にめぐんだ金を、“俺はコジキじゃねえ!!”と突き返された際の、土地成金のとまどいにでも類した感情を抱いていたか?)


 いいなあ、この“ルサンチマン・メラメラ!”な感じ。
 私も低賃金重労働の下請け編プロ(マンガではないが)に身を置いたことがあるから、著者のルサンチマンとその裏側の矜持に、共感するところ大。
   
 出てくるマンガ家の8割以上は私の知らない名前だが、それでも十分楽しめた。

 また、著者は筋金入りの読書人/映画ファンでもあり、随所に出てくる読了本と映画の感想コメントも面白い。富岡(群馬県)から飯田橋まで遠距離通勤する間に著者が読む本の、なんとシブいセレクト。


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前原政之 
イラスト/ジョージマ・ヒトシ

前原政之(まえはら・まさゆき)
1964年3月16日、栃木県生まれ。53歳。
1年のみの編プロ勤務(ライターとして)を経て、87年、23歳でフリーに。フリーライター歴30年。
東京・立川市在住。妻、娘、息子の4人家族。

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●「mm(ミリメートル)」は、私のイニシャル「MM」のもじりです。

●私の大好きなギタリスト・渡辺香津美氏は、ご自身のイニシャル「KW」をもじった「KW(キロワット)」を、公式サイトのタイトルにしておられます(同名のアルバムもあり)。それにあやかったというわけです。

●あと、「1日に1ミリメートルずつでもいいから、前進しよう」という思いもこめられています(こじつけっぽいなあ)。

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