ブランドX『ミッシング・ピリオド』


ミッシング・ピリオド -異常行為前夜-ミッシング・ピリオド -異常行為前夜-
(1997/09/19)
ブランドX

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 ブランドXの『ミッシング・ピリオド』を、MP3ダウンロードで購入。

 英国にはカンタベリー系などブログレ寄りのジャズ・ロック・バンドが多いが、ブランドXは英国のバンドながらもフュージョン寄りのジャズ・ロック(プログレ要素ももちろんあるが)。
 「フュージョン寄り」といっても能天気なお気楽フュージョンではなく、いかにも英国的なヒネリと陰影が魅力のバンドである。

 フィル・コリンズがジェネシスと掛け持ちで在籍していたことで知られるが、彼以外にもパーシー・ジョーンズやジョン・グッドサルなどテクニシャン揃いで、超絶技巧の(それでいて聴きやすい)ジャズ・ロックを聴かせる。

 この『ミッシング・ピリオド』は、ブランドXがデビューアルバム『アンオーソドックス・ビヘイヴィアー(Unorthodox Behaviour)』(1976)以前に録音していた未発表音源(元はBBC用のスタジオ・ライヴらしい)を、20年以上を経た1997年に正式リリースしたもの。

 「異常行為前夜」という邦題サブタイトルは、デビューアルバムの日本発売時の邦題が原題直訳の『異常行為』だったことによる。

 プランドXのアルバムは、『アンオーソドックス・ビヘイヴィアー』も『ライヴストック』も、『モロカン・ロール』も『マスクス』も大好きな私。ただ、この『ミッシング・ピリオド』は、「どうせデモテープ集みたいなもんだろ」と思って手を伸ばさずにいた。
 が、YouTubeに上がっていた何曲かを聴いてみたら、すごくカッコよかったのでゲットしたしだい。


↑いちばん気に入った「Ancient Mysteries」。美しい。

 収録曲のいくつかは、のちのオリジナル・アルバムの曲のプロトタイプである。
 長らくお蔵入りになっていたことが示すように、未完成ヴァージョン集ではあるのだが、よくあるデモテープ集のような「商品以前」の出来ではない。オリジナル・アルバムと比べてもまったく遜色ない。

 オリジナル・アルバムの洗練度に比べたら荒削りな演奏と編曲ではあるものの、なにしろバカテク・ミュージシャン揃いだから、その荒削りさが瑕疵にならず、むしろワイルドな魅力を生んでいる。スタジオ・ライヴだから当然だが、ライヴ・アルバムに近いいきいきとした演奏なのだ。

 不気味なジャケットデザインが玉に瑕だが、内容は五つ星。ブランドXが好きな人で未聴なら、絶対オススメだ。

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西村賢太『薄明鬼語』


薄明鬼語―西村賢太対談集薄明鬼語―西村賢太対談集
(2014/05/21)
西村 賢太

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 西村賢太著『薄明鬼語(はくめいきご)――西村賢太対談集』(扶桑社/1620円)読了。
 『西村賢太対話集』(2012)につづく、2冊目の対談集である。

 今回の対談相手は、田中慎弥・木内昇(のぼり)・本谷有希子の小説家陣と、六角精児(俳優)、テリー伊藤、マツコデラックス、ダイアモンド☆ユカイ、水道橋博士……という面々。
 『西村賢太対話集』の対談相手が全員作家(高田文夫のみ放送作家)で、「文学対談」という趣だったのに対し、本書はもっと多彩な内容になっている。

 小説家が相手の3編についても、堅い文学論にはならず、けっこう笑える。
 それでも、西村が(ほかのことはともかく)小説を書くことについてだけは誠実であることが、行間から伝わってくる。

 田中慎弥との対談で、田中の「なんで作家になったのかとか、どうやったら作家になれるのかと聞かれてもわからない」という言葉に対して、西村は次のように応じる。

西村 良い答え方がありますよ。「作家になりたいひとは作家になれません。小説を書きたいひとだけが作家になれるんです」と言えばいい。これは意外と真理を突いていますな。やっぱり損得抜きに書きたいという意欲が、根底にあってのことだから。



 また、ダイアモンド☆ユカイとの対談での、次のやりとりも印象的だ。

ユカイ ずっと私小説を書き続けていて、そこに行き詰まったりしないんですか。
西村 とっくに行き詰まって、いまやもうスカスカの状態です(笑)。でも、口幅ったいですけれども、スカスカのところから絞り出すのが職業作家なんです。他に書いてるヤツらも、限界はとっくに超えてると思うんです。そこを絞り出せるかどうかがプロとアマチュアの違いなんでしょうな。



 ほかには、本谷有希子の天然っぷりがスゴイ。
 西村に「アル中なんですか?」と率直すぎる問いをぶつけたり、「西村さんは、そう遠くないうちに死んじゃうかもしれませんね」と言ったり……。

 たしかに、随筆に垣間見える暴飲暴食ぶり、1日に100本はタバコを吸うという度外れたヘビースモーカーぶり、それにあの体型から、傍目にも心配になる。しかし、それを対談で言うか(笑)?

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小林弘人『ウェブとはすなわち現実世界の未来図である』


ウェブとはすなわち現実世界の未来図である (PHP新書)ウェブとはすなわち現実世界の未来図である (PHP新書)
(2014/03/15)
小林 弘人

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 小林弘人著『ウェブとはすなわち現実世界の未来図である』(PHP新書/821円)読了。

 4年前に『Twitterの衝撃』という本を読んだとき、寄稿していた10人のうちで最も強い印象を受けたのが、この小林弘人によるメディア論であった。

 本書は、ウェブに精通した小林が、ウェブと私たちの未来を展望した概説書。帯の推薦の辞で大前研一も言うように、梅田望夫の『ウェブ進化論』(2006)の進化形ともいうべき内容だ。

 ただ、『ウェブ進化論』よりもビジネス書としての側面が強い。
 ウェブの未来図を描く本であると同時に、今後ウェブをビジネスにどう活かしていくべきか、またウェブの急激な変化にビジネスの場でどう対応していくべきが、かなりの紙数を割いて語られているのだ。

 たとえば、企業経営の世界ではよく「五ヵ年計画」を(銀行などから)求められるものだが、ドッグイヤーのウェブの世界からすれば、五ヵ年計画など「ほぼ夢想にしかならない」と著者は言う。

 私たちのビジネスモデルは「ピボット」することも起こりうる。ピボットとは「方向転換する」という意味だが、事業を行っているときに突然テクノロジーが陳腐化したり、全体のトレンドが変わってきたときは、急いでそのピボットを行わなくてはならない。ピボットすると、「コバヤシくん、最初の事業計画とまったく違うじゃないか」と問われることもあるが、移り変わりの速い世界では、これが当たり前なのだ。周囲を見渡しても、ピボットできずに最初の計画にしがみついて沈んでしまった例はいくらもある。(中略)AコースからBコースにルートを変えるとき、稟議を通して重役の決済を待っていたら、そのあいだに会社がつぶれてしまう。



 書名は、“従来はウェブが社会を模倣していたが、これからの世界は逆に社会のほうがウェブを模倣して変わっていく”というほどの意味。
 梅田望夫の『ウェブ進化論』にはややナイーブな理想論という印象もあったが、著者が描く未来図はもっと現実的である。

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松井巧『ジャズ・ロック』『ブリティッシュ・ジャズ・ロック』


ジャズ・ロック (THE DIG presents disc guide series (35))ジャズ・ロック (THE DIG presents disc guide series (35))
(2008/10/31)
松井 巧

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 ジャズ・ロックのディスク・ガイド本2冊――「THE DIG presents disc guide series」シリーズの『ジャズ・ロック』(シンコーミュージック)と、『ブリティッシュ・ジャズ・ロック』(ビー・エヌ・エヌ)――を、中古で購入。

 2冊とも、音楽評論家・松井巧の手になるもの。
 後者は、タイトルどおり英国産ジャズ・ロックに絞ったガイドである。前者は国を絞らない網羅的ガイドなのだが、それでもソフト・マシーンやニュークリアスなどのブリティッシュ・ジャズ・ロックが中心となっている。

 したがって、セレクトされたアルバムには重複も多い。だが、松井は文章の流用はせず、同じアルバムの紹介文もきちんと書き分けている。こうした誠実さは好ましい。

 ここ数年、私が日常的にいちばんよく聴いているジャンルはジャズ・ロックである。
 なので、名盤と評されるものはだいたい聴き尽くしたつもりでいたが、この2冊のガイドを読むと知らないアルバム/アーティストがけっこうあった。奥深いジャンルですなあ。

 松井自身も書いているように、どこからどこまでをジャズ・ロックと見做すか、ジャズ・ロックをどう定義するかの基準は、非常にあいまいである。プログレやハード・ロックなどの他ジャンル以上に、そのあいまいさが際立っているのがジャズ・ロックなのだ。

 ゆえに、この2冊を読んでも、「えっ、これをジャズ・ロックに入れるの?」とか、「なんであれが入っていないんだ?」などと、首をかしげる点が少なくない。

 たとえば、私はマハヴィシュヌ・オーケストラとリターン・トゥ・フォーエヴァーこそ2大ジャズ・ロック・バンドだと思っているが、松井はRTF(と、その各メンバー)への評価が低すぎるように思う。
 彼らの最高傑作『浪漫の騎士』も取り上げられていないし、アル・ディ・メオラやスタンリー・クラークのソロ作も完全無視なのだ。

 また、ジャン=リュック・ポンティのソロ作がまったく取り上げられていないのも不思議だ(ジョージ・デュークとのデュオ作が入っているのみ)。彼の『秘なる海(エニグマティック・オーシャン)』はジャズ・ロック史上に残る名盤だと思うのだが……。

 思うに、松井はプログレの一形式としてのジャズ・ロックを重視しており、逆にフュージョンの一形式としてのジャズ・ロック(≒ハイパー・テクニカル・フュージョン)は比較的軽視しているのだろう。
 もちろん、十人十色のジャズ・ロック観がある以上、そうした偏りがべつに悪いわけではない。

 ……そのように、私と見解が異なる点も多々あるのだが、2冊とも、すごい量の情報を詰め込んだ労作であり、カラーページも多いのでパラパラ見ているだけで楽しい。

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勝目梓『ある殺人者の回想』


ある殺人者の回想ある殺人者の回想
(2013/03/28)
勝目 梓

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 勝目梓著『ある殺人者の回想』(講談社)読了。

 勝目梓といえば、暴力とセックス満載の通俗エンタメ小説の巨匠だが、元々は純文学を志していた人である。
 自伝作品『小説家』以来、彼は原点回帰のような純文学作品を次々と発表してきた。

 本作も、その流れの延長線上にあるもの。殺人事件が物語の核になってはいるものの、かつてのバイオレンス小説とはカラーが異なる。殺人者と被害者の妻の間に育まれた哀切なプラトニックラブを描いた、異形のラブストーリーなのだ。

 「BOOK」データベースの「内容紹介」を引用する。

 76歳で二度目の殺人を犯した緒方一義は刑務所で自らの過去を振り返る――。九州の伊万里湾に浮かぶ島で生まれ、炭坑夫をしていた緒方は、昭和22年、隣家に募集坑夫として越してきた浦川の妻、久子に憧れ、ほのかな想いをいだく。だが浦川が緒方の母と無理やり関係を持ったことから、緒方は浦川を殺してしまう。そして刑務所から久子にお詫びの手紙を出した緒方の元に届いた「あたしは緒方さんをうらんではいません」という返事。出所して52年後、久子への変わらぬ想いが、緒方を再び罪へと導く……。

 

 傘寿(80歳)を獄中で迎えた老殺人者が、誰にともなく語る回想――という体裁で綴られる物語。
 炭鉱での暮らしを描いた前半部分に重いリアリティがあり(勝目は若き日に炭鉱夫をしていた時期があるそうだ)、あたかも実在の殺人者の手記を読んでいるかのよう。

 対照的に、出所した主人公が想い人と再会する後半の展開はやや荒唐無稽だが、筆運びに読者をぐいぐい引っぱる力があって、リアリティ不足が気にならない。
 団鬼六が晩年に書いていた一般小説がそうであったように、通俗エンタメの巨匠が長年培ったテクニックを駆使して書く純文学的作品には、純文学プロパーの作家にはない独特のパワーがあって、素晴らしい。

 ヒロインでありファム・ファタールとなる久子の操る博多弁(?)も、じつにいい味出してる。「うちは亭主ば殺した人ばこげんして何十年も心の中で好いとるとやもん」とか……。

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チップ・ウォルター『人類進化700万年の物語』


人類進化700万年の物語 私たちだけがなぜ生き残れたのか人類進化700万年の物語 私たちだけがなぜ生き残れたのか
(2014/03/20)
チップ・ウォルター

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 チップ・ウォルター著、長野敬・赤松眞紀訳『人類進化700万年の物語――私たちだけがなぜ生き残れたのか』(青土社/3024円)読了。書評用読書。

 歴史上、20種類以上いたというヒト属の中で、現生人類(ホモ・サピエンス)だけが生き残ったのはなぜか?
 ライオンとトラが共存しているように、ネアンデルタール人とホモ・サピエンスがいまも共存していても不思議はないのに(じっさい、この2種は長い間共存し、一部では交雑もあった)、なぜそうはならなかったのか?
 科学ジャーナリストにして脚本家、CNNの支局長だったこともあるという著者が、この謎に迫った科学ノンフィクションである。

 部分的には大変面白く、知的興奮に満ちた本。
 とくに、ネアンデルタール人がなぜ滅びたかについての考察は、類書である『そして最後にヒトが残った――ネアンデルタール人と私たちの50万年史』にも出てこなかった斬新な仮説を含むもので、読み応えがある。

 ただ、構成と論述の進め方に、やや難がある。
 いろんな話をゴチャゴチャと盛り込みすぎて焦点がぼやけているし、持って回った気取った書き方のせいでわかりにくい文章も頻出する。
 構成を整理してリライトすれば、もっとわかりやすく、面白くできる本。惜しいと思う。

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佐藤泰志『そこのみにて光輝く』


そこのみにて光輝く (河出文庫)そこのみにて光輝く (河出文庫)
(2011/04/05)
佐藤 泰志

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 佐藤泰志著『そこのみにて光輝く』(河出文庫)読了。

 先月に観た映画版がよかったので、原作を読んでみた。
 佐藤泰志が遺した唯一の長編小説で、第1部「そこのみにて光輝く」と、第2部「滴る陽のしずくにも」からなる。
 映画版のストーリーは、第1部と第2部を巧みにつなぎ合わせ、再構成して作られていたのだとわかった。

 いかにも日本文学らしい、暗く、重く、湿った話。なのに、短いセンテンスをたたみかける文体やダイアローグは、ヘミングウェイ的というか、ハードボイルド小説に近い乾いたタッチである。そのギャップがユニークな味わいになっている。「ハードボイルド純文学」という趣だ。

 映画版は細部にさまざまな脚色が加えられているのだが、それらがことごとくうまく決まっている。原作よりも映画のほうがよい。

 ただ、原作の第2部で千夏と達夫(映画では池脇千鶴と綾野剛が演じた主人公2人)が結婚して娘も生まれたという設定になっていることで、救われたような、安堵した気持ちになった。映画版は哀しい幕切れであったから。

■関連エントリ→ 佐藤泰志『海炭市叙景』レビュー

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高橋智隆『ロボットの天才』


ロボットの天才 (空想科学文庫)ロボットの天才 (空想科学文庫)
(2011/05/25)
高橋 智隆

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 昨日は、都内某所で打ち合わせが一件。
 行き帰りの電車で、高橋智隆著『ロボットの天才』(空想科学文庫)を読了。

 エボルタ君やキロボ、クロイノなどのキュートなヒト型ロボットの作者として知られる「ロボットクリエイター」が、自身の歩みを振り返った自伝的エッセイ。
 仕事の資料として読んだのだが、読んでみたら面白くて一気読み。

 じつは、私は子ども時代に一度もプラモデルを完成させたことがない。いつも、途中で面倒くさくなって投げ出してしまったのだ。
 しまいには、何かのプレゼントでプラモデルをもらったりすると、そのままプラモ好きの友だちにあげてしまった。

 昔もいまもウルトラ不器用で、図工的センスが欠落しており、工作・ものづくりの楽しさ自体がわからない。
 幼稚園児のころからロボット博士にあこがれていたという著者のような人とは、対極にいるタイプなのだ。

 でも、そんな私が読んでも、この本は面白かった。ロボット作りにのめり込んでいく著者のワクワク感が伝わってきたのだ。
 1冊の本としてよくできているし、型破りで飾らない著者のキャラクター自体がたいへん魅力的だ。

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松田美佐『うわさとは何か』


うわさとは何か - ネットで変容する「最も古いメディア」 (中公新書)うわさとは何か - ネットで変容する「最も古いメディア」 (中公新書)
(2014/04/24)
松田 美佐

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 今日は、取材で岐阜県中津川市へ――。
 「サラダコスモ」という会社の社長さんへの取材。同社が運営する教育型観光生産施設「ちこり村」にて。
 ちこり(アンディーブ)という野菜は初めて食べたが、シャキシャキ感が心地よい。それ以外の、有機野菜をふんだんに使った素朴な料理のバイキングもみなおいしく、お腹いっぱいになって帰宅。近所にこのような施設があったら、絶対常連になると思う。


 行き帰りの新幹線で、松田美佐著『うわさとは何か――ネットで変容する「最も古いメディア」』(中公新書/907円)を読了。
 コミュニケーション論・メディア論の研究者(中央大学教授)が、自らの研究成果をふまえ、うわさという「最も古いメディア」の歴史といまに迫った概説書である。

 うわさについて包括的に論じた一般書は過去にもたくさんあるが(私が好きなのは、別冊宝島の『うわさの本』)、それらの類書にない本書の強みは、ネット時代のメールやSNSなどを介したうわさの特徴についてくわしく論じているところ。全6章のうちの5~6章が、それに当たる。

 うわさ研究の古典的文献(清水幾太郎の『流言蜚語』など)の過不足ない紹介から、1980~90年代の「都市伝説」ブーム、そしてネット社会のうわさまで、うわさ研究史が概観できる。社会学・心理学・メディア学などを横断する「うわさ学入門」として、よくまとまっている本だ。

 随所で紹介されるさまざまなうわさも面白く、読み物としても楽しめる。
 たとえば――。

 戦後すぐの占領下日本で、「マッカーサーの祖先は日本人である」といううわさが広まったことがあったという。

 戦時中の日本人は、アメリカ人は残虐で好色だと教えこまれていた。そのアメリカ人に占領されたら、どんな恐ろしい復讐をされるのかと戦々恐々だった。ところが、占領統治が始まってみれば、米軍兵士たちはおおむね友好的であり、さまざまな民主化政策が次々と打ち出されていった。

 「占領前の予想と実際に行われた占領政策」のギャップを埋めるものとして生まれたのが、「マッカーサーの祖先は日本人」といううわさだった。つまり、“これほど日本人によくしてくれるマッカーサーは、日本人の血を引いているのではないか”というわけだ(これは著者の独創ではなく、米国の社会学者タモツ・シブタニの分析)。

 このような、うわさをめぐる面白いエピソードがちりばめられている。
 
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ちばてつや『ちばてつやが語る「ちばてつや」』


ちばてつやが語る「ちばてつや」 (集英社新書)ちばてつやが語る「ちばてつや」 (集英社新書)
(2014/05/16)
ちば てつや

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 今日は都内某所で取材が一件。
 行き帰りの電車で、ちばてつや著『ちばてつやが語る「ちばてつや」』(集英社新書/821円)を読了。

 書名のとおり、大御所マンガ家・ちばてつやが自らの歩みを振り返った本。構成者の名は明記されていないが、インタビューをライターか編集者がまとめたものだと思われる。

 生い立ちから説き起こされてはいるものの、自伝というよりは自作解題が中心になっている。
 ちばてつやの主要作品すべてについて、それがどのように生まれ、どのように描きつづけられていったのかの舞台裏を、自らつぶさに明かした本なのである。
 もちろん、作品の舞台裏を語る作業を通じて、おのずとマンガ家人生を振り返ることになるので、自伝としても読める(ちばは過去に『みんみん蝉の歌』という自伝も刊行しているが)。
 ちばてつや作品のファンなら楽しめる本だ。

 国民的マンガ家の1人であるわりに、きちんとした「ちばてつや論」の書は皆無に等しいが(これは手塚治虫を除く大半の大物マンガ家について言えること)、本書は今後ちばてつやを論ずる場合の基本文献になり得るものだ。

 ちばてつやは、野球でいえば王貞治に相当するような「斯界を代表する人格者」として知られる。
 本書にも、誠実であたたかい人柄が行間ににじみ出ている。とくに、一つひとつの作品に真剣に向き合う姿勢が随所に感じられ、感動的である。

 初期作品(貸本マンガや少女マンガ)についての章は、私自身に思い入れがないため印象が薄い。が、リアルタイムで連載を読んでいた『おれは鉄兵』や、マイフェイバリット作『紫電改のタカ』「蛍三七子」、そしてもちろん『あしたのジョー』についての項目は、夢中になって読みふけってしまった。
 とくに、『あしたのジョー』の舞台裏を明かしたくだりは、本書の白眉だろう。

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松田悠介『グーグル、ディズニーよりも働きたい「教室」』


グーグル、ディズニーよりも働きたい「教室」グーグル、ディズニーよりも働きたい「教室」
(2013/04/12)
松田 悠介

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 昨日は、「ティーチ・フォー・ジャパン(TFJ)」代表の松田悠介さんを取材。TFJのオフィスにて。
 松田さんの著書『グーグル、ディズニーよりも働きたい「教室」』(ダイヤモンド社)を読んで臨む。

 TFJは、全米で文系就職ランキング1位の人気NPO「ティーチ・フォー・アメリカ(TFA)」の日本版。松田さんはハーバード大学留学時代にTFAに出合い、さまざまな困難を乗り越え、20代の若さでTFJを創設した。

 TFAもTFJも、優秀な学生を選抜して訓練し、貧困地域や教育困難校に2年間教師として送り込む活動をメインにしている。貧困などによる教育格差の是正を目指すNPOなのである。

 教育によって貧困家庭の子どもたち(に限らないが)に自立する力をつけさせようとするその活動は、まことに素晴らしい。日本ではまだ始まったばかりだが、もっと拡がってほしいと思う。

 松田さんは1983年生まれでまだ30代になったばかりなのに、「只者ではない」と感じさせるオーラがある。
 取材中、言葉に淀んだり考え込んだりする場面がただの一度もなく、終始立て板に水で歯切れよく語りつづけた。並外れたクレバーさと心の熱さを兼備した人と感じた。

 貧困問題の解決に教育が果たす役割の大きさについては、阿部彩さんも近著『子どもの貧困Ⅱ――解決策を考える』で強調していた。
 『グーグル、ディズニーよりも働きたい「教室」』は、貧困問題に関心のある人はもちろん、教育関係者にも薦めたい好著である。

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岡映里『境界の町で』


境界の町で境界の町で
(2014/04/19)
岡 映里

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 今日は、都内某所で打ち合わせが一件。
 行き帰りの電車で、岡映里著『境界の町で』(リトルモア/1728円)を読了。

 汗牛充棟の東日本大震災関連書の一つではあるが、どの類書とも異なる独創性をたたえた1冊だ。

 作家が被災地を取材して作品にする場合、自分語りを最小化して社会派ノンフィクションにするか、取材をふまえたうえで完全なフィクションにするか……という2つの方向性があるだろう。

 だが、著者はそのどちらも選ばなかった。原発の町に通いつめ、半ば住み着くようなディープな取材を重ねたあとで、福島での日々を私小説のようなテイストで濃密に振り返ったのである。
 著者は取材者の目線を超え、身近な友人たちを見る目線で福島の人々を見つめている。と同時に、禁欲することなく思いきり自分語りをしている。そのことが類書にない新鮮さを生んでいるのだ。

 私は、やっぱり福島に行くことにする。
 その晩、肩まであった髪を浴室で切ってベリーショートにした。



 3・11を扱った従来のノンフィクションでは、こんな一節にはお目にかかれなかった。1人の30代女性としての著者が、本書にはリアルに息づいているのだ。

 著者プロフィールの肩書きは、「ノンフィクション作家」ではなく、たんに「作家」となっている。そのことが象徴的だ。これはノンフィクションというより、むしろ私小説なのだ。
 私小説として描かれた3・11後の福島――ありそうでなかった、コロンブスの卵のような方向性であり、それが本書では十二分に奏功している。

 類書の中で本書のスタンスに最も近いのは、じつは鈴木智彦の『ヤクザと原発』ではないか。
 ただ、鈴木の荒削りな本よりも、本書のほうがはるかに文学的香気に満ちている。たとえば、次のような一節。これはもう、詩だと思う。

 人の人生の稲妻のような一瞬に触れて、私の言葉も瓦礫になった。福島でそんな経験を何度もした。共感も、心配も、同意も、言葉にした瞬間すべて嘘になった。すべての言語を奪われてしまった。共感したい、同意したい、同化したい。でも言葉という道具は頼りにならなかった。



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高橋英彦『なぜ他人の不幸は蜜の味なのか』


なぜ他人の不幸は蜜の味なのか (幻冬舎ルネッサンス新書 た-9-1)なぜ他人の不幸は蜜の味なのか (幻冬舎ルネッサンス新書 た-9-1)
(2014/04/11)
高橋 英彦

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 今日は、都内某所で打ち合わせが一件。
 行き帰りの電車で、高橋英彦著『なぜ他人の不幸は蜜の味なのか』(幻冬舎ルネッサンス新書/840円)を読了。

 人間の感情や心の病気の脳科学的研究をつづける研究者(現・京大准教授/医学博士)が、研究成果を一般向けにブレイクダウンした本。

 タイトルは、著者たちの研究によって、妬みや他人の不幸を喜ぶ感情に関する脳内のメカニズムが明らかになったことをふまえたもの。

 本書でも、全5章中の1~2章で、「なぜ他人の不幸は蜜の味なのか」についての脳科学的解説がなされている。ただし、タイトルに相応しているのはそこまでで、3章以降は別の話だ。

 部分的には大変面白い本だが、惜しむらくは文章がやや生硬で、医学論文そのまんまみたいな箇所が散見されること。
 かと思えば、あまりにも文章を平明にしすぎて、読者を子ども扱いしているかのような箇所もあったりする。
 
 著者はこれが初の一般書のようだから、そのへんのさじ加減(=一般向けの文章はどこまでかみくだいたらよいか)がまだつかめていないのだろう。
 一般向け科学啓蒙書のお手本ともいうべき、池谷裕二さんの著書の写経を勧めたい。

 生硬な文章の例を挙げてみる。

 この研究結果は、自由意志という自分の行為は自分が意識して、自分の責任において行うという立場に反する結果として、自由意志の哲学において何度も引用されています。



 「自由意志の哲学」について予備知識がないと、この文章を3回読んでも意味がわからない。文がこんがらがっている。

 そのような瑕疵があるとはいえ、嫉妬の感情を脳科学的に解説した部分は非常に興味深い本だ。
 昔、岸田秀の『嫉妬の時代』という俗流心理学の面白い本があったが、あれをもっとアカデミックにしたような感じ。

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吉田典史『ビジネス書の9割はゴーストライター』


ビジネス書の9割はゴーストライタービジネス書の9割はゴーストライター
(2014/05/25)
吉田 典史

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 吉田典史著『ビジネス書の9割はゴーストライター』(青弓社/1728円)読了。

 これまで100冊以上ゴーストの仕事をやってきたライターの私としては、買わずにはいられなかった本。タイトルのとおり、ビジネス書のゴーストライティングの話が中心になっている。

 本書には佐村河内事件への言及は皆無だが、あの事件によってゴーストライターへの世間の関心が(変な形で)高まったことが、刊行の背景にあるのかもしれない。もっとも、本書のベースになっているのは、事件以前にネットで発表された記事だけれど……。

 ゴーストライター(=書籍の聞き書きライター)の仕事に特化した本が、ほかにないわけではない。当ブログでも取り上げた『職業、ブックライター。』(上阪徹)、『実践的ライター入門』(松枝史明) などである。

 それらの類書に比べ、本書は「告発」の色合いが濃い。ゴーストの世界がいかに矛盾に満ちているか、仕事がらみのトラブルが多いかが、かなりの紙数を割いて書かれているのだ。女工哀史ならぬ「ゴーストライター哀史」みたいな……。

 「ゴーストライターの仕事をやってみたい」という人のための入門書として、読めないこともない。が、もっぱら業界のネガティヴな側面に光が当てられているから、本書を読むと「ゴーストライターになりたい」という気持ちは消え失せるのではないか。

 逆に言うと、ネガティヴな側面ばかり強調しすぎだと思う。読んでいて、著者(ゴーストの仕事もたくさんやってきたそうだ)の愚痴を延々と聞かされている気分になった。

 私には仕事の参考になる点はあまりなかったが、“ゴースト業界四方山話集”として読む分には、わりと楽しめた。

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大田俊寛『現代オカルトの根源』


現代オカルトの根源:霊性進化論の光と闇 (ちくま新書)現代オカルトの根源:霊性進化論の光と闇 (ちくま新書)
(2013/07/10)
大田 俊寛

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 今日は、都内某所で打ち合わせが一件。
 行き帰りの電車で、 大田俊寛著『現代オカルトの根源――霊性進化論の光と闇』(ちくま新書/864円)を読了。

 現代のオカルティズムの根底にある、19世紀後半に誕生した「霊性進化論」の系譜をたどった概説書。そこから、オウム真理教や幸福の科学などを生み出した思想的源流に迫っている。

 「霊性進化論」とは、「人間の生の目的は、自らの霊性を進化・向上させてゆくことにあり、その歩みの結果として、ついには神的存在にまで到達することができる」とする思想のこと。
 それは、「(ダーウィンの)進化論に対する共鳴と反発によって生み出された、その歪んだ『変種』」であり、「近代において宗教と科学のあいだに生じた亀裂に対し、その亀裂を生み出す大きな原因となった『進化』という科学的概念を宗教の領域に大胆に導入することにより、両者を再び融合させようとする試み」であった――というのが著者の見立てだ。

 修業によって自らの魂(生命)を磨こうとするのは、多くの宗教に共通する志向性であるし、「べつに霊性進化論も悪くないではないか」と思う向きもあるかもしれない。
 しかし、著者によれば、霊性進化論は「往々にして、純然たる誇大妄想の体系に帰着してしまう」し、「霊的エリート主義の形成」(そこから、信者以外を見下し、攻撃する傾向に陥る)・「被害妄想の昂進」・「偽史の膨張」といった負の側面をしばしば持つという。

 全3章立て。
 第1章では、ロシアの霊媒ブラヴァツキー夫人が生み出した「神智学」(霊性進化論の源流)の展開を追う。
 第2章では、神智学が生んだ霊性進化論が、第2次大戦後の欧米で「ニューエイジ思想」などのポップ・オカルティズムに変容していく過程をたどる。
 そして最後の第3章では、霊性進化論を根底に据えた日本の新宗教(オウム、幸福の科学と、両者に影響を与えた阿含宗やGLA)を概観している。

 霊性進化論の代表的論者の「思想」が、かなりの紙数を割いてくわしく紹介されている。それらの「思想」を垣間見るだけで、めまいがしそうになってくる。

 たとえば、イギリスのニューエイジ系思想家、デーヴィッド・アイクは、著者が「爬虫類人陰謀論」と名づけた珍妙な妄想体系を築き上げた。それは、レプティリアン(爬虫類型異星人)が世界の政治や経済を裏から支配している、というものだ。

 アイクによれば、ヒトラーもレプティリアンによって密かに操られていたという。

 レプティリアンたちは、金髪・碧眼の人間の血液を吸うことを好んでおり、ナチズムの政策は、レプティリアンに生き血を捧げる人間を確保することに利用されたからである。



 爆笑ものだが、著者は次のように解説を加えている。

 古来、悪魔や悪霊といった存在は、不安・恐怖・怨念といった否定的感情、あるいは過去に被った心的外傷を、外部に投影することによって形作られてきた。近代においてそれらは、前時代的な迷信としていったんはその存在を否定されたが、しかし言うまでもなくそれらを生みだしてきた人間の負の心性自体が、根本的に消え去ったというわけではない。
(中略)
 一見余りに荒唐無稽なアイクの陰謀論が、少なくない人々によって支持されるのは、「爬虫類型異星人」というその形象が、現代社会に存在する数々の不安や被害妄想を結晶化させることによって作り上げられているからなのである。



■参考→ オウム真理教事件の真の犯人は「思想」だった / 大田俊寛

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最相葉月『最相葉月 仕事の手帳』


最相葉月 仕事の手帳最相葉月 仕事の手帳
(2014/04/02)
最相 葉月

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 ファクス機器が不調なので、新しいものに買い替えた。
 こんなアナログな機器とはもうオサラバしたいところだが、ファクスが必要な仕事もまだわずかに残っているので、そうもいかないのである。

 今日は、都内某所で打ち合わせが一件。
 行き帰りの電車で、最相葉月著『最相葉月 仕事の手帳』(日本経済新聞出版社/1620円)を読了。

 「ひとつのテーマを何年も追い続ける徹底した取材で知られるノンフィクションライターによる初の仕事論」という惹句を目にして、反射的に手を伸ばしたもの。

 本書のパート1「仕事の心得」(全体の5分の2程度に当たる)は、たしかにその惹句のとおりの内容。エッセイとしても質が高いし、ライターの1人として参考になる。『日本経済新聞』の連載をまとめたものだ。

 パート2は、著者が「InterFM」で行った三浦しをん(作家)と野町和嘉(写真家)へのインタビューの文字起こしに、少し加筆しただけ。こんなのいらないと思う。ページ数稼ぎとしか思えない。

 パート3は、「科学を書く」という書き下ろしと、早稲田大学大学院のジャーナリズムコースで著者が行った講義「私のノンフィクション作法」をベースにした「人間を書く」からなる。

 そのうち「人間を書く」は、著者が『星新一 一〇〇一話をつくった人』をどのように書き進めていったかの舞台裏をつぶさに明かしたもの。緻密な仕事ぶりがうかがえて興味深い。1人の人物に的を絞ったノンフィクションを書こうとしている人にとっては、この文章自体が最高のお手本になるだろう。

 最後のパート4は、著者がブック・アサヒ・コムに連載していた、ノンフィクションの名作を紹介する書評を集めている。内容は悪くないが、べつにこの本に入れなくてもよかったと思う。

 私が本書の編集者なら、パート2、パート4はすべてカットし、パート1とパート3をふくらませて1冊にする。そうすれば、立花隆の『「知」のソフトウエア』や、野村進の『調べる技術・書く技術』に匹敵する、「ノンフィクション作家の知的生産術」のスタンダードになり得ただろう。
 中途半端な“寄せ集め感”があって、そこが残念な本だ。

 とはいえ、パート1とパート3は面白い。普遍的なライター入門というより、著者個人の仕事を振り返った内容だが、それでも物書きなら教えられるところ大である。

 共感するくだりも多い。たとえば――。

 締め切りに遅れることはあっても、締め切りを忘れることはない。あ、忘れてた、なんていう人がいたら、それは文筆が本業ではない人だろう。文筆専業の人間の体内時計は締め切りを中心に時を刻む。体がもう、そのようにできている。



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黒川祥子『誕生日を知らない女の子』


誕生日を知らない女の子 虐待――その後の子どもたち誕生日を知らない女の子 虐待――その後の子どもたち
(2013/11/26)
黒川 祥子

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 黒川祥子著『誕生日を知らない女の子/虐待――その後の子どもたち』(集英社/1728円)読了。第11回(2013年)開高健ノンフィクション賞受賞作。

 児童虐待は、虐待が行われている家庭から子どもを救い出したときに問題が終わるのではない。
 救出された子どもたちは、その後も虐待の後遺症にさいなまれる。深刻な虐待は、脳の健全な発育すら阻んでしまうことがあるという。適切なケアによって「生きる力」を取り戻させなければ、子どもたちは普通に生きていくことができない。彼らは心に深い傷を負った「サバイバー」なのだ。

 本書は、被虐待児童たちの「その後」を追ったノンフィクションである。
 全5章のうち4章では、ファミリーホーム(小規模住居型児童養育事業)に預けられて暮らす子どもに、1人ずつ光が当てられる。
 そして最後の第5章では、被虐待児童であった40代の女性が、自分の子どもを虐待してしまう「虐待の連鎖」から抜け出ようと、懸命に闘う姿が描かれる。

 ファミリーホーム制度というものを、本書で初めて知った。これは通常の児童養護施設とは違い、養育者自身の家庭に要保護児童5~6人を受け入れ、育てていくものだ。2009年から始まった制度だという。
 「里親」が個人による養護であるのに対し、ファミリーホームは「事業」であり、3人以上で養育にあたる。たとえば、養育者夫婦に補助者1人、などというパターンである。

 普通の家庭が養育場所となるため、被虐待児童に家庭と家族のぬくもりを経験させやすい。養育者は、「先生」ではなく親代わりとなって児童を育てるのだ。

「いつ、お母さんにぶたれるかわからないから、いつもお腹に力を入れていたんだよ」



 これは被虐待児童の言葉。
 家庭がそのようなサバイバルの場であった子どもたちは、多くの場合「愛着障害」と呼ばれる問題を抱えている。ファミリーホームは、その問題を粘り強く解きほぐしていく「育ち直し」の場なのだ。

 各ファミリーホームの養育者が被虐待児童に深く寄り添う様子、そして児童が少しずつ蘇生していく様子が感動的だ。

 第4章で描かれるのは、ファミリーホームでの懸命な養育にもかかわらず、児童がけっきょく問題ある実母のもとに戻ってしまうケース。
 自分を虐待し、捨てた母親でさえ、子どもは憎むどころか強く慕い、母の愛を渇望しつづける。その章の次の一節に、胸を衝かれる思いがした。

 一般に、「親の、子への愛は無償だ」と言われるが、虐待を見ていく限り、それは逆だとしか思えない。子の、親への愛こそが無償なのだ。



 そういえば、児童虐待の問題を描いた下田治美の名作『愛を乞うひと』には、「愛乞食」という言葉が出てきた。
 自分を虐待する母親の愛を、それでも渇望せずにはいられない――子どものそのような心のありようを、「愛乞食」と表現したのだ(『愛を乞うひと』というタイトルも、そこに由来する)。
 本書に登場する子どもたちの多くにも、「愛乞食」の趣がある。切ない話だ。
 
 丹念な取材で対象児童や養育者の心に深く分け入った、ノンフィクションの力作。

■関連エントリ
森田ゆり『子どもへの性的虐待』レビュー
杉山春『ルポ 虐待――大阪二児置き去り死事件』レビュー
大久保真紀『児童養護施設の子どもたち』レビュー

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春日太一『あかんやつら』


あかんやつら 東映京都撮影所血風録あかんやつら 東映京都撮影所血風録
(2013/11/14)
春日 太一

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 今日は都下某所で、映像の仕事のシナリオハンティング。
 

 春日太一著『あかんやつら ――東映京都撮影所血風録』(文藝春秋/1998円)読了。

 古くは娯楽時代劇の雄として、その後はヤクザ映画の牙城として、日本映画史にその名を刻む東映京都撮影所。60余年にわたるその歴史(前身の東横映画時代を含めて)を、映画史・時代劇研究家の著者が徹底取材で明かしたノンフィクション大作である。

 痛快・豪快・仰天エピソードの連打で、400ページ超の大著を一気に読ませる。日本映画好きなら間違いなく楽しめる本だ。

 著者の春日太一って、書いているものの印象から50代後半くらいかと思っていたのだが、まだ30代の若手(1977年生まれ)なのだね。

 萬屋錦之介などのスター俳優、深作欣二などのスター監督が続々と登場するのだが、彼ら表舞台の主役たちと、映画を支える裏方たちとの間に、著者は一切の差別をもうけていない。
 裏方にも等量の光を当て、映画作りという「祭り」に集った群像を、熱い筆致で活写しているのだ。

 古きよき時代の東映の映画作りは、よい意味でいいかげんで破天荒。次々と襲い来る困難に、荒くれ男たちは心意気で立ち向かい、乗り越えていく。そのさまが痛快だ。

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前原政之 
イラスト/ジョージマ・ヒトシ

前原政之(まえはら・まさゆき)
1964年3月16日、栃木県生まれ。53歳。
1年のみの編プロ勤務(ライターとして)を経て、87年、23歳でフリーに。フリーライター歴30年。
東京・立川市在住。妻、娘、息子の4人家族。

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