村上たかし『続・星守る犬』


続・星守る犬続・星守る犬
(2011/03/16)
村上 たかし

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 村上たかしの『続・星守る犬』(双葉社/880円)が出ていたので、さっそく買う。

 犬好きなら涙なしには読めない、“21世紀の『ハチ公物語』”ともいうべき作品だった『星守る犬』。続編となる本書は、正編で死んでしまった「おとうさん」と愛犬「ハッピー」とかかわりのある犬と人の物語だ。

 ハッピーの双子の弟犬と、それを拾った老婆の物語「双子星」。正編でおとうさんとハッピーが死ぬ間接的な原因を作った「財布泥棒少年」のその後を描く中編「一等星」。それに短い描き下ろしの「エピローグ」が収録されている。

 正編のつけたり・蛇足という印象はない。むしろ、正編と続編を併せて初めて物語が完成した、という趣。
 読んでいて思い出したのは、こうの史代の『夕凪の街 桜の国』だ。周知のとおり、あの作品は「夕凪の街」とその続編「桜の国」という2つの短編からなっていた。
 以前、『夕凪の街 桜の国』のレビューで私は次のように書いた。

 続編の「桜の国」は、それから半世紀後――つまり現在の物語。ヒロインは、亡き皆実の姪(弟の娘)・七波だ。
 「夕凪の街」はずしりと重い見事な「悲劇」だが、これだけで物語が完結してしまったのでは、あまりに救いがない。皆実に代わって姪の七波が前向きに生きていく続編を描くことで、物語に一条の光が射しこむ。そしてまた、「桜の国」は、「夕凪の街」の悲劇を現在へと結ぶ回路ともなるのだ。



 同じことが、『星守る犬』の正・続編についても言える。
 『星守る犬』も、ある意味「救いのない」物語だった。主人公のおとうさんは職を失い、家庭を失い、最後には犬ともども死んでいくのだから。
 しかし、この『続・星守る犬』に収められた2編と「エピローグ」によって、幾重にも「救い」がもたらされる。

 病気で死にかけていたハッピーの弟犬はおばあさんに救われ、「罪」を背負った泥棒少年は祖父との暮らしの中で救われる。そして「エピローグ」では、おとうさんとハッピーを捨てたかに見えた家族がおとうさんを探しているというエビソードによって、死んだおとうさんにも救いがもたらされるのである。

 また、登場人物たちも、それぞれが犬によって「救い」を得る。嫌われ者の因業ばあさんは、拾った犬との暮らしの中で、忘れかけていた人情と生への希望を取り戻す。親からの虐待の果てに心を閉ざしていた泥棒少年は、ペットショップから盗んだ売れ残りのパグ犬とのふれあいによって、子どもらしさを取り戻していく。

 そのような「救済」の物語であるから正編ほどには泣けないが、ていねいに作られた上出来の続編だ。
 通俗的といえば通俗的だし、「手塚治虫文化賞」とかを得るような作品ではあるまい。それでも、私は好きだ。正編に感動した人なら一読の価値あり。

 ちなみに、西田敏行主演で映画化されたそうだ。ううむ、観たいような観たくないような……。

映画『星守る犬』公式サイト 

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ジョン・カーリン『インビクタス~負けざる者たち』


インビクタス~負けざる者たちインビクタス~負けざる者たち
(2009/12/21)
ジョン カーリン

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 ジョン・カーリン著、八坂ありさ訳『インビクタス~負けざる者たち』(NHK出版/2100円)読了。

 クリント・イーストウッドが監督した同名映画の原作にあたるノンフィクションである。仕事の資料として読んだ。映画もよかったが、本書もていねいな取材をふまえた力作だ。

 1995年のラグビー・ワールドカップで南アフリカ・チームが成し遂げた奇跡の優勝と、そこにネルソン・マンデラ大統領が果たした役割を追った作品。
 アパルトヘイト撤廃後も、南アの黒人と白人の間に依然としてあった深い溝――。マンデラはワールドカップを、その溝をなくすための突破口にしようと考えた。そして、並外れたリーダーシップと人格の力で、その計画を見事成功させたのである。

 マンデラが大統領になったとき、黒人たちを虐げ、自らを27年間も牢獄に追いやった白人たちに、報復することもできた。そうしたほうが、黒人たちの共感は得やすかっただろう。しかしマンデラはそうせず、かつては敵だった白人たちと手を携えて国を動かしていく道を選んだ。

 そして、その選択のシンボルとして、ワールドカップにおける南アチーム「スプリングボクス」を用いたのである。アパルトヘイト時代、ラグビーは白人たちのスポーツであり、黒人たちの関心は薄かった。しかしマンデラは、自らが率先してスプリングボクスを応援することで、国中を熱狂の渦に巻き込んでいく。

「スポーツには、世界を変える力があります。人びとを鼓舞し、団結させる力があります。人種の壁を取り除くことにかけては、政府もかないません」(ネルソン・マンデラ)



 もちろん、ワールドカップを通して南アが一つにまとまったのは、マンデラというたぐいまれなリーダーがいたからこそである。本書は、マンデラの行動を通してリーダーのあるべき姿を語ったリーダー論としても読める。

 『インビクタス』に先行してマンデラを描いた映画に、『マンデラの名もなき看守』があった。あの映画においてもそうであったように、マンデラという人は、敵を打ち倒すのではく、敵をも味方に変えてしまう「ソフトパワーのリーダー」なのである。本書の著者も、マンデラを「プレジデント・オブ・ヒューマニティ」と評している。

■関連エントリ→ 『マンデラの名もなき看守』レビュー
 
 映画『インビクタス』のストーリーに対応しているのは本書の後半で、前半ではそこに至るまでのマンデラの歩みが語られている。前半もよくまとまっているのだが、たんに映画の原作が読みたいという人は後半だけ読んでもよいかも。

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『奇跡』『歩いても 歩いても』


歩いても 歩いても [DVD]歩いても 歩いても [DVD]
(2009/01/23)
阿部 寛、夏川結衣 他

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 今日は、外苑前の「ギャガ」本社で、映画監督の是枝裕和さんを取材。

 6月公開の新作『奇跡』についての取材。是枝さんの作品で見逃していた『歩いても 歩いても』もDVDで観て臨む。

■『奇跡』公式サイト→ http://kiseki.gaga.ne.jp/ 

 隣の部屋では、「まえだまえだ」の2人(『奇跡』に主演している)が別のメディアの取材を受けていた。2人とも、大人たちに「おはようございます!」と元気に礼儀正しくあいさつしていて、好印象。とてもかわいい。

 『奇跡』はたいへんよい映画だった。九州新幹線全線開通のプロモーション映画でもあるのだが、過度の宣伝臭はなく、あからさまな観光映画でもない。「九州新幹線の一番列車がすれ違う瞬間、それを見ながら願い事を言うとかなう」という噂(監督の創作)がストーリーのキーになっている以外は、いつもの是枝作品だ。

 子どもたちが主役の映画である。まえだまえだの2人は、両親の別居によって離ればなれで暮らす兄弟の役。
 是枝監督の代表作『誰も知らない』がネガだとしたら、この『奇跡』はポジだ。家族というもののとらえ方が、『誰も知らない』に比べてポジティヴになっており、家族の素晴らしさが描かれる。それに、笑いも随所にちりばめられている。

 是枝作品は、いつも子役たちの演技が自然で素晴らしい。本作もしかり。子どもたちが自分の夢を打ち明け合う場面があるのだが、そのシーンなどはあたかも、子どもたちが素で会話しているところを隠し撮りしたかのような自然さなのである。

「どうして子どもたちからあんなに自然な演技を引き出せるんですか?」というのが、私の監督に対する最初の質問だった。その答えはここには書けないが、「なるほど」と深く得心のいくものであった。

 監督は私より2つ上のオジサンなのに(失礼!)、至近距離で見たら目がキレイでビックリ。少年のような澄んだ目をしておられるのだ。

 『歩いても 歩いても』も素晴らしい映画だった。『誰も知らない』と甲乙つけ難い。

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新井紀子『コンピュータが仕事を奪う』


コンピュータが仕事を奪うコンピュータが仕事を奪う
(2010/12/22)
新井 紀子

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 昨日は「六本木シネマート」で、是枝裕和監督の新作『奇跡』の試写を観た。明後日に是枝監督を取材予定なので、その準備である。映画の感想は改めて。

 行き帰りの電車で、新井紀子著『コンピュータが仕事を奪う』(日本経済新聞出版社/1785円)を読了。

 帯には、「ホワイトカラーの半数が消える!」と大書されている。この惹句と書名だけを見ると、「コンピュータにはできない独創的な仕事をするスキルがない奴は、早晩失業するぞ。だから、いまのうちに○○のスキルを身につけろ」と煽り立てるような、よくあるビジネス書に見えてしまうだろう。

 しかしこれは、そんな薄っぺらい内容ではない。
 たしかに、コンピュータが人間の仕事を奪うことに警鐘を鳴らす記述はあるし、「今後、どのようなスキルを身につければコンピュータに仕事を奪われずにすむか?」も示唆されてはいる。その意味で広義のビジネス書ではあるのだが、それは本書の魅力のほんの一面でしかないのだ。

 本書は、“そもそもコンピュータとは何か?”を本質次元から解説した第一級の科学啓蒙書であり、コンピュータを基礎づける数学がどのように文明を進歩させてきたかをたどった数学史の概説書でもある。そしてまた、これからコンピュータと数学がどのように世界を変えていくかを展望した未来予測の書でもある。さらに、これからの数学教育はどうあるべきかを提言した教育論でさえある。

 数学の本でもあるという性格上、数式も少し出てくるのだが、私のような数学オンチにも難なく読みこなせる。正直に言えば数式の中にはちんぷんかんぷんなものもあったが、読み飛ばしても著者(国立情報学研究所教授・社会共有知研究センター長)の主張を理解するのに支障はないのだ。

 面白いエピソードや雑学をちりばめ、うまいたとえ話も自在に用いて、著者は本書を数学オンチにさえ楽しめるものにしている。本書の内容は、理系の人には「何をいまさら」な話がほとんどなのかもしれないが、文系人間の私には目からウロコが落ちまくるものだった。そして、本書を読んで初めて「ああ、そういうことか」と得心のいった話が山ほどあった。

 たとえば、第1章の冒頭で、著者はIBM社のコンピュータ「ディープ・ブルー」がチェスの世界チャンピオンを打ち破った事件(1997)を、コンピュータ史の大画期として取り上げる。そして、この事件の意味を解説することを通して、コンピュータに人間の真似をさせるための手順が平易に説明され、コンピュータは何が得意で何が苦手なのかも読者に理解させてしまう。見事な導入部である。

 その後も蒙を啓かれる記述の連続で、最初から最後まで知的興奮に満ちている。理系の人よりも、むしろ私のような数学嫌いこそ読むべき本だと思う。数学についてのイメージが覆ること請け合いである。「もっとしっかり数学を勉強しておくんだった」と、私はしみじみ後悔した。 

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パオロ・マッツァリーノ『13歳からの反社会学』


13歳からの反社会学13歳からの反社会学
(2010/09/10)
パオロ・マッツァリーノ

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 パオロ・マッツァリーノ著『13歳からの反社会学』(角川書店/1470円)読了。

 『反社会学講座』などで知られる著者(当然インチキ・イタリア人で、その正体は某大学の准教授……らしい)が、中高生を対象に書き下ろした、“ジュニア版『反社会学講座』”である。

 著者パオロが、留吉と愛美という2人の中学生を相手に、ナナメから見た世の中の仕組みを講義するというスタイルをとっている。“紙上掛け合い漫才”のような趣。
 中高生向きとはいっても、内容は基本的に『反社会学講座』の延長線上にある。社会学の手法や論理をイジワルな形で援用した知的エンタテインメントである。『反社会学講座』との違いは、イラスト(朝倉世界一!)が随所にちりばめられていたり、ちょっと難しい言葉を使うときにはその語の解説が入ったりといった点くらい。各回の内容やテーマが子どもっぽいわけではない。

 本書は、中高生にメディアとの賢い接し方を教えるメディア・リテラシーの生きた教科書としても、また論理学の基礎の基礎を教えるテキストとしても読める。ただし、教科書然とした無味乾燥な記述ではなく、笑いとアイロニーに満ちたやり方で教えるのだ。

 たとえば、少し前のベストセラー『東大合格生のノートはかならず美しい』に言及して、パオロはこんなふうに言うのだ。

 あの説は面白い現象に目をつけましたけど、原因と結果をごっちゃにしてますね。
 勉強したことをきちんと理解できて、アタマの中が整理されれば、整理された美しいノートを作れる。それだけのことなんです。アタマの中がごちゃごちゃしてる人には、美しいノートは作れません。美しいノートは、習ったことを理解しているという結果であって、原因ではありません。だから、美しいノートを作れば成績がよくなって東大へ行けると考えてる人がいたら、それはまちがってます。



 アンケート調査の偏りの見破り方とか、アマゾン・レビューなどの★の平均値にはなんの意味もない、とか、「新聞を百倍おもしろく読むコツ」とか、各章のテーマ設定も面白く、大人が読んでも十分愉しめるし、ためにもなる。むしろ、いまどきの幼い中高生にはちょっと内容がハイブラウすぎるのではないかと心配になる。いまなら大学生に読ませてちょうどいいくらいの内容だと思う。

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石井光太『地を這う祈り』


地を這う祈り地を這う祈り
(2010/10/20)
石井光太

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 石井光太著『地を這う祈り』(徳間書店/1680円)読了。

 途上国の路上生活者など、世界最貧困層をおもな対象とした取材旅を重ねてきた著者が、それらの旅で撮影した写真を集め、文章を添えたフォト・エッセイ集。

 これまで石井作品を読んだことがない人にとっては、「石井光太ワールド」への格好の入門編となるだろう。
 また、過去の石井作品の舞台裏を垣間見られる本でもあるから、石井ファンが読めばいっそう味わい深い。たとえば、『レンタルチャイルド』に登場した全身疣だらけの物乞いや、物乞いをするときに同情を引くために腕を切り落とされたストリート・チルドレンなどの写真も掲載されている。

 写真のみのページも多いのであっという間に読み終わるが、読後感はずしりと重い。たとえば、シンナーを吸って味覚を麻痺させたうえ、水で濡らした新聞紙を食べて空腹をしのぐエチオピアのストリート・チルドレン……などという衝撃的エピソードの連打だからである。

 写真の合間に挟まれた短いエッセイや、巻末の「取材の裏側――石井光太への14の質問」では、石井が自らの取材作法を明かしていて興味深い。
 「石井光太はなぜこんなにすごいエピソードを集めてこられるのか?」という読者の疑問への答えが、ここにはある。たとえば――。

 私が話を聞きたいと思う人の多くは、一般社会から差別された人々だ。物乞いであり、ハンセン病患者であり、子供兵である。エリートのガイドでは、案内することができない。
 そこで、私は一つの目安として、話を聞きたいと思っている人と同じような立場の人間をガイドにすることにしている。ハンセン病患者であればハンセン病患者をガイドにする。物乞いであれば物乞い、子供兵であれば元兵士や傷痍軍人などに頼むのである。日本だって、ホームレスのことはホームレスが一番詳しく知っているだろう。海外とて、それは同じなのである。



 取材というのは、かならず当初の「予想」を覆すものです。たとえば、少女売春婦はイヤイヤながらに売春宿で働かされているんだろうな、と考えて行ってみると、十一、二歳の子たちがあぐらをかいて笑いながら、
「今日、私は五人もお客さんがついたのよ」
 なんて自慢してきたりする。
 取材とは想像を粉々に壊すためにすることなのです。この大切に抱えていた予想や価値観がひっくり返る瞬間こそが一番面白いところですね。


(だからといって、組織的少女売春が肯定されるべきでないのは言うまでもないし、石井もそんな意味で言っているわけではあるまい。為念)

 
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枡野浩一『結婚失格』


結婚失格 (講談社文庫)結婚失格 (講談社文庫)
(2010/07/15)
枡野 浩一

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 枡野浩一著『結婚失格』(講談社文庫/520円)読了。

 人気歌人の著者が、前妻(マンガ家の南Q太)との離婚のいきさつを小説仕立てで綴ったもの。ただし、作中では夫はAV監督、妻はテレビドラマの人気脚本家という設定になっている。「あとがき」によればそれ以外にも多少の潤色はあるようだが、基本的には、文庫カバーの惹句にもあるとおり「実録小説」である。

 「書評小説」というユニークな形式が取られている。主人公が作中で読む本の感想が小説の中に組み込まれ、書評としても読めるようになっているのだ。月刊誌に書評の連載を依頼された際、著者が泥沼の離婚調停の渦中にあったため、そのことで頭がいっぱいでこのような形式にたどりついたのだという(小説仕立てにしたのは、「離婚に直面している自分の気持ちを三人称でしか書けない気がしたから」だとのこと)。

 苦肉の策であったろう「書評小説」形式が、意外なほど成功している。本の感想の組み込み方に毎回趣向が凝らしてあって、少しも不自然ではないのだ。しかも、取り上げる本の内容が、各編における主人公の気持ちを補完したり、強調したりする役割を果たしている。月刊誌に連載中、よくまあ毎回こんなにしっくりくる本を探してこられたものだと思う。

 妻との間に溝が生じ、一方的に離婚を突きつけられながら、そこまで嫌われた決定的な原因がまるでわからない主人公が、戸惑い、悩み、悲しむ様子が痛々しい。私としては主人公のほうに感情移入してしまうので、なおさらだ。
 人が人を好きになるのに理由などいらないように、人を嫌いになるにも理由はいらない。そんなことは誰だって頭ではわかっている。だが、実際に愛する人から嫌われたなら、「なぜ?」とくり返し問い、のたうち回らずにはおれないのが人間なのである。

 しかし、身につまされすぎて読むのがつらいような作品かといえば、そうではない。各編がちゃんと短編小説として、エンタテインメントとして成立しているのだ。

 くわえて、町山智浩による解説がまことに素晴らしい。文庫解説のお手本のような名文である。この解説を読むためだけにでも、本書を買う価値がある。町山は映画評論家という枠を超え、いまや日本屈指の文章家でもあると思う。
 ただ、名文ではあるのだが、町山は枡野に対してあまりにも厳しすぎる。「何もそこまで完膚なきまでに枡野を打ちのめさなくても……」と、本編を読んだあとで解説を読んだ人、とくに妻をもつ男の多くがそう感じると思う。

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デイヴィッド・レムニック『レーニンの墓』


レーニンの墓 ソ連帝国最期の日々(上)レーニンの墓(上)
(2011/01/29)
デイヴィッド レムニック

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 昨日は、最近「尾木ママ」として茶の間でも人気の尾木直樹さん(教育評論家)を電話取材。
 京大のカンニング問題についてお話をうかがう予定だったのだが、大震災発生でカンニング問題が一瞬で忘れ去られてしまったため、急遽、大震災が教育に与える影響、親や教師が子どもたちに対して心がけるべきことなどをうかがうことに……。
 このように、大震災で吹っ飛んでしまった記事や番組などが、ここ一週間でたくさんあるわけですね。



 その後、デイヴィッド・レムニック著、三浦元博訳『レーニンの墓――ソ連帝国最期の日々』(白水社/上下巻・各3360円)を読み、さっきまでかかって書評原稿を書く。
 上下巻あわせて800ページに及ぶ大著で、中身も濃いため、読むだけで一日がかりだった。

 1988年から91年にかけ、『ワシントン・ポスト』紙のモスクワ特派員をつとめた著者(現在は『ニューヨーカー』のスタッフ・ライター)が、ソ連最後の4年間を活写した重厚なノンフィクションである。米国では93年に刊行され、翌年のピュリッツァー賞にも輝いた作品。

 書評を書いたのでここではくわしく紹介できないが、ニュー・ジャーナリズムの骨法にのっとった小説風の描写もちりばめ、面白く読める本だった。題材としてはソ連誕生を活写したルポルタージュの古典『世界をゆるがした十日間』と対をなすものだが、テイストとしてはハルバースタムの『ベスト・アンド・ブライテスト』あたりに近い感じ。

 著者のレムニックはほかにモハメド・アリの評伝などもものしているから、政治ものが専門というわけではないようだ。本書も、いかにも政治記者が書きましたというようなゴリゴリの硬い文章ではなく、ユーモアとウィットに富む軽やかなタッチで綴られている。

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『野獣死すべし』(1959)


野獣死すべし オリジナル・サウンドトラック野獣死すべし オリジナル・サウンドトラック
(2008/05/23)
サントラ

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 ケーブルテレビで観た『野獣死すべし』の感想を。

 同名の原作は、言わずと知れた大藪春彦のデビュー作(にして出世作)。過去何度も映画化されており、そのうち最も有名なのは松田優作主演の角川映画版(1980年)だろう。

 優作版『野獣死すべし』も私は好きだが、あれは優作と脚本の丸山昇一が確信犯的に原作を換骨奪胎した映画であり、原作とはまったく別物と考えたほうがよい。じっさい、原作者の大藪はあれを観て激怒したと言われる。

■関連エントリ→ 『蘇る金狼』『野獣死すべし』(松田優作版)レビュー

 対照的に、最初の映画化となったこの1959年版は、細部こそアレンジしてあるものの、ストーリーといい、主役のキャラ造型といい、全体のムードといい、すべて原作に忠実。原作の愛読者にも納得のいく仕上がりとなっている。

 優作版『野獣死すべし』が公開されたころ、大藪春彦にかぶれた高校生だった私(そんな時期もあったのだよ)は、傑作だという噂の1959年版を観たくてたまらなかった。それから30年の時を経てやっと観ることができたのである。長らくビデオ化・DVD化もされなかったと記憶しているが、2006年に大藪没後10年を記念してDVD化されたそうだ。

 こちらの映画で主人公・伊達邦彦を演ずるのは若き日の仲代達矢。監督は須川栄三で、須川はのちに続編『野獣死すべし 復讐のメカニック』(『野獣死すべし』の第2部「復讐編」が原作で、主演は藤岡弘、)も監督している。

 原作の伊達邦彦のイメージにいちばん近いのは、優作でも藤岡弘、でもなく、ましてや断じて木村一八ではなく、この映画における仲代達矢であろう。

 モノクロの映像が渋く、アングルなどもいちいち凝りに凝っており、すこぶるスタイリッシュな映画。和製フィルムノワールの傑作だと思う。

 原作では伊達邦彦は大学入学金強奪をしたあと、まんまと逃げおおせてハーバードに留学する。
 この映画版もハーバードに留学するために機上の人となるところで終わるのだが、『太陽がいっぱい』よろしく、邦彦の完全犯罪のわずかな綻びに刑事が気づくという場面がつけくわえられている。この蛇足のせいで、ピカレスクロマンが台無しだ。

 原作の最後はこんな文章で終わっている。

 顔は銃弾で吹っとばされ、ほとんど白骨と化した死体を呑んだセメント樽が、東京湾の深みで朽ちている頃、ハーバードの食堂では、広重がフランス後期印象派、特にゴッホやルノアールに与えた影響について、邦彦は瞳をキラキラ輝かせながら、数人のフランス人留学生と語り合っていた。



 ううむ、痛快。ピカレスクはこうでなくちゃね。
 まあ、昭和30年代中盤という時代背景を考えれば、アプレゲールの青年が完全犯罪を成功させるようなケシカラン映画を作るわけにはいかなかったのであろう。

 そういえば角川映画版の『蘇る金狼』も、ダーティー・ヒーロー朝倉哲也がよりによって女に刺し殺されてしまう甘々なラストにしたために、大藪ファンから大いに不評を買ったものだ(原作ではもちろんまんまと海外に逃げおおせる)。

 ラストが難ありとはいえ、半世紀前の東京の街並を観ているだけでもキッチュで愉しいし、原作ファンなら一見の価値ありだ。

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『A.K.  ドキュメント黒澤明』


黒澤明 創造の軌跡 黒澤明ザ・マスターワークス補完映像集 [DVD]黒澤明 創造の軌跡 黒澤明ザ・マスターワークス補完映像集 [DVD]
(2003/05/21)
黒澤明

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 震災報道ばかり見ていると気が滅入るので、気分転換に映画でも観ようと思い、ケーブルテレビで録画しておいた『A.K.  ドキュメント黒澤明』と『野獣死すべし』(須川栄三/仲代達矢の1959年版)を観た。

 『A.K.  ドキュメント黒澤明』は、フランスのクリス・マルケルが映画『乱』の撮影に密着して作ったドキュメンタリー。単独ではDVD化されていないようだが、『黒澤明 創造の軌跡』という3枚組セットの中に収録されている。

 「演出中の黒澤」が動画で見られる貴重な作品である。
 やはり、怒るときはすごい迫力。怒鳴るという感じではないが、声に有無を言わさぬ力がある。
 過剰なまでに文学的・詩的なナレーションは、好みが分かれるところだろうが、私は好きだ。

 「蒔絵のような効果」を狙ってススキに金色の塗料を塗る、という場面が面白かった。午前中から夜までかかって、スタッフ総出で黙々とススキにスプレーでペイントしていく。だが、この場面は編集段階でカットされたという。こうした贅沢さというか蕩尽ぶりこそが、黒澤映画の迫力を裏付けているのだろう。

 途中、よりによって関東大震災のすさまじい記録映像が挿入されていて、気分転換どころかいっそう気が滅入ってしまった。黒澤が9歳のときに目の当たりにした関東大震災の惨状が、『乱』や『影武者』などの凄惨な戦場シーン(一面に横たわる遺体や馬)の基となっている、という意味合いでの挿入である。
 
 『野獣死すべし』の感想は、改めて別エントリで。

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大泉実成『夢を操る』


夢を操る―マレー・セノイ族に会いに行く (講談社文庫)夢を操る―マレー・セノイ族に会いに行く (講談社文庫)
(1996/11)
大泉 実成

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 大泉実成著『夢を操る――マレー・セノイ族に会いに行く』(講談社文庫/612円)読了。

 ノンフィクション作家の著者が、「夢をコントロールする」と言われてきたマレーシアのセノイ族の村を探訪し、「ほんとうに彼らは夢コントロールの文化をいまも持っているのか?」を確かめた本。

 本書の元になった『SPA!』での連載を私はリアルタイムで読んでいたが、当時は「つまらない連載だなあ」と思っていた。が、私自身が夢コントロールに興味を抱いているいま読んでみたら、じつに面白かった。

 セノイ族の夢コントロールの虚実を探るのがテーマのはずなのに、本書の記述はしばしば脱線する。セノイの変わった料理を食べてみたらうまかったとか、村の景色がどうとか、テーマと関係ないことを詳述しすぎ。むしろ紀行文のほうがメインで、その合間に夢コントロールについても述べられているという感じなのだ。それに、文章がおちゃらけすぎ。

 まあ、あまり無味乾燥な論文調で書かれるよりは、本書のようなくだけた調子のほうが読みやすくはある。
 それに、脱線が多いとはいえ、著者は要所はきっちり締めている。セノイ族の生活にいまも夢コントロールがしっかり根付いているという証拠をちゃんとつかんでレポートしているのだ。このへんはさすが。
 本書の第3章(終章)「マレー獏との対話」は全体のまとめ・総論になっているので、脱線部分を飛ばして結論を知りたいという向きはここだけ読んでみるとよい。その中で、著者は次のように書いている。

 セノイが僕にしてくれた「夢指南」は、「夢のサイン」の話を除けば、次の二つに集約できると思う。
 ①夢の中では意識して積極的であるようにしなさい(夢というのは、ちょうど学校の教室のようなものだから、積極的に学ぶようにしなさい)。
 ②夢の中で出会った相手とは、できるだけ友だちになりなさい。
 このふたつを守れば、夢の中の相手は、有用な情報やパワーを与えてくれる、というのが彼らの考え方だった。



 セノイ族の「夢コントロール」を欧米に初めて紹介したのは、アメリカの文化人類学者キルトン・スチュアートである。夢の研究に取り組んでいる心理学者パトリシア・ガーフィールド(私が先日読んだ『夢学』の著者)も、自らもセノイ族の村でフィールドワークを行っているが、基本的にはスチュアートの研究に依拠している。
 大泉も、スチュアートの論文やガーフィールドの著作を読んでセノイ族に興味を抱いたのである。

 ところが、大泉がセノイの村への旅から帰ったころ、「セノイの夢理論はでっちあげだ」と主張する本が邦訳刊行される。それがウィリアム・ドムホフの『夢の秘法』で、大泉も第3章で同書に言及している。それによれば、「ドムホフ自身は実際にセノイと会ったこともなく、反スチュアート派の論文をもとに『でっち上げ』と述べているだけ」だとのこと。どう見ても、実際にセノイ族の村で(短期間にせよ)暮らした大泉の主張のほうに分がありそうだ。
 本書は、夢研究の分野において、学術的にも価値あるレポートだと思う。

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小谷野敦『私小説のすすめ』


私小説のすすめ (平凡社新書)私小説のすすめ (平凡社新書)
(2009/07)
小谷野 敦

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 こんどは静岡で震度6の地震。東京もかなり揺れた。

 ここ数日で発見したのは、大きな揺れがあると犬も怖がるということ。グラッときた瞬間、我が家の愚犬(ヨーキー)はそばにいる家族のもとに駆け寄ってくる。で、抱き上げてやると、かわいそうなほどブルブル小刻みに震えている。
 犬も地震が怖いのだな。あたりまえといえばあたりまえだが。



 小谷野敦著『私小説のすすめ』(平凡社新書/735円)読了。

 私小説擁護の姿勢を鮮明に打ち出した私小説入門である。カバーそでの紹介文が的確なので、そのまま引用する。

私小説は日本独自のダメな文学、ではない!
私小説は西洋にだってたくさんあるし、多くの有名作家が私小説からスタートしたのだ。
しかも、文学的才能がなくても書け、誰もが一生のうち一冊は書きうる小説である。
なぜ私小説は誤解され、蔑まれてきたのか?
これまでの通説に反駁し、私小説擁護を宣言する、挑発的文学論。


  
 「私小説は日本独自のダメな文学」とは日本でずっと言われてきたことで、じつは私も、車谷長吉や西村賢太の諸作を愛読するようになるまで、ずっとそう思っていた。著者の小谷野自身も「高校時代から、四十を過ぎるまで」そう思っていたのだという。そんな時期を経て、いまや自分でも私小説をものしている小谷野が、私小説にまつわる誤解と偏見をていねいに解きほぐしていく。

 新書という紙数の制約から駆け足になっている面はあるものの、日本の私小説の歴史と、私小説に対する誤解の歴史をたどり、私小説とは何かという解説を過不足なく行って、面白くてためになる良書。日本の私小説名作ガイドとしても役立つ。

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「震災うつ」?

 未曾有の大災害勃発から丸3日――。
 東京都下の我が家でも相当激しく揺れたが、本棚から本が落ちる程度の軽微な被害で済んだ。

 が、物理的被害よりも、精神的ダメージのほうがはるかに大きかった気がする。
 震災当夜、うとうとするたびに余震で起こされてほとんど眠れず、翌日ボーッとする頭で被災地のすさまじい模様をテレビで観つづけたせいか、だんだん気分が落ち込んできてナーバス・ブレイクダウンに陥り、丸一昼夜何もする気が起きなかった。
 ようやく昨日から気分が回復し、昨晩から仕事を再開したしだい。

 念のために言っておくと、これまで私はメンタルクリニックのたぐいを受診したことは一度もなく、抗うつ剤、睡眠薬、精神安定剤なども飲んだことがない。一見神経質そう(らしい)でじつは無神経、一見繊細そう(らしい)でじつは図太い人間なのである。

 その私にして、今回の大震災には強烈な無力感と不安感にさいなまれたのだ。ましてや、もともとうつ傾向のある人なら、直接震災被害を受けていなくても、精神的ダメージは相当大きいのではないか。

 もちろん、それは被災者の方々の絶望と悲しみに比べたら、千分の一、万分の一にも満たないだろう。それは重々承知だが、そのうえで、被災地以外の人々へのメンタルケアも重要な課題ではないかと感じた(不安を煽るばかりの震災報道もいかがなものかと思う)。

 阪神大震災に際しても、「震災うつ病」「震災躁病」と呼ばれる現象が見られた。私はてっきりそれらは被災者の方々がなるものだと思っていたが、そうとはかぎらず、被災地の模様をテレビ等で観たことが引き金になるケースも多いそうだ。
 阪神大震災では「ボランティア躁病」と名付けられた事例(テレビで見た被災地の惨状が引き金で躁転し、後先考えず現地に向かい、ハイテンションではた迷惑な行動をくり返す……という感じかな?)も多数報告されたというが、今回の大震災でも同様の事例が多数生まれそうである。

 あなたの周囲のうつ傾向のある人も、たとえ被災地から遠く離れた地に住んでいたとしても、この震災(報道)で深刻なダメージを受けているかもしれない。電話して、優しい言葉をかけてあげるとよいと思う。

■当ブログの関連エントリ→ 和田秀樹著『震災トラウマ』レビュー

■参考記事→ 丸岡いずみの休養理由は震災うつとの証言 被災地取材で無力感(NEWSポストセブン)
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小松成美『人の心をひらく技術』


人の心をひらく技術人の心をひらく技術
(2010/09/08)
小松成美

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 小松成美著『人の心をひらく技術――仕事と人生が変わる「聞き方」「話し方」』(メディアファクトリー/1260円)読了。

 売れっ子ノンフィクション作家が、これまでやってきた仕事をふまえて、「人の心をひらく」話の聞き方を説いた本。巻末に構成者のクレジットがあるので、小松の話をライターがまとめたものだろう。

 中田英寿、イチロー、中村勘九郎、YOSHIKIなど、各界著名人への取材の舞台裏が随所で語られ、それらはいずれもたいそう面白い。たとえば、勘九郎とのこんなやりとり。

「私など、本来は歌舞伎を書く資格などないかもしれないのですが……」
 私がそう言ったとき、勘九郎さんは突然怒り出してしまいました。
「冗談じゃないよ! どんな資格がいるって言うんだよ。役者以外、みんな素人なんだからさ、いちいち謝らなくていいんだよ。それにね、俺は『自分は歌舞伎のプロです』なんて言って原稿書いている奴、ぜんぜん認めてないからね」
 その言葉が私に対する優しさだということは、すぐにわかりました。



 本書は取材裏話集であると同時に、ライター小松成美の成長物語(サクセス・ストーリーではなく)としても読める。OLから突然ライターに転身し、蓄積ゼロからスタートした彼女が、押しも押されもしない一流ライターになっていくまでの道筋が、くっきりとたどられているのだ。

 後半、「人の心をひらく」技術が具体的に説かれた部分には、「何をあたりまえのことを」と思えるアドバイスも少なくない。そのへんは読み飛ばしてしまったが、総じて傾聴に値するアドバイスが多く、ライターおよびライター志望者なら必読の内容となっている。

 「人の心をひらく」ために小松が重ねてきた努力は、同じライターとして頭が下がるほどのものだ。たとえば、彼女は取材前に質問を練ったあと、その質問を実際にしてみるところを鏡の前でくり返し練習するのだという。

 北京オリンピックで銀メダルを獲得したフェンシングの太田雄貴さんへのインタビューでも、インタビューメモを作成し、鏡の前での練習をして臨みました。フェンシングという競技には知らない専門用語が多く、またフェンシングの動作を言葉で伝えることも不慣れです。質問や知りたい技術について紙に書き出し、ある程度すらすら言えるまで練習しました。



 取材準備として資料を読み込み、質問を練るところまでは、ライターなら誰でもやる。が、鏡の前でこんな練習までやるライターを、私はほかに知らない。

 また、インタビューの最中、「何だかちょっとリズムが合わないな」と感じたときに、彼女は「相手の呼吸のリズムを計ってみる」のだという。そして、呼吸のリズムを「ただ合わせるのではなく、コントロールする」のだと……。
 取材中の「相手の呼吸のリズム」なんて、私は考えたこともなかった。もはや名人芸の域だと思う。
 
 インタビューイから「手品のように言葉を引き出す」小松成美の仕事ぶりは、「小松マジック」とも呼ばれる。しかしそのマジックは、持って生まれた才能(もあるだろうが)というより、彼女が積み重ねてきた努力の賜物なのである。そのことを思い知らされる一冊。

 もちろん、本書はライター入門ではなく、広くビジネスに役立つ本だという体裁をとっている。そうしなければ売れないからだが、ライターやカウンセラーなど「人の話を聞く仕事」以外の人が読んでも、さして有益ではないと思う。

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パトリシア・ガーフィールド『夢学(ユメオロジー)』


夢学(ユメオロジー)―創造的な夢の見方と活用法夢学(ユメオロジー)―創造的な夢の見方と活用法
(1993/02)
パトリシア・L. ガーフィールド

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 パトリシア・ガーフィールド著、花野秀男訳『夢学(ユメオロジー)――創造的な夢の見方と活用法』(白揚社)読了。

 最近、「自分の夢をコントロールする方法」に関心がある。
 脳科学が教えるところによれば、夢は記憶の整理作業なのだそうだが、同時に「心の整理作業」でもあるのではないか。つまり、昼間の顕在意識の中では整理のつかない心のもやもやを、夢を見ることで解消できる場合があると思うのだ。

 こんな話がよくある。
 何か謝らなければいけないことがある相手が、謝らないうちに亡くなってしまった。そのことで深い後悔を感じていたが、あるとき、夢の中でその人に謝ることができ、相手はにっこり笑って赦してくれた。その夢を見たことによって、ずっと抱いていた後悔の念が消えた。

 もっと下世話な例でいうと、嫌いな上司に対するイライラをずっと抱えていたが、その上司を思いっきりタコ殴りにする夢を見たらすごくスッキリした、とか(笑)。

 そのように、夢というものは、ときに深い次元での癒し・ストレス解消につながる。だとすれば、そうした夢の効用を、もっと意識的に活用できないものかと思うのだ。
 本書の著者など一群の夢の研究者たちは、「夢をコントロールする方法はある」と主張している。ただし、そのためには訓練が必要なのだという。

 本書は副題のとおり、「創造的な夢の見方と活用法」を網羅的に紹介した概説書。夢を創作に活かした芸術家たちのエピソード、アメリカインディアンやマレーシアのセノイ族の夢コントロール法の紹介など、盛りだくさんな内容で、実用書であると同時に「夢の博物誌」としても愉しめる。
 「これは夢だ」と自覚しながら夢を見る、いわゆる「明晰夢」(本書の表記は「自覚ある鮮明な夢」)を見るコツについても、一章が割かれている。

 諸星大二郎の傑作短編「夢みる機械」など、見たい夢を自在に見ることができる世界をユートピアとして描いた作品は数多いが、トレーニングによってそれが実現可能となれば、挑戦する価値は大いにあるというものだ。
 ただしそれは、「見たい夢を見られたら、毎晩眠るのが楽しくて仕方ないよなあ」というだけの話ではない(笑)。本書によれば、夢をコントロールし、上手に活用することで、より創意豊かで洞察力の鋭い人間に成長できるというのだ。

 あなたのみる夢はどれもあなたの子供なのだ。どの夢も気長に見守ってやるとよい。そうすれば、夢は、あなた自身へ並外れた洞察力をもたらしてくれることだろう。



 この手の話は一歩間違えばオカルトだが(じっさい、明晰夢と幽体離脱を一緒くたに扱った書物もある)、そうならない範囲で、今後少し探求してみたい。そのとっかかりとしてはわりとよい本だった。

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石井光太『感染宣告』


感染宣告――エイズなんだから、抱かれたい感染宣告――エイズなんだから、抱かれたい
(2010/12/01)
石井 光太

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 昨日までの3日間、大津、彦根など、滋賀県各地で取材。
 県内を車であちこち移動していると、琵琶湖の大きさが肌で実感できる。なんかこう、琵琶湖の周辺をぐるぐる回っているという感じなのだ。

 今年の大河ドラマ『江~姫たちの戦国~』(観てないけど)のヒロイン・お江の出身地(いまの滋賀県長浜市にあった近江小谷城で生まれた)ということで、町中が『江』一色。ドラマのポスターがあちこちに貼ってあり、長浜市では「江・浅井三姉妹博覧会」なるものが開催中で、土産物屋に行けばお江ゆかりの菓子がやたら目立つのであった。



 行き帰りの新幹線で、石井光太著『感染宣告――エイズなんだから、抱かれたい』(講談社/1575円)を読了。

 『絶対貧困』『レンタルチャイルド』などの作品で、世界各国の貧困の現実を精力的にルポしてきた石井光太が、初めて国内を舞台にしたノンフィクション。石井にとっては、「海外のディープゾーン取材という得意技を封じても、ノンフィクション作家としてやっていけるか」が問われる、試金石としての意味合いをもつ作品なのだ。

 内容の衝撃度は、海外を舞台にしたこれまでの作品と比べてもまったく遜色なかった。
 エイズという病気が初めて報告されてから30年以上が経ち、私たち一般人もなんとなくエイズについて「わかったつもり」になってしまっている昨今だが、本書に描かれた感染者たちの現実やエイズ治療の最前線は想像を絶するもので、目からウロコが落ちまくった。

 作中、相手の男性がHIV感染者と知りながら結婚し、その後相手が自殺してしまった女性は、次のように言う。
 

「エイズは男女にとっていちばん大切なところに忍び込み、彼らを極限の状態にまで追いつめます。弱さや醜さや高慢さといった負の内面をむき出しにし、人間性を試してくるのです」



 この言葉が象徴するとおり、エイズが基本的に「死なない病気」になったと言われる現在でも、やはり、HIV感染は人生を大きく変えてしまう。本書は、感染によって人生を変えられてしまった人々の軌跡を追ったものなのである。

 エイズが(薬害エイズと母子感染を除けば)セックスを媒介にして感染する以上、本書の内容も必然的に取材対象者の性に立ち入ったものになる。男性同性愛者や性風俗経験者の女性も複数登場する本書は、一昔前なら「HIV感染者への差別を助長する」と批判を浴びたかもしれない。いまだからこそ許される、タブーぎりぎりにまで踏み込んだ内容である。

 タブーといえば、本書でいちばん驚かされたのは、薬害エイズ被害者の男性による述懐。彼によれば、薬害エイズ被害者は、一時期までたいへん女性にモテたのだという。

 世の中というのは皮肉なもので、国との和解が成立してエイズが死なない病気になると、それまでこの問題に熱心だった人たちは急によそよそしく遠ざかっていくようになった。(中略)
 ボランティアに来ていた若い女性たちも同じだった。それまでは国家の犠牲となって殺されていく薬害エイズの被害者に同情し、最後まで苦しみを分かち合いたいと言ってくれていた。中には交際や結婚を求めてきた子だっていた。だが、裁判に区切りがついて、エイズが死なない病気になったとたんに、僕たちと会話をすることがなくなり、周りからいなくなってしまった。死に際の男には言いようのないロマンがある。だが、新しい治療法が確立したとき、僕たちは、ただの障害者年金暮らしの病弱な男に成り下がった。それに愛想をつかしたということなのだろう。
 実際、HIV感染者の男性から、女性に別れを告げられたという話を頻繁に聞いた。



 これは相当にきわどい話だが、私にとっては目からウロコで、人の心の不思議さに唸らされた。

 一読の価値はある力作ノンフィクションだが、一点気になったのは、どぎついエピソードばかりをことさら強調するセンセーショナリズムが、随所に感じられるところ。
 たとえば本書は、HIV感染者の男性同性愛者だけが集う乱交パーティーに、著者が潜入取材する衝撃的な場面で幕を開ける。よりによってこのどぎつい場面を冒頭に持ってくるあたり、著者が「よし、これでつかみはオーケー!」とガッツポーズでどや顔しているところが透けて見えるようで、いささかげんなりさせられる。  

 そうしたセンセーショナリズムはこれまでの石井作品にも多少は感じられたが、本書は日本の話であるだけに印象が生々しく、とくに鼻についた。
 HIV感染者を無垢な被害者としてのみ描き出す紋切り型の社会派ルポになっていないあたり、石井光太らしい作品ではあるのだが……。

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Profile 

前原政之 
イラスト/ジョージマ・ヒトシ

前原政之(まえはら・まさゆき)
1964年3月16日、栃木県生まれ。53歳。
1年のみの編プロ勤務(ライターとして)を経て、87年、23歳でフリーに。フリーライター歴30年。
東京・立川市在住。妻、娘、息子の4人家族。

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●「mm(ミリメートル)」は、私のイニシャル「MM」のもじりです。

●私の大好きなギタリスト・渡辺香津美氏は、ご自身のイニシャル「KW」をもじった「KW(キロワット)」を、公式サイトのタイトルにしておられます(同名のアルバムもあり)。それにあやかったというわけです。

●あと、「1日に1ミリメートルずつでもいいから、前進しよう」という思いもこめられています(こじつけっぽいなあ)。

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