岩城けい『さようなら、オレンジ』


さようなら、オレンジ (単行本)さようなら、オレンジ
(2013/08/30)
岩城けい

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 岩城けい著『さようなら、オレンジ』(筑摩書房/1365円)読了。
 昨年の太宰治賞受賞作で、芥川賞の候補にものぼったが落選した作品である。

 これは素晴らしい小説だ。160ページほどの中編なのに、ずっしりと読み応えがある。芥川賞をとってもよかったと思う。

 舞台はオーストラリアの田舎町。中心となるのは、アフリカ難民の黒人女性と、研究者の夫とともに渡豪した日本人女性の友情の物語である。
 しかし、「友情の物語」とくくっただけでは多くの要素がこぼれ落ちてしまう。重層的・多面的な小説なのだ。

 背負ってきた文化も境遇もまったく異なる2人の女性の間に、少しずつ生まれていく共感――。
 異文化との出合いの物語であり、周囲に流されるように生きてきた2人の女性が、大きな喪失体験を経て、自分の足でしっかりと立つ「自立」を遂げるまでの成長物語でもある。
 そして、異国で暮らす女性たちの姿を通して、「言語とは何か? 母語とは何か?」という大きな問いに正面から向き合った小説でもある。
 たとえば、こんな一節がある。

 二番目の言葉として習得される言葉は必ず母語をひきずります。私たちが自分の母語が一番美しい言葉だと信じきることができるのは、その表現がその国の文化や土壌から抽出されるからです。第一言語への絶対の信頼なしに、二番目の言語を養うことはできません。



 かなり凝った構成が取られており、その仕掛けを理解するまで、物語の世界に没入できない。
 たとえば、地の文と手紙文が交互に登場するのだが、その手紙を誰が書いているのかの説明があえて省かれており、読者は最初戸惑うだろう。が、読み進めるうちに仕掛けが理解できれば、「この構成しかなかった」と得心がいく。

 作者自身が在豪20年なのだそうで、そうした経歴が本作には十全に活かされている。日本に住む作家が海外を旅して書く小説のような、“観光小説”的な薄っぺらさが絶無なのだ。

 印象に残った一節を引く――。

 人は土から生まれた。だから私たちは土と同じ色。幼いサリマに母親がそんなことを言ったのをふいに彼女は思い出す。つぎつぎに思い出がよみがえる。青空の下、一本の大きな木を教室の屋根がわりにサリマは文字を教わった。砂に自分の指ではじめて書いた文字。それも大人の男の足で踏み荒らされた。住んでいた土地も家族も友人も奪われた。それからは、明日も生きて、おひさまに会えることだけを願ってきた。


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関純二『担当の夜』


担当の夜担当の夜
(2013/12/05)
関 純二

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 関純二著『担当の夜』(文藝春秋/1365円)読了。

 『ヤングマガジン』の元編集長が、マンガ家と編集者の共闘関係を描いた連作小説。

 カバー画はすぎむらしんいちによるもの。見てのとおり清楚系女子高生風だが、これはたんなるアイキャッチであって、中身には女子高生はおろか若い女性すらほとんど出てこない。オッサンばかりが登場する、じつにむさ苦しい小説だ(笑)。

 ちなみにすぎむらは巻末2ページのオマケ・マンガも描いており、彼のファンならこれだけのためにでも買う価値あり。マンガの内容から察するに、著者はすぎむらの担当もしていたようだ。

 収録作4編のうち、亡き先輩編集者たちの思い出が綴られる「俺酒」だけがイマイチ。語られる思い出が酒がらみ、ギャンブルがらみなどのゲスいエビソードばかりで、読んでいてウンザリ。なんでこんな先輩たちを著者が慕っているのか、さっぱりわからない。

 しかし、ほかの3編は面白い。
 気むずかしいマンガ家との共闘から訣別までが描かれた、表題作「担当の夜」。
 ジョージ秋山がモデルだとすぐわかるベテラン・マンガ家との交流と訣別が描かれた、「担当の朝」。
 才能はあるが人格に問題のある新人マンガ家を、主人公が育て上げようとしてついに果たせない、「最後の担当」。

 それぞれ、小説としてはたどたどしさがあるものの、ディテールのリアリティはさすがに圧倒的で、マンガ好きには楽しめる作品。
 “小説版『編集王』”という趣もある。マンガでは描ききれない複雑微妙な心理描写が随所にあって、その点は『編集王』以上にリアル。

 主要キャラのマンガ家3人はみな、性格破綻者というか、壊れた感じの人物として描かれている。にもかかわらず、主人公の編集者とのやりとりは、時としてすこぶる感動的である。
 たとえば――。

「金田さん、よそをな、ほかの雑誌で回遊して、大きくなって、うちに戻ってきてくれ」
 これまで何度も使った、新人との別れの言葉を告げた。何度も言ってきたのに。声が――。
「わかりました。高野さんにうちでどうか描いてください、って土下座させたりますわ」
「そうだな。それがいいな。本当に、それがいいな。それが……」
「なに、ウエットになってるんですか。へたれ担当が。だからジャンプに勝てないんですよ」
 金田の声もふるえていた。(「最後の担当」)


 
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パット・メセニー・ユニティ・グループ『KIN (←→)』


KIN(←→)KIN(←→)
(2014/02/26)
パット・メセニー・ユニティ・グループ

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 パット・メセニー・ユニティ・グループの新作『KIN (←→)』(ワーナーミュージック・ジャパン/2680円)を、送ってもらったサンプル盤でヘビロ中。日本盤は26日発売だが、輸入盤はもう出ている。

 某誌にCDレビューを書き、その号が発売前なのでここではくわしく書けないのだが、とにかく素晴らしいアルバムだ。



 私はパット・メセニーの音楽のファンだが、好きなのはもっぱら「パット・メセニー・グループ」名義のアルバムであって、ソロ作やそれ以外のアルバムには好きではないものも多い。

 PMG名義のアルバムは、2005年の『ザ・ウェイ・アップ』以来出ていない。なので、PMGの好きな私としては、ずっと渇望感があった。
 しかし、今作はPMGのサウンドに非常に近く、「これだよ、これ!」と快哉を叫んでしまった。

 周知のとおり、PMGはライル・メイズとの双頭バンドに近いものである。
 メセニーとライル・メイズの関係についてはレノン=マッカートニーと比較する向きもあり、私も「ライル・メイズがいなけりゃPMGじゃない」とずっと思ってきた。
 このアルバムのようにメイズ抜きで「もろPMG」なサウンドを作られてしまうと、ファンとしてはちょっと複雑な思いである。
 ましてや、ライル・メイズ当人の気持ちはもっともっと複雑に違いない。「オレはもう必要ないってことか……」という思いになり、2人がこのまま訣別してしまうのではないかと心配になる。

 ま、そのへんのことはさておき、本作はじつによい。パット・メセニーのアルバムとしては、『ザ・ウェイ・アップ』以来の傑作だと思う。マイ・フェイバリット作『レター・フロム・ホーム』『スティル・ライフ』をしのぐかもしれない出来だ。

 このバンドの前作にあたる『ユニティ・バンド』は、私には少しもいいとは思えなかった。なので、正直あまり期待していなかったのだが、まさかの大飛躍である。
 今回、名義が「ユニティ・バンド」から「ユニティ・グループ」に変わったのだが、それは「このバンドを第2のパット・メセニー・グループとしてやっていくよ」という宣言なのかもしれない。

■関連エントリ→ パット・メセニー・グループ『ザ・ウェイ・アップ』レビュー

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アラン・ワイズマン『滅亡へのカウントダウン』


滅亡へのカウントダウン(上): 人口大爆発とわれわれの未来滅亡へのカウントダウン(上): 人口大爆発とわれわれの未来
(2013/12/19)
アラン ワイズマン

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 昨夜は大雪が降るなか、愚犬に熱望されて散歩に――。

 「気分は八甲田山」であったが、愚犬(ヨーキー)は己の背丈より高く積もった雪に埋もれながらも、「ボスボスボスボス」(犬が雪をかき分けていく音)と楽しそうに駆け回っていた。しかも、同じように雪の中を散歩させていた人にも出くわした。「♪犬は喜び庭駆け回り」というあの歌は真実なのである。


 アラン・ワイズマン著、鬼澤忍訳『滅亡へのカウントダウン――人口大爆発とわれわれの未来』(早川書房/上下各2100円)読了。書評用読書。

 タイトルだけ見ると「大予言系トンデモ本」のようだが(原題は“COUNTDOWN”というシンプルなもの)、実際にはごく真面目なノンフィクションである。

 米国の著名な環境ジャーナリストが、丸2年を費やして世界21ヶ国を取材・調査で巡り、書き上げた大作。巻末の参考文献リストだけで80ページ近いという代物で、取材調査の厚みがすごい。

 中身は、一言で言えば「21世紀版『成長の限界』」とも言うべきもの。
 ローマクラブに委嘱された科学者たちによって1972年に発表されたレポート『成長の限界』は、「人口増加や環境汚染などの現在の傾向が続けば、100年以内に地球上の成長は限界に達する」と結論づけ、世に衝撃を与えた。

 穀物生産量を飛躍的に上昇させた「緑の革命」や、近年のシェールガス革命などによって、「成長の限界」は遠のいたかのように見える。だが、著者は「緑の革命」もシェールガス革命も、一定の「猶予期間」を与えたのみで、人類が存続の危機を迎える日は遠くないという。

 今世紀中には100億人を超えるとも予想される世界人口は、地球環境のキャパシティを大幅に超えるものであり、四重、五重の危機を人類にもたらす。食糧危機と飢餓、水不足、土壌の汚染と劣化、気候変動など……。
 綿密な調査で浮き彫りにされた各国の現状は、読む者を慄然とさせずにはおかない。

 だが、本書はいたずらに不安を煽る内容ではない。著者は21ヶ国を巡る旅のなかで、懸命に希望の光を探そうとしているのだ。
 たとえば、日本を取材した第13章。その中で著者は、日本の少子化と、豊かな自然が残る地方への若者たちの回帰に、一筋の希望を見出している。また、イランやタイのように、さまざまな問題を抱えながらも少子化政策に成功している国も紹介されている。

 環境問題を扱ったノンフィクションではあるのだが、著者の目配りは幅広く、宗教や経済、各国の歴史と文化、女性の社会進出など、さまざまなテーマが付随的に論じられる。
 詰め込まれた知的刺激の豊富さが素晴らしい。ジャレド・ダイアモンドの諸作に近い“文明論的ノンフィクション”の力作といえよう。

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西村賢太『一私小説書きの日乗 憤怒の章』


一私小説書きの日乗 憤怒の章 (単行本)一私小説書きの日乗 憤怒の章 (単行本)
(2013/12/25)
西村 賢太

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 西村賢太著『一私小説書きの日乗 憤怒の章』(角川書店/1680円)読了。

 昨年2月に刊行された『一私小説書きの日乗』につづく、日記の単行本化第2弾。

■関連エントリ→ 西村賢太『一私小説書きの日乗』レビュー

 版元が文春から角川に変わっている。本書の9割方は文春の「本の話WEB」に連載されたものだが、途中で「本の話WEB」の編集長と西村が衝突し、角川の『野性時代』に連載媒体を移したためである。

 この日記の面白さは何よりも、そのような編集者などとのトラブルがすべて赤裸々に綴られる点にある。
 それ以外は、何を食ったとか誰に会ったとか、テレビやラジオに出演したとかのどうでもいい日常雑記がメインであって、エッセイとしてとくに面白いものではないのだ。

 「相変わらず、実生活ではつきあいたくない男だなあ」と思う。各誌の編集者とこうも頻繁に衝突していたら、本が売れなくなったらたちまち干されるだろうに……。
 とくに、最も頻繁に登場する『新潮』の編集者・田畑氏のことが、読んでいて気の毒になってくる。なにしろ、西村から何度も「クビ」(自分の担当をやめさせるという意味か)を言い渡されたり、しばしば罵倒されたりしているのだから。

 西村が無名無冠の「持たざる者」であったときにはそうした所業が痛快に思えたものだが、いまや売れっ子芥川賞作家なのだから、たんなる傲慢にしか見えない。

 笑ったのは、作家の江上剛と西村が会い、江上のペンネームが親しい担当編集者3人の名前を合成したものだと知ったときの一節。

 自分は、ではもしもその編輯者たちと険悪な状況になったら、そのときはペンネームを変更するのですか、なぞ不躾なことを聞いてしまう。
 だが、よく考えてみれば、普通の書き手は余程のアレな者でない限り、編輯者とは極めて良好な関係を長きに亘って築くものなのであろう。
 自分には、到底真似のできない芸当だ。



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イーライ・パリサー『閉じこもるインターネット』


閉じこもるインターネット――グーグル・パーソナライズ・民主主義閉じこもるインターネット――グーグル・パーソナライズ・民主主義
(2012/02/23)
イーライ・パリサー

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 イーライ・パリサー著、井口耕二訳『閉じこもるインターネット――グーグル・パーソナライズ・民主主義』(早川書房/2100円)読了。

 2009年から、グーグルは「パーソナライズ検索」を本格導入した。以後、我々がグーグル検索を使えば使うほど、グーグルはこちらの好みや思考スタイル、行動パターンを把握し、それに合わせた広告や検索結果を表示するようになった。A氏とB氏が同じ時刻に同じ言葉を検索しても、その検索結果は同じものにはならないのだ。

 このようなフィルタリング技術は、グーグルに限らず日進月歩である。その進歩にはよい面もあるが、危険も多い。我々のプライバシーが知らぬ間に侵害され、その結果得られた情報がネット関連企業の金儲けに使われる……という危険は、そのうち最もわかりやすいものである。
 しかし、危険はそれだけにとどまらない。もっとわかりにくい、しかし場合によっては民主主義さえ揺るがしかねない危険がある。

 本書は、フィルタリング技術の進歩がもたらす危険について論じたものである。
 原題は、“The Filter Bubble: What the Internet Is Hiding from You”。「フィルターバブル」とは著者の造語で、「ネットのフィルタリング技術が泡のように我々を包み、世にある大量の情報と我々の間を隔てている」というほどの意味である。
 そのフィルターをすり抜けた情報だけが、私たちの目や耳に届く。そのことには「欲しいものがすぐに見つかって便利だ」というメリットがあるものの、反面さまざまなデメリットをもたらす。たとえば――。

 (フィルターバブルの中では)興味がないものは目にはいらなくなる。大きな出来事やアイデアを見のがしていることに、無意識にさえ気づかなくなる。
(中略)
 パーソナライズドフィルターには、普通、ズームアウト機能が用意されていないため、自分の位置を見失い、変化に富む巨大な大陸を小さな島だと勘違いしてしまいがちである。



 このデメリットの事例は、我々の周囲にいくらでも見つかる。ネトウヨ諸君はネトウヨにとって心地よい情報だけで自らの周囲を囲み、都合の悪い情報は目に入らなくなる。その結果、ますますネトウヨ的性向が強まっていく……というふうに。
 もちろん他人事ではなく、私の周囲には私向けにパーソナライズされたフィルターバブルがあるわけだが。

 また、著者はフィルターバブルがもたらす大きなデメリットの一つとして、人々の創造性が損なわれることを挙げる。
 発明、創作、科学の新発見など、すべての創造的営為にはセレンディピティ(偶然の発見)が不可欠だが、フィルターバブルの中ではセレンディピティが起きにくくなる、というのだ。
 なぜなら、パーソナライズドフィルターはその人が好むことや馴染み深いことを選択する仕組みであり、好みや馴染みにそぐわないものは排除されてしまうから。したがって、「思わぬものとの出合い」が激減し、成長や革新のきっかけが得にくくなる、というのだ。

 フィルターバブルは本格的には始まったばかりであり、その悪影響もまだ社会を揺るがすほどには表面化していない。が、私は著者の危惧はかなり正鵠を射ていると思う。

 本書は、さまざまな角度からフィルターバブルの危険を訴え、それを克服する方途についても提言している。面白い本だが、全体にアメリカの先端的知識層に向けて書かれた内容であり、平均的日本人にはわかりにくい記述も少なくない。
 たとえば、次のような一節――。

 サイバーブースターからサイバープラグマティストに転じたダグラス・ラシュコフは、こう語ってくれた。



 私が無知なだけかもしれないが、「サイバーブースター」も「サイバープラグマティスト」も意味がわからず、「ダグラス・ラシュコフ」という人名も初めて聞いた。このへん、訳注を付してしかるべきだと思うのだが、本書には原注はあっても訳注は一つもない。なんとも不親切な作りである。

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雪に似合う曲ベスト11


クリスタル・サイレンスクリスタル・サイレンス
(2011/06/22)
チック・コリア&ゲイリー・バートン

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 「20年ぶりの大雪」なのだそうだ。東京も雪景色。
 こういう日に似合う曲を、CD棚の前であれこれ選んでみた。順不同。

ジョニー、ルイス&チャー「You Keep Snowin'」


 ピンククラウドの前身ジョニー、ルイス&チャーの名盤『OiRA』の一曲。雪の降らない地方に住む者が久々に雪を見たときの高揚感を表現している……ような気が。

チック・コリア&ゲイリー・バートン「クリスタル・サイレンス」


 ピアノとヴァイヴ(ビブラフォン)のデュオ・アルバムのタイトルナンバー。タイトルどおり、静謐で透明な美しさ。
 同じジャズ系著名ヴァイヴ奏者でも、ゲイリー・バートンの演奏はいつも冬っぽく、ボビー・ハッチャーソンの演奏はいつも夏っぽい。この差がどこから生まれるのか、不思議。

上野洋子「Shmuzzle」


 元ザバダックの歌姫が、多重録音によって自らの美声をパズルのように織り上げたアルバム『Puzzle』の一曲。雪の街を飾るイルミネーションのような、きらびやかな冷たさ。

スザンヌ・ヴェガ「クラッキング」


 デビューアルバム『街角の詩』のオープニング・ナンバー。
 彼女の歌にはいつもひんやりとした孤独感が満ちているのだが、このデビューアルバムはなかでもとびきり“音の温度”が低く、冬のイメージに満ちている。この曲にも「歩道の氷」なんてフレーズが出てくる。

矢野顕子「星の王子さま」


 『ピアノ・ナイトリィ』の一曲で、薬師丸ひろ子への提供曲のセルフカバー。
 彼女のピアノ弾き語りアルバムのうち、この『ピアノ・ナイトリィ』は抜きん出て冬っぽい。冬を歌った曲があるわけではなく、むしろ「夏のまぼろし」(鈴木祥子のカヴァー)なんて曲が入っていたりするのだが、それでも、全体は冬のイメージ。雪がしんしんと降る夜更けに暖かい部屋で聴くとぴったりのアルバム。

ジョニ・ミッチェル「コヨーテ」


 名作『逃避行』のオープニング・ナンバー。ジャコ・パストリアスのベースが美しい。
 かつて渋谷陽一が、「ジョニ・ミッチェルは雪の日の朝のようだ」と書いたことがある。「部屋が冷ややかな雪の予感に満ちた朝の緊張感、これがジョニ・ミッチェルの世界を連想させる」と……。
 同感である。そして、『逃避行』は彼女のアルバムの中でもいちばん雪の朝のような緊張感に満ちている。

キース・ジャレット『ケルン・コンサート』パート1


 言わずと知れた名盤。冒頭の静謐な詩情に満ちたピアノは、雪景色にぴたりとハマる。
 この冒頭部分は、ニコラス・ローグの映画『ジェラシー』に使われていて、私はこの映画でキース・ジャレットに出合った。

ベン・ワット「何でもないよ」(some things don’t matter)


 「エヴリシング・バット・ザ・ガール」の片割れ、ベン・ワットの最初のソロ・アルバム『ノースマリン・ドライヴ』の一曲。ギターとヴォーカルがひんやりと冷たくて心地よい。「真冬のボッサ」といった趣。


ジェネシス「スノーバウンド」


 1978年のアルバム『そして3人が残った』の一曲。このアルバム全体が雪の日に合うのだが、中でもこの曲はスノーマンのことを歌ったもの(!)なので、ベストマッチ。一面の雪景色を極光(オーロラ)が照らすような、荘厳なる哀切。

ヴァージニア・アストレイ「サム・スモール・ホープ」


 「メロウ・イングリッシュ・サロン・ミュージックとブライト・ポップ・アピールのブレンド」などと評されたイギリスの女性シンガーの、1986年の3作目のオープニング・ナンバー。坂本龍一がプロデュース/アレンジで全面バックアップし、この曲はデヴィッド・シルヴィアンとのデュエットになっている。
 イングリッシュ・ガーデンにしんしんと雪が降り積もる、といった趣。

U2「ニュー・イヤーズ・デイ」


 U2の初期のアルバムはどれも雪に似合うが、なかでも、この曲を収めた『WAR』はベストマッチ。エッジのギターは荒涼たる雪景色のよう(この曲を雪景色の中で演奏する寒そうなPVがあったはずだが、YouTubeで見つからず)。

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立花隆『読書脳』


読書脳 ぼくの深読み300冊の記録読書脳 ぼくの深読み300冊の記録
(2013/12/09)
立花 隆

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 佐村河内守のゴースト作曲家問題、私にとっては二重の意味で他人事ではない。
 本の世界でゴーストライターを長年やってきた身であるし、私自身が佐村河内を取材して記事を書いていてもおかしくなかったのだから(もしそうなっていたら、私も彼にだまされた側として地団駄踏んでいたところだ)。

 ……と、そのような切実な関心のもと、告発記事の載った『週刊文春』を買い、ニコ動で生中継された作曲家の記者会見もリアルタイムで全部見てしまった。

 いやー、これは歴史に残るトンデモ事件だ。『ニュースの天才』(米国で実際に起きた捏造報道事件を描いた作品)のように映画化されても不思議はない。『週刊文春』の8ページの記事だけでも、ヘタな映画よりドラマティックである。

 ここ二日間ほど「ゴーストライター」という言葉が各メディアに躍ったことは、かつてなかっただろう。
 十把一絡げに、普通のゴーストライター(ブックライター)の仕事にまで後ろ暗いイメージがなすりつけられるのは、我々ライターとしては大迷惑だなあ。
 いや、私もさすがに芸術作品のゴーストは御法度だと思うけど。

■関連エントリ→ ゴーストライターの仕事について


 立花隆著『読書脳――ぼくの深読み300冊の記録』(文藝春秋/1680円)読了。

 立花が『週刊文春』に月イチ連載している読書日記の、単行本化第4弾。連載自体はもう21年に及んでいるという。私はこれまでの3冊もそのつど買って読んでいる。それぞれブックガイドとして有益だし、毎回オマケ的に併録される読書日記以外の文章も、それぞれ面白い。

 前作にあたる『ぼくの血となり肉となった五〇〇冊 そして血にも肉にもならなかった一〇〇冊』(2007年)は、オマケである立花へのロングインタビューだけで本一冊分あり、すごいボリュームだった。
 対照的に、本書のオマケは石田英敬(東大図書館副館長)との対談のみ。ページにしてわずか30ページほど。なので、これまでの4冊でいちばん小じんまりとした作りになっている。

 それはともかく、この対談も読書論として、また本の未来を展望するうえで読み応えのある内容だ。読書日記の部分も、相変わらず中身が濃い。

■関連エントリ→ 立花隆『ぼくの血となり肉となった五〇〇冊そして血にも肉にもならなかった一○○冊』レビュー

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梅原猛『人類哲学へ』


人類哲学へ人類哲学へ
(2013/10/23)
梅原 猛

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 梅原猛著『人類哲学へ』(NTT出版/1680円)読了。

 岩波新書の『人類哲学序説』から派生した、いわばスピンオフ本である。

 第1部では、梅原さん自身が『人類哲学序説』の内容をダイジェスト。第2部は討論編で、梅原さんを中心に、吉村作治・安田喜憲・松井孝典・梅原賢一郎(梅原さんの息子で芸術学者)の各氏が参加している。
 最後の第3部は、猛/賢一郎の梅原父子対談となっている。

 基本的には、『人類哲学序説』をすでに読んだ人なら読む必要がない本。内容もかなり重複している。

 『人類哲学序説』は、一冊の本として非常によくできていた。大学での講義を編集者かライターが構成した本だと思われるが、そのまとめ方が目を瞠るほどにうまかったのである。

 対照的に、本書は構成・編集がかなり雑で、まとめる際のトリートメントがあまりなされていない感じだ。
 対談・鼎談・座談会は、実際に話されたとおりに文章化してしまったら、意味不明な箇所が必ず出てくるものである。そこをいかに自然にトリートメントする(微調整や補足を適宜加えて、話がスムースに流れるようにする)かがライターの腕の見せどころなのだが、本書はそこが不十分なのだ。

 たとえば、本書の中でさえ、内容の重複が少なからずある。第1部と第3部に同じ話が出てきたりするのだ。このへんはライターか編集者が整理すべきだったろう。

 ……と、ケチをつけてしまったが、第3部の父子対談では、ほかの人ならコワくて聞けないようなこと(笑)を賢一郎氏がズバズバ聞いており、その点は面白かった。

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末井昭『自殺』


自殺自殺
(2013/11/01)
末井 昭

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 末井昭著『自殺』(朝日出版社/1680円)読了。

 「朝日出版社第二編集部ブログ」連載中から評判を呼んでいたエッセイの単行本化。

 『素敵なダイナマイトスキャンダル』などの過去の著作でも明かされているが、著者は小学生時代に母親を自殺によって喪っている。それも、隣家の息子である青年と不倫の末にダイナマイト心中を遂げるという壮絶なものであった。

 そんな経験から、著者は2009年に、『朝日新聞』から自殺防止をテーマにインタビューを受けた。そのインタビュー記事を読んだ朝日出版社(ちなみに、朝日新聞社とは無関係な会社)の編集者が、「自殺についての本を書いてほしい」と著者に依頼。そして生まれたのが本書である。

 自殺がテーマの本ではあっても、半分くらいは自伝的エッセイであり、自殺のことばかりが書かれているわけではない。
 また、末井昭のことだから、「死んじゃいけないよ!」と熱く訴えるような文章はただの一つもない。もっと飄々と、自殺を考えている人の傍らに座って静かに語り合うような内容だ。

 たとえば、最後の一編にはこんな一節がある。

 この連載を始めて、自殺した人たちのことをあれこれ想像するようになりましたが、いつも母親のことを重ね合わせていたように思います。母親のことを想うように、自殺していく人がいとおしく可哀想でなりません。僕は自殺する人が好きなんじゃないかと思います。
 自殺する人は真面目で優しい人です。真面目だから考え込んでしまって、深い悩みにはまり込んでしまうのです。感性が鋭くて、それゆえに生きづらい人です。生きづらいから世の中から身を引くという謙虚な人です。そういう人が少なくなっていくと、厚かましい人ばかりが残ってしまいます。
(中略)
 本当は、生きづらさを感じている人こそ、社会にとって必要な人です。そういう人たちが感じている生きづらさの要因が少しずつ取り除かれていけば、社会は良くなります。



 『素敵なダイナマイトスキャンダル』では母親のダイナマイト心中をあえて笑いにくるんで語っていた末井だが(※)、本書の語り口はもっとしんみりしていて、静謐な私小説のよう。

※なにしろ書き出しが、「芸術は爆発だったりすることもあるのだが、僕の場合、お母さんが爆発だった」である。

 エッセイの合間に入れられた著者によるインタビュー(相手は、両親を自殺で一度に喪った女性、長年青木ヶ原樹海をパトロールしていた作家の早野梓など)も、味わい深い。

 また、現在の妻である写真家・神蔵美子との関係についても、くり返し触れられている。
 それらの文章には、以前読んだ神蔵の『たまもの』を末井側から上書きしたような趣がある。2冊を併読するといっそう面白いと思う。 

■関連エントリ→ 神蔵美子『たまもの』レビュー

 
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宮内悠介『ヨハネスブルグの天使たち』


ヨハネスブルグの天使たち (ハヤカワSFシリーズ Jコレクション)ヨハネスブルグの天使たち (ハヤカワSFシリーズ Jコレクション)
(2013/05/24)
宮内悠介

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 宮内悠介著『ヨハネスブルグの天使たち』(早川書房/1575円)読了。

 日本SF大賞を受賞した『盤上の夜』につづく、新鋭SF作家の第2連作短篇集。

■関連エントリ→ 宮内悠介『盤上の夜』レビュー

 本書も『盤上の夜』に勝るとも劣らない面白さであった。どの短編も、じつに知的でスペキュレイティブ(思弁的)。『盤上の夜』と本書は2作連続で直木賞候補にのぼって落選したが、本書で直木賞を得ていてもおかしくなかったと思う(まあ、SFでは直木賞が取りにくいわけだが)。

 連作の舞台となるのは、近未来の南アフリカ、ニューヨーク、アフガニスタン、イエメン、そして東京――。
 異なる舞台をつなぐバトンとなるのは、日本製のホビーロボット「DX9」、通称「歌姫」。富裕層の道楽品として作られた、人間型の「歌うロボット」。いわば「未来の初音ミク」である。

 無数の「DX9」が、さまざまな形で物語の鍵を握る存在として登場する。
 たとえば、「9・11」テロの犠牲となった1人の青年の意識が転写されて。また、内戦の地ではその堅牢さから自爆テロ用の兵器に改造されて。

 単行本カバーの惹句には、「国境を超えて普及した日本製の玩具人形を媒介に人間の業と本質に迫り、国家・民族・宗教・戦争・言語の意味を問い直す連作5篇」との一節がある。

 まさしく、「国家・民族・宗教・戦争・言語の意味」などという大テーマに正面から挑む志の高さ、スケールの壮大さが、この作者の魅力なのである。それでいて、どの作品も先鋭的で刺激的なエンタテインメントとしても成立しているところがすごい。

 SFという狭い枠にとらわれず、いろんな作品を書いていってほしい。たとえば、青春小説や歴史小説の長編を書かせても、きっといいものを書くに違いない。

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大山典宏『生活保護VS子どもの貧困』


生活保護 VS 子どもの貧困 (PHP新書)生活保護 VS 子どもの貧困 (PHP新書)
(2013/11/16)
大山典宏

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 大山典宏著『生活保護VS子どもの貧困』(PHP新書/798円)読了。

 いつも読んでいるブログ「山下ゆの新書ランキング」で高評価を受けていたので、読んでみたもの。このブログの書評は質が高く、参考になる。

 著者は福祉事務所のケースワーカーを皮切りに、生活保護行政の現場でずっと働いてきた人。そしてそのかたわら、ネット上で「生活保護110番」を運営し、ボランティアで生活困窮者の相談に乗ってきたという。
 つまり、行政側の視点と困窮者支援団体側の視点――両方から生活保護を論じられる稀有な立場にいるのだ。

 本書には、その2つの視点が十全に活かされている。どちらにも偏らない中立の立場から、生活保護行政のいまが論じられているのだ。

 著者は、生活保護を論じるには「適正化モデル」と「人権モデル」の2つの立場があるとする。

 「適正化モデル」とは、貧困の原因を個人に求め、個人や家族の責任を強調する立場。もっぱら問題視するのは「濫給(不必要な給付)」や「不正受給」である。片山さつき的立場といえようか。
 
 「人権モデル」とは、貧困の原因を社会に求め、政府の責任を強調する立場。もっぱら問題視するのは「漏給(生活保護を必要とする人が給付から漏れること)」や役所の不当な申請拒否である。湯浅誠的立場といえようか。

 著者は2つのどちらにも偏ることなく、両論併記的に双方の言い分を紹介する。そして、双方が歩み寄り、協力し合えるような解決の方途を探していく。

 私は「人権モデル」のほうに共感を覚えるし、これまで読んできた生活保護に関する本もおおむねそちら側の本である。だからこそ、バランスよく双方の視点を兼備した本書の内容は新鮮であった。

 後半は、子どもの貧困の問題にぐっとズームインしていく。
 この後半も示唆に富む内容ではあるが、前半とのつなぎがうまくいっておらず、テーマの異なる2冊の本を無理やりくっつけたような印象を受けてしまう。
 そこが弱点だが、いろんな意味でバランスの取れた内容であり、生活保護問題に関心のある人なら立場を超えて一読の価値がある。

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瀧本哲史『君に友だちはいらない』


君に友だちはいらない君に友だちはいらない
(2013/11/13)
瀧本 哲史

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 瀧本哲史著『君に友だちはいらない』(講談社/1785円)読了。

 京大客員准教授で投資家の著者が、ベストセラーとなった『僕は君たちに武器を配りたい』につづいて、若者たちに“これからの社会で上手に生きていく方法”を説いた本。
 『僕は君たちに武器を配りたい』はオッサンの私が読んでも面白かったので、本書にも手をのばしてみた。

 今回のテーマは、「チームアプローチ」論。若者が起業などをするにあたって、どのようにチームを作り、運営していったらよいかが説かれている。
 カバーに『七人の侍』のワンシーンが用いられているのは、あの映画に「チームアプローチ」の一つの理想型が描かれている、と著者が考えるゆえである。

 そういう本が『君に友だちはいらない』というタイトルであるのはなぜか? 本書の最終ページにはこんな一節がある。

 夢を語り合うだけの「友だち」は、あなたにはいらない。
 あなたに今必要なのは、ともに試練を乗り越え、ひとつの目的に向かって突き進んでいく「仲間」だ。
 SNSで絡んだり、「いいね!」するだけの「友だち」はいらない。
 必要なのは、同じ目標の下て、苦楽をともにする「戦友」だ。



 しかし、いまどきの若者がもっぱら大切にしているのは、そういう「友だち」のほうであろう。「友だち」がどれほど多くても、これからの人生を切り拓く力にはならない。だから、「友だち」とのつきあいに力を注ぐより、「仲間」「戦友」を作れ、と著者は言うのだ。

 随所に興味深いエピソードがちりばめられ、読み物としてクオリティが高い本である。
 ただ、基本的に若者向けに書かれているうえ、フリーランサーである私はそもそも「チームアプローチ」とほぼ無縁だ。ゆえに、あまり参考にはならなかった。

 起業を目指す大学生とかが読めば、得られるものも多い本だと思う。

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前原政之 
イラスト/ジョージマ・ヒトシ

前原政之(まえはら・まさゆき)
1964年3月16日、栃木県生まれ。53歳。
1年のみの編プロ勤務(ライターとして)を経て、87年、23歳でフリーに。フリーライター歴30年。
東京・立川市在住。妻、娘、息子の4人家族。

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