勢古浩爾『ビジネス書大バカ事典』 


ビジネス書大バカ事典ビジネス書大バカ事典
(2010/05/21)
勢古 浩爾

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 勢古浩爾著『ビジネス書大バカ事典』(三五館/1680円)読了。

 ベストセラー『まれに見るバカ』などで知られる評論家が、100冊以上のビジネス書を読みまくり、「いかがわしいビジネス書『もどき』」の数々をメッタ斬りにする一冊。つまり、“ビジネス書版『トンデモ本の世界』”を一人で作ってみました、という趣の本だ。

 ビジネス書には二種類ある。まともなビジネス書と、いかがわしいビジネス書「もどき」である(その実体は、成功本といわれる自己啓発書である。以下、他の分野の大ぼら本も含めて「もどき本」と呼ぶことにするが、これでも穏やかないい方で、はっきりいえばインチキ本である)。



 ……と「はじめに」にあるとおり、著者はビジネス書の価値を全否定しているわけではない。「読むなら、経営者の自伝」という章がもうけられ、まともなビジネス書の例として著名経営者の自伝を挙げている。また、たとえば勝間和代についても初期の何冊かは評価するなど、是々非々で評価している。
 そのうえで、いかがわしい「もどき」本についてはとことんおちょくっているのだ。

 「もどき」本に対する著者の批判の骨子は、つづめていえば次のようなこと。

 もどき本がいうような「誰もが成功できる。誰もが金持ちになれる」ことなど、そもそもあり得ない。そのあり得ない話をまことしやかに喧伝すること自体、インチキの証拠。また、著者たちが説く「成功法則」の数々も、よくよく考えてみれば無根拠であったり、オカルトまがいであったりする。
 そもそも、「成功」ってなんだ? 「成功」が人生最大・唯一の価値であるかのように著者たちはいうが、その思い込みからしておかしいのではないか?

 至極まっとうな視点である。そして、その視点からバッサバッサと斬られていくのが、本田健、苫米地英人、石井裕之、斎藤一人、小林正観、神田昌典、勝間和代、本田直之などという、ベストセラー連発の著者たちだ。

 私自身は取り上げられている本の一部しか読んだことはないが、著者の主張にはおおむね同意。

 途中の章でまとめとして、「ビジネス書『もどき』に拉致されないための『7つの習慣』」なるものが列挙されている。その一部を引用。

①タイトルに騙されない
 タイトルにこのような言葉が使われている本は御注意。「成功」「法則」「ルール」「ステップ」「習慣」「方程式」「運」「秘訣」「魔法」「引き寄せ」「夢を叶える」「10倍アップ」「(具体的な数字)五○○○万円」「何秒」……。
②効能書きに騙されない
 「オビ」や「まえがき」で、「だれでも」「楽に」「シンプル」「すぐ」「必ず」「成功する」などの誇大な効能を断定している本は疑ってかかること。
③著者の経歴に騙されない
 著者の経歴不詳の本は一応注意すること。逆に、短編小説かというほど詳細すぎる経歴が書かれているものも注意したほうがいい。そこまで自分をアピールしたがる著者はふつうではない。



 ただ、“トンデモ本のおちょくり芸”として見た場合、本家「と学会」の最初の2冊(『トンデモ本の世界』と『トンデモ本の逆襲』。それ以降はクオリティーが落ちる)に比べると、笑いのキレに欠ける。著者は根が真面目な人なのだろう。

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荻原魚雷『古本暮らし』


古本暮らし古本暮らし
(2007/05/05)
荻原 魚雷

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 郷里の母が手術を受けたので、妻とともに帰郷していた(重篤な病気ではないので、ご心配なく)。
 
 母は入院中だというのに化粧をして、看護師さんに叱られたそうだ(顔色から体調を判断できなくなるため)。70代も半ばをすぎたというのに、女心というのは幾つになっても変わらないものなのだなあ、と感心するというか呆れるというか。
 でもまあ、見た目が気になるくらいならまだまだ元気そうだ、と一安心。

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 荻原魚雷(おぎはら・ぎょらい)著『古本暮らし』(晶文社/1785円)読了。

 書評を中心に活躍するフリーライターのエッセイ集。
 人気ブログ「文壇高円寺」(→こちら)で知られる人だそうだ。私は、『読売新聞』連載のベストセラーを俎上に載せるコラムで、この著者を知った。

 文章といい内容といい、すごく老成していて、私より5つも年下(1969年生まれ)だとはとても思えない本。でも、その“若くして枯れてる感じ”は悪くない。

 「部屋を掃除し、洗濯し、近所の商店街に食材を買いに行ったついでに、古本屋と中古レコード屋をまわって、酒を飲む」(あとがき)という、つつましくも平穏な暮らしを綴ったエッセイ集。合間合間に、愛読する古書を紹介するエッセイが混じる。

 役に立つ情報などほとんどなく、ドラマティックな出来事が起きるわけでもなく、読んで鼓舞されるような側面は薬にしたくもない。
 それでも、古本好きなら愉しく読める一冊。文章もうまい。

 気ままな「古本暮らし」をフィルターに、人生を語る本という趣。だが、著者の目線はあくまで低く、いわゆる「上から目線」の対極にある。
 それを「下から目線」と言ってしまうとたんに卑屈なだけのようだが、目線は低くとも著者は少しも卑屈ではない。むしろ、ある種の矜持をつねに感じさせる。 

 長い人生、本がほしくてもお金がなくて買えないことがある。しかし、ものは考えようで、腹が減っているほうが、メシがうまいのと同じで、読書だって活字に飢えている状態で読んだほうが楽しい。



 珈琲、煙草、酒、古本、レコード、ぜいたくはこれくらい。もう少し外出しよう。用がなくとも電車に乗ろう。吉祥寺くらいまでは気軽に行けるようになりたい。
 ああ、野望はどこに行ったのか。このままこんなふうに齢を重ねていくのか。もう下り坂なのか。いつ上り坂だったのか。
 テキパキしていない。ハツラツとはほど遠い。体力がない。もし自分が機械だったら、とっくに廃棄処分だ。人間に生まれてよかった。



 ……と、こんな調子でしょぼくれたことばかり書きつらねながらも、卑屈でも陰鬱でもないのだ。これはなかなかの芸だと思う。

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岸本葉子『エッセイ脳』


エッセイ脳―800字から始まる文章読本エッセイ脳―800字から始まる文章読本
(2010/04)
岸本 葉子

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 岸本葉子著『エッセイ脳――800字から始まる文章読本』(中央公論新社/1470円)読了。
 
 当代きっての人気エッセイストによる、エッセイの書き方入門。
 京都造形芸術大学通信教育部での講座をベースにしたものだそうで、話し言葉で書かれており、すこぶるわかりやすい。『エッセイ脳』なるタイトルはいかにも「脳の本ブームに便乗しました」って感じだが、「エッセイを書くとき、私の頭の中で起きていることを、とらえ直し、分析」した本という意味だそうだ。

 仕事柄、文章読本やライター入門のたぐいをたくさん読んできたが、エッセイの書き方入門については本書がベストだと思う。一昔前なら木村治美の『エッセイを書きたいあなたに』がイチオシだったが、いまなら断然これだ。

 何が素晴らしいかといえば、本書で開陳される岸本流エッセイ術が、徹頭徹尾論理的であること。
 題材の選び方、うまい書き出しのコツ、タイトルのつけ方、「枠組みの文」「描写」「セリフ」のバランス配分など、エッセイを形作る要素の一つひとつについて、岸本さんの中には明晰な論理に基づいたルールがあり、それに則って構築されているのだ。
 岸本さんはそのルールを、自作エッセイを随所で例に引きながら、解説していく。

 エッセイというと、気の向くまま好き勝手なことを書きつらねているように思われがちだが、第一線のプロはこれほど緻密な計算のもとに書いているのだと、感動すら覚える。

 本多勝一の『日本語の作文技術』という、文章読本の名著がある。あれも、明晰な論理に基づいてよい文章の書き方を指南するものだった。
 明晰な論理に基づいているからこそ、万人向けの入門書になり得る。その論理を適用していくことで、初心者にもよい文章と悪い文章の区別がつけられるからだ。本書はいわば、『日本語の作文技術』のエッセイ版である。

 とかくエッセイは、小説や評論に比べれば書くのがかんたんだと思われがちだ。
 「小説は物語を構築しないといけないし、評論は膨大な知識量とアタマのよさが求められるけど、エッセイなら自分の身の回りのことを書けばいいんだから、楽勝だわ」と……。

 しかし、商品価値のある(原稿料のもらえる)エッセイを書くことは、シロウトが思うよりもずっと難しい。エッセイスト専業で生計を立てつづけることは、さらに難しい。岸本さんが20年以上人気エッセイストでありつづけていることは、じつはすごいことなのだ。
 本書には、その難事をなし遂げてきた原動力が明かされている。東大出の癒し系美女だから売れているわけではないのだ(もちろん、それも人気の要因ではあろうが)。

 エッセイストを目指す――それは、じつは小説家になるよりも狭き門なのだが――人は、とりあえず本書を熟読すべし。

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石井光太『レンタルチャイルド』


レンタルチャイルド―神に弄ばれる貧しき子供たちレンタルチャイルド―神に弄ばれる貧しき子供たち
(2010/05)
石井 光太

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 石井光太著『レンタルチャイルド――神に弄ばれる貧しき子供たち』(新潮社/1575円)読了。

 少し前に読んですごくよかった『絶対貧困』の著者の、最新作。インドはムンバイのスラム街を舞台に、最貧困層の子どもたちを描いたノンフィクションである。

■関連エントリ→ 『絶対貧困』レビュー

 「レンタルチャイルド」とは、物乞いをする女たちが人から「借りる」赤ん坊のこと。
 女の物乞いは、赤ん坊を抱いているともらう金が格段に増える。そのため、老婆でさえ赤ん坊を抱き、それが我が子だと偽るのである。マフィアに金を払って借りるケースも多いという(マフィアは、赤ん坊を拉致ってきたり、売春婦の生んだ父なし子を買ったりして調達する)。

 誤解を招きやすい書名だが、これはレンタルチャイルドの問題だけに焦点を絞った本ではない。レンタルチャイルドをさせられていた赤ん坊たちが、その後にたどる過酷な運命までが描かれたものなのだ。つまり、タイトルのつけ方としては『コインロッカー・ベイビーズ』(村上龍)と同型。

 最初の第一部では2002年の出来事、最後の第三部では2008年の出来事が描かれる。取材・執筆に10年を要したという渾身作だ。

 マフィアに拉致されてきたレンタルチャイルドたちは、成長すると片眼をつぶされたり、片脚を切断されたりして物乞いをさせられる。不具にしたほうが、物乞いで同情を集めて稼げるからだ。映画『スラムドッグ$ミリオネア』にも描かれたそんなエピソードが、本書の中ではいっそう生々しく描き出されている。

 不具にされた子どもたちは、大きくなって物乞いでは稼げなくなると、路上に放り出される。そして、路上生活をするなかで、彼らの一部もまたマフィア化し、より弱い立場の者(女乞食など)から金を奪い取って暮らすようになる。
 哀しき暴力の連鎖。世界中どこにあっても、貧困と暴力はつねに地つづきである。

 日本でも生活保護費ピンハネなどの「貧困ビジネス」が社会問題化しているが、本書に描き出された絶対貧困層の「貧困ビジネス」は、日本のそれが牧歌的に見えるほどすさまじい。
 とくに、最後の第三部で描かれる、買ってきた死体をリヤカーに積んでの物乞い(死体が自分の肉親だと偽り、火葬のための薪代をせびる)というエピソードには言葉を失う。芥川龍之介の『羅生門』のような世界が展開されているのである。

 映画『スラムドッグ$ミリオネア』を観てから読むと、いっそう衝撃的な本だ。本書はいわば、『スラムドッグ$ミリオネア』の超リアル&超ダーク・ヴァージョンだから。
 あの映画は、インドのスラム街の過酷な現実の中に心あたたまるファンタジーを持ち込んだものだった。いっぽう、本書には過酷な現実しかない。

 ここに描かれたのは、まさに「この世の地獄」のような世界。映画顔負けのドラマティックなエピソードがたくさん登場するが、映画化は不可能だろう。映画にするにはどぎつすぎるエピソードが多いから。

 それでも、地獄のような暮らしの中で登場人物がときに見せる人間性の輝きが、胸を打つ。
 また、著者がありきたりな正義感やモラルをあまり振りかざさない点も、好ましい。平和で豊かな日本に暮らす我々のモノサシで、スラムの人々のぎりぎりの生の営みを裁断できるはずもないのだ。

 『絶対貧困』には随所にあったユーモアも、本書では影をひそめている。ユーモアの入り込む余地がないほどミゼラブルな世界が描かれているのだ。ずしりと重い、ヘビー級のノンフィクション。

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P・W・シンガー『ロボット兵士の戦争』


ロボット兵士の戦争ロボット兵士の戦争
(2010/07/28)
P・W・シンガー

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 P・W・シンガー著、小林由香利訳『ロボット兵士の戦争』(NHK出版/3570円)読了。

 書評を書くのでここではくわしく書けないが、これは重量級の秀作ノンフィクションであった。
 著者は第一作『戦争請負会社』で「戦争ビジネス」の実態を描き、第二作『子ども兵の戦争』では各地で子どもたちが兵士に仕立て上げられている恐るべき現実を描いた。第三作の本書でテーマに選んだのは、軍事ロボットの世界。

 SFではなく、未来の話でもなく、すでに軍事ロボットは実用化され、イラクやアフガニスタンで“活躍”している。その現状と、軍事ロボットが普及した先に何が起こり得るのかを、綿密な取材から浮き彫りにしている。
 600ページを超える大著を一気読みさせる濃密な一作。

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ジョン・マクラフリン『トゥ・ザ・ワン』


トゥ・ザ・ワントゥ・ザ・ワン
(2010/04/21)
ジョン・マクラフリン

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 ジョン・マクラフリンの最新アルバム『トゥ・ザ・ワン』(マーキー・インコーポレイテッド/3000円)を聴いた。

 マクラフリンが1970年代にやっていたマハヴィシュヌ・オーケストラこそ、史上最高のジャズ・ロック・バンドだと思う。そんな私にとって、マクラフリンは何よりもジャズ・ロックの人であって、彼がときどき出す「もろインド音楽」のアルバムにはまるで興味がない。
 だから、前作にあたる『フローティング・ポイント』はいまだに聴いていない。インドの若手ミュージシャンを集めて作ったそうだから。

 しかし、前々作『インダストリアル・ゼン』は、「マハヴィシュヌ・オーケストラの21世紀展開」という感じの超絶ジャズ・ロック・アルバムで、さんざん聴き倒したものだ。

 この『トゥ・ザ・ワン』はインド色皆無のフュージョン・アルバムだが、『インダストリアル・ゼン』に比べるとおとなしめで、もっとジャズ寄りになっている。なので、マハヴィシュヌ的な張りつめた緊張感を期待すると、やや肩透かし。

 とはいえ、そこはマクラフリンのこと、毒にも薬にもならないスムース・ジャズ的な音ではない。けっして聴き流せない、BGMにはなり得ないテクニカル・フュージョンが展開されているのだ。凛とした美しさと、底に流れる高い精神性に胸打たれる。

 マクラフリンは例によって超絶技巧で弾きまくっているが、本作でのギターはエフェクターをほとんど使わないナチュラルな音色で、ロック的に押しまくる感じはない。むしろ、ちょっとパット・メセニーっぽいところもある。

 ギターがおとなしめの分だけ、ドラムスとベースの音がやたらと目立つアルバム。とくに、ドラムスのマーク・モンデシールという人は叩きすぎ(カッコイイけど)。「脇役が主役より目立っちゃイカンだろう」と思う。まるでドラマーのリーダー・アルバムみたいな印象なのだ。

 とはいえ、楽曲も演奏も、軽々と標準ラインを超えている秀作ではある。
 とくに、アルバム中最もハードな「リカヴァリー」は、『インダストリアル・ゼン』に入っていてもおかしくないジャズ・ロックで、鳥肌が立つくらい素晴らしい。全編この曲の感じでやってくれたらよかったのに。

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小林まこと『青春少年マガジン1978~1983』


青春少年マガジン1978~1983 (KCデラックス)青春少年マガジン1978~1983 (KCデラックス)
(2008/12/17)
小林 まこと

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 小林まことの『青春少年マガジン1978~1983』(講談社KCデラックス/980円)を読んだ。一昨年に刊行され、ずいぶん話題になった作品。

 『週刊少年マガジン』の創刊50周年を記念して、同誌で活躍してきた人気マンガ家たちがデビュー当時の思い出などを描いた競作シリーズの一作らしい。
 小林が本作でおもに描いたのは、代表作である『1・2の三四郎』を連載していた時期の思い出。タイトルの「1978~1983」とは同作の連載期間だが、84年以降の出来事も少し描かれている。

 当時の『少年マガジン』をリアルタイムで読んでいた人ならいっそう味わい深いマンガだが、そうでなければ感動できないわけではない。ここに描かれた青春は普遍的なものだから。

 デビューの歓喜、初めての連載で味わう「産みの苦しみ」など、小林の駆け出し時代の悲喜こもごもが、作品のタテ軸となる。
 そしてヨコ軸は、小林と同時期に『少年マガジン』でデビューし、「新人3バカトリオ」と呼ばれたという2人のマンガ家――『純のスマッシュ』『初恋物語』などで知られる小野新二と、『タフネス大地』などで知られる大和田夏希――との友情の物語である。

 小林のことだから随所に笑いが用意されているのだが、それ以上に、哀切さのほうが大きなウェイトを占める作品だ。というのも、大和田と小野はのちに相次いで早世するから(大和田は94年に自殺、小野は95年に病死)。

 デビュー間もない時期の喜怒哀楽を共有し、若手マンガ家として互いをライバル視して切磋琢磨していた3人。そのうちの2人が夭折したことで、小林はただ1人取り残されたような喪失感を味わう。その喪失感をフィルターに青春を回顧しているため、物語の底には深い哀しみが流れている。これは、2人の親友へのレクイエムでもあるのだ。

 マンガ家たちの青春物語といえば「トキワ荘伝説」がすぐに思い浮かぶが、ここに描かれた3人のマンガ家の青春も、同じくらい胸を打つ。
 最後のページに書かれた短い一文が、印象的だ。

 この漫画は、故大和田夏希、故小野新二、二人の親友に捧げます。文句があったらあの世で聞きます。また三人でケンカしましょう。(句読点は引用者補足)



 なお、個人的に印象深かったのは、幻の未完作『シロマダラ』の舞台裏が描かれていたこと。
 コミックス1巻が出たのみで中断したままのこの作品は、小林には珍しくギャグ一切抜きのシリアスなハードボイルド(もしくはノワール)で、きちんと完結させれば傑作になっていたはずだ。

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ジ・アンサー『エヴリデイ・ディーモンズ』


エヴリデイ・ディーモンズエヴリデイ・ディーモンズ
(2009/01/28)
ジ・アンサー

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 先日聴いたファースト『ライズ』がすごく気に入った、ジ・アンサーのセカンド・アルバム『エヴリデイ・ディーモンズ』(WHDエンターテインメント)を購入。

 昨年出たアルバムなのに、日本盤の未開封新品が500円台で売っていた。安い。売れなくて在庫がだぶついたのかな。いいバンドなんだけど。

 『ライズ』は1970年代初頭の香りがするハード・ロックだったが、このセカンドはもう数年分21世紀に近づいた感じの音。基本はハード・ロックだが、1970年代中盤くらいの香りがする曲が多い。

 え? 違いがわからない? まあ、若い人にとっては70年代初頭も中盤も同じかもしれない。
 もう少し具体的に言うと、ファーストのようにゴリゴリのブリティッシュ・ハード・ロックではなく、もっとポップでメロディアス。それに、アメリカン・ハード・ロックに近いスコーンと抜けた明るさもある音になっているのだ。

 フォリナーみたいな曲があるかと思えば、チープ・トリックみたいな曲もある。ブリティッシュ・ハード・ロック系の曲をやるにしても、ブラック・サバスというよりホワイトスネイクに近い感じ。
 
 私は1970年代中盤にロックを聴き始めたから、このアルバムの音はなんとも懐かしく、愉しい。完成度はファーストのほうが上だと思うが、このアルバムもすごく気に入った。

 曲のポップ度が増したとはいえ、ギターもリズム隊も相変わらず野太く豪快だ。

 何より驚かされたのは、ヴォーカリストのコーマック・ニーソンの底知れぬ芸達者ぶり。
 ファーストではロバート・プラントやポール・ロジャース顔負けのヴォーカルを聴かせた彼が、本作ではルー・グラム(元フォリナー)風のヴォーカルや、チープ・トリックのロビン・ザンダーそっくりのヴォーカルまで披露しているのだ。とくに「クライ・アウト」という曲は、曲といいヴォーカルといいチープ・トリックそのもの。
 うーん、芸の幅広すぎ。


↑「クライ・アウト」。後半のヴォーカルのロビン・ザンダーそっくりぶりがスゴイ。


↑「トゥー・ファー・ゴーン」。AC/DCをバックにルー・グラムが歌っている感じの曲。

 メンバー全員まだ20代だというのに、70年代ハード・ロックをブリティッシュからアメリカンまで広く血肉化しているジ・アンサー。サード・アルバムがいまから楽しみだ。

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やましたひでこ『ようこそ断捨離へ』


ようこそ断捨離へ モノ・コト・ヒト、そして心の片づけ術ようこそ断捨離へ モノ・コト・ヒト、そして心の片づけ術
(2010/06/11)
やましたひでこ

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 やましたひでこ著『ようこそ断捨離へ――モノ・コト・ヒト、そして心の片づけ術』(宝島社/1000円)読了。

 著者は、ブームを呼んでいる「断捨離」の“教祖”ともいうべき人。「断捨離」も登録商標で、商業目的、営業目的の使用は著者の許可なしではできないのだそうだ。

 本書は著者のブログをまとめたもので、なんともまとまりがない。著者は昨年『新・片づけ術 断捨離』という入門的な著作を出しているので、そちらを読むべきであった。

 『新・片づけ術 断捨離』の紹介文に、著者のいう「断捨離」とはなんなのかがまとめられているので、引用する。
 

 「断捨離」(だんしゃり)とは、ヨガの行法哲学「断行・捨行・離行」をもとに生まれた言葉。
断=入ってくる要らないモノを断つ
捨=家にはびこるガラクタを捨てる
離=モノへの執着から離れ、ゆとりある”自在”の空間にいる私
 つまり、「家のガラクタを片づけることで、心のガラクタをも整理して、人生をご機嫌へと入れ替える方法」。
 「そうじ」をしたり、モノを捨てたりすると、なぜか心も軽くなる、というのは誰もが経験していること。「断捨離」とは、皆が漠然としている「そうじ」や「片づけ」を再定義し、自分の「内在智」(心や体を快方向に導くセンサー)を磨くための行動へと落とし込んだメソッドです。結果、自分の心をご機嫌に、ついでに運気も向上させてしまおうという方法論でもあります。義務感を伴う「片づけ」から、自分の内在智や運気を磨く「断捨離」へ。



 うーん……。
 モノへの執着を減らすことで心も軽くなる、まではわかるが、「運気も向上」とか言われると途端にうさん臭くなる。これって、新手のスピリチュアルでは……。

 と、眉にツバつけて読んでみれば、やはり随所にオカルト的色彩が感じられる。たとえば――。

 漫然と放置されたモノたちは、朽ち果てた腐敗の気を。
 漫然と保存されたモノたちは、澱んだ停滞の気を。
 間違いなく私たちを、腐敗と停滞の気で包む。私たちの運気が、腐敗運と停滞運となるのですよ、間違いなく。



 運命学の根本原理のひとつは環境が人に影響を与えるということ。その人自身に近いところに存在するものから、その人に対して強い影響が与えられる……。
(中略)
 ならば、一番身近な住まいの環境が、私たちの運命に大きな影響を、与えるのは間違いのないこと。



 本書は、モノへの執着を減らす心構えを説いた本としてはよいのだが、それを運気うんぬんに結びつけている点には辟易した。
 著者は「断捨離セミナー」なるものを頻繁に開いているそうだが、それって一種の「自己啓発セミナー」になっているのでは?

 当初は、主婦向けの片付け術セミナーであった断捨離セミナーも、最近は、若い方々が多く参加して下さるようになった。もちろん、男性も増えた。
 20代の若い男性が、食器棚の整理の仕方や下着のたたみ方を、習いに来るわけはありませんわ、やはり。
 彼らが望んでいるのは、自分探し。自己探求としての断捨離。



 やっぱり……。

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手塚治虫『完全復刻版 新寶島』


完全復刻版 新寶島完全復刻版 新寶島
(2009/03)
酒井 七馬

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 『完全復刻版 新寶島』(小学館クリエイティブ/2000円)を読んだ。

 言わずと知れた、手塚治虫の単行本デビュー作。戦後間もない1947年1月に発刊されるやベストセラーとなり、幾多の少年たちを熱狂させた伝説的作品である。
 「トキワ荘」の面々など、のちの大家の多くが、少年時代にこの作品を読んでマンガ家を志したという。藤子不二雄Aの自伝的長編『まんが道』で、主人公2人が『新寶島』に出合って衝撃を受けるシーンは、あまりに有名だ。

 だが、のちに手塚治虫全集に入った『新宝島』は、手塚が全面的にリメークしたものだった。
 オリジナルの『新寶島』は、当時の関西マンガ界の大御所・酒井七馬との共作という形をとっており(表紙には原作・構成/酒井七馬、作画/手塚治虫とある)、手塚にとって不本意な作品だったからだ。手塚によれば、酒井は手塚の描いた下描きからページを削り、出来上がった原稿にも紙を貼って修正を入れるなど、勝手な改竄を行なったのだという。

 ゆえに、オリジナルの『新寶島』は復刻されることなく幻の作品と化し、古書店では数百万円の高値を呼んだ。それが、手塚の没後20年を経た昨年になって、当時のままの形でついに復刻されたのである。

 本書には約50ページに及ぶ「新寶島読本」という小冊子が付録についており、『新寶島』をめぐる背景事情などが解説されている。とくに、2007年に『謎のマンガ家・酒井七馬伝』(筑摩書房)を上梓した中野晴行の寄稿「『新寶島』と酒井七馬」は、読みごたえがある。

 当然のことながら、私もオリジナル版『新寶島』を読んだのは初めて。
 版型が意外に小さく、本が薄いのにちょっとビックリ。『まんが道』などから受ける印象で、もっと大きくて分厚い本をイメージしていたので。

 CDにおける「紙ジャケ」のような感じで、細部に至るまで刊行当時のまま再現されている。
 著者として酒井の名だけがあったことから手塚が激怒したといういわくつきの奥付も、完全再現。「定価二十五圓」とあり、酒井による著者検印までが色つきで再現されている。仕事がていねいでうれしくなる。

 戦後マンガの本格的出発点となった本の復刻ということで、マンガ史的価値は非常に高いものだが、いかんせん、マンガ作品としていまの我々が感動できるようなものではない。「当時としてはものすごく斬新だったんだろうなあ」と思うのみである(レトロな味わいは愉しめるけど)。 

 とはいえ、マンガ好きなら一度は目を通しておきたい一冊だ。

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井形慶子『老朽マンションの奇跡』


老朽マンションの奇跡老朽マンションの奇跡
(2009/11/18)
井形 慶子

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 井形慶子著『老朽マンションの奇跡』(新潮社/1575円)読了。

 著者は、「イギリスがどうしたこうした」という本をたくさん出している人。名前だけは知っていたが、著作を読むのは初めて。イギリスうんぬんの本にはまるで興味がないし。

 本書は、著者が吉祥寺の老朽マンションを格安で手に入れ、憧れの「ロンドンフラット」風にフルリフォームするまでの悪戦苦闘を綴ったノンフィクション。ただし、そのマンションは著者の自宅ではなく、自分が経営する出版社のスタジオ兼若手社員の住居にしたとか。

 築35年、45㎡のボロボロ・メゾネットが今風デザイナーズ・マンションに生まれ変わっていく過程がつぶさに描かれ、人気テレビ番組「大改造!! 劇的ビフォーアフター」の活字版という趣だ。

 だが、それだけに終わっていない。日本の住宅政策への批判と提言もちりばめられていて、社会派っぽい広がりもある本なのだ。

 それに、リフォーム終了までに次々と立ちはだかる壁やトラブルを乗り越えていく過程は、まるでドラマを観るよう。
 これから住宅を手に入れようとしている読者にとっては実用書だが、住宅に関心のある人なら読み物としても愉しめる本なのだ。

 私のところも中古マンションを買ってリフォームした口なので、身につまされる記述が随所にあった。
 ただ、我が家の場合、購入もリフォームも業者に全部おまかせしてしまったので、自分のこだわりをとことんつらぬく著者のパワーと粘りに終始圧倒されながら読んだ。
 「中古マンションを手に入れてリフォームしました」というだけの話が本一冊分の濃密な内容になったのも、どんな面でもけっして妥協せず、細部にまでこだわりぬく著者の姿勢があったればこそだ。私にはとてもここまでこだわれない。

 それにしても、老朽化していたとはいえ、「住みたい街ナンバーワン」の吉祥寺のマンションが500万円だったとはスゴイ。
 フルリフォーム費用も200万に値切り、計700万円で仕上がった「ロンドンフラット」風住居(カラーの口絵で詳細に紹介されている)は、完成直後に不動産屋から「これなら月額13万円ですぐに借り手がつく」とお墨付きをもらったとか。

 同じように「格安中古マンションを手に入れてリフォームを」と考えている人なら、一読の価値はある本。

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木村多江『かかと』


かかとかかと
(2010/04/02)
木村 多江

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 木村多江著『かかと』(講談社/1365円)読了。

 日本一の薄幸顔美女・木村多江の初エッセイ集。先日読んだ南果歩の『瞬間幸福』につづいて、ひいきの女優のエッセイ集に手を伸ばしたしだい。

 表紙も含め、本の中にただの一枚も木村多江の写真が載っていない。当然、制作サイドの明確な意図をもってそうしたのだろうけど、ファンとしては残念。少しは写真を載せてくれたっていいじゃないか、と思う。

 エッセイ集としては、なかなかよくできている。ファン以外の人にとって面白いかどうかは微妙なところだが、男女を問わず、ファンなら愉しめる一冊。

 南果歩の『瞬間幸福』もそうだったが、本書も女優らしい華やかさがあまりなくて、私にはむしろそこが好ましい。

 本書の中の木村多江は、顔やスタイルやその他もろもろに強いコンプレックスを抱き、ドジでマヌケで鈍臭く、およそ女優らしくない。
 自分の何もかもに自信がなく、それでも演じることは何よりも好きで、よい女優になろうと悪戦苦闘を重ねる。その様子が何ともいじらしく可愛らしく、微笑ましいのだ。たとえば――。

 コンプレックスなんて、数え上げればきりがない。そことはうまく付き合っていくしかない。
(中略)
 しかし、トレーニングで身体を鍛えたり、ダイエットをしたりといった努力にも限界がある。そこで辿り着いたのが、目の錯覚を起こさせるということだった(こんなのばっかりです、わたし)。
 良さそうなスタイルに見えるように、いい顔に見えるように、努力した。実際にわたしを助けてくれたのは、ちょっとした身のこなしや、仕草、表情だ。
 万が一、わたしが演じる役を観て、“きれいだ”と一瞬でも思っていただけるようなことがあれば、それは、仕草、表情の残像がつくりだす錯覚です。



 「ああ、やっぱり。そういう人だからこそ、私はファンになったのだ」と、何か得心のいく気分になる。
 自分に自信満々な、いかにも女優然とした女優なら、私は最初から興味ないし。

 まあ、引用した一節を読んで、「美人のクセに、イヤミな女ね」と思う人もあるだろうけど。

 140ページほどの薄い本だから、あっという間に読める。33編の収録エッセイは玉石混淆ではあるが、知性とユーモアのセンスを感じさせる愉しい文章が多い。

 みなが期待するであろう、「不幸な役が似合う女」と題された一編もある。これがなかなかいい。「“薄幸”といえば、涙がつきもの」というわけで、泣きのシーンの苦労がユーモアにくるんで綴られている。その一節を引こう。

 すぐに泣けないときもある。スタッフ全員が、わたしの“涙待ち”。
 涙待ちのときは、現場が静まりかえり、わたしの緊張はピークに達する。もう、生きた心地がしない。
 結局、最後に出た涙の半分は情けない自分に対しての涙なのである。はぁ~あ。
(中略)
 最近では、開き直っている。泣きたいときもあれば、泣けないときもあるさ、そのかわり、泣く時は、本気だぞ、と。
 顔の原型をとどめないくらい泣いちゃうぞ!



 「日本一不幸が似合う女優」の素顔は、意外にお茶目でサバサバしているのである。

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レオ・バボータ『減らす技術』


減らす技術 The Power of LESS減らす技術 The Power of LESS
(2009/08/05)
レオ・バボータ

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 レオ・バボータ著、有枝春訳『減らす技術』(ディスカヴァー・トゥエンティワン/1575円)読了。

 タイトルは10年前のミリオンセラー『「捨てる!」技術』の二番煎じのような印象だが、そうではない。本書にも「モノを減らす技術」についての言及はあるものの、それはほんの一部で、扱うテーマはもっと幅広い。
 これは、さまざまな人生のムダを減らし、真に価値ある事柄に力を集中して生きるコツが説かれた自己啓発書なのだ。
 ただし、自己啓発書にありがちなクッサイ精神論に陥っておらず、飄々として力の脱けた感じが好ましい。

 著者は米国のカリスマブロガーで、本書も著者のブログをベースにしたものだそうだ。

 なにしろテーマが『減らす技術』だから、著者の説く「価値ある人生を生きるコツ」はシンプル極まりない。
 たとえば著者は、“タスク管理に頭を悩ませるくらいなら、タスクを思い切って減らしてしまえ。そうすれば、タスク管理などそもそも必要なくなる”と言う。このへんの逆転の発想は、なかなか新鮮。

 思えば、従来の自己啓発書には「もっと増やせ!」というベクトルをもつものが多かった。「人脈を広げよ!」「年収ウン倍を目指せ!」「スケジュールをぎっしり詰め込め!」「読書量を増やせ!」「1日の仕事量をもっと増やせ!」などなど……。「増やせ、されば汝は幸せにならん」というふうに。

 対照的に、著者は日々の暮らしや計画・目標から、ムダな部分、些末な部分を削ぎ落とし、リソースを本質部分に集中することで生産性を高め、人生を充実させようとする。ベクトルが逆なのだ。

 最近話題の「断捨離」というのも、本書の主張に通底するものだろう。時代は「増やせ」から「減らせ」へとシフトしつつあるのだ。

 私はもともと、人生も生活もできるだけシンプルでありたいという志向性が強い。昔からモノに対する執着は薄かったが、40代半ばを過ぎてからその傾向がいっそう強まり、最近はモノを捨てることにほとんどためらいを感じなくなってきた。捨ててスッキリすることには得難い快楽がある。
 そんなわけで、「もっと増やせ!」系の自己啓発書より、本書や「断捨離」の主張のほうが私にはしっくりくる。

 本書が掲げる「6つの原則」は、「制限する」「本質に迫ることだけを選ぶ」「シンプルにする」「集中する」「習慣化する」「小さくはじめる」――。
 それらの原則に沿って、デスクの整理整頓からメール管理、目標設定、体調管理に至るまで、生活のムダを削ぎ落とすコツを、著者は微に入り細を穿ってていねいに説いていく。

 どっかで見たような凡庸なアドバイスもないではないが、全体としてはよくできた自己啓発書だ。
 とくに、終章にずらりと列挙された「モチベーションを保つコツ」は有益で、今後何度も(モチベーションが下がってきたときに)読み返したい。


↑「レス・イズ・モア」(「より少ないことは、より豊かなことだ」の意)なんて言葉もある。これはルパート・ホームズ初期の名曲「レス・イズ・モア」。

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アロン・シェパード『私にはもう出版社はいらない』


私にはもう出版社はいらない~キンドル・POD・セルフパブリッシングでベストセラーを作る方法~私にはもう出版社はいらない~キンドル・POD・セルフパブリッシングでベストセラーを作る方法~
(2010/06/11)
アロン シェパード佐々木 俊尚

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 世の中お盆休みだが、私には関係なく、ずっと仕事(泣)。
 まあ、このご時世に仕事が途切れないのはありがたいことではある。

-------------------------
 アロン・シェパード著、平林祥訳『私にはもう出版社はいらない――キンドル・POD・セルフパブリッシングでベストセラーを作る方法』(WAVE出版/1575円)読了。

 アマゾンを介したPOD(プリントオンデマンド)による自費出版で生計を立てている(!)という米国人の著者が、そのためのノウハウを微に入り細を穿って紹介した本。

 日本の自費出版といえば、生計を立てるどころか利益を出すことすら至難で、持ち出しがあたりまえの世界である(コミケの世界には自費出版で食っている人もいるが、ここでは措く)。

 が、近い将来、日本でも素人や無名ライターが「自費出版で食っていく」ことが可能になるかもしれない。そんな夢を抱かせる本。

 ただし、それにはまず、日本のアマゾンが米アマゾンのような自費出版システム(2007年導入。書籍の定価の約5割が著者の利益になるという)を始めることが前提となる。
 現在の日本のアマゾンでも他社で作った自費出版書籍が売られてはいるが、それで「食っている」人は1人もいないはずだ。

 それに、著者がこと細かに開陳しているノウハウも、多くは米アマゾンでのみ通用するものであって、日本人が読んでも役に立たない。
 本書12ページには、ノミのように小さな字で次のような「編注」が書かれている。

 本書では、主にアメリカのアマゾン・コムの機能を取りあげている。日本のアマゾンでは採用されていない機能もあることはご了承いただきたい。



 日本人の中にも、「英語で本を書いて、米アマゾンでセルフパプリッシングして一山当てよう」と思う人はいるだろうが、そういう人なら本書の原書を読むよなあ。

 というわけで、本書を邦訳出版する必然性がどこにあったのか、私にはさっぱりわからない。
 「どうせ日本人には役に立たない本だけど、キンドル等が話題になっているいまなら売れるかも」というエゲツナイ皮算用で作ったのかな。わずか4ページの解説を寄稿した佐々木俊尚の名が表紙に大書されているあたりも、「電子書籍ブームに便乗しよう」という雰囲気満々だし。

 だいたい、副題の最初に「キンドル」とあるわりには、本書には電子書籍の話などほとんど出てこないのだ。「キンドルにも挑戦!」という項目はあるものの、それは正味3ページほどでしかない。羊頭狗肉もはなはだしい。

 ……と、いろいろケチをつけてしまったが、有益な情報も少しはあった。

 アマゾンの「なか見! 検索」や「リストマニア」が書籍の売り上げ増にほとんどつながらないという指摘は、「へーっ」と思った。
 また、自著の好意的な感想を寄せてくれた読者に「アマゾンにレビューを書いていただきたいとお願いする」というマーケティング戦略は、現在の日本の著者たちにも有効だろう(勝間和代あたりはすでにやっていそう)。

 “著者がホントに自費出版だけで食っているのか?”を検証した訳者あとがきも、興味深い。
 訳者の試算によれば、著者が稼ぎ出す「合計年間利益は少なくとも5万ドルには達しているだろう」とのことだ。1ドル100円として(いまはもっと安いが)500万円。「生計を立てている」と言うに値する額だろう。

 とはいえ、著者は米国のみならず英語圏各国のアマゾンでも著書を売っているようだから、日本国内の狭いマーケットで同じように生計を立てられる可能性は、かなり低くなるはずだ。
 そもそも、著者は自費出版に参入する前から「大手出版社から数々の児童書を出版」していたという絵本作家であり、素人がゼロから成功したわけではないのだ。

 日本では、アマゾンが自費出版ビジネスを始めたとしても、小遣い稼ぎができる程度にしかならないのではないか。少なくとも、私には今後も出版社は必要だ。

 ←右が、著者がPODでベストセラーにした著作。
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かわぐちかいじ『テロルの系譜』


テロルの系譜―日本暗殺史 (ちくま文庫)テロルの系譜―日本暗殺史 (ちくま文庫)
(2002/07)
かわぐち かいじ

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 かわぐちかいじの『テロルの系譜――日本暗殺史』(ちくま文庫/777円)を読んだ。
 1975年発表の初期作品。のちの代表作『沈黙の艦隊』につながるテーマの萌芽が見られる、かわぐちの原点ともいうべき連作短編シリーズである。

 タイトルが示すとおり、明治・大正・昭和に起きた代表的なテロ/暗殺事件に材をとった作品。来島恒喜、朝日平吾、難波大助、小沼正といった実在のテロリストたちが主人公もしくは副主人公として登場する。ただしノンフィクションではなく、歴史的事件を題材にしたフィクションである。

 テロリストをいたずらに美化する偏りが随所に見られるので、そこに反発を覚える向きもあろうが、フィクションなのだから目くじら立てることもあるまい。

 テロリストという存在の“上澄み”にあるロマンティックな一面のみを抽出し、ドラマティックな物語に昇華した作品という趣。その意味で、解説の鈴木邦男が次のように言うとおり「恐い本」であり、危険な本だ。

 この本に出てくるテロリスト達の何と人間らしいことか。心優しいことか。あっ、いけない。とうの昔に、テロを否定し、全ては言論戦でやれと言ってきた僕が、こんなことを言ってしまった。だから、この本を読み返すのは嫌だといったんだ。これは恐い本だ。読者も気をつけて読んだ方がいい。



 特徴的なのは、かわぐちが本作で、テロリストたちの生と死のドラマを“哀しき男と女の物語”として描き出していること。いい場面、いいセリフがたくさんある。

 かわぐちかいじの絵柄は本作ではまだ完成しておらず、現在の絵柄よりもずいぶん粗削りだ。しかし、そのゴツゴツとした粗削りな感触が逆にアングラ的な迫力となっていて、味わい深い。

 なお、鈴木邦男の思い入れたっぷりな解説は、エッセイとして独立した価値をもつものだ。

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尾木直樹『「ケータイ時代」を生きるきみへ』


「ケータイ時代」を生きるきみへ (岩波ジュニア新書)「ケータイ時代」を生きるきみへ (岩波ジュニア新書)
(2009/03)
尾木 直樹

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 今日は、青山のユニバーサル・ミュージック本社へ――。
 9月に発売されるマルーン5のニュー・アルバム『ハンズ・オール・オーヴァー』を、試聴させてもらうため(CD評を書くので)。

 まだ全曲は完成しておらず、できたての9曲を試聴したのだが、いやー、これはスゴイ。過去2作をはるかに超える怒濤のポップ・アルバムになっている。
 先行シングルとなった「ミザリー」が、アルバムの中にあってはとくに目立たない。それくらい、どの曲もキャッチーで極上のメロディーをもち、「全曲シングル・カットOK!」という感じ。

 くわしくは書けないので、9月15日の発売後に改めて感想エントリを上げるが、個人的にはマルーン5でいちばん好きになりそうなアルバム。

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 行き帰りの電車で、尾木直樹著『「ケータイ時代」を生きるきみへ』 (岩波ジュニア新書/819円)を読了。仕事の資料である。

 十代の間、「便利で危険なメディア」であるケータイと、どうつきあっていけばよいのか――。それをさまざまな角度から考えた本。高校生向けに書かれた本ではあるが、ケータイに関する独自のアンケート調査の結果が興味深く、大人が読んでもためになる一冊。

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丸谷才一『文学のレッスン』


文学のレッスン文学のレッスン
(2010/05)
丸谷 才一湯川 豊

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 今日は、宗教学者の石井研士さん(國學院大學教授)を取材。國學院大渋谷キャンパスにて。
 2年ほど前に建て替えたという國學院大の建物は、まるで大企業のオフィスのような洗練された佇まいだった。

 今回の取材テーマは、「メディアと宗教」。もともと私自身も強い関心のあるテーマなので、たいへん興味深くお話をうかがった。

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 行き帰りの電車で、丸谷才一著『文学のレッスン』(新潮社/1575円)を読了。
 短編小説・長編小説・伝記・戯曲・エッセイ・批評・詩などという形式ごとに一章が立てられ、各ジャンルの歴史や特質が手際よく概観される文学概論である。

 ……というと、教科書的な堅苦しい内容を想像されるかもしれないが、読んでみれば少しも堅苦しくない。「はしがき」の一節を借りれば「閑談的文学入門」であり、愉しく読める。そして、面白くてためになる。

 『文學界』編集長などをつとめた湯川豊が聞き手となってのインタビュー形式をとっている。そのため、全編が話し言葉でまとめられており、随所に「(笑)」もちりばめられてなごやかな雰囲気。ハイブラウな内容を平明に面白く語る話芸が堪能できる。
 たとえば、こんな調子――。

 小説という形式は、対立というか、他者をつねに要求する。だから抒情的な形式ではないんです。抒情的形式は一人称的ともいえるでしょうが、長編小説は三人称的であって、別のものをいつも求める。そういう性格を小説じたいに対して及ぼしたときに、小説に対立するかたち、つまり反小説、アンチ・ロマンというのが出てくるわけです。それで小説の元祖の国でいち早く『トリストラム・シャンディ』が出てしまう。
 日本の近代小説が夏目漱石から始まったとすれば、近代小説は反小説から始まったともいえるんですね。『吾輩は猫である』というのはそうでしょう。この反小説で成功して、朝日新聞に迎えられた漱石が、今度は本格的な小説を書こうとして『虞美人草』を書いて、うまくいかなかった。それが近代日本の長編小説の発端なんですね。
 だからひょっとすると日本人というのは反小説的国民なのかなという気になったときに、いやいやと引きとめるのが『源氏物語』なんです(笑)。あれを思いだすと話は違ってくる。



 湯川豊の文学的教養もすごいもので、「文学の生き字引」のような丸谷に、対等に伍している。湯川という最良のインタビュアーを得なかったなら、本書はこれほど面白いものにならなかったろう。

 丸谷という人は、「内なるデーモンに衝き動かされて小説を書く」というタイプではなく、学者肌の作家だと思う。本書にはそうした資質がうまく活かされていて、名講義を聴くような心地で愉しめる。
 池澤夏樹が京大でやった講義をまとめた『世界文学を読みほどく』という好著があったが、あれの丸谷版という趣もある。

■関連エントリ→ 『世界文学を読みほどく』レビュー

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樺沢紫苑『メールの超プロが教えるGmail仕事術』


メールの超プロが教えるGmail仕事術メールの超プロが教えるGmail仕事術
(2010/04/05)
樺沢 紫苑

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 樺沢紫苑(かばさわ・しおん)著『メールの超プロが教えるGmail仕事術』(サンマーク出版/1575円)読了。

 著者は精神科医兼「メルマガ作家」。メルマガ作家という肩書きは初耳だが、医師としての仕事のかたわら、計5誌/15万部以上のメルマガを発行している人なのだとか。ゆえに「メールの超プロ」というわけだ。

 宝塚風なペンネームを見てすっかり女性だと思い込んで読んでいたのだが、じつは男性。読了後に著者紹介欄を見てビックリ。

 内容は、実用書としてたいへんよくできている。わかりやすく、微に入り細を穿つ感じのていねいな構成。私は類書もいくつか読んだが、「Gmail仕事術」に関する本ではこれがいちばんオススメかな。

 「これからGmailを使い始める」という人が読んでもわかるように書かれているので、すでに使いこなしている人にとっては「何をいまさら」な話も多いが、そういうところは読み飛ばして必要な情報だけ得ればよい。

 私は本書を読んで初めて知ったGmailハックが10個以上あったし、そのうちのいくつかはさっそく取り入れたので、十分元が取れた感じ。

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ジ・アンサー『ライズ』


ライズライズ
(2007/01/24)
ジ・アンサー

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 ジ・アンサーの『ライズ』(WHDエンターテインメント)を、アマゾンで購入してヘビロ中。
 北アイルランド出身のハード・ロック・バンドが2006年に発表したデビュー・アルバム。

 YouTubeで何曲か聴いて気になっていたバンド。アマゾンで新品の日本盤がなんと送料込み500円台で売っていたので、迷わずゲット。
 4年前のアルバムとはいえ、なぜこんなに安いのだろう?  出版の世界で言う「ゾッキ本」みたいなもんかな。

 しかし、内容は極上であった。帯の惹句に「豪放磊落! 純粋培養型英国式剛健音楽。」とあるが、まさにそのとおり。1960年代末から70年代前半あたりのブリティッシュ・ハード・ロックそのまんま。とても21世紀のバンドとは思えない音だが、オジサン・ロックファンにはこの古臭さがたまらない。

 音だけではない。メンバーのルックスやファッションといい、ジャケのデザインといい、PVの演出といい、すべてが70年代テイストで統一されているのだ。


↑アルバムのオープニング・ナンバー。曲はもろバドカン。PVの演出の「意図的な古臭さ」がグー。

 ライナーノーツには、「確信犯的に古い作りのはずなのにまったく古臭さを感じない。歴史と伝統を背負い込んではいてもその感覚は2006年のバンドならではの現代的な感性に溢れているところが魅力だ」などとある。
 えー、そうかなあ? 私はジ・アンサーの音に少しも新しさなど感じないし、むしろ「古臭さにあふれているところこそが魅力だ」と思うけど……。
 まあ、「サムタイム・ユア・ラヴ」あたりの疾走感はややフー・ファイターズっぽくて――つまりオルタナ以後の匂いも感じられて――「現代的」かな。

 ともあれ、70年代のブリティッシュ・ハード・ロックが好きな人なら、聴きながらニヤニヤしてしまうこと必定のアルバムである。ブルース・ベースの男臭い音で、フリーやバッド・カンパニー、初期(1st、2nd)ツェッペリン、初期ブラック・サバスあたりからの影響が随所に丸見えなのだ。
 
 たとえば「イントゥ・ザ・ガター」という曲は、イントロのギターリフはサバスの「パラノイド」風だし、ヴォーカルや曲展開はツェッペリンの「コミュニケイション・ブレイクダウン」あたりを思わせる。あの時代の香りムンムンなのである。

 ヴォーカルはポール・ロジャースとロバート・プラントを足して2で割った感じで、メタリックにシャウトするとロバート・プラントになり、歌い上げるバラード・ナンバーではポール・ロジャースになる。好き嫌いの分かれそうな声ではあるが、すごい歌唱力だ。

 日本盤ボーナス・トラックの3曲を含め、全14曲で捨て曲なし。いやー、デビュー・アルバムでこの完成度は驚異的だ。昨年出たセカンド・アルバム『エヴリデイ・ディーモンズ』も買うことにする。

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石井研士『テレビと宗教』


テレビと宗教―オウム以後を問い直す (中公新書ラクレ)テレビと宗教―オウム以後を問い直す (中公新書ラクレ)
(2008/10)
石井 研士

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 石井研士著『テレビと宗教――オウム以後を問い直す』(中公新書ラクレ/882円)読了。

 宗教学者の著者(國學院大学教授)が、日本のテレビは宗教をどう扱ってきたかを批判的に振り返った本。
 副題には「オウム以後」とあるが、実際にはテレビ史の始まりから現在までが網羅的に取り上げられている。それどころか、テレビ以前のラジオが宗教をどう扱ってきたかにまで言及されているのだ。データも豊富で資料的価値も高く、「テレビと宗教」について考える際の基本文献になり得る内容。

 著者は、昨今のテレビの宗教の扱い方に警鐘を乱打する。
 バラエティ番組の中でスピリチュアル(要はオカルトの言いかえでしかない)を安易に取り上げるのは放送法や局側の放送基準に違反していないか、まっとうな宗教番組があまりにも少なすぎないか、宗教団体事件を怒濤のように集中報道するのは行き過ぎではないか、等々……。

 私たちに宗教に関する常識があった頃であれば、テレビでのこうした放送(細木数子や江原啓之の出るような番組/引用者注)は、まだ笑って許せたかもしれない。見ている側も面白半分の視聴であっただろうし、宗教団体による被害との関係は意識しないでもすんだ。しかしながら、お寺と神社の区別すらつかない若者が少なくない現在、悠長なことをいってはいられない。



 まったくそのとおりだと思う。「たかがバラエティ番組に目くじら立てなくても……」などという認識は、甘すぎる。とくに子どもと若者に対する影響は、想像以上に大きいはずだ。
 私自身、本書でも言及されている1970年代の超能力ブーム、オカルト・ブームの影響をもろに受けた世代であり、小学生のころには、超能力も守護霊もノストラダムスの大予言も信じていた(笑)。そしてそれは、まちがいなくテレビ(と少年マンガ)のせいなのだ。

 テレビのスピリチュアル・ブームに、「このままでは第2のオウム事件が起きかねない」と警鐘を鳴らしていた識者は、ほかにも少なくない。そうした人たちと比べた場合の本書の独自性は、まっとうな宗教の価値を認めたうえでの警鐘であるという点にある。

 私は、この国の宗教文化が、情操も含めて周知される機会を失いながら、バラエティ番組やニュース番組としてのみ存続していくことに大きな危惧の念を抱いている。宗教は人類が誕生して以来続いてきた精神文化の中核をなす、“濃い”文化である。宗教文化への関心や敬意が消えていき、薄っぺらな宗教情報しか残らないとしたら、文化、そして社会は衰退していく一方なのではないか。



 深く共感する。幼い我が子をマンションの一室に閉じこめて餓死させる母親など、恐るべき生命軽視の事件が頻発する昨今だが、その背景にも、宗教文化の衰退は影を落としていると思う。

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前原政之 
イラスト/ジョージマ・ヒトシ

前原政之(まえはら・まさゆき)
1964年3月16日、栃木県生まれ。53歳。
1年のみの編プロ勤務(ライターとして)を経て、87年、23歳でフリーに。フリーライター歴30年。
東京・立川市在住。妻、娘、息子の4人家族。

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●「mm(ミリメートル)」は、私のイニシャル「MM」のもじりです。

●私の大好きなギタリスト・渡辺香津美氏は、ご自身のイニシャル「KW」をもじった「KW(キロワット)」を、公式サイトのタイトルにしておられます(同名のアルバムもあり)。それにあやかったというわけです。

●あと、「1日に1ミリメートルずつでもいいから、前進しよう」という思いもこめられています(こじつけっぽいなあ)。

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